2013.10.26

何気なく始めたゲームは面白すぎて睡眠時間がみるみる減った日記

・自分でも理由が良くわからないのだが、五年くらい前(いや、もっと前だったかもしれない)に買ったまま放置していた『空の軌跡FC』を始めてみたところ、これが非常に面白くて作業がいろいろ滞っているのだった。

PC版の発売が2004年、自分がやっているPSP版でさえ2006年発売のゲームだから、下手すると10年前のゲームなのだが、今やってもぜんぜん問題なくプレイ出来る。

見た目はドットとポリゴンで出来た昔ながらの2DRPGの色合いを濃く残すゲームなのだが、とにかく細部への気配りがもはや偏執狂とさえ言えるほどの凄まじい配慮で、多少ロードが長いことを除けばプレイは極めて快適と言える。快適過ぎるとも言える。

偏執狂めいた拘りはそれだけではない。ドットキャラでありながら、主人公たちの芝居は細やかで、ドットでありながら躍動感のあるアクション芝居を行っているのには驚かされた。あるキャラクターが一騎打ちをするシーンがあるのだが、RPGでよくある強制戦闘ではなくて、ドットキャラ同士が飛んだり跳ねたり剣を振り下ろしたりと、まるで時代劇の殺陣めいたアクションをするのだ。軽快なフットワーク、壁を使った三次元殺法、それらがただキャラを動かしているのではなく”芝居”をさせている。すごいなこの演出、ドットキャラってこんなこと出来るんだな、って思った。

あとこれは本当に偏執狂なんじゃないかと思わされたのは、モブキャラたちにまでドラマが設定されていること。本当に、そこら辺を歩いている町人Aでさえドラマがあって、悩みや目標を持っているのだ。ゲームを進めるたびに細かく話が変わってて、家族との交流、仕事悩み、恋人との関係など、さまざまな人生の一側面を見せてくれる。ここまで来るともはや単なるモブとは言えなくて、実際、驚くべきことこのゲームのモブキャラには全員名前が設定されている。さらに当人だけではなく、他のモブキャラ同士でも人間関係があって、全員に話を聞いていくと、「あ、この人とあの人は恋人同士で遠距離恋愛をしているのか」「旅先で出会った夫婦の実家はここなのか」とか、そういう驚きがいくつもあって、みんなここに生きているというような広がりを感じさせられるのだった。

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2012.04.18

『魔法使いの夜』雑感

しばらく更新をサボっていたのは、当然のことながら『魔法使いの夜』(TYPE-MOON)をやっていたためである。木曜日に初めて土曜日にはクリアしたんだけど、クリアしたらしたでいろいろぐるぐると考えたり、気になっていた部分をリピートしたりしていたのだった。そろそろこのままだと『魔法使いの夜』について書くタイミングさえも逃してしまいそうなので、とりあえずまとまりのないままに書いてみようと思う。

今回の話を一言で説明すると”日常系”と言う感じで、月姫やFateとは一線を隔している感じがある。これはどういうことかと言うと、以前の作品が突然に非日常に叩き込まれた主人公が戦いに挑む物語であるのに対して、今回の物語において主人公たちが生きる”日常”の物語なのだ、ということだ。もっともその日常は”魔術師の日常”ではあって、その中には生死をかけた闘争もあるわけだけど、その闘争そのものは目的ではなく、ただそれが彼女らの生きる”普通”であるに過ぎない。だから主人公たちにとって最も重要なことは”勝つこと”ではなくて、あくまでも”その人生を生きること”であり、生きることの喜びというものが描かれている。つまり、”人生とは劇的ではない刺激的ではある”と言うことで、小さな出来事の中に、大きな喜びがあるということなのだ。

これは僕の中ではすごく納得感のあるところなのだが、これは奈須きのこは元々何を描いている作家なのかというところについての話で、いまでこそ伝奇物を描く作家という認識があるわけだけど、実のところアクションよりも”日常”について非常に多くの描写を裂いている印象があったので、その当たりの感覚に合致した、と言ってもいいかもしれない。と言うか、よくよく考えてみるとアクションシーンと言うのはあまり大きな側面ではなく、基本的に会話劇であり、なにより日常ドラマとしての、さらに言えばドラマ性さえもない作家なのかもしれない(と言うのは、さすがに先走りすぎか)。思い返してみれば、Fateという作品も、殺し合いに巻き込まれていきながら、執拗に日常に拘り続ける描写があった。これは非日常に対して、簡単に非日常に飲み込まれるほど日常と言うのは柔じゃないと言わんばかりで、それがすごく不思議と言うか、ある意味納得があるのだった。殺し合いをしていても、それでも腹は減るしトイレにだって行きたくなるものなのだ。

話が盛大に脱線してしまった。ただ、『魔法使いの夜』と言う作品の持つ、徹底した”日常の空気”に対するこだわりは本当に素晴らしく、窓の外で降りしきる雨音や橋の上から夕日を見るときの空虚さとか、そういうものに対する視線が心地良いのだった。これは最近の自分の趣味が、物語よりも描写に寄り始めているということもあって、万人が納得することではないとは思うけど。その意味ではエンタメから多少はずれ始めているところもあるのかもしれないが、正直、最近はエンタメとか非エンタメとかどうでも良いと思うし。読んで、心にわだかまるものがあれば良いと思うのだ。

すべてのエピソードを見終えた後、僕の中には「冬の朝のような静けさ」の感触が残って、それはいまだに消えていないのだった。

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2012.03.16

『太陽のプロミア』その3

太陽のプロミア』(SEVEN WANDER)

今回はまとめのようなものを書いてみたいと思います。と言っても総括とかそんな大層なものではなくて、単に書き漏らしたことや気になったことを拾うぐらいの意味です。

一通りクリアしたんですが、実はすべてがすっきりと明らかになるタイプの話ではないようで、いろいろと語られていないところも多い。1000年前に何か起こったのか?”ぷぅ”の本当の正体は?など、けっこうあいまいだし、ミルサントという舞台そのものも、今回は一都市の中での話しに終始していて、実際には惑星レベルでの背景があるにもかかわらず、そうしたところには触れないままだった。しかし、それが語り不足というかというと、たぶんそういうことはなくて、ただ主人公たちの現在の話にはあまり関係がないから語らないというだけなんだと思う。そういうのはあくまでも昔の話であって、現在の話の背景としては存在しているんだけど、だからといって過去は現在の代わりにはならない、ということかもしれない。とは言え、過去にあったさまざまな因縁を描くのは、物語的にとても強力だし効果的だと思うのだけど、それをしてしまうと”現在が軽くなる”ということもあって、あくまでも”現在の物語は現在の因縁の中で終わらせる”というのは、勇気のある選択であろうとは思う。

