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2013.10.28

『空の軌跡FC』をクリアしてしまった日記

・先日、『空の軌跡FC』をやっている、と書いたそばからクリアしてしまった。ブログに書いたよりはもう少し前から始めていたのだが、まあ一週間くらいか。途中でやめることが出来ずに、ひたすら物語に引っ張られるように進めてしまった。

これは単に物語が良いというだけではなくて(もちろん物語も良かったけど)、物語の引きやシステムもユーザーにストレスを与えないことで、物語への興味を阻害されないというところも多きい。キャラクターも、そこら辺の町人Aからして魅力的に描かれているというも良い、というか凄まじいと思うが、そのあたりは前回書いた。それについては、最後まで凄まじかった、と思う。

そういや『空の軌跡FC』のラストシーンはすごい、という話はちらほら聞いてたのだが、なるほどこれが噂のラストか。確かにすげーな。どんでん返しとしてはそんなに奇を衒っていないのだが、伏線が丁寧な上に、エステルとヨシュアの淡い恋模様と並行して描かれるだけに、完全に死角から襲い掛かってきた感じ。普通にびっくりしたし、なにより実にドラマティックだと思った。これは演出が素晴らしいんだな。

さて、このまま『空の軌跡SC』を買いに行ってもいいが、いくつかサブクエを取り逃しているので、二週目を軽くやってもいいかな。葉隠(トヘロスみたいなの)をつければ敵スルー出来るだろうし。

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2013.10.27

日記

・RPGで良く終盤の街で周囲の魔物が物凄く強いことが多くて、この街の人たちはなんでレベル50とか100とかの魔物たちに囲まれて平気な顔をしているのかと疑問だったのだが、自分がRPGのレベルと言う概念も絶対値として捉えていたことに起因する勘違いであることに気が付いた。

つまり、今まで”レベル1はレベル10より物理的に強い”と考えていたのだが、そもそも”経験値”と言う概念からしてこれは間違いなのだ。あくまで経験値を積むことによって得られるのは”経験”であって、別に物理的な強さとは関係がないはずである(もちろん鍛錬によって身体能力が向上することも含まれるが、それのみではないはずだ)。つまるところレベルとは、低いよりも高い方が様々な状況に対応する力、あるいは技量と言うことになる。

この概念に立って考えると、レベルが低いというのは対応力が低いということであって、それは相手の戦法や弱点と見抜く力が低いとも言えるだろう。レベルが高ければ高いほど、臨機応変な戦術を駆使して戦うことが出来る。

そして、逆に言えば相手の戦法や弱点を把握し、戦術が確立されているのならば、レベル(対応力)は決定的な意味を持ちえないということも出来る。たとえ一人一人が弱くとも、火に弱い魔物ならば対処法を学んでおけば対処しうるというわけだ。臨機応変な対応力が試されるのは、それこそ少数で行動する旅人やダンジョンに潜り込む冒険者など、イレギュラーが多発する場においてこそ意味を持つものなのだろう。

・などと我ながらとてつもなくどうでもいいことを考えていた。どうでもいいが、実は長年の懸案事項であったので、解決を見たことでとてもすっきりした気持ちでいる自分は否定できない。意味はなくても意義はあったと言える。あれ、逆かな?まあどっちでもいいや。

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2013.10.26

何気なく始めたゲームは面白すぎて睡眠時間がみるみる減った日記

・自分でも理由が良くわからないのだが、五年くらい前(いや、もっと前だったかもしれない)に買ったまま放置していた『空の軌跡FC』を始めてみたところ、これが非常に面白くて作業がいろいろ滞っているのだった。

PC版の発売が2004年、自分がやっているPSP版でさえ2006年発売のゲームだから、下手すると10年前のゲームなのだが、今やってもぜんぜん問題なくプレイ出来る。

見た目はドットとポリゴンで出来た昔ながらの2DRPGの色合いを濃く残すゲームなのだが、とにかく細部への気配りがもはや偏執狂とさえ言えるほどの凄まじい配慮で、多少ロードが長いことを除けばプレイは極めて快適と言える。快適過ぎるとも言える。

