たぶん日記
・デパートのフードコートで休憩していたら、5、6歳くらいの男の子二人と母親らしき女性が隣に座った。この二人は凄まじくはしゃぎまくりで、内心うるせえなあ、と思っていたのだが、突然女性の方が立ち去った。子供たちは相変わらずはしゃぎ続けていて、すぐに戻ってくるかと思えば一向に帰ってこない。30分ぐらいしてから子供たちが、感心なことに散らかしたゴミを全部片づけてからフードコートを出ていった。なんとなくそれぞれの印象がちぐはぐで、なんだったのか妙に腑に落ちない。
・昨日、肉野菜炒めを作って失敗したので、今日も肉野菜炒め。今回はわりと上手く出来た。なぜか豚肉が異常に美味しく感じられて、自分の身体はそんなにも豚肉に飢えていたのかと思った。夏バテには豚肉に含まれるビタミンB1が良く効くらしいので、やはりこの不調は夏バテだろうか。ガツガツと食い散らかしてしまったので、もっと豚肉を入れればよかった、と思った。肉が足りない。
・物事には文脈というものがあって、前後の状況を把握しなければニュアンスがつかめないものだ。これは小説では当然のことだが、現実の物事にも当てはまる。たった今目の前で起こっている出来事も、時系列における前後に繋がる出来事がある。それを理解しないでは、正しい理解は出来ないものだ。天才ならば前後の状況を想像だけで把握できるのだろうが、そうではない凡人には、せめて目の前の状況だけで物事を理解したつもりにならないようにしたいものだ。
・『ヒストリエ』(岩明均/講談社)の八巻では、エウネメスの「文化が違う…か」というところが良かった。マケドニアとスキタイ、そしてギリシャとマケドニア、そしてペルシャ、あるいは過去に出会った人々。そういう色々な感情がこもっている感じ。そしてエウネメスはその中で、どの文化に対しても距離を置いていて、感情移入がしきれない孤独感も現れている。
・『とある魔術の禁書目録外伝 とある科学の超電磁砲』(冬川基/アスキーメディアワークス)の九巻の、食蜂さん関係の話が良かった。ドリーとの別れの時だけど、あれ最後にフルネームを教えたということは、それまでの友達関係は能力で作った偽りのもので、ドリーは途中でたぶん食蜂さんを抱きしめたときの、骨格か匂いかで)気が付いていて、けれどそれを隠していたことなど、いくつかの流れが一つのなっていくのが良かった。あと、ドリーってミサカシリーズのプロトタイプだよね。これは食蜂さんが美琴に厳しい理由もわかるなあ。それと、食蜂さんにとって完全な意味での”他人”と言うのが美琴しか存在しないあたり、彼女の成長には美琴が唯一無二な存在であるのもわかる。食蜂さん、他人を不確実なままに信じることが出来ないようでは、大人には勝てませんからね。
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