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2013.08.31

麻婆豆腐を食った

・なにかすごく重要なことを考えていたような気がするのだが、日記を書こうを思った時には忘れてしまった。まあたいしたことではないのだろう。

・豆腐が賞味期限ぎりぎりだったので麻婆豆腐を作った。作ったはいいが作り過ぎた。食いきれるかな…。

・『愛の徴 -天国の方角』(近本洋一)を読んでいる。まだ途中だけど、自己組織化マップあたりの話はすごくリアルな実感として感じられる。分節化という言葉が出てきたけど、これは乱雑な情報の山の中から自分が実感できるものを切り取り、その切り取ったものを”基点”として全体を理解していくのだけど、そうやって基点からの相関関係によって情報を体系化していくのが自己組織化であり、それが花のような模様を描く地図になる。このあたりはつまり物事を”理解する”という脳内のイメージそのもので、こうして説明されると、なにかを理解しようとするときはまさに自分の中でこのような作業をしているのだ、という確信があるのだった(そもそもこれ自体が分節化そのものであって、これを基準にして、自分はこの作品を読もうとしている感覚がある)。

・そんなことを考えていたら疲れたので、気分転換に『“花散里" ヒカルが地球にいたころ…(8)』(野村美月)を読んだ。朝衣に対して「初恋は実らないっていうし」とか幼馴染とはいえひどいことを言うなヒカルは。葵に肩入れし過ぎだろ。まあ、現在のところ競争に参加できてさえいないから仕方ないんだけどな。

基本的に是光が少女たちにかける言葉はヒカルの言葉を翻訳して伝えているわけだが、それは是光自身の言葉であるのか、というのは最後になんらかの形で現れそうではある。ちょっと自分でも上手く言葉がまとまっていないが、たとえ言葉そのものは借り物でも、それを自分の中で咀嚼して口に出せば、それは本人の言葉になるのだと思うのだけど。どんなに元々と言葉が正しくても、口にする人間の誠意がなくては他人には通じないものだし。

・今日は風が強かった。駅前の道を歩いていると崖のようなところがあって、一面にびっしり張り付いている蔦が風に煽られてザワザワと動いていた。するとまるで壁全体がうごめいているように揺らめいていて、いつも眺めているはずなのに、初めて見るもののように思えた。この一瞬、風に煽られた瞬間だけに見せる、隠れた様相。どことなく不気味で、それでいて珍しいものを見てしまったような不思議さがあった。

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2013.08.30

すまんありゃ嘘だった

・昨日、すでに暑さの後ろに涼しさが見える(適当)みたいなことを言ったな?すまない、あれは嘘だった。あちー、今日はクソあちー。完全に真夏の暑さじゃねえか。アホじゃないのか。

・暑いで思い出したが、八月半ばのいわゆる酷暑日に、近くの公園で上半身裸でうろついているおじさんを見かけた。気持ちはわからんでもないけど、あれ、許されるのか?下手したらただの変質者じゃないのか?でも、別に誰も気にしていないみたいだった。

・数日後、今度は駅前でも同じおじさんが上半身裸でうろついていた。単にいつものことだったのかもしれない。

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2013.08.29

残暑

・昨日、今日はかなり暑かったが、もうそこには夏の暑さではなくなっている感じ。暑さの向こうに涼しさがある。

もう夏も終わりだな。

・噂の赤松健の新連載を読んだ。『UQ HOLDER!』ってやつ。思った以上にネギまと関係が深い作品だった。実質、続編と言っていいんじゃないの?ネギがやり遂げたことが最終的にどのようなものだったのか、明らかにされるのかもしれないな。なんにせよ、一話の段階ではいろいろ奥行がありそうな雰囲気で、なかなか面白そうな感じ。

今回の主人公はナギのような熱血少年漫画タイプの主人公なので、今回の”ヒロイン”(だと信じています)の動向が気になりますね。まあヒロインと言うかお母さんと言うか…。

・『愛の徴 -天国の方角』(近本洋一/講談社ノベルス)を読んでいるんだけど、すごく面白い。何ですかこれ?凄まじい勢いで読まされてしまうんですけど。文章に読み終わりどころがなくて、次の行、次の行へのついつい目が行ってしまう。こりゃすげえ。

しかし、そうか。なんとなく気にはなっていたんだけど、量子力学関係と、精神分析関係(ラカンとか)は読んでみた方がいいのかもしれないな。なにかの役に立つかもしれない。

・本の感想をぜんぜん書いてないけど、そもそも本を読んで感想を書くほどのことがあまり思いつかなくなったということでもある。別に言葉が出てこなくなったわけじゃないんだけど、言葉に出しても意味がないような感じもあって。まあ、そのうちね。

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2013.08.28

チャーハン美味い

・今日はチャーハンを作ったのだが、これが自分で言うのもなんだが会心の出来だった。どこかで読んだ記憶のあったゴマ油をかけてみたのだが、これがすごく合う。うめーうめーと呻きながら食った。料理はヘタクソなのは自他ともに認めるところだが、なぜかチャーハンだけは失敗しない不思議。

・戦姫絶唱シンフォギアG。相変わらず暑苦しい話でけっこうですな。よくよく見てみると主人公たちのコスチュームはビビットレットオペレーション並のエロ衣装なのだが、精神を集中してよくよく見てみないと気が付かないのがシンフォギア。

シンフォギアGは、現状、主人公側も悪の組織側も、次から次にイレギュラーな事態に見舞われてしまって、まったく思ったような成果が出せないグダグダな感じが良い。敵組織であるFISの首謀者であるナスターシャ博士は合理的な理想家と言った印象があるのだが、頭の良い人にありがちな、自分以外の人間は彼女ほどに合理的でも理想家でもないということを見落としているタイプのようだ。実働部隊であるマリアたちシンフォギア装者たちの理想に準じることのできない覚悟の甘さ、ウェル博士の歪んだ子供のような願望、FISに対する危機感のあまり手段を選ばないアメリカなど、どれも彼女の合理的な判断では理解のできない、感情的で短絡的な判断なのだが、そうした合理とはかけ離れた判断が積み重なって、誰一人状況が制御できない混沌が生まれている。

まあ、そうはいってもここから収束していくんだろうけどね。今の展開が面白くてしょうがないので、物語力学的に仕方がないとはいえ、ちょっと残念。とは言え、どのように収束させるのかも楽しみだけどね。

・『ただし、彼はヤンデレにさえモテません 』(伊藤ヒロ/MF文庫J)。王子様(強)の子の学校における態度は、あれは弟に女を近づけさせないのと同時に、主人公に女性を近づけさせないツンデレ表現なのではないか、と思った。まあ、これは戯言だが(今のところは、だが)、とにかく登場人物のほとんどが嘘つきというひどい話で、そういう物語を真っ直ぐに進ませないぞ、という作者の意思が伝わってくる気がした。

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2013.08.27

たぶん日記

・デパートのフードコートで休憩していたら、5、6歳くらいの男の子二人と母親らしき女性が隣に座った。この二人は凄まじくはしゃぎまくりで、内心うるせえなあ、と思っていたのだが、突然女性の方が立ち去った。子供たちは相変わらずはしゃぎ続けていて、すぐに戻ってくるかと思えば一向に帰ってこない。30分ぐらいしてから子供たちが、感心なことに散らかしたゴミを全部片づけてからフードコートを出ていった。なんとなくそれぞれの印象がちぐはぐで、なんだったのか妙に腑に落ちない。

・昨日、肉野菜炒めを作って失敗したので、今日も肉野菜炒め。今回はわりと上手く出来た。なぜか豚肉が異常に美味しく感じられて、自分の身体はそんなにも豚肉に飢えていたのかと思った。夏バテには豚肉に含まれるビタミンB1が良く効くらしいので、やはりこの不調は夏バテだろうか。ガツガツと食い散らかしてしまったので、もっと豚肉を入れればよかった、と思った。肉が足りない。

・物事には文脈というものがあって、前後の状況を把握しなければニュアンスがつかめないものだ。これは小説では当然のことだが、現実の物事にも当てはまる。たった今目の前で起こっている出来事も、時系列における前後に繋がる出来事がある。それを理解しないでは、正しい理解は出来ないものだ。天才ならば前後の状況を想像だけで把握できるのだろうが、そうではない凡人には、せめて目の前の状況だけで物事を理解したつもりにならないようにしたいものだ。

