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2013.05.14

『大日本サムライガール(5)』

大日本サムライガール(5)』(至道流星/星海社FICTIONS)

個人的に片桐杏奈はラスボスになるのではないかと思っていたのだけど、実はそうでもないのかもしれない、と思った。どうも杏奈は何を考えているのかわからなくて、日毬に対して最初から好意的であるという描写はあったのだけど、どうも本心が明らかにならない。二重三重に存在する”片桐杏奈”と言うペルソナがあまりにも強固であり、美城春菜が何を考えているのかぜんぜん見えてこないのだった。

個人的な印象を言わせてもらうと、彼女のようなタイプはこわいし、正直リアルにはあんまりお近づきになりたくない。何故かと言うと、あの手の自己制御が強い人間は、必ず周囲を自分の都合のよいように動かしていくため、近くにいるといつのまにか”駒”にされてしまうことさえあるのです(実体験)。実際、今回の話は良い話みたいに描かれているけど、結局のところ杏奈の一人勝ちという感じだ。彼女が主人公や所属事務所の社長を巻き込んで、自分の思った通りの結果を出した。まったくさすがだと言わざるを得ない。

ただ、個人的に面白いと思ったのは、そうした彼女のペルソナの強さを、作者はむしろ肯定的に描いているところだ。ほんと、作者と自分は生きている世界が違うな、って感じ。作者の世界観(物語の設定と言う意味ではなく、個人として持つ世界への視点のこと)では、建前と本音は常に切り離しているもの、むしろ建前こそが本物になりかねない、というような認識があるように思える(まあ、自分がそういう世界にはあまり踏み込みたくないタイプなので、ちょっと偏向している可能性は無きにしも非ず。あまり真に受けないでください)。

自分はそういう価値観に対しては苦手意識と言うかうんざりしているところがあるので、杏奈がラスボスであるのがもっとも据わりが良いのだけど(他者を駒にして操るフィクサーとしての敵と言う意味で)、しかし、至道流星という作家にとって、杏奈は否定するのではなく味方とするべき存在であるのかもしれない、とも思う。虚々実々が入り乱れる世界に生きるのであれば、虚構さえもリアルとして受け入れていかなくてはならない。それは自分にとっては遠い考え方ではあるものの、そもそもが虚実入り乱れる政治とメディアの話をやっていることを考えれば、この選択も十分に意味があるのだろう。そういうまったく違う価値基準で描かれているところが面白いなあ、と思ったのだった。

(まあ、だから俺は政治とメディアが嫌いなんだけど、それはどうでもいいですね)

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