まあ、とは言っても1000年前の北天姫と南天姫、そしてコダマの物語は、それだけでひとつの物語として魅力的な感じもあるので、何か別の形でフォローが欲しいとも思う。

全体としてはものすごく楽しんだという感想にはなるけど、やっぱりエレガノ編とフレアルージュ編については、ちょっと評価しにくいところはあるかもしれない。物語が重層構造になっているからこそ生まれる面白さと、それゆえに難しさが現れてしまったというか。この構造は、ある意味においてヒロインの物語的な地位を固定してしまうもので、その地位が高ければ高いほど、『太陽のプロミア』という”全体の物語”に取り込まれてしまうということにもなる。つまり、”ヒロイン自身の物語”よりも、”『太陽のプロミア』という物語”の方が優先されてしまうということで、これはもうこの構造そのものが持つ力学みたいなものなのか、と思う。

だからといって、この物語が重層的に描かれていることの欠点かというとそうとも思えなくて、そもそも『太陽のプロミア』という物語にヒロインの物語が取り込まれていることは、それ自体は別に悪いことではなく、そもそも大きな物語の中に個人の物語が組み込まれることは普通のことのはずだ。これがギャルゲーというフォーマットがあって、”ヒロインの物語”というものがとても強い力を持っているからこそ生まれた問題なのだろう(ヒロインの物語においては、主人公との間に強い好意の関係が生まれることが主軸となる)。だからまあ、きっと何かやりようはあるはずだ。どうやったらいいのかはわからないけど。

あと、他に何かあったかな……あー、別にこのゲームに限らないけど、主人公とプレイヤーの目線が離れた物語の場合、別に主人公に声をつけないって縛り、別にいらないと思うんだよね。コダマには非常に深いバックグラウンドがあって、無個性タイプの主人公とはいいがたいところがあるのだから。でも、意外とコダマに自己投影する人はいるのかな?まあ、自分は主人公に感情移入をしないタイプなので(というか、登場人物に感情移入はしないタイプなので)、そのせいだと思うけどね。

ファンディスクの方は気が向いたらやります。

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2012.03.15

『太陽のプロミア』その2

太陽のプロミア』(SEVEN WANDER)

ヒロインの個別ルートをプレイした順番で簡単に書いていきます。致命的なネタバレは避けるけど、それでもポロポロと書いてしまうので、プレイしてない人は読まない方がいいんじゃないかな。

・アマリ
たぶん、ほとんどの人はアマリ編を最初にやるんじゃないの?あそこであの選択肢を選ばないなんてありえないだろ、エロゲーマー的に。

アマリさんは、非常に分析的な性格なので、右も左も分からないプレイヤー(と主人公)にとって世界観の説明をしてくれるというとても重要な役割を担っています。個別ルートも物語の当初で提示された太陽神プロミアと賢者コダマの正体に迫っていく、という感じで、プレイヤーが最初に気になるところを取り上げているあたり製作側の攻めの姿勢が伺えます。「この程度では、何も明らかになってねえんだぜ?」みたいな感じ。

ここでプロミアと賢者コダマの正体と、その二人と主人公がどのような関係にあるのかが(一応)明らかになるのだけど、ここで明らかになるのはあくまでも土台と言うか、前提条件みたいなもので、ここで明らかにされたことを巡って、他のヒロインルートでの葛藤に繋がっていく位置付けになるんだと思う。

キャラクター的にはわりと優遇されていて、後半の問題点である「ヒロインの物語と設定の開示との対立」が少ないので、キャラクターを魅せることに制限がないのが強い。他のヒロインの物語でもアマリは活躍するし、美味しいキャラだよなー。

・ジゼル
階層としてはアマリ編と同じ階層に位置していて、おそらく上の階層へシフトするためには、アマリかジゼルのどちらかをクリアすれば良いと思われます。まあ、二人を攻略して、設定を十分に理解してから次に行った方がベターでしょうけどね。

アマリとうって変わって感覚的というか、野生的なヒロイン。なので設定の開示とか分析とかは一切ありません。彼女の物語で明らかになるのは、18年前の黒の六花であるエコーとジゼルの関係で、ひいてはエコーのパーソナリティに踏み込むことになります。アマリ編におけるラスボスみたいな存在であったエコーを、ここで解体してしまうというのはかなりすごいことなのではないか、と思うんですけど……。このジゼル編自体は、かなりストレートな家族の物語なんだけど、それゆえに物語としてはバランスが良くなっているように思います。

あと、細かい設定のひとつとして、魔獣の人の存在が明らかになったりするけど、この辺りは最後まで直接には物語に関わってこなかったな……。ジゼル編に限らず、『太陽のプロミア』という作品全体でそうなんだけど、まだまだ語っていないことが多そうな感触がある。物語に関係のない裏設定はあっさりカットしている感じがあって、こういう割り切り方は、わりと面白いと思いました。

ジゼルというキャラクターそのものについて語ると、彼女はあんまり自己主張しないんで、ちょっと語り方が難しいですね。まあ、懐かない野生動物が、エサを食べてくれるようになった感じ?(よくわかってない)

確か、この辺りで情報が段階的になっていることに気がついて、ものすごく驚いたような気がします。

・ニーナ
物語は次の段階へ。伝説として語られていた300年前の魔獣王との戦いの真相が明らかになる話。いやー、僕、この子の物語、好きだわー。300年前のミルサントが舞台になっているので、それまで謎になっていたことがどんどん明らかになる快感もあるけど、それ以上にニーナのヒロイックさに痺れた。

