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2013.09.29

日記

・『ガッチャマンクラウズ』の最終話を観た。最後まで面白かった。まあ、ガッチャマンと言うヒーローがいるにも関わらず、明確な敵がいないという凄まじく危ういテーマなので、いつ崩壊するかハラハラしながら見ていたのだが、なんとか持ちこたえたと思う。いやー、いつベルク・カッツェを倒せば立川は救われる!みたいな展開になるか心配だったよ。

一握りのヒーローではなく、ボランティア感覚でヒーローが遍在する(まさにクラウズ)と言う決着は、明確な悪がない世界ではけっこう説得力があると思う。誰もが悪となり、同時に誰もがヒーローになりうる世界と言うわけだ。

はじめちゃんと言う主人公がすごく好きなのだが、僕は彼女は普通の女の子だと思う。確かに一見したところ超然とした、視聴者の共感を誘わない少女のように見えるけれど、それは彼女は自分の内面を語らないから。独白もないしね。ただ、あの笑顔の裏では彼女も普通に感情がある。例えば、最終話ではじめとベルク・カッツェが電話で会話しているとき、勝ち誇るベルク・カッツェに対して数秒(笑顔を浮かべたまま)黙るシーンがあって、あれは自分の中の感情を整えている時間だ。たぶん、けっこう腹が立っていたんじゃないかな、けど相手に弱味は見せたくないから、冷静になるために数秒を置いた。そのあとデート(=決闘)の約束をしたあたり、攻撃的な彼女の心境がうかがえる。

要するに想像力次第なのだろう。自分は、はじめのことを感情豊かな普通の女の子だと思うけど、それは彼女の態度に共感できるところがあって(世界をよりよく捉えようという”主観”を受け入れるということ)、だから彼女の”平凡さ”が想像できる。しかし、まったく共感出来ないうちは彼女は怪物のように思えるのかもしれない。

自分は、はじめのような女の子が傍にいてくれたら、もうちょっと人間として成長出来ていたかなあ、などと思う。清音が羨ましいね、などと書いたから言うけど、清音はちょっと他人事と思えないというか、あまりにも十代の頃の自分にそっくりすぎて困った。あの視野の狭さ、正義の硬さ、見てらんないよ。

・『シンフォギアG』の最終話も観た。最後まで中学生の妄想を全力でエンタメに消化しようという姿勢にほれぼれした。大人が真面目に悪ノリをした結果がここにある。素晴らしい。

あまりにもハイテンションで進んでいくためキャラ立ても超スピードで流れてしまって理解が追いつかない。例えば、マリアがあまりにも唐突に復活したような感じだけど、あれは「すべてを失ってどん底に落ちる」→「どん底の失意の中でも諦めきれない真の望み(みんなを助けたい)に気が付く」→「望みに縋るようにしてボロボロの中で歌を歌う」→「絶望の中でそれでも歌う真心が皆に伝わる」→「聖遺物起動、マムが月の軌道を修正する」→「マムを失い、月の軌道も戻し、いよいよ完璧にすべて、彼女を束縛するものを失う。その結果、彼女は解放され、さきほど見出した真の望み(だれかを助けたい)のままに行動する」と言うことなのだろう。うん、ちゃんと理屈は通っている。ただ、これが数分のうちに通り過ぎるので理解が追いつかない(そして理解できていなくても勢いで納得させられる)のだった。

他にも一瞬で通り過ぎるキャラ描写が大量にあるのだが、その辺はもう一度観直しててみないとわからんな…。まあ、きっとちゃんと理屈は通せると思う。

それにしても最後の三話は、毎回観るたびにテンションをMAXまで上げ直さなくていけないのでえらく疲れる。この辺は一気に視聴しないとめんどくさいな。

 

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