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2014.05.21

テラリアどうでしょう

自分の文章は論理的と言う意味では昔からメチャクチャで、そのせいで感想を一つ書くのにも、テンションと勢いがないと手が動かないのが常だった。そのため調子の良い時は勢いでなんとかなるのだが、スランプに陥ってしまうと途端に書けなくなってしまう。と言うわけで『論理トレーニング101題』(野矢茂樹)を読み始めている。けっこう面白い。

文章と言うのは一連の流れと言うよりも要素要素の組み合わせである、と言うようなことが書いてあって、なるほどと思う。言われてみれば、昔から自分はそのように書いていたな、と言う納得感がある。納得してしまえば当たり前と思うのだが、それがわからないのがスランプというものなので、言葉として(理屈として)理解しておくのは重要なことなのだろう。

基本は大切だと言う誰もが得ている普通の教訓を今更ながら実感する。まだまだ分からないことばかりだな。

話題転換。マインクラフトと比べるとテラリアはゲームとしての自由さと言う点では劣っていると思う。マインクラフトはプレイヤーの想像力次第ではほぼ無限の遊び方が出来て、そこにはもう製作者側の意図を離れているのに対して、テラリアはあくまでも製作者側の提供する”遊び場”の枠内で遊んでいるに過ぎないからだ。しかし、それはマインクラフトよりもテラリアが劣っていると言う事を意味するものではない。なぜならゲームの自由度=ゲームの面白さではないからだ。自分の自由に想像し、創造することは間違いなく面白いが、だからと言ってルールに縛られたボードゲームがつまらないというわけじゃない。それはただ楽しみの質が違うだけであって、楽しさの”程度”の比較をするようなものではないと思うのだ。

この書き方はけっこう疲れるが、リハビリだから仕方がない。

テラリアはボスの「Eye of Cthulhu(クトゥルフの目)」を倒すところまでは行った。たぶん最弱のボスなので、先はまだまだ長そう。ただ、宝箱からダッシュブーツを拾ったり武器を拾ったりと、探索がかなり楽しい。早く二段ジャンプが出来るようになりたい。

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2014.05.18

卓上ゲーム三昧

甥っ子たちと一緒に卓上ゲーム三昧。カタンは一通りルールには目を通したものの、他がルールを覚えていなかったので(いったいなんのために買ったのか……)クルードをやった。犯人と凶器と殺害現場を最初に設定して、手持ちの情報と他プレイヤーの漏らす情報から真相を推理する、と書くと複雑そうな印象だけど、実際にはほぼカードゲームのようなもの。トランプとかと一緒で、相手の自分の手札を考えるゲームと言って良さそうだ。まあ、今回はプレイヤーのほとんどが初心者以下なので、このゲームの真価がわかっていない可能性は高そうだけど。積極的に相手を騙そうとすると変わってくるのかもしれない。

プレイしたゲームはもう一つ、ブロックスと言うのがあった。これは四色のパズルピースを使って、それぞれ自分の陣地をどれだけたくさん置けるかというゲーム。これは単純だけどなかなか熱中度が高い。ピースは同じ形をしたものがなく、大きさもまちまちなので、後半に入っておける場所が制限されてくる。そこまでにいかに汎用性の高いピースを残しておけるか、あるいは局地性の高いピースを活用するのかに頭をかなり使う。プレイヤー同士の妨害もガンガン出来るので、そのあたりの駆け引きも熱い。ただ、ほぼ四人専用ゲームなので、人数が少ないと楽しみにくいのが難点かもしれない。

卓上ゲームをプレイするのも久しぶりだけど、これはこれで懐かしい雰囲気だった。考えてみれば、子供の頃はこういうのばかりやっていたような気もする。TVゲームよりもこっちの方が自分のルーツには近いのかもしれない。

まあ、上手いかどうかは別にして。

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2014.05.17

テラリアが面白い

こないだ買ったテラリアがなかなかの時間泥棒でつら……くはない。むしろ自分にもまだこういう作業ゲームが楽しめることを知れたのは有益と言える。なにが有益と言える、だ馬鹿野郎。