偏執狂めいた拘りはそれだけではない。ドットキャラでありながら、主人公たちの芝居は細やかで、ドットでありながら躍動感のあるアクション芝居を行っているのには驚かされた。あるキャラクターが一騎打ちをするシーンがあるのだが、RPGでよくある強制戦闘ではなくて、ドットキャラ同士が飛んだり跳ねたり剣を振り下ろしたりと、まるで時代劇の殺陣めいたアクションをするのだ。軽快なフットワーク、壁を使った三次元殺法、それらがただキャラを動かしているのではなく”芝居”をさせている。すごいなこの演出、ドットキャラってこんなこと出来るんだな、って思った。

あとこれは本当に偏執狂なんじゃないかと思わされたのは、モブキャラたちにまでドラマが設定されていること。本当に、そこら辺を歩いている町人Aでさえドラマがあって、悩みや目標を持っているのだ。ゲームを進めるたびに細かく話が変わってて、家族との交流、仕事悩み、恋人との関係など、さまざまな人生の一側面を見せてくれる。ここまで来るともはや単なるモブとは言えなくて、実際、驚くべきことこのゲームのモブキャラには全員名前が設定されている。さらに当人だけではなく、他のモブキャラ同士でも人間関係があって、全員に話を聞いていくと、「あ、この人とあの人は恋人同士で遠距離恋愛をしているのか」「旅先で出会った夫婦の実家はここなのか」とか、そういう驚きがいくつもあって、みんなここに生きているというような広がりを感じさせられるのだった。

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2013.10.24

世界はこのように出来ている、と言う日記

前を歩いていた小学生が立ち止って、駐車場から出てこようとしている自動車に向かって”お先にどうぞ”という仕草をした。その行為は実に見上げたものだと思うが、ここではあまり関係ない。重要なのは、その動作によって自分もまた立ち止り、自動車が出ていくのを待ったと言うことだ。

その自動車が出てきた瞬間、電に撃たれたような衝撃と共に閃きが走った(何かにとつぜん気が付くというのは本当に電撃に撃たれたような気がするのだということを始めて知った)。自分はいまリーダーシップと呼ばれるものを本当の意味で実感したのだと理解したのだ。

自分は自動車が出てくるまで立ち止っていた。なぜか?それは前を歩く小学生の動作によって、自動車が出てくるという現実が構築され、結果、それに対処する必要があったからだ。つまり、その瞬間、自分はその小学生によって行動を定められたということになる。しかも、自動車が出てくるのだから、もし立ち止まらずに進めば自動車にぶつかっているかもしれないし、そうでなくても急ブレーキなど無用なロスを生じさたことだろう。つまり、あの時点での最適な対応は”小学生の動作によって定められた行動を行う”と言うことになる。ちょっと回りくどくでかえって分かり難くなってしまったが、要するに支持に従うことが合理的である、と思わされたということだ。

つまり、リーダーとは”前を歩く者”のことなのだ。それ以外の資格や理由は存在しない。前を歩くことで状況を先んじて掌握し、状況を構築する(ここでは小学生が自動車に道を譲ったことが該当する。彼は自動車を止めたままにしても良かったが、自発的な判断で譲った)。そして、後ろを歩く者たちに対して、作り上げた状況に対する最適行動を選択させるのがリーダーの役目だ。最適行動とは、状況において最適であるだけに、自然とその行動が是とされることが望ましい(が、現実にはそうはいかないことも多い。そのギャップを埋めることがリーダーの力となるのだ。その意味では、あの瞬間の小学生の彼は完璧なリーダーシップを発揮したと言っていい)。そうすることで、場において秩序が生まれ、流れが形作られる。

いささか大袈裟に聞こえるかもしれないが、自分は小学生が自動車に道を譲った瞬間、その場で流れが生まれたのが見えた。彼の後ろの自分、そして他の通行者、そしてそれを見た向かい側の通行者が一斉に立ち止り、自動車が出ていくのを見守った。そこには秩序があり、一つの流れが創り出す調和があった。それを前にいる小学生が創り出したものだということを、その時の自分は確信していた。