ニーナは不器用だし頭も良くないけど、その分、自分の大切なものは石にかじりついても守るド根性があって、それがあらゆる摂理をぶちやぶってハッピーエンドをもぎ取るというラストもすごくて、なんだこのスーパーヒーローは、と思った。アマリ編やジゼル編では可哀想なことになっていたカシェットが救われているのも重要なところかも。ハッピーエンドの中にも、実は救われていない存在がいた、ということを知るのはけっこう堪えるものがあるからね。それが救われるってのは、やっぱり文句なく良いことだと思うのです。

個人的には300年前のコダマであるところの賢者コダマ(≒エコー)が活躍しているところも楽しい。この人、主人公と基本的なパーソナリティは同一なんだけど、性根がねじくれまくっているために素直な感情表現が出来なくて、そういうところがすごく良いと思う。真っ当すぎるほどに真っ当な人間が、ねじくれるとこういう風になってしまうんだなあ。

・リノ=レノ
プレイする前は存在が明らかになっていないヒロインなので注意。

300年前の魔獣王との戦いの真相が明らかになるのはニーナ編と同じだけど、ニーナよりも知的なヒロインなので、もう少し深いところが明らかになる(今思ったけど、物語の対応のさせ方が、ジゼルとアマリのそれに似ているね。たぶん意図的なんだろうな)。

物語としてはニーナの方が好きだけど、キャラクターとしてはリノ=レノの方が好きかなあ(いや、別にロリババアだからだとか関係ないから。マジだって)。300年前、なぜ魔獣王リノワールが現れたのかとか、コダマ(エコー)のキャラクター性をさらに深める描写もあって、ある意味ではジゼル編の補完みたいなところもある。それだけじゃなくて、18年前の失敗も含めて、コダマ本人の物語を除けば語るべき過去の物語はほとんどすべてが明らかになっていると言っていい。なんつーか、キャラ的に裏設定のほとんどを担っている感じがしますね。

過去について一区切り付いたあとは、当然のことながら”現在”と”未来”についての物語になるわけです。

・エレガノ
ニーナ、リノ=レノの物語で存在が明らかになった”黒幕”が中心となる。黒幕が何を考えて、何を望んでいるのかと言うのが明らかになるので、ある意味、次のフレアルージュ編の裏話的な位置付けになるのかもしれない。

エレガノはキャラクターとしては申し分ないのだけど、惜しむらくは、フレアルージュの裏話的な位置付けゆえか、どうも物語的に活躍が出来ないというか……。最初の方にも書いたけど、この辺りから『太陽のプロミア』という作品の全体を総括しなければならなくて、結果的に”ヒロイン自身の物語”が圧迫されるという現象が起こってくる。扱っている設定が、初期攻略できるヒロインとは比べ物にならないぐらい重要なので、仕方のないところではあるのだが……。正直、ヒロインとしてはトップクラスに不遇。黒幕やフレアルージュが担う物語たいして、エレガノ自身は傍観するしか出来ないという結末になる。

ただ、神に愛された天才であるフレアルージュと比べて、秀才ではあるが凡人であるエレガノの物語はすごく好きだ。凡人は自分の出来る範囲のことをひたすら精一杯にやっていくしかないが、それでひがむのではなく、誇りをもって行動するというあり方がすごく良いと思う。そうして訪れた結果を恨むでもなく、憎むでもなく、ただ静かに受け入れる。それがすごく良い。

キャラクター的には、非常に姉御肌というか、果断で男らしい性格が良いですね。他のヒロインたちだと主人公とヒロインがくっつくのは結構物語を進めないとならないのだけど、エレガノは好意を持ったら即行動に移すところとか、さすがだと思いました。まあ、それゆえに物語的な不遇さも避けられないところではあるんですが……。

・フレアルージュ
約束されたメインヒロインであり、『太陽のプロミア』という物語全体において、超重要な設定を背負っている。それゆえに彼女をその設定を受けてなお、自分の物語を紡けるかどうかが重要だと思うのだが……正直、その設定に向き合うことで物語が終わってしまった感じがあります。主人公との関係も良くわからんしなあ(この辺りは自分が読み取れていない可能性もあり)。

なんと言ったらいいか……フレアルージュ自身の悩みや苦しみが、途中で設定の方に飲み込まれてしまっているというか……。いや違うか、フレアルージュ自身の問題が見えないのが気に入らないのかもしれない。もちろん、彼女が背負った設定はかなり重いので、それに向き合うことが必要なんだけど、それは別に彼女の問題とは関係ないじゃん、みたいな気持ちが拭えないのかも。そういう意味では、エレガノに並んで不遇なヒロインかもしれない。

あと。こっちだと”黒幕”の人がきちんとラスボス然としており、たいへん黒幕らしい。ただエレガノ編を先にやっていると、この人がちょっと不憫すぎて……勝っても負けても幸せになれないんですけどこの人。もしかすると、先にフレアルージュ編をやったほうがよかったのかもしれないなあ。

以上がヒロインごとの話は終わり。さすがに疲れたので、総括めいた話はまた明日ということで。

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2012.03.14

『太陽のプロミア』その1

太陽のプロミア』(SEVENWONDER)

最近は風邪を引いて何もする気になれなかったので、先週は積みゲーにしていた『太陽のプロミア』(FDじゃなくて本編の方)をやっていた。これがとても面白かったので、珍しくゲームについて書いてみることにした。

僕にとってエロゲーやギャルゲーと言うのは、あくまでも絵と音楽がついている小説と言うスタンスなので、シナリオを書いている人が一番重要なのだけど、このシナリオを書いている下原正氏と椎原旬氏のコンビは昔からけっこう好きなのだった。けっこう好きなのにも関わらず積みゲーにしてしまったのは反省するしかないのだけど、ゲームって時間がかかるんで、なかなか手をつけられないのよねー。

なんか反省ばかりしてしまったけど、要するにプレイしていなかったことを反省してしまいたくなるぐらいに面白かったのであった。キャラクターについて語るのは難しいので後に回すとして、最初に面白いと思ったのは、ヒロインのシナリオごとに主人公に与えられる情報量が決まっていて、ヒロインルートをクリアすることで新しい情報が開示されていくというところ。6人のヒロインルートがそれぞれ階層構造になっていて、ある階層のヒロインルートをクリアしないと上の階層のヒロインルートが解放されない、という設定になっている。階層ごとにプレイヤーに開示される情報が決まっていて、ヒロインを攻略していくにつれて、物語の真実と言うか、深いレベルの物語が明らかになるという寸法。