・『ヒストリエ』(岩明均/講談社)の八巻では、エウネメスの「文化が違う…か」というところが良かった。マケドニアとスキタイ、そしてギリシャとマケドニア、そしてペルシャ、あるいは過去に出会った人々。そういう色々な感情がこもっている感じ。そしてエウネメスはその中で、どの文化に対しても距離を置いていて、感情移入がしきれない孤独感も現れている。

・『とある魔術の禁書目録外伝 とある科学の超電磁砲』(冬川基/アスキーメディアワークス)の九巻の、食蜂さん関係の話が良かった。ドリーとの別れの時だけど、あれ最後にフルネームを教えたということは、それまでの友達関係は能力で作った偽りのもので、ドリーは途中でたぶん食蜂さんを抱きしめたときの、骨格か匂いかで)気が付いていて、けれどそれを隠していたことなど、いくつかの流れが一つのなっていくのが良かった。あと、ドリーってミサカシリーズのプロトタイプだよね。これは食蜂さんが美琴に厳しい理由もわかるなあ。それと、食蜂さんにとって完全な意味での”他人”と言うのが美琴しか存在しないあたり、彼女の成長には美琴が唯一無二な存在であるのもわかる。食蜂さん、他人を不確実なままに信じることが出来ないようでは、大人には勝てませんからね。

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2013.08.26

日記(今日の分)

・しかし、書くことがない。今日は本当に何もしてない。昨日の外出が応えたのか、完全に力尽きた。寝る。

・うーん、本当にそれしかやってないな。あ、暇だったのでドラゴンズクラウンをやってた。ファイターのノーマルエンドをクリアした。ファイターはいわゆる強キャラで、苦戦というものがほとんど起こらないのだが、これはこれで、いかにバトルをスタイリッシュに決めるかを楽しめる。まあしかし、職業ごとにゲーム性が見事に変わるものだと感心した。

・夕飯は野菜炒めを作った。ちょっと作り過ぎたのだが、まあ緑黄野菜は多く取って悪いことはないだろう。夏バテ解消になるかもしれないしね。

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日記(昨日の分)

・昨日、日記を書き忘れたので二回分書く。

・夏バテか風邪かわからないが、とりあえず体調不良が続く。栄養が足りてないのかと思い、豚肉や納豆や梅干しなどを食っているけどなかなか治らない。自分の周囲だけ重力が二倍になったような感じ。身体が弱れば思考も弱るので、文章を書く気力も失われる。まあ、しばらく休養だな。

・そんなことを言った傍から外出。この日は朝から雨が降っていたが、昼頃に出た時には止んでいた。雨上がりの空気の快さを味わいながら歩いていると、あちこちから雨に濡れた土の匂いがした。鼻につんとくるような、それでいて鈍い匂いで、妙に癖になるような匂い。良い感じ。

・『僕は友達が少ない』の9巻を読んでた。また引き戻すのかと思ったが、ちゃんと前に進んでいた。どうやらこの小鷹は小鷹2.0らしい。まあ、ヘタレなところは変わらないが、ここからヒーローになるのだろうか。そんな簡単なものでもないような気がするが……。正直、小鷹が普通のラノベヒーローみたく、ヒロインたちを”救う”展開はあまり想像がつかない。つかないが、主人公を目指すのならば、避けられないところだろうな。

・ドラゴンズクラウンの話を最近してないけど、相変わらず延々とやってる。未だに飽きる気配がないのはすごいことだ。アマゾンのノーマルエンドはクリアしたので、今はファイターでプレイ。ファイター、クソ強い。あらゆる局面に安定して対応できるなこれ。

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2013.08.24

日記(毎週ガッチャマンクラウズについて書いている気がする)

・だいぶ過ごしやすい日になった。ずっとこうならばいいのに。

・体調は依然として悪いまま。これは風邪か夏バテのどっちかだな。

・ガッチャマンクラウズを観た。累の挫折が思ったよりも早かった。彼はこのまま作中の悪を背負うことになりそうだ。

はじめはいつも通り純粋悪とさえ言えるベルク・カッツェに対しても対話を試みるが、対話しても通じ合えない相手に、さすがに衝撃を受けていたようだ。彼女にとっても試練と時だろう。もちろん、彼女は現実的なので、世の中すべての人と分かり合える、などと言うことは思わない。

そもそもはじめ自身が周囲から浮いてしまうタイプで、一部の理解者を除けば誤解され易いタイプだと思う(視聴者の中には、はじめが感情がなくて昆虫みたい、と思っている人もいるらしい。それは全く違う)。しかし、彼女は自分が理解されないのを嘆くのではなくて、学校の外に行動を起こして、そこで彼女の行動を認めてくれる相手を見つけている。作中ではじめが肯定されていることに違和感を覚えている人も視聴者にはいるみたいだけど、彼女は肯定を与えられているのではなく、常に自分の力で肯定を勝ち取っている、と言うことなのだ。

なんかもう、はじめの話ばっかりしている気がするな。

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2013.08.23

日記(雨の気配)

・今日は雨が降るということだったので、外出するときに傘を持って出た。空を見上げると、ちょっと離れたところに黒く重たい雲が白い雲を押しやるようにしていた。しばらく歩いていると空はすっかり黒い雲に覆われていて、すると空気が明らかに違っていた。気温はそれほど変わらないのだが、肌にひんやりと刺すような冷たさ。空気中に含まれている湿気が氷に変わったような重さ。周囲は薄暗く、風は冷たく、さきほどまでのうだるような暑さが掻き消えて、数分前とはまるで違う街並みが広がっている。まるで別の世界に来たかのような、不思議な雰囲気の変化だった。もちろん、雨の日の風景は知っている。晴れの日の風景も知っている。だが、晴れから雨への変化、その瞬間に切り替わるというそのものは、ひどく珍しいものを観たような気がした。

・『百舌谷さん逆上する』の十巻(最終巻)を読んだ。これは傑作と読んでしまっていいのではないだろうか。登場人物たちのすべてが滑稽で、バカバカしく、それでいて痛みがあって、愛おしい。百舌谷さんの苦しみや、番太郎の決意が、どこまでも下らない滑稽さの中で痛切に描かれている。恐ろしいまでの苦悩を、コメディとして描いているのがいい。バカバカしくも感動的な物語。

そして高校生編が読みたい……。高校生になった百舌谷さん、超人的な頑丈さを身に着けた番太郎。番太郎の前でだけは、百舌谷さんの悲劇の元凶である”発作”も、漫画的なツンデレとして人々に受け入れられる。嬉しいのに暴力をふるってしまっても、番太郎ならばただのギャグで済む。つまり、高校生編は、普通のツンデレラブコメとして成立し得るのだ。それを支えているのが小学生の時の、地獄のような苦しみから生まれたもの。

思えば、百舌谷さんシリーズは、前に進んだかと思えば元に戻ったり、あるいはどこへ行くのかさっぱりわからないような迷走を始めたりする物語だったけど、それは必要なことなのだとも思うね。生きるだけで苦痛しかない人生でも、そこに一つでも綺麗なものがあるのなら、苦痛の中でも生きていける。それでも生きていれば迷ったり挫折したりすることもあるだろうが、それでも生きていけば、その迷いや挫折そのものが”綺麗なもの”となり、その人を支えていくのだろう。

本当に綺麗なものと言うのは最初から綺麗なのではなくて、”綺麗になる”ものなのだと思った。

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2013.08.22

日記

・『バイオーグ・トリニティ』(大暮維人・舞城王太郎/集英社)の二巻。バトルシーンはいかにも大暮漫画と言う感じの小手先感があってあんまり好きにれないのだが、そこに舞城作品特有の”誠実さ”と言う芯が通されると驚くほどにかっこよくなるなあ。

・予定していた作業がちっとも進まなかった。まあ体調が戻っていないせいでもあるが、いまひとつ集中出来ない。これもぜんぶあついのがいけない。

・『風立ちぬ』を見て、自分はもう少し映画を見るべきかもしれない、と思った。自分はどうも映像的な想像力に欠けているというか、文字的想像力に肩より過ぎている気がする。もう少し、絵というものに対して敏感になるべきだろうな。

・今日は久しぶりに布団を干して、シーツを洗った。夏なんだから、もうちょっと洗うべきだよな。しかし、干そうと思ったとたんに曇り始める天気は勘弁してほしかった。明日から雨だって?危ないところだったな。

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2013.08.21

日記(特に理由はないけど身体がだるくてたまらないよ)

