『空の軌跡FC』をクリアしてしまった日記
・先日、『空の軌跡FC』をやっている、と書いたそばからクリアしてしまった。ブログに書いたよりはもう少し前から始めていたのだが、まあ一週間くらいか。途中でやめることが出来ずに、ひたすら物語に引っ張られるように進めてしまった。
これは単に物語が良いというだけではなくて(もちろん物語も良かったけど)、物語の引きやシステムもユーザーにストレスを与えないことで、物語への興味を阻害されないというところも多きい。キャラクターも、そこら辺の町人Aからして魅力的に描かれているというも良い、というか凄まじいと思うが、そのあたりは前回書いた。それについては、最後まで凄まじかった、と思う。
そういや『空の軌跡FC』のラストシーンはすごい、という話はちらほら聞いてたのだが、なるほどこれが噂のラストか。確かにすげーな。どんでん返しとしてはそんなに奇を衒っていないのだが、伏線が丁寧な上に、エステルとヨシュアの淡い恋模様と並行して描かれるだけに、完全に死角から襲い掛かってきた感じ。普通にびっくりしたし、なにより実にドラマティックだと思った。これは演出が素晴らしいんだな。
さて、このまま『空の軌跡SC』を買いに行ってもいいが、いくつかサブクエを取り逃しているので、二週目を軽くやってもいいかな。葉隠(トヘロスみたいなの)をつければ敵スルー出来るだろうし。
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コメント
名前は忘れてしまったのですが、昔、CD形式のゲームが出る以前にも、そうした作り込みにおいて物凄い惹き付けをするゲームがあった、とかそういう話を聞いたことがありますね。
なぜかふと、一連の感想でそれを思い出しました。
主人公-世界というRPGという形式においては、最重要人物以外はこちらからアクセスしなければNPC以外の何物でもないですけど、それこそが本質として世界観を作る物である以上、そうした配置に気を配っているというのは凄いことだと思います。
ドラクエをプレイしてるだけでも感じるので、これは尚更で。
全ての人間に背景がある、というのは当然と言えば当然のことなのでしょうけど、それを物語のレベルで見えるようにしているとなると、これは気になるなあとw
ドラクエは話し掛けた町人が同じ事しか言わない、というのがある意味ではパターンとしてネタにすらなりますが、それは物語にパッケージされた意味がそこにあるからで、むしろ個人個人の背景やスタンス、文化習俗まで書き込むと邪魔になるという判断(があるかどうかまでは判りませんが、広くユーザー受けする為には近い物があると思います)があるでしょうし、そうした態度との違いもあるのかなあと。
TRPGで個人個人にステ振りするときに「使わない情報」を大量に個人が持ち寄りますけど、ああいうのにも近いのかもしれないな、とかw
PC版もあるとのことで、俄然これは気になってきました。
投稿: 名無し | 2013.11.02 17:31
少し見返すと、主題が明確でないコメント、失礼しました(汗)。
・主人公→世界の要素としての個人(物語)
・主人公→個人の集合(物語)としての世界(物語)
なのかな、というか。
どう物語を扱っているか、なのかな、ということですね。
物語上、特権化された勇者(他)と世界を描くか、世界という物語そのものを描くかの違いなのかなと。
もちろん、勇者という特別な立場を「読む」作品であるドラクエ(FFも)は最初からそうした作品として用意されているので、それが悪い、という訳ではないと思いますけれども。
プレイしないまま、想像で書いてしまい、すみません。
今回の一連のコメントで凄く熱が入ってるのは窺えましたw
投稿: 名無し | 2013.11.02 17:42
RPGはもともと物語性が高いジャンルだと思いますけど、その意味ではこのシリーズ(と言ってもまだ一作しかやってないけど)、三人称視点が強い気はしますね。
しかしまあ、実に丁寧に作っていると思いますよ。10年前のゲームとは思えないくらいに古臭さを感じさせません。
投稿: 吉兆 | 2013.11.04 21:54