この階層構造がプレイ中は楽しくて楽しくて……、あるヒロインルートをクリアした後、次のヒロインルートをプレイすると、それまでとはまったく違う世界と言うか、同じ設定の別の側面が明らかになっていくので、要するに「以前はっきりしなったあれはそういう意味だったのか!?」という驚きが毎回味わえるわけです。二人目をクリアしたあたりでその構造に気がついて、そうなると「次に明らかになるのはあれかなあ……でもあの辺りもまだ不明確だったよな……?」と言う感じで別ルートをプレイするモチベーションを維持することが出来たのでした。

あとはヒロインごとの個別ルートについて書こう、と思っていたのだが、なぜかやたらと長くなってしまったのでまた後日。

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2010.07.27

『Fate/EXTRA』プレイ日記…その2

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Fate/EXTRA』の二回戦突入。

書き忘れてたけど、シンジの最後にはびっくりしたなあ。いや、最後の発言の違和感のなさについて…。確かにそれならシンジの言動と行動がいちいち幼稚だった理由も理解出来る。…だが、問題はそんな発言と行動をしていても「シンジだから」で納得していたキャラクター性と言うものの奥深さよな…。

今更の話ではあるが、このゲームは通常戦闘がムズイ。そこら辺の雑魚でも、相手の攻撃パターンを忘れるとボコボコにされるのがきついなあ。いちいちパターンをメモしたりするのもメンドいので、だいたいこういう傾向があるレベルでプレイしているんだけど、眠かったり疲れていたりすると、すぐにパターンを忘れてギリギリの戦いをしていたり。

ダン・ブラックモア卿は、なんつーかボンクラが好きなジジイキャラって感じ。なんでボンクラってこんなにジジイキャラが好きなんだろうか。いや、自分が好きなだけかもしれないが。

理不尽なdeadendに、さすがFateだと感心してしまった。これがないとFateって感じがしない。逆に言うと、これですごくFateをやっているって感じがした。

ブラックモア卿はいちいちかっこいいな…。言動もかっこいいけど、同時にそれまでの人生に対する空虚さを覚え、その上で新しい”何か”を得ようとしているところもカッコイイ。

ブラックモアのサーバントはアーチャーか。なんか普通に弓を主体にするアーチャーって、今までの聖杯戦争の中で初めてじゃねえか…?接近させることなく、弓と奇襲と罠で戦うって、実にアーチャーというか正当なレンジャーっぽくてよろしいですな。

情報マトリクスの設定はなかなか面白いですねー。まあシステムとして面白いと言うよりも、サーバントの真名を見破ろうとする過程で、サーバントやマスターの持つ過去や望みなどが明らかになっていく過程がすごく面白い。物語に対する没入感を非常に高めてくれる設定ですね。敵は一体どんな人間なんだろう?と想像することを助けてくれるシステム。うん、興味深いです。

ブラックモア卿との決戦は、ちょっとグっと来るものがあったわ。情報マトリクスの賜物ですなー。

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2010.07.23

『Fate/EXTRA』プレイ日記…その1

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Fate/EXTRA』です。久しぶりにRPGのリアルタイム日記を書く。前はドラクエ9以来ですかね。購入したのは通常版。サントラはちょっと欲しかったけど…ま、いいや。

基本的に自分はタイプムーン厨なので、知らない人には意味不明な単語が出てくると思うけど、とくに説明とかしないのであしからず。Fateをやってない人は読まない方がいいと思います。

まずは予約特典のムック読みつつムービーを見てみる。ネタバレがありそうだったら即座に撤退する予定だったが、どうやらFate/EXTRA世界の雰囲気を匂わせる小道具と言ったところみたいで一安心。まあなんかごちゃごちゃ書いていたが、要するに西欧財閥とか言うでっけえ組織が世界を支配していて(「封印指定」とか単語があるところを見ると、魔術協会が前身なのかねえ)、それに対するレジスタンスがいて(この世界の遠坂凛はレジスタンス側の魔術師(ウィザード))、アトラス院がまた独自の錬金術を保持していると。舞台になるのは月で発見されたものすげえコンピュータ(のようなもの)をめぐって、三者(あとそれ以外の有象無象のウィザードたち)がそれぞれハッキングを仕掛けたのが今回の聖杯戦争だったっつーことか。うむ、わけがわからん。西欧財閥がどうやって世界を支配しているのか、レジスタンスの目的がなんなのか、まったくわからん。が、そのあたりはあくまでも背景であり、それほど気にしなくてもいいのかもしれない。まあ奈須きのこのことだから詳細な設定がされている可能性は高いが。

まあいいや、プレイするにあたってはとりあえずすべて忘れることにした。で、早速、プレイしてみるなり、テキスト部分(ノベル形式になっている)が奈須きのこ節がむんむんで読み難いことこの上なく素晴らしかった。うん、これだよこれ!こういうのでいいんだよ!

平凡に過ごしている少年が、日々の違和感に気がついたとき、世界はその真の姿を現す…とか、展開があまりにも王道で痺れますなー。一昔前のSFか伝奇か。その頃の匂いを感じられます。RPGでこういう学園伝奇を真面目にやっているのは、そう、ペルソナ3、4ぐらいかしらん。

しかし、画面が公開された当初からペルソナペルソナと言われていたけど、学園ジュブナイル伝奇をやるとペルソナ形式が一つの完成形なんだろうなーとも思えますな。これを覆すのは容易なことではないのかもしらん。勿論、この作品も影響を受けていないとは言えないけど、まあこれくらいは誤差誤差。システム面やキャラクター面で独自の面白さが出せればいいんじゃないかと思うよ。

んー、最初は完全にノベルゲー+ペルソナですね。奈須きのこ分を補給できるので退屈ではないが、まあ、最初はメインキャラの紹介に徹しているのかな。

凛さん、なんか今回はやけにエロスっすね…。服装はそんなに変わってないけど、足のむちむち感が…黒ストの光沢が…絶対領域が…(お前が足にしか興味がないことが良くわかった)(あ、足フェチちゃうでっ!?)。

シンちゃんはほんとゆがみねえなあ。底が浅くてプライドも安いくせに高いしなあ。ところで間桐さん家の桜さんの髪が長すぎて原作ライダーになっているんですが。キャライメージがハイブリッドなのかしら。

と言うか、ワダアルコのキャラデザはなんかエロいな。全体的に。なんか竹内絵と比べると肉々しい。

プロローグ終了。どうやら原典Fateを踏まえた展開のようですな。RPGでこういうトリックを仕掛けるとは珍しい、って言うかこれRPGの発想じゃねえな。おっけーよー。

性別はどうすっかなあ。セイバーを使う予定なんだけど、主人公を女にして百合コンビを組ませるのもありか…よし、男にしよう。

ん?主人公にもなにか背景と言うか秘密があるの?

