生存報告のような日記
・最近、『仏教』(ベック/岩波文庫)を読んでいるんだけど、もともと欧米向けに書かれている作品だからしょうがないんだけど、仏教をキリスト教に直して解釈しようとしているところがあって、かえって分かり難い。まあ、作者自身は、仏教とキリスト教は違う、と言うスタンスなんだけど、想定読者への配慮なんだろうな。
・しかし、それはそれとして、まだ半分くらいしか読んでいないけど、経典における仏陀、歴史的人物としての仏陀について書かれていて、普通に面白い。仏陀さんの生涯については一通り読んだことがあるんだけど、やたらのイメージ喚起力が高い過剰でドラマティックな表現には圧倒されてしまった。
・これはあれだ、インド映画のノリだ。さすがインドだ。
・それにしても、サンスクリット語やパーリ語ってのはカッコイイな!マイトレーヤとかいきなり言われて戸惑ったけど、そうだ弥勒菩薩のことじゃん、けど弥勒菩薩よりマイトレーヤの方がはるかにカッコ良くね?みたいな。大乗、小乗も、マハーヤーナ、ビーヤーナと書いた方がカッコイイし、とにかくサンスクリット語準拠にするとなんでもかっこよく聞こえる不思議。中二魂に響くものがあるな。
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コメント
中国を経てる分、日本の仏教イメージは大陸的な要素が強くなってる感じはありますね(これは老荘的な意識とか宗派ごとの思想で特にそんな要素がありますが)。
インドから遡って勉強すると、身近にある宗教でも「仏教」というパース全体がかなり大きな広がりを持ってるのを感じます。
メガテンファンだと「マハー」とか出てくるだけで嬉しくなったりとか(中二もいいとこですが)w
投稿: 名無し | 2013.12.09 19:49
言われて初めて気が付いた……。そうかメガテンのマハラギオンなどのマハは、サンスクリット語のマハー(大)だったのかー。道理で脳内でマハー=強いと勝手に変換されるわけだ。
仏教は面白いですね。もともとの仏教は、どちらかと言えば非宗教的な色彩が強かったのに、いろいろなところから影響を受けたり与えたりしているうちに、なにやら別物になっていくところとか。そのくらいいい加減だから現代まで残っていたということかもしれませんが。
投稿: 吉兆 | 2013.12.13 08:09
初期メガテンのオリエンタルさは、こういう部分で要素を持ち込んでいるからだなあと、勉強しているときに余分なことを考えてましたw
今は魔法の名前として形骸化させられていますが、90年代のそれは世紀末前ということで、そういう和製サイバーパンクの良い意味でのごった煮感があったのかもしれません(ペルソナ3・4も、あれはあれでいいと思いますが)。
仏教は非宗教的だからこそ、その中に土着のアイデンティティをあまり持つ事がなく、結果的に色々な場所で色々な要素を持ち込むことができたのでしょうね。
いい加減というのは、だから仰る通りだと思います。
哲学思想的に厳密でも、教えの根幹さえ何かしらの形で残っていれば成立させてしまえた、というのが仏教の特質でもあるのかなというか。
教団が大きくなるにつれて否応なくそうなってしまった面もあるかもしれませんが、これがバラモン教ベースの思想だったらこうはならなかったでしょうしね。
この一つ前の日記でも書かれてましたけど、無駄にスケール大きい、みたいなのは仏教の発展する時期を考えるとああした物語が出てくるのも必然かなと思いますしw
現実を肯定する方向にもその逆にも発展しうる宗教として成立したのは、その経緯の諸々に初期の理念が何かしらの形で影響し続けているというのが興味深く、面白いです。
投稿: 名無し | 2013.12.16 23:53