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2013.09.11

日記

・ひたすらうんうん唸っていたけど、未だに光明が見えない。まあ、途中でふてくされて別のことを始めてしまったのもいけなかったのだが。切羽詰ると掃除を始めてしまうのって、なんでなんだろうね。

・Twitterに書いたものを転載。

ネットでしか知らない相手に対して抱く好悪について考える。ついったーとかの発言に基づいて好悪を判断するのは妥当だろうか?ついったーなどその人の一側面に過ぎないから不当だろうか。あるいは好悪を判断している対象が”ついったーで発言している人格”そのものであるのではないか?

つまり、ついったーで発言している人物とは、ついったー上でしか存在しない人格であるという意味。実際に呟いている主体とは切り離されたものであるという考え方。それは別に奇抜な考え方ではなくて、媒体を介している時点でノイズが混じる。ネット人格の判断基準はネットにしかないのは妥当か。

気を付けるべきなのはむしろネット人格と本来の主体となる人格とどのように切り分けるのか、なのかも。ネット人格だからそれだけで判断して良いというのではなくて、本来の主体の断片でしかないという点を踏まえた上で付き合うべきなのでは、などと思う。要は冷静に行こう、と言う意味でしかないが。

・Twitterだと字数制限があるのでどうしても言葉足らずになってしまうが、これは別にネットには真実はない、みたいなことではなくて、ネット人格も人格であって、そこから派生していく(ように見える)現実における人格までを想定して付き合うべきなのではないか、と言うようなことをグダグダと書いているわけだ。

誰だって失言や書き間違いはあるよ。人間だもの。

・なんだか眩暈がしてきたので今日はここまで。

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コメント

大分前、FBが流行り出した頃ですが、 twitterなどSNSから離れている立場で同じようなことは考えたことがあります。

そもそも「人格」を文章に転写することはできませんし、リアルで向き合っていたところで「人格を判断する要素」の変数が変化するだけでしかなく、あとはそれがどう受け取られるかなだなと。
というか、それぞれ主体に「受け取られ方の違い」があるだけで、リアル(という主体)と比較するのがそもそも違うのかもしれませんが。
自分がこのブログを読んでいるとき、吉兆さんの 「人格」について判断する基準が仮にあるとすれば、それは文章の選び方や、本に向ける視線を、 自分がこれまで出会ってきた人たちの傾向や思想などと比較参照している中で行うことになるでしょうし。

ただ、ログが残ることや自己参照を容易くしてしまう環境であることが、こうしたWEB上の人格パターン化する状況に繋がりやすいなとは思います。
あいつはああいうヤツだみたいな。
発言の裏を本人に問うことが困難なことなどもこれには関係しているとは思いますけど。
「そんなこと言ってないよ」「そんなこと思ってないよ」が通じず、文脈から勝手に悪意を取られてしまわない為に、どうにかして発言に気を配ってしまう、というのは自分自身憶えがあります。
これには「そもそも会えない相手」である場合の困難が付きまとうので、発言そのものがWEB人格と不可分であることは、やはりある程度は仕方ないのかもしれません。
理想的なのは仰るように「文章だけで全てを切り捨てる」ことがないようにすることなのでしょうけどね。
WEBでも、それが長い付き合いのある相手なら、そうするのが最良だと思います(その場合、そうした対応が可能である相手でしょうし)。