丹下桜セイバーこと赤セイバーさんはエロいなあ。第一印象が「パンツ!」だったのはここだけの話な。立ってても座っててもエロい。あと、丹下桜の声を久しぶりに聞いた。久しぶりすぎてどんな声だったか忘れてた。と言うか、聞いた今でも昔のキャラが思い出せない。

しかし、言峰神父はいつでもどこでも誰に対しても胡散臭えな。さすがである。

タイガーや桜や言峰神父が再現されているという事は、第5次聖杯戦争そのものはあったのかなあ。モデルがないといくらなんでもNPCでここまで再現できないよね。そうするとシンちゃんと凛の存在がおかしくなるんだけど。うーん…暫定の結論としては「たまたまこうなった」ってことかな!(思考放棄)

蒼崎姉妹はこの世界でも仲が悪いなあ…。でも、この二人が会話していると言うのはものすごく新鮮だ…。未だかつてない、青子と燈子のやりとりが見れるのは『Fate/EXTRA』だけ!

”楽園の死角”を”エデンの東”と読ませるセンスに感動した。さすが奈須先生や!

あらあら。なんか赤セイバーさんが可愛いわ。なんと言うか、この人、高貴な犬と言う感じの方よね。気位が高いから内心では主人にかまって欲しくて遊んで欲しいのをグッとこらえてツンツンしているんだけど、実際にかまってもらえると、口先だけ文句を言いつつ尻尾を全開に振りまくって大喜びしている感じ。ツンデレ?違う、高慢デレ。何かするたびに「どうだ、余はすごいだろう!?」と主人公に同意を求めて、褒めてもらうとふんぞり返って大喜びしているあたりとか、あらあら、可愛いわこの子、って感じ。慢心王が女の子になったらこんな感じかなあ(それは無いな)。

しかし、赤セイバーさんの真名は、やっぱりあれなのだろうか…。ラテン語を使用していて、一人称が「余」で、頭痛持ち…。そして芸術家気質でバイセクシャル…うーむ。

とまあこんな感じでダンジョンをうろうろしていたらいつの間にか5時間たってた。…5時間!?時間が経つのが早すぎだよ!と言うわけで大変楽しんでプレイしております。

そんなことを言っているうちに一回戦終了。いきなりサーバントの正体で大物が出てきてびっくりですよ。シンちゃん…お前、本当にへっぽこだな…。こんなにすげえサーバントを使いこなせないなんて…。

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2010.06.18

『エヴォリミット』プレイ中…その3

51jecmop8vl__sl500_aa300_雫ルートをクリアしました。エンディングも全部見たしCGも埋まったのでコンプリートかな。いやーなんかやってみたらあっという間だったな。

やっぱりこの作品は攻略順が制御されているようで、前のヒロインをクリアすると次のヒロインルートに入る選択肢が出現すると言うやり方をとっているようです(ただ、リーティアルートのときは選択肢に気がつかなかったので、雫ルートだけかも)。この方式の場合、基本的にそれぞれのシナリオを補完する形になるわけですが、雫ルートはまさに全体のフィナーレとして位置付けられていたかなと。何しろヒロインの雫だけではなく、カズナやリーティアについても(本人のルートほどではないけど)葛藤と克服が描かれていましたからね。本当に”大団円”を目指していたようです。なにより、前二人のルートでは結局何をしたいのか不明のままだったカンパニー・マンの本当の目的があきらかにされ、最後の決着がつけられることになります。正直、リーティアルートに比べるとライターである東出先生の悪い癖である「あれもこれもやってみたい」が出てしまって、シンプルかつ端整とさえ言えたリーティアルートに比べると、ゴテゴテとして洗練さには欠けています。登場人物もやたらと多く、カズナルートでの悪い点であったキャラ描写の分散も見受けられます。

しかし。だがしかし、カズナルートとは異なるのは、その筋悪とさえ言えるストーリーを強引極まる腕力でねじ伏せようとする圧倒的なパワーです。おそらくカズナルートは全体の導入、キャラクターの紹介も兼ねていたために不完全燃焼な印象がありましたが、ここ、最終ルートに到達した時点でそんな束縛も消えて、とうとう東出先生がフルスロットルです。もう伏線が唐突だとかキャラ心理の推移がわからんとか展開がご都合だとか、そういった東出先生の欠点は”さらにはなはだしくなって”いますが、それを上回るほどに”東出先生が描写したいと思った場面”への注力がすさまじい。だんだん読んでいると欠点がだんだん「まあ…いいかな」と思えてくるぐらいには描きたいシーンの描写へのこだわりには感銘を受けました。うーん、マンダム(意味不明)。

特徴的なのが寛太郎君関係のイベントなんですが、(ネタバレなので反転)親友との殺し合い(反転終了)と言う最後の場面がまず最初にあって、そこにたどり着くまでの伏線や寛太郎君の心理描写は極めて不足していると感じました。その結論にいたるまでの葛藤や動機などは、単に”そういう人間だから”と言うだけの説明しかされません。まあ動機を延々と説明されても困るんですが、彼が悪鬼羅刹に陥るまでの過程が描かれなさ過ぎて、どうも釈然としない気持ちになるのです。ところが、最後のバトルシーンがとにかく力が入っている。ああ、東出先生が描写したかったのはこの”絵”なのだな、別に過程なんかどうでもよくてこのシーンが書きたかったんだな、と深く得心いたしました。あまりにもテンションが高すぎて、勢いで感動しそうになってしまいましたよ。