これは別にその小学生が傑物であるとかそういうことではなくて、「ただ前を歩いているだけでリーダーとしての役割が生まれてしまう」と言うことだ。言い換えれば、自分もまた、自分より後ろの通行人の行動を規定しているということになる。この役割は一瞬たりとも留まることなく、目まぐるしく誰かが負っていて、それが流れを作っていくのだ。

自分はその秩序が生まれる(あるいは役割が切り替わる)瞬間を目にしたことに、ひどく感動した。世界はこのように形作られている、そう思ったのだった。

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2013.10.23

日記

『魔術師スカンク』シリーズ(江波光則)の三作を読んで、やはり一番好きなのは『ストーンコールド』だ。面白いかどうかはともかく、好きだと感じた。

この話の中で一番好きな場面は、主人公が服役している父と面会するところ。この父親というのが多くの弱者を食い物にし、破滅させてきた本物の外道なのだけど、そんな父親にも関わらず主人公との間には本物の絆が存在していることが描写されている。

これは決して、鬼畜で外道の父にも唯一息子だけには人間らしい側面があった、と言う話ではない。この父親は本当に外道で、息子に対しても損得勘定のみで接しているのだけど、ただその損得勘定が通じるうちは(例えば息子が父に対して有用であるのなら)、何があっても主人公の味方をすると言うのだ。つまり、この父親は本当に外道なのだけど、外道には外道の愛情の表し方があって、決して良識的でも良心的でもないそれは、しかし、この親子にとっては最高の敬意と情愛の形として描かれている。

この関係の描き方がすごく良かった。外道の心にも少しだけ善の心がある、みたいな話にはほとほどうんざりさせられるのだが(それは結局理解出来ないものを悪として排除しているだけだ)、これは外道には外道なりの愛のあり方があるという描写であり、それを説得力を持って描いているということがすごいことだと思う。

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2013.10.20

日記

・昨日は焼酎の飲んだ上にダークソウルのラスボスを倒そうとしていたら途中で気分が悪くなってきた。このラスボスを倒すのにかなり集中力が必要で、酒の入った状態だとひどく疲れてしまう。もう歳かな…。

・ちょっと酔いの残る頭で目が覚めたら、いきなり秋を通り越して冬かと思うような一日だった。まあ、まだ寒いと言うほどではないが。

・『スピットファイア』『スーサイドクラッチ』(江波光則)を読んだ。魔術師スカンクシリーズはこれで終わりだろうか。いろいろ伏線は残っているようだけど、まあそれは語られなくても良いことなのだろう。例えば、三作通じて登場人物たちに強い影響を与えた沙都という少女は、結局、その姿を現すことなく(最後になにやら不穏な謎を残したまま)物語は終わっている。それでいいのだし、そうするべきなのかもしれない。

キャラクターの描き方も良かった。主人公たちがクズで外道で駄目な人間なのに、どこか輝かんばかりに美しい一欠片を持っている描き方も好きだ。外道で鬼畜な主人公の父親が主人公に対して本物の情愛を抱いていて、しかも、それが鬼畜で外道な父親が持っていて違和感のない描き方をされているのがけっこうすごいことではないか、と思った。

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2013.10.19

日記

・トラウマには向き合わなければならない、なんてのは本当に下らないと思うのだが、同時にトラウマから目を背け続けるのも相当にキツイとは思う。

恐怖と言うのは正体がわからないものほど怖くて、例えば幽霊と言うのは、実際には柳の木だと確かめてしまえば恐怖も消えるのだが、そこから目を背けてしまうと自分の中にあるイメージとしての幽霊が現実になってしまう。

トラウマから目を背けるというのも、わりとそういうところがあって、例えば自分のつまらないトラウマを一つ上げると、自分は子供の頃に食べたラーメンがクソ不味くて、特にラーメンに乗っていた青梗菜が死ぬほど不味かった(そのあと吐いた)、それ以来、青梗菜だけではなく青臭い食い物全般が駄目になった。