炎上する様子とか見てても感じるのですが、 形作られた自分のキャラに振り回される、或いはキャラに則った、他者に期待されている、 求められているであろう発言をすることはあるのかなというか(FBで以前問題視されていた事項を考えるなら、「見せたい自分を形作ろう」と「できてしまう」のがこれの原因かもしれませんが)。
知識とリテラシから判断される事柄が文章として、インターフェースとしてアウトプットされるしかないので、この辺が確実にリアルとの差になってるなと思います。
あとはやはり、好悪を抱く環境がどう醸成されているかでしょうけど。
アフィリエイト目的のまとめブログが叩かれているとき、そこにある悪感情は「こんな手段でアフィリエイトしやがって」であって、管理人の文章が差し挟まれなくても生まれる悪感情というのはあるようですし。
たぶんですが、割り切って機械的に場を処理している人と、そうでない人にとって、ツールとの向き合い方、「人格の作られ方」というのは全く別物なんじゃないかと思えます。

twitterは短い文章制限で意図を要約しようとする(か、そもそもそうした要約を必要としない発言を扱うツールであるという理解が強い)ので、物理的な条件も関わりそうだなとも思いましたが。

具体的な状況を共有してないので、 頓珍漢なこと書いてたらすいません。

投稿: 名無し | 2013.09.12 13:23

あ、別に特定の出来事について書いたわけではありません。漠然とネットを眺めていると目につくいくつかの火種を見ていると、つくづく人間は目に見えるものでしか判断出来ないんだな、と思ったわけです。

目の前のわずか140字の文章で、相手の全人格がわかったような気になってしまう。まあ、それの是非は問うつもりはありませんけどね。文中でも書いたけど、ネットの中の人格と言うのは、ネットの中でしか存在しない(目の前の文章から仮構的に形作られたものでしかない)という側面もあって、逆にネットの中の情報からしか判断出来ないのではないか、とも思うわけで。

>WEB上の人格パターン化する状況に繋がりやすいなとは思います

これはわりと危険だと思うんですよね。ログが簡単に参照出来てしまうというのは、ちょっとした失言でさえも人格を支える土台になってしまうということで、なんか息苦しいなあ、と。人間、そんなに筋道が通った思考をするわけではないし、矛盾しているものですしね。それを無視すると対立の火種になってしまうんだろうなあ。

それにしてもまとめブログに対する嫌悪感は今一つピンときません。まあ、好き勝手引用されている有名人にとっては腹立たしいものでしょうけど、そうではない人たちの怒りはいったい。「こんな手段でアフィリエイトしやがって」ってのはそんなに怒ることなんでしょうかね。

投稿: 吉兆 | 2013.09.12 21:25

なるほど、そういうことでしたか。

履歴が存在する、それが自分という「人格」を作っていることを自覚しなければならない文化なんだろうな、というのはありますね。
リアルでなら「以前」と違う面を同時刻的に作り出していきますし、何より新しい発言をすれば「自分全体」の範囲が拡張されますから。
それは当然ネットでも同じなのでしょうけど、ネットの場合、「以前に自分がした発言」を文章として参照でき、しかも「文章でのみ」参照することから、以前の自分を否応なく見てしまうなと。
これは「相手にも見られている」ことを自覚した上でのことで、だからこそ余計に意識してしまうのでしょうね。
「前にこう言ってたけど?」というクエスチョンにわざわざ答えるには、WEBというスペースはあまりにも手間が掛かりすぎるし、そのコストが膨大になってしまうので。
それならと最初から意識して発言を絞る人は多そうな気はします(それを意識せずにやると炎上、という結果自体がそこかしこに出てるというのもありそうです)。
日々更新される知識や、それに伴って変化する主体を、WEBでは毎回あれこれとベリファイするような感覚があるのかなあ、と。

ログに関してはまあ、自分自身ちょっと憶えがあって、偶に煩悶したくなりますw

あと、Twitterは傍から見てると極端で、各人が一応は「名前」で固定されているからか、ともすれば属性をどこに属してるかで決められかねない雰囲気があるように見えます。
自分はまとめブログのTwitter編集くらいでしか見ないのですが、ツイートの応酬とかを見ると「この人はこういう人」というのがあるんじゃないかなと。
クラスタとか調べればもう少し文化が判る気はするんですけど。