・自分は定期的にガス欠に陥ることがあって、そうなると身体だけではなくて頭までろくに回らなくなって、ただひたすらぐったりとしていることがある。だいたい一日中これが続くので、まあそれでも騙し騙し最低限のことは出来るように身体は作ってきたけども、それでもかなりキツイ。これはたぶん休むことが下手なんだろうなあと思う(単純に体力or集中力が足りないだけかもしれないが)。

・『スカイワールド5』(瀬尾つかさ/富士見ファンタジア文庫)を読む。正直なところつまらない。ストーリーも退屈だし、キャラクターにも興味が惹かれない。しかし、作者には『約束の方舟』と言う個人的には傑作としか言いようのない作品があるため、いつかああいうのを書いてくれるのではないかと思うとなかなか読むのをやめられずにいる。でもこれ不健全だよなあ。スパっと思い切った方がいいのかなあ。

・『やはり俺の青春ラブコメは間違っている7.5』(渡航/ガガガ文庫)も読んだ。うーん、まあつまらなくはないんだけど、キャラを動かしているだけなので、あんまり興味は惹かれない。つまり、キャラクターの動きが関係を揺るがしていく所まで行かず、固定化された関係の中でキャラクターが喋っていると言うこと。まあ日常系が好きな人も多いだろうし、自分もそれを否定するものじゃないけど、日常系の中にだってそれまでの時間の流れによってゆっくりと関係が変化していくもので、そこが面白いところだとも思う。今までにやってきた関係をただ繰り返しているだけでは、やっぱりちょっと退屈だね。

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2013.08.20

日記(肩の荷が下りた)

・姉が旅行から帰還したのでカブトムシを引き取ってもらう。これでストレスから解放される、と安堵した瞬間、姉の子供が「こんなのあるよ!」と手を掲げた。そこには真新しい虫かごが。そこには三匹のクワガタが桃を食っている。……次、旅行に行くときは虫も一緒に連れて行ってやれよな。

・『ドラゴンズクラウン』。アマゾンでノーマルクリア。慣れてくるとピョンピョン軽業師みたいに飛び回って敵を蹴散らすことが出来てすごく楽しい。少しでも気を緩めると死ぬけども、それも含めて快感がある。かと言って難しいというわけでもなくて、練習しているとそれっぽいスタイリッシュなアクションも出来るのでやりがいもある。いいねこれ。

次はファイターでやってみるかな。

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2013.08.19

日記(命を背負うのは未だに慣れない)

・姉からカブトムシを預かってから数日が経過したが、それだけでだいぶ疲れた。餌や水が足りているかどうかを考えていると気が気でしょうがない。

昔から自分は動物や昆虫を飼うのが嫌いなのだが、こういう人間が100%命の責任を負っている関係は苦手なのだ。死んだ時はすべて飼い主の責任だと思うと、四六時中意識を配っていなくてはならない気がしてくる。まあ、自分でも考えすぎだとは思うのだが、自分以外の命の責任を負っているのだと思うと、どうもストレスを感じてしまって、衝動的に「自然に帰れー!」としたくなる。やらないけど。

早く引き取ってくれないかなあ……。

・そういやこないだ昨日、寝る前に窓を開けたらヤモリが落ちてきてびっくりした。手のひらの三分の二くらいの大きさがあって、けっこうでかい。けっこうつぶらな目をしていて、思ったより愛嬌のある顔をしていた。

・『Know』(野﨑まど/ハヤカワ文庫JA)を読んだ。一章は物凄く面白かったのだが、二章から異能バトルが始まってしまってあれれ?と思った。三章もちょっと密度が薄くなった感じがする。まあ面白いんだけど、最初に期待値が上がり過ぎてしまったせいで肩透かし感はあるな。

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2013.08.18

日記

・数日前から、姉から預かったカブトムシの世話をしている。なにやらいきなり家族旅行に行くらしく、家の前にいきなり置かれていた。そういや数日前にカブトムシがどうとか言われていたような気もするが、その日だってのは聞いていなかったぜ。

カブトムシの世話など幼稚園の頃にちょっとやっただけなので、すべてがおっかなびっくり。しかし、姉上もカブトムシなんて飼ったこともないはずなのに良くやるよな。子供の情操教育のためなんだろうが、自分でも好きでもないはずの虫をよく飼おうという気になるものだ。

まあ、日本は都会でもなければ昆虫天国であるからして、虫嫌いより虫好きの方が生きやすいのは確かだ。子供のうちから昆虫を飼うのはわりと良いとは思うね。

・しかしまあ、それはそれとして、自分でやるのは想定外だ。水をどれくらい撒けばいいのか、餌をどれくらい上げればいいのか、すべてが手探り。いや、普通、それぐらいのことは伝えてくれ姉よ。ネットがなかったらお手上げだったぞ。

まあしかし人間はどんな状況にも慣れるもので、最初は餌をやるのでさえおっかなびっくりだったのだが、ルーチンワークで出来るようになった。もぞもぞ動いているカブトムシにもなんとなく愛嬌も感じられなくもない。

それにしても、カブトムシってわりとダイナミックに動くのな。普段はおがくずの中に寝ているみたいなんだけど、朝になって覗いてみると、おがくずがひっくり返っていて、凄まじい勢いで動いていた形跡がある。最初は誰かがカゴをひっくり返したのかと思ったぜ。カブトムシってパワフルだなー。

・ドラゴンズクラウン。ドワーフでノーマルクリアしたので、今度はアマゾンで初めてみた。これがまた唖然とするほどピーキーなキャラ性能で、慣れるまですぐに死ぬ。とにかく前衛にはあるまじき紙のような防御力で、そこらへんの雑魚にさえ数発殴られると死ぬ。しかし、特徴的なのが空中戦闘、および機動力で、スキルが揃ってくると、敵を打ち上げたあとは地面と落とすことなく瞬殺出来たり、一度空に上がると5秒ぐらい滞空した戦えたりする。瞬間的な火力も凄まじく、上手くハマればボス級すら瞬殺出来てしまう。偏ってんなー。

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2013.08.17

日記(ガッチャマンクラウズについて少々)

・最近、寝不足が続いていたので昼寝をしたら寝汗がすごくて(枕がずぶ濡れ)かえって疲労してしまった。

・『ガッチャマンクラウズ』を観た。ついにはじめと累が出会うことで、何かが始まりそうな予感が出てきた。ここからどうなるのか…。

はじめは躊躇なく装甲を解除して素顔を晒し、累は女装と化粧で素顔を隠す。はじめは何かにつけて「はじめっす!」と自分の名前を主張して、ギャラクターたちは「騎士」や「お姫様」と言った記号化された匿名性に支えられている。これは実に明確な対立項のように見えるけれども、実のところはじめにとっては、化粧に隠した累も、匿名性に潜むギャラクターも”敵”ではない。むしろ好意的でさえあって、そうした部分(はじめにとっては不自然な部分)を含めて”そういうもの”だと思っているようだ。

はじめが決して直感だけで動いているわけではなくて、そこには彼女なりの論理(そして倫理)に基づいて動ていることは明らかだ。はじめが迷わず素顔を晒したのは、人と分かり合うためには、目と目を合わせて会話しなくてはならないという信念のためだ。ギャラックスの利便性、可能性を賞賛しながらもそれに盲目的には受け入れないのも、彼女のシビアなリアリズム(自分の手の届く範囲以上のものに自己を預けない)の賜物だ。

つまり、はじめは徹頭徹尾リアリズムの女であり、彼女の”現実”は強固なものだ。それはある意味、女性的なものであり、そこに”世界”などと言う曖昧なものを”理想”を抱く累の男性的な欲望が立ちはだかる。それが何を意味するのか。

また、はじめを巡る男性として清音の存在があるが、彼は累とは別方向に”現実”が見えてない男性として描かれている。彼は自分がそうであるべき、という理想がまずあって、それに周囲を合わせようとしている。それは世界を見ていないということであって、そのギャップが彼を消耗させていくのだが、あくまでも現実しか見てないはじめと接することで、己と周囲のギャップというものを理解するようになってきている。そうしたギャップを理解した上で、改めて自分がどうであるべきかを考えることは、一見したところ同じ事をしているようでも、内実はまったく違うものになる。

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2013.08.16

今日の日記(面倒になった)

