日記(雨の気配)
・今日は雨が降るということだったので、外出するときに傘を持って出た。空を見上げると、ちょっと離れたところに黒く重たい雲が白い雲を押しやるようにしていた。しばらく歩いていると空はすっかり黒い雲に覆われていて、すると空気が明らかに違っていた。気温はそれほど変わらないのだが、肌にひんやりと刺すような冷たさ。空気中に含まれている湿気が氷に変わったような重さ。周囲は薄暗く、風は冷たく、さきほどまでのうだるような暑さが掻き消えて、数分前とはまるで違う街並みが広がっている。まるで別の世界に来たかのような、不思議な雰囲気の変化だった。もちろん、雨の日の風景は知っている。晴れの日の風景も知っている。だが、晴れから雨への変化、その瞬間に切り替わるというそのものは、ひどく珍しいものを観たような気がした。
・『百舌谷さん逆上する』の十巻(最終巻)を読んだ。これは傑作と読んでしまっていいのではないだろうか。登場人物たちのすべてが滑稽で、バカバカしく、それでいて痛みがあって、愛おしい。百舌谷さんの苦しみや、番太郎の決意が、どこまでも下らない滑稽さの中で痛切に描かれている。恐ろしいまでの苦悩を、コメディとして描いているのがいい。バカバカしくも感動的な物語。
そして高校生編が読みたい……。高校生になった百舌谷さん、超人的な頑丈さを身に着けた番太郎。番太郎の前でだけは、百舌谷さんの悲劇の元凶である”発作”も、漫画的なツンデレとして人々に受け入れられる。嬉しいのに暴力をふるってしまっても、番太郎ならばただのギャグで済む。つまり、高校生編は、普通のツンデレラブコメとして成立し得るのだ。それを支えているのが小学生の時の、地獄のような苦しみから生まれたもの。
思えば、百舌谷さんシリーズは、前に進んだかと思えば元に戻ったり、あるいはどこへ行くのかさっぱりわからないような迷走を始めたりする物語だったけど、それは必要なことなのだとも思うね。生きるだけで苦痛しかない人生でも、そこに一つでも綺麗なものがあるのなら、苦痛の中でも生きていける。それでも生きていれば迷ったり挫折したりすることもあるだろうが、それでも生きていけば、その迷いや挫折そのものが”綺麗なもの”となり、その人を支えていくのだろう。
本当に綺麗なものと言うのは最初から綺麗なのではなくて、”綺麗になる”ものなのだと思った。
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コメント
あ、百舌谷さん読まれてたんですね。
登場人物が抱えるものをあの空気の中で包み込んで、尚且つ丁寧に描かれていたのが印象的で、読む前は一発ネタかと考えていたら全然違いました。
ツンデレ、というパーソナリティを外部化することによってああ描き得ること、しかも視覚化しやすいマンガでしっかりそれがやれていたのが素敵でした。
コミカルなツンデレたれるかどうかが主人公とヒーロー(たぶん)の間で補完される関係なんだろうなあと。
投稿: 名無し | 2013.08.24 18:12
結局のところ、百舌谷さんという話は、孤独な一人の女の子が、彼女を丸ごと受け入れてくれる男の子と出会うまでの話だったんだと思いますね。
投稿: 吉兆 | 2013.08.24 19:37