良く考えれば、あれは青梗菜が不味かったのではなく、単にラーメン自体が不味かっただけだったのだろうが、自分の中で青梗菜=不味い=青臭いという方式が固定化され、自分の中の確かな現実として位置付けられてしまったわけだ。

それ以来、青臭い匂いを嗅いだだけで吐き気がするようになってしまって、最近になってようやく我慢して食べることが出来るようになったのだが、しかし、それでも積極的に食べようという気がしないのだった。

この時、即座に美味しいラーメンを食べに行ったとしたら、このトラウマも笑い話で済んだのかもしれないのだが、そうはならなかった。まあ、つまりはそういう話だ。

・『ストーンコールド 魔術師スカンクシリーズ(1)』(江波光則)を読んだのだが、これは本当に素晴らしい作品だった。基本的に主人公たちはクズでクソのような悪人で外道なのだが、しかし、彼らは本当に暖かい情愛や親愛を持っている人間でもある。そうした、宝石のように美しい絆は、しかし、彼ら自身のクソのような性質、あるいは怪物的な精神と、いささかも矛盾がない。彼らは鬼畜でクズで下種で外道なのだが、同時に誰よりもお互いを尊重し、情愛を抱く親子であったり、あるいは純粋な愛情で結ばれた恋人として描かれている。それがとても皮肉で、同時に美しい絆というものは、善悪とか倫理とか、そういうものとはまるで関係のない純粋なものとして存在しうるという希望(あるいは絶望)が描かれてるのだ。

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2013.10.18

日記

・妹が子供を連れて帰省してきた。前に見たときは泣くだけの赤ん坊だったのだが、半年ぶりぐらいに見るとずいぶん生き物らしくなってきている。少なくとも意思らしきものを表示するようになってきていて、少し安心した。意思の通じない生き物は困る。苦手とか嫌いとかではなくて、困る。

・自分は、子供に対して可愛いとかそういう気持ちはぜんぜんわかないタイプと言うか、はっきり言って子供嫌いなのだが、それはそれとしてこの子たちに対して、多少なりとも力になれることが出来れば良いと思う。

これはただの自分のエゴであって、世の中には自分の嫌いな人間が多過ぎるので、せめてこの子たちは自分好みの人間になって欲しいという願望そのものである。まことに自分勝手な願望なのは承知しているが、教育と言うのはそもそも教育者側が望む人格に洗脳することであって、そうしたエゴの均衡の中に置かれる子供も大変だな、と思うことしきりなのであった。

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2013.10.17

日記

・昨日は一日中気持ちが落ち着いていないというか、いろいろ感情が暴走している感じだった。色々なことを考えて、焦ったりイライラしたり。まあ、たまにこういうこともある。

こういう時は、普段意識していないことが次から次へと思考できる代わりに、大概が空回りをしていて建設的なものには繋がりにくい。その時、自分はこれ以上はないほどの大事なことを理解しているような気がしていても勘違いだ。その時書いたメモ書きを改めて見ると、大したことではなかったり、そもそも意味不明なことも多い。

昨日は日記を書かなくてよかった。

・『魔法少女禁止法(1)』(伊藤ヒロ)を読んだ。最近だと『魔法少女育成計画』のような”アンチ魔法少女もの”あるいは”メタ魔法少女もの”の系統、と言うかこっちが先だけどね。旧版で続編が出るのをずっと待っていたんだけど、ようやく続きが出るのか。三年ぐらい待たされたぜ。

「魔法少女活動が非合法とされた現代で、アウトローとして魔法少女をやっているスウィ~ト☆ベリーに出会った少年は”魔法少女を目指す」、などとあらすじを書くと意味不明だが、まあやっていることはウォッチメンだと捉えてしまえば問題ない。ヒーローが魔法少女になっただけだ。と言うか、特に中盤まではウォッチメンを魔法少女ものとして換骨奪胎、いやもっと直接的にパクったような展開が続くのだが、魔法少女としての骨格が強まっていくうちに別のものになっていくところには不思議な面白さがある。