そういや全然知らなかったのだが、テラリアで手に入るアイテム(拾ったもの、作ったもの問わず)にはグレードが設定されていて、いわゆるハスクラ要素があることをプレイしてみて初めて知った。最初になにげなく作ったLead(鉛)のピッケルにレジェンダリが付いていて仰天したのがきっかけ。うーん、こんなところでレジェンダリが出てしまうとはな……。もうちょっといいピッケルの時に出て欲しかった、が、俄然アイテム収集にもやる気が出ると言うものだ。あと個性あるNPCの数が多いのも嬉しい。拠点が賑やかになってくる感じがいいんだ。まだ穴を掘って鉱石を集めているだけだけど、楽しんでいます。

名前だけは聞いたことのあった”カタン”と言うボードゲームに触れる機会があった。姉が子供の発育のためにいろいろ情報収集していて、その一つとして勧められたらしい。なかなか面白そうなのでルールブックを読んでみたけど、思った以上にシミュレーションゲームとして作り混まれている。ルール自体はそんなに難しくないけど、要素がいろいろと複雑な印象。しかし、ボードゲームの問題は、一緒に遊ぶ仲間がいないといけないんだよな。

そう言えば、昨日、観ているアニメについて書き忘れていたけど、彼女がフラグを折られたらもけっこう楽しい。終始落ち着いた演出がすごくいい。

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2014.05.16

雑記のようなもの

『はじめて考える時のように』(野矢茂樹)に「考えるとは頭の外でするものだ」というのがあって、あーそうだよねー、と。『考える』と言うのは実のところ外部と密接にかかわっていて、本当の意味で脳の中だけで完結するものじゃない。メモを取ったり本を読み返したり模型を手に取ったり、何かについて考える時はいつだってそれに関する外部のものに接している。そういう時(これは感覚的な話なのだけど)自分の思考が外に拡張されいてるような気がするんだよね。

アニメの話。まずもってシドニアの騎士のアニメがすごくいい感じ。こんなにきちんとアニメにしてくれるなんて、弐瓶勉ファンをいままでやってきて良かったなあ。TVアニメにしては背景美術がものすごく凝っていて、シドニアの大きさ、ごちゃごちゃとした複雑さが描けていると思う。

ジョジョは大声でバトルを解説しているだけで面白いんだから凄いと言うか安心感がある。極黒のブリュンヒルデもけっこい良い。シリアスをやりながらギャグになっていたりするところのセンスがすごいなあ~って感じ。ノーゲーム・ノーライフはまだ評価は出来ないけど、今のところ良いと思う。ある一つのゲームを解釈によって別のゲームに語りなおしたチェスがすごく良かった。駆け引きゲームとは別のゲームをやっている感じ。まあ、今後がどうなるのかわからないけど。龍ヶ嬢七々々の埋蔵金はけっこう頑張っていると思うんだけど、原作がいろいろ分かり難い作品なので、30分アニメだといろいろ苦労している気がする。惜しい。蟲師続章とチャイカはだいたい期待通りと言う感じ。あ、あとハイキューがものすごく面白くてびっくりした。なんといってもプロダクションIGお得意のファンタジーなんだけどリアルな筋肉の躍動を感じさせるアクションがすごい。キャラが動いているだけでなんだか感動してしまう。こういうのを観るとアニメってすげえなあ、と思う。

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2014.05.13

雑記のようなもの

エビチリを作ってみて、ちょうど良い辛さになったと自負していたのだが、両親には不評だった。「ただひたすら辛い」とまで言われた。ま、まあ歳を取ると薄味を好むと言うし……俺の舌がおかしいと決まったわけでは……。

洗いものをしていたら、缶のふちで指を切ってしまった。綺麗に切れたせいかそんなに痛くない。けっこう血は出たけど。指って血管が走っているから、けっこう血が出るんだなあ、などと思った。

