『アクセル・ワールド(8)運命の連星』
『アクセル・ワールド(8)運命の連星』(川原礫/電撃文庫)
呪い、悲劇に彩られた伝説の装備を、親友を救うために躊躇なく使う主人公、そしてその想いに応えて、伝説はその真実の姿を見せる。この一連のシークエンスは、王道少年漫画といった風情で心地よい。少年の決意と想いは、それが純粋であればあるほどに困難な道をゆくことになるが、同時に報われなくてはならないものだ。理想とは困難なものであり、同時に、それが叶えられることが、”物語として正しい”のである。
だが、”物語の正しさ”とは、ご都合主義とイコールではない。物語として正しいからと言って、物事の理路を無視してはただの妄想と異なるところはないのだ。道は困難であっても、その困難を乗り越えられるだけの積み上げがなければ、その物語が人の心をうつことはない。理想が困難であるのは現実、ならばその現実を乗り越えて理想に届くだけの力がなくては理想は実現できない。
だが、力とは、単純な腕力ではない。本人の能力、でもない。もっと大きな、意思の力である。なにかを為そうとする、その志向性。それこそが力だ。何かを成し遂げようとするとき、成し遂げようとする力は生まれる。そして、そこから生まれる力は、多くの人々、物事を巻き込んでゆく。彼を助けるための仲間たち、数多くの偶然、偶然を支える必然、そうしたものが、生まれてくる。
”物語の正しさ”を実現するためには、理想に届くまで、これらの、力によって生まれた”もの”を積み上げることが必要である。その積み上げは、理想に届くずっと以前から、それこそ、この物語は始まってから、積み上げ続けたものだ。主人公のハルユキが、卑屈になり、ヘタレながら、それでも物語ごとに積み上げてきたものが、彼の、親友を救いたいという願いを支える。その時初めて、彼の起こした奇跡は、ただの奇跡ではなく、物語的必然となりうるのである。
このシリーズ、というか作者は、そのような”積み上げ”を行うことに、非常な丁寧だ。作者の手にかかれば、いかなる物語的ご都合も、きちんとした理路が敷かれた、正しい物語となる。そういうところは、作者のすごいところだ、と素直に思うのである。
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