そこからようやく本格的に面白くなってきそうなところで終わり、まて続刊という感じだったのだが……まさかここまで待たされるとは。やってくれるぜ。ちゃんと続きが出てくれることだけが望みです。

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2013.10.15

日記

・GTA5を買っておきながら、なぜかダークソウルを始めてしまった。DLCが出ていたのを放置していたためで、ダークソウル2の発売日が決まったこともあって、2の前にDLCぐらいはクリアしようと思ったのだった。

久しぶりにプレイしたダークソウルだが、いや本当にキツイ。DLC部分の難易度が鬼畜過ぎる。攻撃力高すぎ、隙が無さ過ぎ、しつこすぎ。だけどまあこれがダークソウルだよな。敵のパターンを覚えて、攻略法を考えていくこの過程が本当に楽しい。ただ、始めてのマップでは何が出てくるのかわからないため神経を張りつめていく必要があり、物凄く疲れる。

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2013.10.14

日記

・自分は昔からコミュ能力が低くて、まあいわゆるコミュ障というやつだけど、どうも他人と上手く関係を築くのが下手だったのだが、だいぶ後になってから自分はコミュニケーション能力というものを根本的に勘違いしていたことに気が付いた。

そもそも”上手く関係を築く”ということ自体は誤りであって、それはコミュニケーションでもなんでもない。おそらく(と一応は書いておくが)コミュニケーション能力とは”他者との距離感を図る”能力なのだと思う。

他人との距離と言うのは、つまりお互いの共感ポイントのことだ。その場所をいかに自然に、かつ素早く探るということがコミュニケーションの本質、と言うのは大げさにしても、コツみたいなものなのではないか、と思った。

つまり、相手はどういう事柄を大事にしているのか、そしてそれは自分にも理解可能なものなのか、理解出来たとして受け入れられるものかどうか。その判断をすることが重要なのだろう(受け入れられなかった場合?それはお互いに不愉快にならない範囲で距離を取ることが必要になる)。

つまり、自分の考えるところのコミュニケーション能力は単なる技術と言うよりも、そもそもコミュニケーションを取るかどうかの選択を含めた判断力と言っていいのだろう。

・『サムライフラメンコ』が面白い。なんの力もない一般人がヒーローとして生きる過酷さが描かれていて、まあどのように話を作っていくのかさっぱりわからないけど、とにかくすごく面白そうな気がする。

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2013.10.13

日記

・『ガリレイドンナ』がなんだか面白くなりそうな気がする。空想科学小説みたいな雰囲気が懐かしい。主人公サイドが家族ぐるみでアットホームな感じだし、敵役も悪党ではあっても憎めない感じだし。なんだかラピュタかナディアでも観ているような気がしてきた。この路線で行くのかは良くわからないけど。

・『Grand Theft Auto V』を買ってきた。自分は昔から箱庭ゲームが好きで、たぶん自分には異世界で生活をしたいという願望があって、箱庭ゲーム、そしてオープンワールドゲームにはそういう欲望を刺激するところがあるのだろう。

しかしまあ、ゲームと言うのは進化したなあ、と思う。このゲームはもう本当に街一つが体験できるような感じで、ちょっと高いところに上って周囲を見回すと、遥か遠くに山の稜線が見えて、あるいは巨大な超高層ビルがひしめき合っていたりする。そこらへんを歩いているNPCの挙動もずいぶん洗練されているし(信号が点滅すると小走りになって渡ろうとしたりする)、ただ眺めているだけでも感心してしまう。

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2013.10.11

日記

・今日は全身から力が抜けるくらいに脱力感があったのだが、これはあれか睡眠不足か昼飯を抜いたせいか。どっちだ。

・『俺の脳内選択肢が、学園ラブコメを全力で邪魔している』というクソ長いタイトルのアニメを観たのだが、予想外にも冒頭から爆笑してしまって、しかも最後までずっと面白かった。冒頭の偉人たちの二者択一問題には笑わせられたし、途中も不思議と拒否感なく観ることが出来た。なんだったんだ。

