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2013.10.19

日記

・トラウマには向き合わなければならない、なんてのは本当に下らないと思うのだが、同時にトラウマから目を背け続けるのも相当にキツイとは思う。

恐怖と言うのは正体がわからないものほど怖くて、例えば幽霊と言うのは、実際には柳の木だと確かめてしまえば恐怖も消えるのだが、そこから目を背けてしまうと自分の中にあるイメージとしての幽霊が現実になってしまう。

トラウマから目を背けるというのも、わりとそういうところがあって、例えば自分のつまらないトラウマを一つ上げると、自分は子供の頃に食べたラーメンがクソ不味くて、特にラーメンに乗っていた青梗菜が死ぬほど不味かった(そのあと吐いた)、それ以来、青梗菜だけではなく青臭い食い物全般が駄目になった。

良く考えれば、あれは青梗菜が不味かったのではなく、単にラーメン自体が不味かっただけだったのだろうが、自分の中で青梗菜=不味い=青臭いという方式が固定化され、自分の中の確かな現実として位置付けられてしまったわけだ。

それ以来、青臭い匂いを嗅いだだけで吐き気がするようになってしまって、最近になってようやく我慢して食べることが出来るようになったのだが、しかし、それでも積極的に食べようという気がしないのだった。

この時、即座に美味しいラーメンを食べに行ったとしたら、このトラウマも笑い話で済んだのかもしれないのだが、そうはならなかった。まあ、つまりはそういう話だ。

・『ストーンコールド 魔術師スカンクシリーズ(1)』(江波光則)を読んだのだが、これは本当に素晴らしい作品だった。基本的に主人公たちはクズでクソのような悪人で外道なのだが、しかし、彼らは本当に暖かい情愛や親愛を持っている人間でもある。そうした、宝石のように美しい絆は、しかし、彼ら自身のクソのような性質、あるいは怪物的な精神と、いささかも矛盾がない。彼らは鬼畜でクズで下種で外道なのだが、同時に誰よりもお互いを尊重し、情愛を抱く親子であったり、あるいは純粋な愛情で結ばれた恋人として描かれている。それがとても皮肉で、同時に美しい絆というものは、善悪とか倫理とか、そういうものとはまるで関係のない純粋なものとして存在しうるという希望(あるいは絶望)が描かれてるのだ。

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