先日、Steamのセールでテラリアが2.5ドルになってたのを衝動的に購入してしまった。2.5ドルて。元が9.99ドルとかだとしても安すぎだろ。本当にパッケージで購入するのがバカバカしくなってくるな……。ちょっと遊んでみたけど、けっこう面白い気がする。やれることがマインクラフトよりも限定されている分、普通のアクションゲームみたいに遊べる、っていうか。はいはい、自由にしろと言われるとどうしたらいいのか困るタイプの頭の固い人間ですよーだ。

そう言えば書き忘れていたけど、ダークソウル2もやっています。IDはkiichoでやってるんで、どこかでサインを見かけたら呼び出してやって下さい。

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2014.05.10

雑記のようなもの

いろいろと反省することが多くて、改めて自戒する。いったい自分は何様だというのか。偉そうに他人に説教出来るほどたいした人間なのか。上から目線で他者に接するような人間を侮蔑しておきながらあの体たらく。ああ、死にたい。むしろ死ね。

などと考えていてもしょうがないのだが。本当に、自分は人間関係に巻き込まれると躁鬱に感情は幅振れし過ぎる。なるべく感情を乱さないように練習しているんだけど、なかなか難しいねコレ。

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2014.05.09

雑記のようなもの

姉とその子供たちと妹とその赤ん坊が集まるといかなる化学反応か凄まじいうるささを発揮するようになって、泣くわ喚くわ怒るわで凄まじいことになる。大家族と言うのはこういう感じなのか、と興味深い。それぞれの感情が媒体になって増幅されていくかのような。感情の増幅装置としての他者、みたいなものでもあるのかもしれないが、書いているうちからどうでも良いと思える話だ。たいして面白い話ではなかった。

しかしまあ親としてはいろいろ心配なのだろうが、姉については、子供の発育が遅れているからと言って焦り過ぎているようにも思える。確かに他の子供に比べると計算が出来なかったりするのかもしれないが、それで焦ってしまっては悪循環だろう。焦りは子供にも伝わるし、子供はますます勉強に対する嫌悪感を強めるだろうし。ここは忍耐強く、丁寧に子供と意思疎通を深めた方が良いのだろう(が、それが簡単に出来れば苦労はない)。

『はじめて考えるときのように』(野矢茂樹)を半分くらい読んだ。自分が普段考えていることを、もう少し掘り下げているような絵本で、思考を補強するような感じで読んでいる。自分はむかしから「考える」ということが苦手で、よく「しっかり考えなさい」と叱られていたのだが、そのくせ「考えるとは何か」が良く理解出来てなかった。最近になってようやくコツみたいなのがわかってきたのだが、考えるというのは”行為”なのではなくて、自分をその方向に整える事、つまり”状態”のようなものなのだ。頭のどこかに思考の対象を常においておくことで、日常の行動、言動のすべてが思考の対象につながるように整えておく。それが”考える”と言う事なのだと思うようになった。

この絵本ではちょうどそうしたことが書かれていて、しかも、自分がまだ考えが固まっていないところにも触れられている。まあ、ちょうど良い時に読めたのだろうな。

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2014.05.08

甥Aの誕生日

姉の子供の大きい方の誕生日会があった。今日は異常に人口密度が高く、子供たちは騒がしい。色々とうんざりしてくるので、自分は黙々のバーベキューの肉を焼く係がメインとなった。

もっともそんな仕事はすぐに終わってしまい、食事が追われた甥の相手もしなくてはならない。甥は二人いて、二歳差があるのだが、まだ小学校に上がる前の子供にとって二歳差はなかなかバカにならない差がある。遊ぶにしても、遊び方の質が違っていて、なかなか面白い。”勝負”としての遊びと、”ごっこ”としての遊びの違いと言おうか。まあ性格の違いかもしれないが、志向がずいぶん違うものだ、と興味深かった。

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2014.05.07

散歩

花粉症もすっかり収まったこともあって、落ち着いて周囲を見渡すことが出来るようになった。あの時期は心までささくれだってしまうのが良くない。 春らしく涼やかにそよぐ風があるかと思えば、夏の片鱗を思わせる強い光もある、良い天気だった。

普段と違う道を歩きたくなって、本来はまがる必要のない坂道を下る。売り出し中の分譲住宅が三軒並んでいたのだが、よく見ると真ん中だけ人が入っているように見えた。なにも真ん中を買わなくてもいいのではないかと思った。