・日記にタイトルなど必要ないと思う。

・新聞を読んで思ったこと。

あくまでも私見であることを明記させていただくのだが、戦争と言うのは最後の外交手段であるべきだろう。そもそも、戦争は消費するばかりであって、基本的になにも生産しない(凄惨ではあるかもしれないうぷぷ)。それでもなぜ戦争という手段があるのかと言えば、戦争での消費を補って余りあるリターンがあるからだ。と言うか、リターンがあると思うから戦争をするんだろうね。逆に言えば、リターンがない状況では戦争など百害あって一利なしと言える。

これはたぶん、戦争を目的にしてはならない、と言うことなのだ。つまり、プライドや威信のために戦争などしてはならない。戦争とは、あくまでも合理的な損得勘定で行わなければならないと思うのだ。そうでなければ戦争はあまりにも凄惨に過ぎるというもので、たとえば正義のために行われた戦争の悲惨さなど、歴史を学べばいくらでもあるものだ。そんなのはなんの得にもならなければ、意味もない。

まあ、さらに言えばこれは戦争に100%勝てるという保証あっての話で、もちろん勝負事に必勝はない。どんなに準備しても、ふとしたことで負けることがある。負けてしまえばすべてを失う。これも世の常。だからまあ、合理的に考えれば、戦争は基本的にリスクとリターンの釣り合いがまったくとれていないよね。やれば損することは確実で、しかし、利益が生まれるとは限らない。そんな賭け事、俺は嫌いだね。得をするのは胴元ばかりだ。

・TYPE-MOONから『Fate/apocrypha』と『ファイヤーガール』の二巻が出てきたので買った来た。『Fate/apocrypha』の方は、相変わらず東出祐一郎氏の言葉に対する感覚の鈍さがひっかかるものがあるけれど、まあ面白いことは面白い。でも、もうちょっと削ぎ落として欲しいなあ、とは思う。ファイヤーガールの二巻は普通に楽しみだ。星空めてお氏の文章が定期的に読めるなんて驚きでさえある。もっとも、次がいつ出るのかはわからないが…。

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2013.08.15

平々凡々

・暑い。なんかこれしか書いてない気がしてきた。

・『リビジョン』(北条遥/ハヤカワ文庫JA)を読む。なんだか物凄く狭い話になっている感じ。いや、面白いことはすごく面白かったんだけど、前回のようなすさまじく不条理な感覚と言うよりも、”嫌”な話って言うか。主人公の母親の凄まじく自己中心的な考え方に不快感を覚えはするけれども、不条理と言う感じではなかったかな。この作者がどういう方向に向いているのか、もう少し読んでみないとわからないかな。

あと、二人の保彦の関係が良くわからなかったな。別に同一人物と言うわけではなくて、その時空での”保彦”と言う存在に位置している、と言う解釈でいいのかな。

・『百合×薔薇 薔薇妹戦争』(伊藤ヒロ/スーパーダッシュ文庫)も読んだ。このシリーズの作者は、魔王の方と違って、なんか全体的に不健全と言うか、不健康と言うか、そういう嫌な感じがあって良いと思う。熱血でバトルもあるんだけど、どこかいびつなところがある。そういうところに、伊藤ヒロと言う作家の面白いところなのだと感じる。

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2013.08.14

どんな過去であってもなかったことにしてはいけない、と言う話

映画「風立ちぬ」に対して日本禁煙学会が苦言、と言う記事を読んだ。ほんとに世の中には下らないことに血道を上げる人がいるもんだな。

これの何が下らないって、ようするに「喫煙シーンがこの世に存在することが気に入らない」って言っているだけだからね。正直、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、みたいなもの。本来は喫煙に伴う副流煙こそ憎むべきものなのに、もはや喫煙と言う概念そのものを憎悪している。なんかもう本末転倒しているよね。この人たちは、きっと副流煙を一切出さない画期的なタバコが発明されたとしても、「喫煙している人が存在することで生じる精神的苦痛を考慮していない」とか言ってまったく認めるつもりはないだろうな。それ、もうほんとに何の大義名分もない。喫煙者は死ね、と言ってるだけ。ただの差別だよ。

喫煙シーン自体が不快である、と言う気持ちは想像することは出来るんだけどね。他人のゲロを眺めた時、決して愉快な気持ちにはならないし、そうした不快な出来事に対する生理的な嫌悪感は否定するつもりはないよ。けれども「風立ちぬ」についてはまったくそれとは関係がない話で、これはその時代の常識というものをどのように扱うのかということに関わってくる。つまり、物語中の時代では、人前でタバコを吸うことが非礼とはされていなかったというh常識があって、むしろそれが描写することで”時代を描いている”と言うこと。それを現代から見て駄目だと非難することは意味がないと思うんだよね。つまり、あの映画から喫煙シーンを省けと言うのは、時代を描くなと言っていることと同じことで、この考え方を突き詰めていくと、「日本ではタバコを人前で吸っていた歴史を抹消する」と言うことに他ならないわけで……。

まあ、きっとこの禁煙学会と言うところの人たちは、そういうシーンが存在することで、喫煙と言う習慣がカッコいいものだと認識されるんじゃないか、とか言い出すのかもしれない。けどね、日本が数十年前まではどこでも喫煙がOKとされていた時代があったという歴史は覆せないし、覆してはいけないものだと思うよ。過去あった悪い事はきちんと反省して、未来に繰り返さないようにする。それをするのが大人というもので、そうすれば未来に向けてよりどうすればいいのかを考えることが出来る。このままではただの感情論でしかないと思うし、建設的な道も開けるはずもないよ。

・『リライト』(北条遥/ハヤカワ文庫JA)を読んだ。実にタイムリーなことに、これこそまさに「自分の都合の良いように過去を改変することの醜さ」を描いた作品だった。まったく、実に醜悪で恐ろしい。「過去は改変出来る」と言う命題と「過去は改変出来ない」と言う矛盾する命題が両方とも成立してしまうという、理屈が通用しない狂った理屈がきちんと描かれてしまっていることも恐ろしい。なんだこりゃホラーじゃねえか!

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2013.08.13

日記にタイトルをつけなくてもいいよね

・今日はようやく涼しい風が吹いてきて、一息ついた。昨日までの空気がまるで綿あめのような重さがあったとすれは、今日は流しそうめんを思わせる清涼さだ。

・四歳の方の甥が、もやしは男でラーメンは女だ、と言いだした。なるほど、つまり男などというものは女の添え物であって、決して必要不可欠な存在ではないということか。なかなか穿ったことを言うものだと感心したが、果たしてどのような思考から生まれた言葉なのか検討もつかぬ。ただ一つわかることは、四歳児と言うのはただそれだけで哲学的な存在だということだ。

だが、個人的にはこの言はいささか疑問があって、ラーメンとはやはり男ではないかと思うのだ。なんとなれば、いささかに脂ぎって、暑苦しく、押しつけがましい。いささか女と言うにはイメージにそぐわないのではないか。それとも、これは一般的なイメージに毒された、いわばマッチョイズムに支配された思考なのかもしれない。甥も疑問を感じたのか、ならばお米のご飯は男か女かと尋ねてきた。これは答えに窮する質問だ。その白く美しいとさえ言える優美さは、確かに女性的と言えないでもない(これも俗過ぎる発想であろうか)。だが、自分はピンと来ていた。先日、ラーメン屋で豚骨ラーメンに小ライスをつけて頼んでいたのだ。自分は、お米のご飯は男だと思う、と答えた。あくまでもラーメンが男だと仮定した上での話だが、基本的にお米のご飯とラーメンは対立する関係である。両雄並び立たず、と言うが、つまるところ管掌範囲が重なっているので、ライバル関係なのだ。しかし、場合によっては、つまりはラーメン屋において、時にラーメンとライスは見事に息のあったコンビネーションを見せることがある。敵であると同時に友でもあるような関係は、どちらかと言えば男性的なライバルイメージではないだろうか。

だが、そのように説明した後で、やはり自分の思考には拭いがたいマッチョイズムに支配された思考があるように思える。これではまるで男女の間にはライバル的な友情が生まれないと言っているものではないか。これはいささか一方的な考え方があるので、なにか別の形でフォローが必要になるだろう。なにがいいだろうか。

・『ドラゴンズクラウン』はドワーフがレベル35、ノーマルエンドまで終了。二回目となると、金やNPCを引き継げるのでわりと楽にクリア出来るのだった。決してヒマで時間が有り余っていたわけではない。

