日記
・納得というものは”する”ものであって”させてもらう”ものではない。つまり、納得とはあくまでも主体的なものであり、そこには納得できるように自分で理屈を構築するという態度が含まれている。そうした態度を抜きにしてにただ目の前の状況に対して納得できないというのはただの我儘でしかない。
・『密葬~わたしを離さないで』(江波光則)を読んだ。やはり続編というのはいいね。前回と同じように物語ながらも、確実になにかが変化している。同じように重苦しいけれど、まったく同じと言うわけではなくて、むしり差異を浮き彫りにしていく。変化と言うのは可能性であり、可能性とは希望でもあるからだ。
・写真を撮りたいなあ、と思う。別に写真そのものに興味があるわけではないのだが、写真を通してものを見るということにはなんらかの意味があるような気がするのだ。肉眼で見るものとは違っていて、静止した瞬間のそれに、ちょっとだけ興味が沸いた。
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コメント
風景写真が好きでよく探したり写真集を買うのですが、構図や意図や技法以外の部分だと、どうしてその風景が選ばれていて、どんな意味が付加されているかですね。
視界にフィルターを一つ重ねる事で、それが明確になるというか。
巧く言えませんが、覗く行為を自分に見えるようにするような、そんな意識を感じます。
プロにはそこにも明確な指針があるのは窺えますけど、多かれ少なかれ写真を撮るという行為にはそうしたものがあるから写真を撮っている、というのがあると思います(何気なく人を撮っていても)。
一眼レフは欲しいけど中々に手が出ませんねw
投稿: 名無し | 2013.09.21 16:36