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2013.10.10

日記

・ここ数日、いきなり暑くなっている。真夏に比べれば涼しいと言って良い程度ではあるけど、すでに秋の支度をしていたので、この程度の暑さでもけっこう堪える。

・京アニの『境界の彼方』の一話をようやく観た。ものすごいベタな学園異能を真面目に作っている感じ。懐かしいなこれ。2000年代初期にはこういう作品がいっぱいあったんだよな。

・『京騒戯画』はニコ動で単発で配信されていた時から観ていたが、この説明台詞を一切放棄していく作り方は嫌いじゃないぜ。かと言って小難しく作っているわけではなく、ちゃんとガチャガチャと楽しそうな雰囲気はある。まあ、これはいい加減さと表裏ではあるので、バランスを取るのが難しいけどね。

・『凪のあすから』。主人公(だよね?)の少年があまりにも中学生過ぎてつらい(褒め言葉)。こうやって少年は大切なものを自分から見失っていくんだよな。岡田磨里はドロドロとした女の生臭さを描くことが多い印象だったけど、少年に対しても容赦ないんだなー。

・あとは『ストライク・ザ・ブラッド』『ゴールデンタイム』『夜桜四重奏 ~ハナノウタ~』『てさぐれ!部活もの』『機巧少女は傷つかない』『アウトブレイク・カンパニー』を観た。けっこう観ているな。まだ観てないのもあるけど。

この中だと『夜桜四重奏 ~ハナノウタ~』の圧倒的なアクション力が目を惹いたな。りょーちも氏のアクションはやはり躍動感がある。他はまだ評価出来ない感じ。

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2013.10.09

日記

・『RWBY』と言うアメリカ製3DCGアニメーションを観ていたら日記を書くのを忘れていた。

(youtubeの画像埋め込みを初めてやってみた。ネット歴も長いのにな)

・キャラクターの動きは日本の格ゲーやアクションゲームからのコラージュ(ゲームを意識しているのはトレイラーでは顕著)だ。どうやらソウルキャリバーやニンジャガイデンやFFなどからモーションを持ってきているらしい。しかし、それを一連のアクションとしてつなげるセンスがすばらしく、これはもうただのコラージュではなく、きちんと作品として成立していると思う。

香港映画的なカッコよさ優先のハッタリズムも心地よい。

あちこちに日本のアニメ/ゲームを思わせる要素と、アメリカのカートゥーンを思わせる要素が入り混じっていて、それ不思議な味わいがある。主人公たちのデザインは完全に”萌え”を思わせるものなのに、表情の付け方はカートゥーン的なのだ。

物語もライトノベル的だと思わせておいてハイスクール高校白書だったりするさじ加減も面白い。

あとキャラクターの表情が非常に多彩で、それがいろいろ動くだけでも魅力的なのは純粋にすごいことだ。3DCGの可能性にはこういうところもあるんだな。

やたらとガチャガチャしているので観過ぎていると頭痛がしてくるのが難点。と言うか、まだ頭痛がしている。

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2013.10.07

日記

・いまさらながら『げんしけん二代目』の最終話を観た。良い作品だった。原作もずっと買い続けているぐらいに好きなのだが、このアニメ化は原作の新しい魅力に気が付かせてくれたと思う。

どのキャラクターも実に活き活きと描かれていて、ゆるいオタク(二代目では腐女子に焦点が当たっているのだが)が持つ関係の特殊さが魅力的だった。げんしけんという空間が生み出す雰囲気と言うか、そういう関係のもつしなやかさみたいなものが描かれていて、すごく印象に残った。これは漫画でも描かれていたものだけど、アニメと言うか”動き”がついたことでより一層魅力的なものになっていたと思う(誰かがしゃべっているときに他の誰かが別のことをしていると言ったような、点と線の関係ではなく、あくまでも”場”としての空間が描かれている)。