フィナーレ編だけにあらゆる登場人物になんらかの決着がつけられると言う凄まじく強引な展開ではありますが、それぞれの描写は確かにカッコいい事は認めなくてはいけないですね。例えばカズナルートで大概格が落ちたと言うか落ちすぎたと思われる”災害(カラミティ)”の人たちですが、雫ルートでも扱い悪いです。ほとんど中ボスレベルで、不知火君と雫に撃破されるためだけに出てくる感じです。ただ、どちらかと言うと今回は人間としての彼らにスポットが当たっている感じで、これはこれでアリなんじゃないかと。ドミトリたちの最後の決断は、あんまり自分は好きな展開じゃないんですが、理屈としては理解できます。数万人を殺害し、血と復讐に狂った”ファントムキラー”の禊として、己の血を贖ったという事。数万人を殺害した罪は決して許されるものではないが、彼にとって最も大切な”家族”の血によって、彼は救いを得た。無論、それで彼がすべての罪を贖ったわけではなくて、むしろ正気を取り戻したことによって更なる責めを己に受けることになるわけだが、それこそが彼の罰であり救いであったとも言えるでしょう。前2ルートでは救われなかった彼が自分の本当になすべきことに気がつく過程、その罪を贖うという儀式は、実に真っ当なものであると思いました。

まあ正直、人間に戻ってしまった”災害”のみなさんが今後の火星で生きていくことは現実的に難しく、物語上の都合で死んでしまった感じもしないではないんですが、でも、彼らの罪の贖いとしては、仕方のない命の使い方なのかもしれないなあ…。

ラストバトルはなんですかこのデモンベインは?と言う感じだったんですが、ちょいとスケール感が弱かったのがSF好きとしてはやや残念。まあ元々この作品は超熱血超人バトルだったのでSF的なセンスは高くないのは当然なんですが(脱線するけど、その理由は”パッチ”と言う人類の文化をすべて変革するほどのガジェットがありながらも人間の生活が根本的には変化していないと言うあたりからSFをやるつもりはないんだな、と思っていました。そもそもこんな世界だったら道路いらねーんじゃないかな)、それにしても多元宇宙にまで突入してバトルを繰り広げているわりにはあまりスケール感を感じませんでした。ただ、カンパニー・マンの求めていたものを、主人公たちが一概には否定はせず、決着がカンパニー・マンの求めていたものを”叶える”と言う形で決着したのはさすが東出先生、と称えたい。確かに彼は大罪人ですが、それでも仲間であったのだ。彼はすべてに納得して消えていくと言うあたり、この決着のつけ方は良いのではないかと思いました。まあ結論そのものはちょっとどうかとも思わないでもないですが…。

えーと、あとエヴォリミット(限界進化)について。今までは進化を否定していた展開だったのが、ついにと言うかようやくと言うか、突破をいたしました。その意味については…うう、なんだか良くわからん…。結局、ココロが枷になっていたと言うだけの話?あるいは一人で進化したら孤独だが、二人ならば進化することも出来るという事?なんか納得いかねーなー。ここまで引っ張っておきながら、”進化”と言うことそのものには何一つ意味が見出せなかったんだけど…。…まあ、意味なんてないのかもしれんが。ただの超人バトルをしたかった東出先生の舞台設定に過ぎないのかも…。この結論が一番ラクなので、なびきかけています。

あ、意味が良くわからんと言えば、主人公の”悲しみが感じられない”と言う特性。これも有効には活用出来てなかったよね。まあ途中で「悲しみを理解できないから相手を悲しませたくない!」と言う展開があったけど、これも別に主人公が悲しみを感じられないと言う特性でなくても、代替出来る展開だよね。要は相手を悲しませたくない理由なわけだから。どうも思わせぶりだったわりには物語に必要不可欠という感じがしなかったのが、気になったなー。まあ主人公の”欠落”が実は”物語的には意味がない”(物語的動機に結びつかない)というのも斬新と言えば斬新…なの、かな?よくわからんわー。

とまあ、色々残念極まるところと理解できないところは多々としてありましたけど、しかし、それを補って余りあるほどのテンションのすごさがあって、実に東出ゲーだと思いました。あちこちにケチをつけてしまったけど、まあ実際には平日含めて1週間ほどでコンプリートしてしまったと言う事実を考慮してくだせえ。つまらなかったらこんなに早くクリアできないし、そもそもプレイしないしな。

あとはオマケCDもあるので、近いうちにそれを聞く予定です。

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2010.06.16

『エヴォリミット』プレイ中…その2

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リーティアルートをクリアしたので雑感。

うおーどうしたんだ東出先生。すごくストーリーがまともなんですが(ものすごく失礼)。なんと言っても物語が一貫して”リーティアの救済”と言う視点からまったくブレてないのが素晴らしいと思いました。リーティアの持つ秘密が主人公と繋がる展開も良かったし(これによりリーティアが主人公に憧れる動機が完全に理解出来る)、リーティアと関係の深いアクアの物語も、最終的に人々から受け入れられない恐怖に怯えるリーティアの克服の物語に繋がっていくと、とにかく物語のあらゆるエピソードで”リーティアを描写しよう”と言う意図が伺えました。どんだけリーティアは愛されているんだろうなーと思ったりもしましたが、僕は好きですこういうの。なんと言うか、色々なエピソードを費やして一つのことを語ろうとするタイプの作品が。もちろん随所で東出節と呼ぶしかない強引な展開はないわけではないけど、その強引な展開さえも、リーティアの救済と言う究極目標に奉仕しているとあっては、もはや認める他ない。

主人公の不知火君も、カズナルートと違って人類がどうとか世界がどうとか言わないで、徹頭徹尾リーティアを助けるというただそれだけのために死地に飛び込みまくるというキャラクターになってて、非常にいい感じ。1(リーティア)を助けるために9(多数)を見捨てるけれども、9もとにかくがんばって生き残れ!と言う不知火君の論理展開は爆笑してしまった。いや笑い事じゃねーが。この決断で何千人も死んでいる可能性があるけど、それでもリーティアを選ぶことを肯定するってあたりが非常にボンクラ(褒めてますよ)ですなー。倫理的にはかなりギリギリですが、男の子としては非常に正しいです。でも、無粋なツッコミだと思うけど、この選択は生きて帰ったとしても世界にリーティアの居場所がなくなっている可能性が高いので、良い選択とは言えないよな…。まあでもそれはしょうがないのか…。どの選択をしてもリーティアが不幸になる道筋しかないのなら、オレはオレの納得する方を選ぶぜ!と言う不知火君のエゴ肯定っぷりは爽快とさえ言える。

