散歩
花粉症もすっかり収まったこともあって、落ち着いて周囲を見渡すことが出来るようになった。あの時期は心までささくれだってしまうのが良くない。 春らしく涼やかにそよぐ風があるかと思えば、夏の片鱗を思わせる強い光もある、良い天気だった。
普段と違う道を歩きたくなって、本来はまがる必要のない坂道を下る。売り出し中の分譲住宅が三軒並んでいたのだが、よく見ると真ん中だけ人が入っているように見えた。なにも真ん中を買わなくてもいいのではないかと思った。
しばらく進んでゆくと開けた場所に出た。そこはちょっとした丘の上になっていて、ずいぶん遠くまで見渡せる。ここに暮らしてずいぶん経つが、こんな場所があるとは思わなくて、ちょっとぼんやりと眼下の街を眺めていた。ふと気が付くと足元にタンポポが頭に綿胞子をくっつけているのが見えた。そう言えばそんな季節だったなと思いつつ、タンポポの綿胞子をまともに見るのなんて何年ぶりのことだろう、とも思った。こんなことにも気にしない生活を送っていたのだと思うと、なにか間違っているように思えた。
途中、ファミレスで休憩をしていた。いつも持ち歩いている手提げ袋の中にたまたま入っていてた桜庭一樹の『ばらばら死体の夜』を読んだ。とてつもなく厭な気持にさせられる作品で、この厭さ加減は、むしろすごいことだと思った。自分の中にあるものの中であまり正視したくないような事柄を扱っていると言う事だからだ。どこか自我の輪郭をはっきりさせようとするような、久しぶりに心が動いたような気がした。もっとも、こういうのは勘違いであることも多いので気を付けなくてはいけないのだが。
家に帰ると、甥っ子が来ていた。勉強をしないので、預かっている母(甥にとっては祖母)が怒っている。とりあえず集中のコツを教えながら勉強をさせたのだった。
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