・前期のアニメだと、『シンフォギアG』、『ガッチャマンクラウズ』、『げんしけん二代目』の三作品は毎週楽しみに観ていた。どれも終わってしまうのが惜しいくらいだった。

・『物語』シリーズも観ているんだけど、いまのところ原作の方が面白い。と言うか、どうも自分が面白いと思うところと製作者側のそれがずれてい感じ(『傾物語』は忍野の手紙こそが真のクライマックスだと思うのだが、作り手の方はそうは思っていないみたいだ)。

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2013.10.06

『巡ル結魂者(1)』

巡ル結魂者(1)』(秋田禎信/角川スニーカー文庫)

秋田禎信が女の子いっぱいのハーレム系ラノベを書くなんて、エイプリルフールは半年前だぞとしか思わなかったけれども、実際に読んでみれば確かに秋田禎信らしくはあった。確かに女の子はいっぱい出てきているけれども、どれもこれも一筋縄ではいかない奇人変人だらけであり、つまるところオーフェンの牙の塔時代を思わせるものになってる。

リンカと呼ばれる異能の持ち主である女学校みたいなところに主人公が暮らす、という設定はどこにでもあるようなライトノベルと言う感じなのだが、出てきてる少女たちは少しも萌えないレベルに奇人度が高い。まあ、秋田禎信作品に奇人変人はつきもので、そうした変人たちが楽しそうに共同生活しているあたり、確かに懐かしい匂いがあるのだった。

主人公がいちいち状況に対してリアクションを取らないのも良い。ライトノベルにはお約束がいくつかあって、ギャグシーンものその一つなのだが、どうもギャグの見せ方が大仰なリアクション芸に偏っているところがある。これは絵がないからこそ、オーバーアクトによって印象を強める必要があるからかもしれないのだが、あれはあまり良くないと思う。いちいち話の流れが断ち切られる感覚があるし(まあ描き方次第ではあるのだが)。

話が逸れた。とにかく、主人公が大仰なリアクションを取らないため、物事がひたすら奇人によってかき回されていく展開にもするりとした軽さがあって、上品な語り口になっていると思う。物語としてはまだどうなるかわからないのだが、まあこういう風に軽い秋田禎信もたまにはいいんじゃないだろうか、と思えたのは良かったのだろう。

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日記

・今日は回鍋肉を作ってみたのだが、ちょっと肉を炒め過ぎたか肉汁が出てしまった。どうも自分はものを炒めるのが好きで、ガンガン火を使うとテンションが上がってしまうのが良くない。でも楽しいんだよな。

・今日はひどく暑かった。だが、気分はすっかり秋に切り替わっていたので、暑いことに気が付いたのは外出してからだった。魔が悪く長袖を着てしまっていたので、歩いているだけでも汗が滲み出てくる。もっとも考え事をしながら歩いていたもので、自分が汗をかいていること、それほどに暑いことに気が付いたのは駅についてからだった。どうかしている。

・また新しいアニメが始まる時期になった。まだぜんぜん観ていないので感想もへったくれもないのだが、『キルラキル』には多いに期待できそうだ。京アニの新作(『境界の彼方』だっけ?)はストレートな異能バトルものらしいのだが、たまにはそういのも良いかもしれない。

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2013.10.05

日記

・甥っ子たちの運動会は雨が降ったおかげで近くの小学校の体育館に移動したようだった。うようだったというのは、行ってないからなのだが。小学校の場所がわからなかったのもあるが、ちょっと無精に負けてしまったのだった。まあいいや。

・『キルラキル』を観てみたのだが、こいつはすげーな。とにかくダイナミックな炎の転校生。凄まじく暑苦しい80年代の匂いがある。まあそんなことはどうでも良くて、ただただアクションがすごすぎてちょっと唖然としてしまった。まあ停滞を許さないでコロコロ転がっていくのは良し悪しかもしれない。

