『がらくたストリート(1)(2)』
『がらくたストリート(1)(2)
』(山田穣/バーズコミックス)
つい先日まで二巻が出ていることにまったく気が付かずスルーしていたのだった。自分のアンテナも錆びついたものだと思ったものの、それ以上に話題にならないにもほどがある!と出ていることに気が付かなかった自分を棚に上げて憤りを感じたので感想を書く。
この作家の面白いところは日常と非日常の接続の仕方にあると思っていて、作者の体験談とおぼしきリアルな日常の小ネタと宇宙人や神様との緩やかなつながり方にが素晴らしいと思う。それは、道を歩いているときに、遠くに揺らめく陽炎に異世界を見るのにも似ていて、ほんのちょっとした違和感の積み重ねのようでいて、しかし、そこには確かに宇宙人もいるし神様もいる。と言うか、陽炎が現実であるのと同じぐらいに宇宙人も神様も現実であるような手触りがあって、これがすごく好きなのだった。
思うにこの作品には作者の実体験とおぼしき、やたらとマニアックかつ広範囲にわたる無駄知識が描かれていて、それが強烈な現実感を与えているのだが、それが非日常とダイレクトに結びつくことによって、非常に幻惑的なイメージを与えていると思う。宇宙人の女の子と、焼き飯と炒飯の違いが同じレベルで描かれることに頭がくらくらするほどの違和を感じるのだが、同時にそれぐらいしか違いのない物なのかもしれないとも思える。暗闇の中に人間の知覚出来ない存在を意識するのと同じくらい、それはありふれたものなのだ。
つまり、日常と非日常を分かつものは実はなく、どちらもが同じ世界に存在していることで、人間は無意識のうちに行ったり来たりしているという感覚がこの作品にはあると思う。自分はそういう感覚をわりとしょっちゅう感じることがあって(まあ社会不適合の気はあると思うが)、だからこそ、この作品における幻想の扱い方(我々がいつも見ている現実のなかに散りばめられているという見方)は非常に魅力的に思うのだった。
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