>まとめ
そういう文化……作られた環境があるんじゃないかとは思います。
周囲を利用して設けようとする環境を嫌う環境を内部で作り出す、とか。
ステマとかが話題になったのも関係してそうですけど、慣習化されるとそれが前提になる事はありますしね(ローカルルールとして)。
嫌悪感そのものはピントこないというのは同感で、自分なりに調べてはいたんですが、要するに周囲、或いは自分達を含む環境にフリーライドされるという感覚があるのかもしれませんね。
証拠も何もないのでいい加減なことは言えませんけれど。

こうしたブログの「感情」は、たぶんですが、ある種のアルファな人達同様、ブログを日記や一人称的な物とは違う、マスな商業と繋がりかねない立場の人達は、極めて事務的で非人称的になってくる傾向は有るなと思います。
だからそこに攻撃したとしても反応がある訳もなく、閲覧者の中で敵意が作られてしまうことはありそうだなと。
と言ってもまあ、こういうのは陰謀論とは程度が違うのでしょうけどw

投稿: 名無し | 2013.09.13 00:54

そうなんですよね。リアルならば自身の『上書き』が可能、つまり常に最新の言動が参照されるわけですけど、ネットだとどうしても過去のログが参照されてしまうわけで…。例えば、何年も前に書いた感想について非難されたことがあるんですけど、なぜそんなことを書いたのか自分でもわからないし、今の自分は別の意見を持っていたりしますから、非常に困った覚えがあります。まあ、でも、仰る通り、過去ログをいちいち決していくだけでもコストがかかってしまいますし、それがWeb文化というものであると受け入れてべきなのだろう、とも思います。

>極めて事務的で非人称的になってくる傾向は有るなと思います

なるほど…。あそこまで行くと単なる一人格と言うよりも、もっと大きな大衆の受け皿的なものになってしまっている、と言うことでしょうか。あれに敵意を持っている人は、TVや新聞に向かって悪態をついているようなもので、本人の敵意がそのまま跳ね返っている、みたいなものかもしれませんね。

投稿: 吉兆 | 2013.09.13 20:26

ある意味、定期的に更新されているブログは思考の流れとして捉えられますね。
その意味では、twitterなどよりも流れとしての把握が可能だと思います。
とはいえ、誤謬は避けられませんし、何よりコストの問題が大きいですね。行動を示すにも、善意を成すにも、それを表明するにも手間が掛かりすぎるWEBという環境では、ある程度の割り切りがないとリアルと同じような「人格」の発露はできないのでしょうね。
そこでできる最善を探すのがWEB固有の人格であるべきかもしれません。

>まとめブログなど
テレビや新聞、というのは言い得て妙ですね。正にそんなイメージですw
一人で向き合って悪態をつくと、それに同調する人が回りにいるかもしれなくて、それが延々とループすることで生まれる敵意はあるなと思います。
自分の作り出した敵意がそのまま返るということでしょうか。
特定のコミュニティに対してアンチが存在するのは事実ですし、そういうところからなんだろうなあという。

ところで、最新記事は驚いてますw
薄々(?)感じてはいたんですが、作業は小説だったんですね。
以前にも散文形態の読み物スタイルの記事を書かれてたので、もしかしたらそうかなという気がしてたんですが。
書いているジャンルは判りませんが、頑張って下さい。

投稿: 名無し | 2013.09.14 09:21

>自分の作り出した敵意がそのまま返るということでしょうか。

こういうの、本当に不毛だと思うんですけど、渦中にいる人は気が付かないのかもしれませんね。

>ところで、最新記事は驚いてますw

まだ途中なのでお恥ずかしい限りです。本当は書き終わってから、「実は書いてました」ってやりたかったんですけどね。

ジャンルは一応ライトノベルのつもりで書いているんですが、どうもライトノベルになりそうもない予感も。まあ、自分の思うものがライトノベルなのだと思って、取りあえず完成を目指して頑張ります。

投稿: 吉兆 | 2013.09.14 18:46

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