しかし、ドワーフでプレイすると、本当に別ゲーだった。敵を投げる、ただそれだけのアクションが爽快感があり、ウィザードとはまったく別種のゲーム性となる。うわあ……これは本気で六キャラ分プレイしないといけないんじゃないのか。楽しいなあ。

今まで書き忘れてしましたが、自分のプレイしているのはPS3版。VITA版ともCOOP出来ればいいのだが。

・『無敵看板娘』の作者、佐渡川準氏が亡くなったらしい。正直、絶句するしかない。

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2013.08.12

真夏の夜の夢

・『ヴァンパイア・サマータイム』を読んだ……と言う話をしようと思ったら、予想以上に長くなってしまったので本の感想にした。いや、本当にこれはすごく良いと思う。ライトノベルのようなジュブナイルのような、恋愛小説。なんかもう恋愛小説に興味がまったく沸かない自分が気持ち悪い顔をしながら読んでいることに驚く。

・しかし、今日も相変わらず暑い。

・自分は冬は大好きだが、夏が苦手なのだだと言うことに突然気が付いた。寒いのはかなり耐えられるが、暑いのはどうにも耐えられない。

・こないだ書いた『風立ちぬ』の感想。主人公が美しい、と書いたが、同時に美しすぎる、とも思ったことを思い出した。しかし、基本的にあれは、主人公が”すべてを失う”までの物語で、すべてを失った後(愛する人も、創造的な10年も失った後)、それでも「生きねば」と言わなければならないという物語なのだ、と思った。

・『ドラゴンズクラウン』は、ウィザードでレベル99、つまりカンストした。後はランダムダンジョンに潜ってハスクラするだけなのだが、さすがに疲れたので2ndキャラを作ってみた。今度はドワーフ(ウィザードと並ぶ二大不人気キャラ。オンラインでも滅多に見かけない)をやってみたところ、まったくゲーム性が違っていてすごく面白い。この敵を蹴散らしていく感覚はウィザードではなかったなあ。しばらく他の職業もいろいろ試してみようと思います。

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『ヴァンパイア・サマータイム』

ヴァンパイア・サマータイム』(石川博品/ファミ通文庫)を読んでた。本当に良い作品だと思う。

主人公の不眠症と言うか、昼夜逆転してしまった生活サイクルは、彼が現実に対して違和を感じているということで、それゆえに日常から浮き上がってしまう。そんな彼は夜を生きる吸血鬼の少女と出会うことで恋に落ちるわけだけど、ここで面白いのがこの物語の中ではすでに吸血鬼の存在は社会に認められていて、その人口比もほぼ1:1になっている。つまり、夜しか生きられないが、しかし、ごく当たり前の平凡な存在となっているのだ。だから、吸血鬼の少女は、決して非日常の存在ではなく、日常(昼間)の地続きの存在として登場してくる。

彼女との関係もコンビニの店員とお客だし、出会いに至っては横断歩道でばったりと出会うという特別さのかけらもないもので、本当のこの少女は日常そのものなのだ。しかし、それでも、少女は決して昼間の世界に出てくることは出来なくて、昼間部に通う主人公と夜間部に通う彼女とは、まるでコインの裏表のように交わることはない。昼夜が交わる黄昏時に、登校前の彼女とコンビニのバックヤードで働く主人公の束の間の逢瀬が行われるだけ。その届きそうで届かない向こう側への憧れと失望、そうしたものに揺れながら、それでも恋に振りまわされる二人の姿の鮮やかな喜びと、隠微な(淫靡な)官能が入り混じる姿があまりにも美しく、悲しい。

結局のところ、少女が昼間の世界を訪れることはない(主人公が夜の世界に訪れることはある)。一方で少女の友達があっさりと昼間の教室に”越境”してしまうところがすごく面白くて、決して両者は交わらない存在ではないことを予感させるものの、”主人公と少女”はの関係は、むしろそちらへは行かないことを意味するのではないか。少女は真面目でレールを外れることを恐れていて、昼間と夜の境界を超えることの困難さが幾度も語られている(最後も少女は主人公を”連れていく”ことは出来ない)。だからこそ、昼間から夜への越境を容易く(少女にはそう見える)行った主人公に惹かれたのだとも言えるかもしれない。つまり、これは悲恋物語であるのだろう。

しかし、悲恋を悲恋として描かないところがこの作者の面白いところで、どんなに抒情的で繊細に描いても、ちょっとしたところでギャグを入れたり(しかもかなりコテコテ)するところで、しかも、それが物語の抒情をすこしも妨げないというところは特筆に値する。恋に酔いしれていても、ふと正気にもどってそんな自分が恥ずかしくなったりする、これはそういう気持ちの振れ幅がきちんと描かれているということで、そうして心が振れているからこそ、そこの感情のリアルがある。人間はわりと気持ちが上下左右に散らばっているものであって、そうした気持ちの運動力を描くことで、主人公たちが単なる書き割りではなく、躍動する心を持った存在であると思えるのだ。

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2013.08.11

空気が物理的な圧力を伴っているようにさえ思える

・あるいは分厚い布団に全身を包まれているようなほどの直接的な空気の圧力。もう無理だ。これは無理だ。寝不足と相まってすっかりげんなりしている。

・そういうわけなので今日はお休み。

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2013.08.10

クーラーと言うのは文化の極みですね

・暑い……暑過ぎるだろ……。もはやただ生きているだけで世界を呪いたくなるほどの暑さ。いかん、世界を滅ぼしたくなる。

・『ガッチャマンクラウズ』の新しいのを観た。五話か?まあその辺。累はちょっと理想主義過ぎるというか、この世に善意があることを疑わないタイプで、非常に危なかっかしい。挫折した革命家ってのはこの世で最も危険な存在になる可能性があるけど、彼はそんな感じかもね。ハンドレット、なんてものを作ったのはその最たるもので、きっと彼も仲間が欲しかったのだろうけど、ああいう繋がりは緊密な分、壊れるときは一気に壊れる。はじめのコラージュサークルの、緩やかな繋がりを見た後だとそんな気持ちが強くなる。はじめはわりと達観しているというか、そもそも緊密に一つの目的でつながることに興味がないようで(ガッチャマンの使命に対しても疑問を抱き続けている)、サークルの中で対立があっても、それを強制的にまとめようとはしない(反対者を排除する累との差異もそこに見える)。ただ、いざと言うときにそれぞれが考えて協力してくれれば構わない、とでも言うような。そういう感じの、ユルさ、はとても重要なことだ。

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2013.08.09

『風立ちぬ』を観てきた

・今日は宮崎駿の『風立ちぬ』を観てきた。なにについて語るよりもまず、一番に印象に残ったのは、主人公である堀越二郎の美しさだ。眼差しが美しく、語る言葉が美しく、佇まいが美しく、そして感性が美しい。その美しさは他者を圧倒するようなものではなくて、理性と克己によって抑制された美しさで、風雨にさらされた木々のような静けさをまとっている。彼の美しさは、ちょっと感動的なものがある。堀越二郎と言う主人公を徹底して描くことが目的の映画なのだろう、と思った。

・『パンツァークラウンフェイゼスⅢ』を読んだ。物語のテーマ的なものをジャレッドが語り尽くすあたりはすごく良かったのだが、最後の方で物語が個人的なものに収束してしまったような感じ。個人的なものが悪いというわけではないのだが、主人公たちの選択に飛躍が足りないっていうか。彼らの成長が予測の範疇でおさまってしまった感じ。すごく惜しいなあと思うのだけど、しかし、そこに至るまでは物凄く面白かったし、冲方丁フォロワーとしては十分な可能性を見せてもらったと思う。

・なんかすげー疲れた。暑くてあんまり眠れてないせいだな。夏バテかも。

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2013.08.08

煮詰まってます

・『パンツァークラウンフェイゼスⅢ』を引き続き読んでいる。ジャレッドと言うキャラクターはとても良いね。年少者を守る大人で、しかも道化でもある。とても人間的な弱さがあって、ある部分では驚くほど強い。退場のシーンもすごく良かったし。ただ、ちょっと作品のテーマ的なことをしゃべり過ぎたような印象だけど…。最後はどうすんだろこれ。これを踏まえた上で、その上の答えを出せるのかな?