さっきも書いたけど、いくつか細かい点で気にならないわけではないんですが…。例えば、リーティアの正体を知った人々が混乱している中で、再びリーティアを受け入れるという展開はファンタジー以外の何物でもないし(あんな演説でパニックが落ち着くわけないよなー。あれは演説ではなく煽りっぽいし)、”災厄”の皆さんの空気っぷりは、カズナルートでの凋落によりまだ先があったのか!?とびっくりしたし、ヘカトンケイルが実質ラストバトルなのに、最後のタイマンバトルの必要性が全然わからんとか、まあ色々。でもまあそう言った残念な部分を無視できるほどに、”リーティアを描く”と言う目的は十分に果たしていると思います。その意味では良く出来たエピソードだったと思います。

あ、前回、東出先生は刈り込みが出来ない人なんかなあ、と言うような事を書きましたが、あれ撤回します。すいません。今回はちゃんと不知火君に視点を固定して、不知火とリーティアに関わりのないエピソードは極力省いているように感じます。最終決戦でも、不知火パートに固定して、他のバトルをカットしているのもちょっと意外に思いました。まあそれでも”災厄”の人との意味のわからんラストタイマンバトルとかあって、物語の構成よりもその瞬間の描写を優先したがる東出先生らしいなあと思うところはありましたが…まあ些細な問題ですね。

あと、カズナルートでも、おやっと思ったんですが、リーティアルートでも、最終的に「進化を否定」しているあたりは一体どういう事なんだろう。どちらも人外の領域まで進化する可能性を提示されながら、最終的に不知火君は進化を否定して、人間の領域に踏みとどまることになる。それが2回も繰り返されたわけだけど…ふーむ。ひょっとしてこれが作品のメインテーマなのかな?それとも最後の結論に至る前の前置きなのだろうか?エヴォリミット(限界進化)を乗り越えるのは生半可な決意では不可能、という事なのかな。まあ最終ルートの結果待ちだな。

あー。そういや、未だに主人公の”悲しみが感じられない”と言う設定が上手く機能している気がしないんだけど、これは一体なんなんだろ?たぶんどっかで使うつもりなんだろうけど、ちょっと勿体無い気が。ルートを二つクリアしたけど、どちらも活用されてなかったもんな。

とかなんとか。最後の雫ルートに入ったら別の感想が出てくるかもしれないので、とりあえずここまで。

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2010.06.14

『エヴォリミット』プレイ中…その1

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現在、propellerの新作『エヴォリミット』をプレイしています。真面目にエロゲーをやるのも久しぶりな気がするなあ。最近はデモンズソウルをやってたら余裕がなくて積みゲー化していたからなー。

ただ『エヴォリミット』のシナリオライター、東出祐一郎氏は、実は、自分にとって評価している部分と出来ない部分が極端に分かれているライターなので、実は始める前はちょっと不安でした。前々作にあたる『Bullet Butlers』が未だにプレイ出来ていないんですが、これは駄目な部分が序盤に集中していて、挫折してしまったのです。今回もそうなるんじゃないかなと思っていたんですが、まあ、とりあえずがんばってみました。

そして、紆余曲折ありながらもヒロインの一人目、カズナルートをクリア。どうも良くわからなかったんだけど、これクリアする順番がFateみたく制御されていたりするのだろうか。なんかものすごく消化不良感が満載だったんだけど…。まあ次のルートに行けばわかるのかな。

あ、いきなり脱線するけど、このあたりの”ヒロインを選択する”と言う概念が死ぬ程嫌いな自分ですが、今回は自分の中に「ルートごとの主人公は別人でありパラレルワールドであってプレイヤーとは乖離しているのだ」と言い聞かせながらカズナルートに入りました。今のうちに「ヒロイン毎に攻略する」ことについて自分の中で納得をしていないと、マジでプレイが出来なくなるかもしれないという危機感がそうさせたのですね(めんどくせえやつだなあ)(うるせえよ)。

閑話休題。

で、カズナルートをクリアしたことについて雑感。まあそうねえ…東出氏の良い部分の悪い部分が極端に表出しているって感じ。良くも悪くも東出ゲーでした。

正直ですね、序盤から中盤にかけては超面白かったです。東出先生特有の”かっこつけ”感が溢れる中二マインド溢れる冒頭、そして見知らぬ世界で目覚め、何もかもが分からないままに新しい世界に”好奇心”と言う武器を手に飛び込んでいく。わりと熱血な行動力と冷静な判断力を兼ね備えているという、エロゲーのテンプレからは半身ほど踏み出している主人公像も魅力的です。声も某いちばんうしろの大魔王様なので、好きな人にはたまらんものがあるでしょう(オレとか)。

ところが、中盤までは無類に面白かった物語が、後半に行くにつれてどんどん”ガッカリ”感が増していくというのは本当にどうにかしてもらえないでしょうか…。たぶん東出先生は物語全体を俯瞰しては構成しないタイプだと思っているんですが(どちらかと言うとその瞬間のライブ感を大事にしているような気がする)、どうも伏線の仕込み方が良くないんですよねー…。なんか後付け感が満載と言うか。あるいは伏線の回収が早すぎるというか。

どうも東出先生の伏線回収と言うのは、「実はこういうことだったんだよ!」「な、なんだってー!」と言う感じではなく、「実はこういうことだったんだよ!」「…で、それには何か意味があるの?」って感じなんですよ。回収したのはいいけど、どうも前の描写と辻褄が合わない感じがして、素直に受け取れないんだよな。それ、今、書きながら決めてない?みたいな。
あと、伏線の回収が早すぎると言うのも問題で…。ある場面でなんか怪しげなことが匂わされたと思ったら、次の次の場面ぐらいには回収されてしまったりして、早っ!と思ってしまう。まあこれぐらいのスピードで回収しておかないと、プレイヤーが伏線を忘れてしまう可能性があるので、一概に悪いとも言えないのだけど(小説と違って、AVGは読むのに時間がかかりますからね)、伏線回収の醍醐味は読者が伏線を忘れた頃に死角から一撃を加えることだと思っている自分としては、一体、どういう反応をすればいいのか、非常に困りました。「そんなどや顔で言われても…」と言う心境です。