ド根性ガエル+炎の転校生+バイオレンスジャック(あるいはハレンチ学園)、と書けばどんな作品かイメージしてもらえるだろうか。

・雨が降っていると外に出る気がしなくて、外に出ないと思考がいまひとつ停滞したままだ。いかん、このままでは頭が腐る。明日は外出しよう。

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2013.10.04

日記

・『NEEDLESS』(今井神)が完結したので、なんとなく同作者の『白砂村』を読んでみたくなった。まあ、内容はいつも通りと言うか、相変わらずと言うか。しかし、舞台も設定もまったく違うにも関わらず、”いつも通り”としか感じないのはすごいと思った。作品の雰囲気、よくわからないが”間”とかなんとかそういうものがすべて以前にも見たことがあるような気にさせられてしまう。

基本的に自分は今井神氏の作品を読んでいても笑えないのだが、ときどき不意打ち気味に笑ってしまうところがあって、そういう瞬発力はたいしたものだと感心する。逆に言うと瞬発力しか感じられないと言うか、作品のすべてをその瞬間のために作り上げているようにさえ感じられるのだが、不思議なことにそうした瞬発力を、作者はしごくどうでも良いことばかりに費やしているように感じられる。別にそこに力を入れても作品が面白くなるはずが絶対にないような理解の出来ない部分に凄まじい労力をかけたりしていて、まあはっきり言って才能の無駄遣いとしか言いようがない。その無駄遣いっぷりはいっそ爽快なほどで、これをやらなければもっと人気が出たに違いないと思いつつ、どこか圧倒されてしまうのだった。

今井神氏の作品は好きか嫌いかで言えば嫌いなのだが、どうにも無視できないのはそのせいなのだと思う。

・明日は甥っ子たちの運動会らしい。もっとも自分が観に行っては不審者と間違われそうだし(最近はどこも物騒なのでピリピリしているようだ)、ちらっと通り過ぎるぐらいにしておこうかな。

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2013.10.03

日記

・一昨日、コーヒーの飲み過ぎで眠れなくなって、運動したら眠れるかと思って筋トレなどをしたら今日になって筋肉痛になった。

・甥っ子たちと遊んだ。ダンボール戦記を見ているらしく、能力名を叫んだり必殺技とか撃ったり進化とか合体とか言っている。おお、ついにお前たち能力バトルに目覚めたのか、と嬉しくなって一緒に兵器の名称とか武器の機能について考えたりしていた。だが、”無敵のバリア”とか言い出した時は、どうやってその論理的矛盾を教えたものか悩んだ。

・『図南の翼』(小野不由美)を読んだ。懐かしい。何年ぶりだろう。この作品は昔はかなり好きで、何度も読み返した。まあ、今読むといささか説教くさい気もするが、あくまでも主人公の女の子が自分で”気づく”ことを徹底しているのでそれほど気にはならないな。

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2013.10.02

日記

・今日は『空の境界/未来福音』を観に行ってきた。来場特典に小冊子があるというのに釣られたのだった。自分もオタクのサガが残っていたようだ。

絵の美しさはさすがユーフォ―テーブルと言ったところだった。内容は原作を忠実に再現していて、それほど新しい何かを付け加えるというものではなかったけれど、原作の空気の再現にとことん拘っているようだった。キャラクターの作画も原作に近づけてきたし。

特に前半の”extra chorus”、連作短編のパートがかなり良かった。宮月理々栖の声の人(種田理沙と言うことをエピローグで気が付いた)がすごく強い声をしていて、浅上藤乃役の能登麻美子の声と良いコントラストになっていたと思う。それにしても藤乃はおっかないなあ。

・最近『ログ・ホライズン』(橙乃ままれ)を読み始めている。もともとWeb版をある程度まで読んでいたんだけど、商業化するのときに閉鎖されてしまったので、それ以来になる。

個人的にこの人の作品を読んでいると”腹がよじれる”ような感じがつきまとうのだけど、面白いことは面白い。まあ、こんな会話する人間が現実に存在するとは思えないし、キャラクターが生きている感じもぜんぜんしないのだが。まあ、そういう作品なのだと思って読めば問題はない。

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