・ドラゴンズクラウン。ついにインフェルノ(最高難易度)でラスボスを倒しました。レベル95。しかし、ハスクラゲームにおいて、ラスボスを倒したことは通過点に過ぎない……。ここから最強の武器を探してダンジョンに潜り続ける毎日が始まる……。まあ、ウィザードは楽しいけど、そろそろ他のキャラにいじってみたいような気がするので、並行して進めてみたいと思います。

しかし、オンラインと言うのはゲームの寿命を明らかに伸ばしますね。正直、かなり単調なゲームだと思うんだけど、オンラインで他のプレイヤーとステージを進めていくと色々なプレイスタイルがあるのがわかる。丁寧にアイテムを拾って行く人、すべてを無視して突っ走っていく人、一緒にプレイする人次第で、同じダンジョンでも戦い方から難易度までぜんぜん違う。フォローに追われたり、逆になんにもしてないのにクリアしてしまったり。自分は実のところあまりオンライン要素のあるゲームはしてこなかったんだけど、なるほど確かにこれはハマる。あらゆるゲームにおいて不確定要素は必須ではあるけど、最大の不確定要素は、そりゃ人間に決まっているよな。

・いろいろと煮詰まっています。うーん、もうちょっと頑張れ、俺。

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2013.08.07

一応、意見を表明していく感じで

・いろいろ煮詰まっている感じ。もうちょっと危機感をもって行動しないと駄目だな。

『シンフォギア』の音楽の扱い方につきまとう違和感についてと言うエントリを読んだ。シンフォギアについて真面目に書いている人がいるだけで、なんか嬉しくなってしまうね。前はほとんど話題にもならなかったからね。

で、内容の方は、なんと言うかいろいろな解釈の仕方があるものだなあ、と思った。わりとなるほどと思うところもあるんだけど、ちょっと誤解もあるという感じ。これはシンフォギアと言う作品が、用語集を読まないと細かい設定がわからない作品なので無理のないところなんだけどね(だからファン以外からは、矛盾を勢いで誤魔化しているアニメなどと言われたりする)。

>『シンフォギア』では「キャラクターがリアルタイムで歌っている」という事になっているにもかかわらず、実際の歌はほぼBGM化してしまっており

この指摘は、特に一期に限って言えば、かなり的を射ている。そもそも歌いながら戦うという設定がきちんと生かされていない感はあった。歌が歌いたくても歌えないでピンチに陥ると言う展開とか欲しい、この文章はそういうことを言っているんじゃないかと思う。ただまあ、一応制作側もそういうのをやりたい意図はたぶんあるとは思うんだよね。確か5話くらいだったと思うけど、響が戦いの最中に転んでしまって歌が中断されるシーンがある。他にも、全力疾走した直後のクリスが咳き込んでしまって変身出来なくて、風鳴司令に助けられるシーンもあった。ただ、どれもこれも一瞬で終わってしまって、ほとんど物語には寄与していなかったのは惜しかったなあ、とは自分も思う。

ただ、二期に限って言えば的外れじゃないかなあ。一話のAパートで、響の『正義を信じて、握り締めて』が歌われるんだけど、あれ、原曲とぜんぜん違うんだよね。必殺技のパンチを撃つ瞬間に「飛べぇぇぇ!」と歌うんだけど、原曲ではあんなに絶叫してないからね。ちゃんと歌が、その瞬間の展開と装者のテンションに合わせて歌われている。あと、コメントでも言われているけど、二話の響とクリスが飛び降りてきてから、それぞれの陣営の言葉のやり取り、そして激昂する調の口からするりと歌につながっていく演出、あれこそ自分がシンフォギア一期に対して抱いていた不満(装者がリアルタイムで歌っている感の欠如)を払拭するものだと思う。それが成功しているかを判断するのはそれぞれの判断だとしても、改善しようとしていないと言うのはちょっと一方的過ぎる気がする。

・ドラゴンズクラウンは今日はお休み。

・最近、本が読めていない。ゲーテ詩集ぐらいはなんとかやっつけたいんだが、やはり詩集を長時間読むのはしんどい。俺もまだまだだな。

・そういえば今日は久しぶりに感想を書いた。もう少し頻度を上げたいが、まあ当分は無理だろうなあ。

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『棺姫のチャイカVII』

棺姫のチャイカVII』(榊一郎/富士見ファンタジア文庫)

わりとあっさりチャイカシステム(?)が明らかになったあたり、作者側にあまり本物か偽物かと言うことそのものを重視していない姿勢がわかる。それが悪いわけではなくて、むしろ本物とか偽物とかどうでもいいというスタンスは、わりとわかるというか、自分にも親しい感覚だ。オリジナルであることの特権性と言うのは、こう言ってはなんだがただの幻想のようなもので、この世に真実絶対の本物などと言うものは存在しないということが出来る。本物などと言うものが存在するとしたら、それは純粋な観念的存在でしかないだろう。なぜなら、現実として物質となった時点で劣化、いや変化と言った方が正確か、していくからだ。本物がいつまでも本物であるとは限らず、偽物がいつまでも偽物とは限らない。偽物が本物になり替わるのかもしれないし、あるいは全然別のものになってしまうかもしれない。つまり、本物か偽物かと言うのは一つの”状態”である過ぎない、と言えるのかもしれない。まあ、この辺は妄想みたいなものだけど。

作中のギィの言葉からすると、どうも皇帝の遺体争奪戦自体は選別のためであって、と言ってもそれは”本物”を決めるための選別であるかどうかは怪しいもので、おそらく道具の品質チェックぐらいの意味しかないのではないだろうか。黒のチャイカ、赤のチャイカもそのあたりの事実を理解してきたことで、おそらくはそのあたりを悩む展開になるような気配はあるのだが、正直なところあまりその辺は重要な話にはなりそうもないと思う。主人公のトールが本物偽物にこだわりのないタイプなので、彼を頼りにしている気配のあるチャイカもあまり気にしないのかもしれない。まあ、この作者はそういう手続きを経るタイプだと思うので、なにかしらやると思うけどね。その意味では赤のチャイカが危ないかもしれない。

それにしても、どうやらメタ世界だか上方世界みたいな存在があるらしい気配があって、おそらく皇帝にとっての真の敵はそっちにあるようだ。チャイカたちは、その真の敵に対する兵器のような存在なのだろう。遺体争奪戦と上方世界との戦いをどのように両立させるのか。そのあたりはちょっと興味が沸く感じ。

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2013.08.06

茹だる、という言葉がまったくその通りで、日本語って素晴らしく的確だ

・うーん、これははんぱなく暑い。頭にアイスノンを乗っけながら書いているんだけど、そうしないと頭の中に熱がこもるような感じになってしまう。これはもうエアコンをつけるしかないかな(あんまりエアコンが好きではない)。

・えーと、確かなにか考えていたことがあったような気がするのだけど、どうにも思い出せない…。いつも通りの世の中に対する不平不満だったと思うので、別にどうでもいいと言えばどうでもいいか。

・ドラゴンズクラウン。レベル92。さすがにレベルが上がらなくなってきたけど、今回のダンジョン潜りでけっこう良い装備が手に入ったので、そろそろラスボスに挑戦してみようかと考え中。

・『パンツァークラウンフェイゼスⅢ』を少しずつ読み進めている。半分くらい。社会から与えられた型にいつの間にか嵌められていて、しかもそれに従った方が幸福と言うのは一見不条理なように見えるけど、それに反抗する意思を奪うものは何もない。理性と野生の間でもがく人々を描くのはなかなか面白いと思う。ただまあ、ここからどうするのかが大変だよな。

・『シュヴァルツェスマーケン Requiem -願い- #2』を読んだ。感想はそのうち書く。しかし、リィズの過去編はなかなか重くて、これはカティアに厳しい展開になっちゃったなーと思った。まあカティアはここで”自分の望み”をはっきりさせる必要が出てきたとも言えるわけだけど。こんな自己愛の権化みたいな女に対しては、カティアもエゴをむき出しにせざるを得まいて。それともテオドールがイケメン力を発揮してなんとかする…のは、まあ無理だろうな。

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2013.08.05

また暑くなってきた

・あちー、暑過ぎる。実際に七月前半に比べれば涼しいんだろうけど、昨日までがとても過ごしやすかったので反動もあってなんだか耐えがたいほどに暑い。

・寝不足が続いていたせいか、今日は意識が朦朧としていた。何かをしようと立ち上がって、何をしようとしていたのか忘れる、ということが三回くらいあって、ちょっと危機感を覚える。単なる寝不足だと良いのだが。