あと、どんどん謎が解明されていくにつれて、反比例して物語のスケールが小さくなっていくという構成は、もう一週回って新しいとさえ思いました。冒頭を読んだときは、(以下ネタバレなので反転)星と人類の運命をかけた人外の存在との戦いかと思っていたんですけど→実は”パッチ”を手に入れただけの人間が狂った思想を手に入れただけでした!→実はその思想は洗脳されていただけでした!→実はただの私怨でした!(反転終了)と、すさまじいスピードで敵の格がダダ下がっていくという展開は、失礼ながら真剣に東出先生の正気を疑ってしまいます。これが面白いと本当に思っているのかなあ…。

まあ、このあたりはあくまでもカズナルートをプレイしただけの雑感なので、今後の展開にもしかしたら仕込みがされている可能性もあります。もしかしたらここで感じた感想がひっくりかえるかもしれません(と言うかそうであって欲しい)。

あ、あとこれは東出先生の特性と言うか個性の問題になってしまうので仕方のないところだと思うんですが、ちょっと物語の刈り込みに足りないところが気になりました。刈り込みと言うのは、物語上それほど重要ではないところを削り、主軸を明確にする手法を勝手にそう読んでいるんですけど、東出先生は、この重要ではないところを削るという事が本当に出来ないタイプなんだと思うんです(どうしても登場人物全員に見せ場を与えたくなってしまうのかもしれない)。前半は主人公の不知火義一の視点に固定されているんですが、後半から突然視点がブレはじめていって、ヒロインの内面や敵キャラや脇役の描写が増えてくるんです。これは適度なら世界観に厚みを与えるという意味では有効な手法だと思うんですが、下手に中盤から敵や脇役のキャラを立ててしまったせいで後半においても活躍をさせないわけにはいかなくなって、そして最終的に敵:5人VS味方:多数の同時中継バトルですよ。ただね、同時中継バトルは確かに熱いしカッコイイんですが、文章で描写するのはよっぽど上手い人でもない限り、2組か3組が限度だと思うんですよね…。今回は5組のバトルをやってしまったためか、それぞれのバトル描写が薄くなること薄くなること…。主人公のバトル描写さえ薄くなってしまったため、ラストバトルの緊張感がかえって削ぎ落とされてしまったように思いました。まあこれでバトル描写を濃くしていたら、逆に読み手にすさまじい負荷をかけてしまうことになるので、仕方のないところはあると思うんですが…。正直、主人公以外のバトルは描写しないで、文章数行くらいで片付けても良かったのではないかなあ…(このあたりが刈り込みが足りないと思った理由です。東出先生は、描写を薄く出来ても、描写をカットすることが出来ないタイプなんだろうと思うわけです)。

えーと…あとはそうだな…あ、そーだ。東出先生は自分がまったく興味がないことを、さも重要そうに語るのはよした方がいいよ!東出先生、実は基本的に超人バトルで超カッコイイ台詞を吐いて超カッコイイ必殺技とかぶちかましたい人だと認識していたんですが、今回は、突然物語の後半で「人と人は個人でありつつ繋がっていく」なんてお題目を主人公が言い出して非常に困惑してしまいました。少なくとも東出先生はこのお題目にまったく興味を持っていないのは、いきなり「進化の階段」とか主人公補正以外何ものでもないパワーで解決してしまったあたりを見れば明らかであろうと思われます。このお題目を成立させるには、作中のテーマとしてきちんと扱ってもらわないと…せめて序盤でそれらしい描写を入れてもらわないと、物語の前半と後半にテーマ的なつながりが弱くなってしまうと思うのですが…。

まあ、これも東出先生の特徴と言うか特性なんで非難するところではないのかもしれないんですけどね。実のところ、自分は東出先生は「何かを語るために」物語を書いている人ではないと思っています。ひたすら「快楽」に奉仕しているタイプ。ある瞬間のカッコよさ、キャラクターの魅力など、とにかく”その瞬間の快楽”を描き出そうとしている。その場面の描写がすべて。だから、キャラクターや物語に”メッセージ”をつけることにまったく興味がないのだと思います。それはそれでストイックな姿勢であり、自分のような「物語とは語るものだ」と思っているタイプには決して追いつけない領域にいる作家ではあるとおもうのですが、「エヴォリミット」では(と言うか東出先生がライターをやっているエロゲーでは)物語の要請上で倫理を語っているところが美しくないなーと思うのです。姿勢が徹底されてないんですよ。

例えば、自分は東出先生の小説「ケモノガリ」は紛れもない傑作だと思っているんですが、これの良いところは通り一遍のお題目が一切ないと言うところなんです。なぜ主人公は敵を殺すのか?それは敵がクズの外道の鬼畜だからだよ!と言う見事な割り切り。あとはいかに主人公がカッコよく敵を惨殺していくのかと言う”描写のみ”に特化した内容が本当に素晴らしかった。

これは推測ですが、エロゲープレイヤーというのは、わりと保守的なタイプが多いという事なのかもしれません。努力、友情、勝利と言うジャンプの三本柱が好きなんでしょうかね。東出先生が自分の趣味全開にすると、主人公には倫理がカケラもなくなってしまうので、プレイヤーに忌避感を抱かせるのではないかと言う憂慮があるのかも。ま、正直、いかにもオマケみたいに倫理的な要素を追加されても自分はちょっとどうかと思うんですが、これで一人でもファンを増やせれば御の字と言うところなのかもしれませんね。とかなんとか。

しまった、長くなりすぎてしまった。まだルート一つクリアしただけなのに…。別のルートをやったら印象が変わる可能性もあるのに結論めいたことまで語ってしまった…。えーと、今回はあくまでも暫定的な意見ですので、その点、誤解なきようお願い致します。今後の展開次第では、いくらでも前言を翻す用意はあります。

と言うわけで続きをやります。ちょっと時間がかかるかもしれません。

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