日記
・昨日何気なく書いたガッチャマンクラウズとシンフォギアGの話題だけど、これはヒーロー否定の物語と英雄物語と言う真逆の作品だということに今頃気が付いた。
ガッチャマンクラウズにおいては、ガッチャマンは決して悪を滅ぼさない物語だった。悪と言うにはあまりにも無責任なベルク・カッツェはせいぜい煽動家と言った程度で(2ch的には煽りと言った方がいいのかもしれない)、それと戦うためにはヒーローはあまりにも無力だった。その中でヒーローはどのように存在するべきなのかという問いが作中で重要であった。
それに対してシンフォギアGは、もうコテコテのヒーローアニメだ。私欲を満たそうとする悪がいて、それを打ち倒す英雄たち。世界は悪によって危機に陥り、それを英雄と、英雄が束ねる人々の善意によって覆される(ただ主人公はやっていることは英雄以外のなにものでもないくせに、自分は英雄じゃないと言い続けていて、このあたりに”歪み”があって、それがシンフォギアを単純な英雄物語に位置付けていない感じはある)。
まあそれだけと言えばそれだけなんだけど、自分は本当にヒーロー物が好きなんだな。古典的なヒーローも好きだし、ヒーローの存在意義が失われる話も好きで、そのどちらもが描かれるアニメが同時期に存在するというのはなんとも幸福だと思った。
まあどっちも手放しで褒め称えるタイプではなく、いろいろどうかと思うところも多かったけれども、それを含めて面白かった。
・小説はようやくプロットが完成した、と思う。ちょっと調整が必要かもしれないが…。とにかく、これでようやく書き始められる…プロット地獄から抜け出せると思うとすごくうれしい。
どうも自分は気に入らないところがあると全部作り直すのだが、速めに直しておけばいいのに、わりと後のほうになってから作り直すので、物凄く時間がかかってしまう。ちゃんと全体像を把握してない証拠だ。まあ、この経験が今後に活かせることを祈ろう…。
・『聖剣の姫と神盟騎士団Ⅲ』(杉原友則)を読んだ。なんだかすごく面白いぞ。キャラクターが物凄く動いているというか。イアン(とバスター)と共闘し始めたところで気が付いたが、こうやって”新”騎士団を作っていく展開なのか。口先だけで勇者たちを仲間にしていく主人公はすごく現代的な英雄像だと思った。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
途中からでしたが、ガッチャマンの方はバットマンに似た構図だったのですね。
見てない話にもっと興味のあるパートが存在しそうですが、レンタル待ちですねw
人々にとって社会が作り上げる強度が高ければ高いほど、英雄は存在しづらくなるし、善意の有無に関わらず、そこに存在する結果に意味づけするのが社会だ、というのが描かれてるなと。
気分が「良い・悪い」で動く世界において、意図の存在しない結果としての善はちゃんと意識して取り扱われるべきだというか、無数の人間に作られる日常という共同要素は、無数の矛盾をはらんでいる、という話ですが。
FBでアルバム作る資金を募ったら予想以上に集まったとか、WIKIの運営資金とかコンピュータ資源の貸与とかもこれに似た話でしょうしね。
網の目のように存在する力がどこで誰の為に存在しているかの重要さと比べて、英雄という個人の力はどれほどかというのは、その英雄が「英雄たりうる環境」に支えられてるのと志向性の違いだけですから(そこで決然と意思を示せるから英雄なのでしょうけど、その動機が社会に支えられてると、また違った意味が生まれるので)。
明確な善意や高潔な意思は目に留まりやすいけど、それすら空気の中に溶け込んでしまうのが現代社会なのだと思います。
具体性を持たない悪と戦うには、正義の味方や英雄という存在が異物化してしまうというのが、ちょっと見た範囲でも出てて、面白いなと。
なんだか他にも前に似た構図の作品を読んだ覚えがあるんですが、思い出せなくてモヤモヤしてますw
こうした構図は世間でもずっと以前からでしょうけど、最近になって余計に目に見えてきている感じがします。
これは近年のブログやソーシャルメディアの発達、そこで生まれる相反する思想の存在だとか、そこら中で起きている炎上などから親和性を得てきてるなと。
最初から見ないと全体像が掴めないので、かなりいい加減な感想ではあるんですが(苦笑)。
シンフォギアは一話も見てないのでなんとも言えませんが、題材として近いところを扱う作品が同時期というのは興味深いですね。
投稿: 名無し | 2013.10.02 15:17
ガッチャマンクラウズは世の中には分かり易い悪人がいるわけではない、というヒーロー物における禁忌を扱った作品なんでしょうね。まあ、禁忌と言うよりは、それを扱ってしまってはヒーロー物が成立しないということなのでしょうけど。だからこそこのアニメはこんなにも歪つな作品になったのでしょうけど。
まあそもそも”悪”なんてものは観念的な存在であって、実態として存在するものではないのは当たり前なんですけどね。それを特定の個人に仮託してしまうことの危うさは真剣に描かれるべきでしょう。
シンフォギアとガッチャマンクラウズに共通項があるとしたらヒーロー物であるという一点だけで、むしろそれ以外はまったく関わりありませんね。ただ見比べてみると、ガッチャマンクラウズは、シンフォギアのような展開には絶対しないように作っているんだな、と興味深く感じたまでで、勝手に自分が面白がっているだけですね。
シンフォギアはあれですよ、昭和の仮面ライダーとか戦隊ヒーローとか、あのノリです。
投稿: 吉兆 | 2013.10.02 22:41