・そういやtwitterにも書いたのだが、『ガッチャマンクラウズ』の主人公”はじめ”について考えていた。僕はこの子、すごく好きだし、良い子だなあ、と思うのだけど、わりとエキセントリックな言動としているので誤解され易いとも思う。なので自分の考えるはじめ像を書いておこう。

・彼女の思考は、その言動から見えるほど電波ではなく、むしろ論理的なんだよね。彼女が二話あたりで口にした「席を譲らなかった男の人は、実は病気で譲りたくても譲れないのかもしれない」と言うセリフを、額面通りに受け取ってはいけない。あれは、そのように考えることで自分の中に憎しみを作らないと言う”現実的”な対処法なんだ。そう考えれば相手にイライラすることもないし、ハッピーに過ごせる。

・だから、これを「理想主義だ」「世の中はそんなに甘いもんじゃない」的な非難はまったくの的外れなんだよね。別に”はじめ”は本当にそんな事情があるなんて思ってはいない。せいぜい、「そうだったらいいなあ」ぐらいの気持ちでしかないだろう。しかし、そのように考えることで、思考の偏りをなくし、別の視点を得ることは、これはとても大切なことだと思うね。それこそが”現実的”に”平和を実現する”ための有効な手段だからだ。

・なぜ世界に争いが絶えないのかと言うと、それは人々が自分の正しさに疑いを抱かないためだ。それが相互理解を妨げ、理解の不足は容易に憎しみを駆り立てる。憎しみに基づいた戦いは、あまりにも悲惨なものだ。はじめの考え方は、そうした”憎しみそのもの”を出来る限り減らしていこうという態度そのものであり、それが僕にはとても素晴らしいもののように思える。

・勘違いして欲しくないのは、別に彼女は理想主義と言うわけではなくて、むしろ徹底して現実しか見ていないということだ。”現実的”に世界を変えていくためにはどのようにしていくべきか。そのための”手段としての理想主義”が、はじめの最初の台詞なのだと思う。理想論はそれだけでは夢物語だが、それを目的として現実を積み上げていくことで、気高い目的になりうる。異星人の力で一気に世界をアップデートしようとする累(ルイ)と、その方向性は似ていても、手段が真逆と言って良いほどに違っていて、そこもすごく良い。

・今日のドラゴンズクラウン。レベル89になった。タリスマンも全部手に入れたり、そろそろラスボスと戦ってもいいのだが、どうも体力を削り切れない。対竜特効でもうちょっと良い武器を手に入れる必要がありそうなのだが、これがちょうど良くぴったりしたものが出てこない(対竜特効が付いているのに耐性のありそうな属性だったり)。この、どうにも歯がゆい感じは、まさしくハスクラゲームをやっているって気がしてくるよな。

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2013.08.04

筋肉痛に安心した

・昨日、公園で遊びまわった結果、見事に筋肉痛になった。背中から腰にかけていてえ。足はそれほどでもないのは、わりと散歩をしているおかげかもしれない。筋肉痛が二日遅れとかでなかったのでちょっとホッとした。

・『戦姫絶唱シンフォギアG』の五話を見た。なかなかすごいことをするな、と思った。主人公が、しかも女の子の人体欠損シーンを持ってくるとは。これはまどかマギカのマミのシーンよりもすごいと思う。個人的な感覚だが、首をかみ砕かれて死ぬのは、それは凄惨はものだけど、それは一瞬のことだ。本人の苦しみは死んだ瞬間に消えてなくなる。しかし、人体欠損となると、その後の人生はまだまだ続くということになる。どっちが悲惨かを判断するのは難しいけれど、どちらが苦しいかと言うことなら間違いなく後者の方が苦しいだろう。その後も、”腕を失った”と言うハンデを背負ったまま生きていかなければならないのだから。

・とはいえ、脚本の金子氏はワイルドアームズ時代から、絶望を絶望のままでは終わらせずに、希望の再生を描いてきた人なので、なんらかの形で救済はもたらされると思う。それがどのような形なのかはわからないけどね。金子氏の作風だけを考えるのなら響が隻腕ヒーローとなり泥をすすり、這いつくばりながらも立ち上がる姿を描く可能性は十分にあるのだが、なにしろTVアニメだからなあ。スポンサーもいるだろうし、倫理規定もあるだろうし、無理矢理にその方向性に行くことはないような気もするね。

・あと、ウェル博士の表情がすごく良かった。特に米軍との戦いを目撃してしまった無辜の一般人を殺害する瞬間の表情の溢れだす狂気の絵がすごい。しかも、言葉の奥に未だに真意が隠されているような、分厚い仮面のような厚みがあって、このあたりは声優の杉田氏の見事さと言っていいのではないかな。

・『ガッチャマンクラウズ』の、三話?四話?まあとにかく最新話を観た。これもすごく面白い。旧世代然とした正義の味方(まあ見た目は新しいが)VS実態のない悪意の雰囲気と言う絶対に噛みあわない戦い。面白過ぎる…。いまのところベルク・カッツェが悪意の化身として強すぎるので、あれが具体的なラスボスになってしまう可能性はあるけど、ギャラックスにも秘密があるみたいだし、これはまだ判断出来ないか。しかし、本当に面白い、と言うか興味深い。

・今日のドラゴンズクラウン。レベル83まで行った。インフェルノで女神の祝福で経験値大量でおいしいです。タリスマンも5個くらい手に入ったし、90レベルくらいまで行ったらラスボスに挑戦してみるかな。

・しかし、このゲームはやっていることはかなり単調なのに、なかなか飽きそうで飽きないのはすごいな。なんだかんだでここまでモチベーションが落ちてこない。たぶん、オンラインが良く出来ているんだろうな。協力して挑戦している感じがすごく良く出来ている。

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2013.08.03

日焼けすると頭痛がしてくるよね

・今日は午前中に六歳と四歳になる甥を連れて公園に散歩に行ったのだった。

・目的としては蝉の抜け殻を集めるという大目標があったのだが、野球場のネット(と言っても金属製だが)を見かけたので早々に脱線。しがみついて蝉の真似などをして遊んだ。子供たちを適当の高さでしがみつかせたり、自分でもしがみついたりときゃっきゃしていた。しばし、蝉の真似を堪能したのち、改めて抜け殻を探索。木々の間を抜けながら観察。そしてちょうど良い高さの木を見つけたので、子供たちを肩車して無意味に枝につかまらせて遊んだ(俺が)。抜け殻のことなどすっかり忘れている。さすがにいかんと思ってさらにぶらつく。道を外れて急な斜面などを積極的に分け入る。道をなるべく歩かないというサブテーマ(勝手に決めた)に沿った行動だ。だが、人生の道を無理に外れる必要はないぞガキ共。とりあえず、危険を感じたら声を出すように、と言うことを徹底し、安全のために一人ずつ斜面を下らせる。自分は下で受け止められるように準備する(個人的に子供には小さいうちからなるべく危険を犯させるべきだと思う。もちろんリスク管理はきちんとして、大人の対処で十分に安全が確保できる確信があってのことだ。安全と危険とバランスをきちんと理解していないとかえって危ないもので、そういうのは体験してみないとわからないと思う)。そして木を観察してみると、今度は出るわ出るわ。一本の木に数十匹分の蝉の抜け殻がびっしりとくっついていて、ぶっちゃけドン引きした。これは気持ち悪い……。だが、怖いモノ見たさというものもあり、接近して観察(六歳の方はぜんぜん気にせず触っていたが、四歳の方は近づきもしない。キャラクター性の違いか)。しかし、マジマジと見てもやはり気持ち悪く、かえって感心しながら他の木々を眺めた。そのあたりは全部すごいことになっていた。すごい。周囲を見回してみると親指ほどの大きさの穴がボコボコ空いていて、なるほどこれが蝉の幼虫が抜けだした後か、と思った。なにやら感慨深いものがあり、思わず穴を覗き込んだりする。幼児二人と一緒にいい大人が地面に這いつくばっている図がそこに展開されていた。ひどい。四歳の方が飽きたらしく、遊具場に向かう。子供は飽きるのが早いが、それは仕方のないことだ。むしろ好奇心を殺してしまう方がまずい。と言うわけで公園へ。とりあえずブランコに乗せる。するとこのクソガキどもは未だにブランコの漕ぎ方も知らんらしく、背中を押せに言ってきた。この怠け者どもめ。とりあえずブランコを押しながら、それぞれの姿勢を確認する。ケツを後ろに突き出し過ぎだし、体重の移動もなっておらん。とりあえず、絶対に手を鎖から離さないことを徹底順守させた上で、体重の移動を教える。まあ初回はこんなものか。あと十回ぐらい教えればなんとかなるだろう。そこらへんで疲れたのでベンチで休む。子供たちもやってきていろいろ喋った。幽霊船につかまった時どうするか、と質問してきたので、俺は迷わず「さっさ逃げる」と答える。すると「逃げられなかったら?」と聞いてきたので、幽霊船の主と交渉、爆弾を作って脅迫、重火器を持ち込んで破壊など、活発な意見交換を行った。最終的に食堂へ行って飯食ってから良い案が出るまで待つ、と言う結論に落ち着いた。見事な問題の先送りだが、あんがい真理かもしれぬ。腹を減っては戦は出来ぬ、すきっ腹では良い案も沸かぬ。なぜ幽霊船に食堂があるのか?そんなことは知らん。とりあえず帰ることにしたのだが、そのまま帰るのも面白くないので、石垣の上を歩きながら帰った。1.5メートルほどの高さとけっこうなものだったが、柵があるのでそこから絶対に離れないこと、足元を注意することを徹底させた上で、自分は落ちて来たとしても対応できるように見守った。危険を(以下略)。六歳の方が「高いよ~」と言いだしてビビっていたが四歳の方はさっさと進んだ。もっとも、四歳の方は兄に対抗心があって、兄とは逆振りをする傾向がある。さっさと進んでいるわりに足が前に出ていなくて、チョコチョコとした歩き方だったので、内心では同じように怖がっていたのだろう。兄よりも弟の方が危険だ。このタイプはいつか大怪我をするタイプだ。ともあれ、今の自分にはいろいろ機会を与えることしか出来ないし、これからもそうなのだろう。そんなことを思いながら、弟の方に、「焦らなくていい」と声をかける。この言葉はどこまで彼に届くのだろうか。ほとんど届いていないのだろう。だが、それが対話と言うものだし、それで良いとも思っている。家に帰ると母だけしかおらず、姉も父もいなかった。あまりに遅いので探しに出たらしい。時計を見たら二時間ほど過ぎていたので、確かに出来の悪い息子に任せるには不安になる時間だったかもしれない。その後、帰ってきた姉に内容を説明する羽目になったのだった。言葉は誤解やすれ違いもあるが、やはり人間には不可欠なものだな、と思った。