しばらく進んでゆくと開けた場所に出た。そこはちょっとした丘の上になっていて、ずいぶん遠くまで見渡せる。ここに暮らしてずいぶん経つが、こんな場所があるとは思わなくて、ちょっとぼんやりと眼下の街を眺めていた。ふと気が付くと足元にタンポポが頭に綿胞子をくっつけているのが見えた。そう言えばそんな季節だったなと思いつつ、タンポポの綿胞子をまともに見るのなんて何年ぶりのことだろう、とも思った。こんなことにも気にしない生活を送っていたのだと思うと、なにか間違っているように思えた。

途中、ファミレスで休憩をしていた。いつも持ち歩いている手提げ袋の中にたまたま入っていてた桜庭一樹の『ばらばら死体の夜』を読んだ。とてつもなく厭な気持にさせられる作品で、この厭さ加減は、むしろすごいことだと思った。自分の中にあるものの中であまり正視したくないような事柄を扱っていると言う事だからだ。どこか自我の輪郭をはっきりさせようとするような、久しぶりに心が動いたような気がした。もっとも、こういうのは勘違いであることも多いので気を付けなくてはいけないのだが。

家に帰ると、甥っ子が来ていた。勉強をしないので、預かっている母(甥にとっては祖母)が怒っている。とりあえず集中のコツを教えながら勉強をさせたのだった。

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2014.05.06

雑記

最近、『ねじまきカギュー』という漫画が面白くて、単行本を買ってしまった。テンションが高い漫画なんだけど、そのテンションの高さにどこか暗さと言うか、精神的な危うさのようなものがあって、なにやら凄みがある。バランスが明らかに悪いのに、なぜか倒れない建物を見ているようなヤバさと言うか。キャラクターデザインも、可愛いのだけれども、目ばかり大きな神経症的な印象もあるし、とにかくいろいろな意味で目が離せない感じ。

弐瓶勉の漫画がアニメになる日が来るとは、と言う感じで感慨深くもある『シドニアの騎士』のアニメを観ているのだけど、かなり面白い。弐瓶勉の建築作画がアニメで見るとかなりのインパクトだった。これで人気が出て『BLAME!』がアニメ化したりは…しないよね。アニメなんてされたことないよ(棒)。
甥っ子たちとバトルごっこをして疲れた上に酒まで飲んでしまったので頭が働かない。寝るか。

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2014.05.05

『長いお別れ』

『長いお別れ』(レイモンド・チャンドラー/ハヤカワ文庫HM)

自分は昔からチャンドラー系のハードボイルド小説が大好きで、例えば『名無しの探偵』シリーズとか原寮の作品とか、他にもいろいろを貪るように読んでいた時期があった。良心など何の役にも立たない都会の荒野で、それでも正義や善というもの火を絶やさぬようにしようとする、ある種の儚さにも似たロマンティズムは、影響を受けやすい中二病患者のボンクラ魂にクリーンヒットだったのである。ぶっちゃけた話、自分の中二病的人格形成にはその手のハードボイルド小説が多大な影響を与えており、今でも『正しさってなんだ……?』とか真面目な顔で考え込んでしまう大人になってしまったのは、明らかにこのあたりに原因がありそうである、が、それは別にどうでも良い。

そんなハードボイルド信者であった自分であるのだけれど、実はチャンドラーはほとんど読んだことがないのである。これは自分でもびっくりで、気が付いた時は「マジで?」と口走ってしまったのだが、マジなのである。なんかいつの間にか読んでいたような気がしていたんだよなあ……。余談だが、本をいろいろごちゃごちゃと読んでいるとこういうことはしょっちゅうあって、あちこちに引用されている情報を勝手に統合してしまうことで、まるで読んでしまったような印象を脳内に作り出してしまうのである。なのでなにを読んだかの記録をつけておくのは本当に大事なんですよね、と読書メーターの意義を述べさせていただきました。

