一応、意見を表明していく感じで
・いろいろ煮詰まっている感じ。もうちょっと危機感をもって行動しないと駄目だな。
・『シンフォギア』の音楽の扱い方につきまとう違和感についてと言うエントリを読んだ。シンフォギアについて真面目に書いている人がいるだけで、なんか嬉しくなってしまうね。前はほとんど話題にもならなかったからね。
で、内容の方は、なんと言うかいろいろな解釈の仕方があるものだなあ、と思った。わりとなるほどと思うところもあるんだけど、ちょっと誤解もあるという感じ。これはシンフォギアと言う作品が、用語集を読まないと細かい設定がわからない作品なので無理のないところなんだけどね(だからファン以外からは、矛盾を勢いで誤魔化しているアニメなどと言われたりする)。
>『シンフォギア』では「キャラクターがリアルタイムで歌っている」という事になっているにもかかわらず、実際の歌はほぼBGM化してしまっており
この指摘は、特に一期に限って言えば、かなり的を射ている。そもそも歌いながら戦うという設定がきちんと生かされていない感はあった。歌が歌いたくても歌えないでピンチに陥ると言う展開とか欲しい、この文章はそういうことを言っているんじゃないかと思う。ただまあ、一応制作側もそういうのをやりたい意図はたぶんあるとは思うんだよね。確か5話くらいだったと思うけど、響が戦いの最中に転んでしまって歌が中断されるシーンがある。他にも、全力疾走した直後のクリスが咳き込んでしまって変身出来なくて、風鳴司令に助けられるシーンもあった。ただ、どれもこれも一瞬で終わってしまって、ほとんど物語には寄与していなかったのは惜しかったなあ、とは自分も思う。
ただ、二期に限って言えば的外れじゃないかなあ。一話のAパートで、響の『正義を信じて、握り締めて』が歌われるんだけど、あれ、原曲とぜんぜん違うんだよね。必殺技のパンチを撃つ瞬間に「飛べぇぇぇ!」と歌うんだけど、原曲ではあんなに絶叫してないからね。ちゃんと歌が、その瞬間の展開と装者のテンションに合わせて歌われている。あと、コメントでも言われているけど、二話の響とクリスが飛び降りてきてから、それぞれの陣営の言葉のやり取り、そして激昂する調の口からするりと歌につながっていく演出、あれこそ自分がシンフォギア一期に対して抱いていた不満(装者がリアルタイムで歌っている感の欠如)を払拭するものだと思う。それが成功しているかを判断するのはそれぞれの判断だとしても、改善しようとしていないと言うのはちょっと一方的過ぎる気がする。
・ドラゴンズクラウンは今日はお休み。
・最近、本が読めていない。ゲーテ詩集ぐらいはなんとかやっつけたいんだが、やはり詩集を長時間読むのはしんどい。俺もまだまだだな。
・そういえば今日は久しぶりに感想を書いた。もう少し頻度を上げたいが、まあ当分は無理だろうなあ。
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