・今日のドラゴンズクラウン。レベル73まで行った。いきなり10レベルのはなぜかと言うと、インフェルノ(最高難易度)に入ったから。インフェルノだと経験値取得量が跳ね上がるので、最初はポコポコ上がるんだよね。そしてこれをクリアすれば一区切りだ。その後、別クラスで始めることになるだろうから、この調子だと200時間はかかりそうだな…。しかし、神ゲーであることには間違いない。

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2013.08.02

タイトルになにを書けばいいのか思いつかない

・砂糖とミルクを入れたコーヒーを飲み過ぎる習慣はあまり良いものではないと思うが、脳みそを酷使する作業をしていると、どうしても砂糖が欲しくなる。どれくらいが適量なのか、良くわからない。今まで生きてきて砂糖を入れる習慣がなかったものだからこういう時に困る。

・思うところがあって『ゲーテ詩集』を買ってみた。自分で言うのもなんだが、自分はとんと詩情を介さない人間で、今まで詩を読んで感銘を受けた試しがないのだが、最近になってようやく面白さの端緒がつかめたような気がする。詩と言うのは風景を詠んだものであっても、結局のところ”人間”についてのものだ、と言うか。まあ、そういう言い方をするとこの世のあらゆる創作物は人間を描いたものと言えてしまうのだが。風景を描写したとき、描写した人間の主観が反映されており、描写の中に映り込む。映り込んだそれ、つまり描き手の人間性を理解することは、作品を理解するためには避けて通れないものだ、と言う実感。最近、そんなことを感じる。

・『ゲーテ詩集』に幸福と夢、というタイトルのがあって、最後の二文に『燃えるキスも夢のように消え失せる/喜びはみなキスのようなもの』というのにちょっとだけ「おっ?」と思った。ロマンティックなようでペシミスティックなひねくれた詩で、こういう根性のまがり方はわりと嫌いになれない。

・ドラゴンズクラウンは63レベルまで行った。このゲーム、休息に街に戻らずに連続でダンジョンに潜ると経験値や金に倍率がかかる仕様になってて、おかげでオンラインを二時間ぐらい回すだけでかなりの量の経験値や金が手に入る。おいしい。もっとも死に過ぎると復活料金がどんどん高額になっていって、一瞬で儲けが吹っ飛ぶこともあるので気が抜けないが。

・ちょっとスキル選択がミスって火力が足りない感じなので、そろそろ虎の子のスキルリセットをしてみるべきか……。今のところ、スキルリセットが出来るアイテムが一個しかないので、あまり使いたくはないのだが……。でも、貯めててもしょうがないしな。

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2013.08.01

日記

・最近放置気味になってしまったので、一念発起して日記などを記してみようと思う。と言う決意をしたのも何度目になるのか忘れたが、まあ、今回も飽きるまでは続けてみよう。一カ月ぐらい持ったらおなぐさみ。

・書く内容は、本の所感とかゲームとかアニメとか考えたこととか。まあ、twitterで書いているのと変わらない。どうやって差異を出していこうかと悩むところだけど、書いているうちに思いつくといいな。思いつかなかったらまた一カ月坊主かもしれん。

・『ドラゴンズクラウン』を買いました。まさか今の時代にベルトスクロール2Dゲームを出す心意気があっぱれ。しかも、事前の予想以上にレトロゲーの匂いが強い。芸術的な映像と音楽を除けば、昔プレイしたファイナルファイトを思い出した。懐かしいねー。自分のプレイキャラはウィザード。レベルは57。わりとゲームとしては単調な気がするんだけど、雰囲気と、単調ゆえの中毒性があってやめられない感じ。オンラインも面倒なコミュニケーションがない簡素な感じがいい。

・『パンツァークラウン フェイセズIII』(吉上亮/ハヤカワ文庫JA)を買ってきて最初の数十頁を読んでみた。ここまで冲方丁の完全コピーをしていると凄みがあるな。わりと批判もあるみたいだけど、そもそも冲方丁の文体をコピーすると言うだけですごいと思う。あの人、明らかに無人の荒野を一人で切り開いている感じがある。誰も後に続いていない、と言うか、追いついていけない。だけどここに追随者が一人出てきたと言うのは、これはもう歓迎するべき事じゃないの?と思う。

・『スピリットサークル02』(水上悟志/少年画報社)も良かった。なんか説教くせえなあ、って思わせるところをそれっぽく見せないってのは、いったいどういうノウハウなんだろうなあ。

・『戦姫絶唱シンフォギアG』、良い。ブログで書いたかどうかわからないけど、一期が大好きなんですよ(BDも全部揃えました)。はっきり言って制作サイドが好きなものを好きなようにぶち込んで視聴者のことを無視したマスターベーション以外のなにものでもないんですが、しかし、他人の自慰行為を眺めるAVがそれなりの需要があることを考えれば人気が一定数出るのも当然でしょうな(しかし、なんつー例えだ)。戯言はともかく、昔の特撮(ウルトラマンや昭和ライダー)が大好きな人ならシンフォギアを否定出来るはずもない、と思うね。

・シンフォギアGは、一期と比べると”歌”の扱い方が格段に良くなっている。一期が悪かったというわけではなくて、”戦いながら歌う”と言う設定が、一期では手探りでやっていた感じがあった。けれど、二期からはミュージカルバトルとしての描写が素晴らしくなっていて、これこそ自分が見たかったシンフォギアだ!と一人で興奮してた。歌い手たちの心情を代弁しつつ、攻防の流れさえも歌が支配している感じ。一話で、翼(主人公の一人)がカッコよく歌いながらマリア(敵のリーダー)に止めを刺そうとしたとき、マリアの仲間の歌が割り込んできて攻守がひっくり返ったあれね。つまり、歌が戦闘の流れを支配している当たり、通常のバトルアニメとはまったく異なる論理が生まれている。ま、分かり易く言うと、ブリーチのオサレバトル。カッコいい見栄を切った方が勝つという、あれ。……かえって分かり難いですかね。

・まあ、今日はこんな感じ。一応毎日書くことを予定にしているけど、こんなに長文を書くことはないだろうなあ。三日坊主になること間違いなしだよ。

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