それにしても、まあ読む前からわかっていたことだけど、この『長いお別れ』はマジで傑作ですね!もちろん自分にはハードボイルド贔屓を相当にあるので、大抵のハードボイルド小説は面白く感じてしまう安上がりな脳を持っているのだけど、それにしたって面白すぎた。

冒頭にて酔っ払いの男、テリー・レノックス(今作における重要人物)と出会う場面からして、実にロマンとリリシズムに溢れている。テリーは前後不覚にまで酔い潰れていて、一緒にいる女からさえも愛想をつかされて、道端に放置されてしまう。道行くほとんどの人々はそれを無視する中で、マーロウだけが彼に手を貸して、介抱する。意識を取り戻したテリーと別れてから、また別の場所で偶然に出会ったことで、彼との奇妙な友情が始まっていく。

二度目にテリーと出会った時、彼はまた泥酔して、警官に留置されようとしていた。マーロウは咄嗟に(ただ一度だけ出会った男のために)芝居をして、彼をタクシーに乗せようとする。タクシーの運転手は泥酔したテリーに難色を示すが、マーロウはチップを弾んで、頼み込む。追いかけて来た警官の尋問をどうにか掻い潜り、二人はタクシーで出発する。マーロウたちは数ブロック離れた場所でタクシーを降りる。タクシーに乗るのは、ただ警官から離れるためだけの口実だったからだ。運転手はむずかしい顔をして、受け取った金を返す。彼は「昔、自分が往来にぶっ倒れた時、誰も助けてくれなかった」と言った。

このタクシーの運転手は、別にとりわけ善人にあったわけではない。厄介事に巻き込まれたくないと、一度はテリーの乗車を断った男だ。そもそも誰かが倒れていても、助けない側の人間であっただろう。しかし、それは悪人であるというわけではなく、そして助けられないことに無頓着であったわけでもない。誰にも助けてもらえなかった時、孤独と悲哀を感じただろう。誰にも救われない気持ちを抱えていたに違いない。だが、この世には、そうした人間に手を差し伸べる善意が存在するのだと言う事を、マーロウは示した。それは、おそらく、過去に見捨てられた運転手そのものに差しのべられたものと同じなのだ。あの時の孤独が救われたようなものなのだ。だから、運転手はむしろマーロウに礼を言うような言葉をかける。善意というものがこの世にあることを教えてくれて感謝する、と言うような。

フィリップ・マーロウは口が悪くて依怙地でわりと偏見もあるけれど、普遍的な”正しさ”というものを真面目に考えていて、その正しさは常に弱い者への優しさに基づいているのが実にヒーロー的である。もっとも本人はそういう言葉を嫌っているだろうのだろうけど。彼はもっと素朴な感情で動いているように思えるのだ。

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ブログ再開

すでに半ば以上放置ブログと化していたけれども、いろいろ思うところがあって再開することにした。もっとも、今後、どのように運用するのかは思案中と言うところ。ひとまずは日記として日々の出来事を綴ってゆこうかと思っているけど、そもそも綴るような日々の出来事があるかわからないし、やる気がどこまで続くかもわからない。まあ、三日坊主にならないように、適当に頑張ります。

久しぶりに日記を書いてみたけど、すっかり日記の書き方を忘れてしまったことに、いささか以上の衝撃を受けた。どんな文章を書けばいいのか、脳が上手く働いてくれないみたいだ。なんか人前でスピーチをするときに、緊張で頭が真っ白になってしまうのに似ているような気がする。この表現が適切かどうかは良くわからないけれども。

この一週間ぐらいひどいだるさが続いていて、風邪かなあと思って薬を飲んだりしていたんだけど、これがまるで効果がない。それでよくよく考えてみたら、ここしばらく食事が減ったり栄養のバランスが崩れていたりと、かなりの不摂生をしていたことに思い当たった。とりあえず餃子を作って大皿分をまるごと食ってみたら、翌日、凄まじい空腹感に襲われた。今まで空腹を感じる機能まで低下していたらしい。その日は肉を食いまくってアミノ酸を摂取し、ようやく回復したのだった。……わりと危なかったのかもしれない。今度から気を付けよう。

そう言えば今日の地震には驚かされた。それだけだけど。

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