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2013.05.05

『マグダラで眠れ (3)』

マグダラで眠れ (3)』(支倉凍砂/電撃文庫)

無垢であり無力なヒロインであったフェネシス。彼女は主人公のクースラに翻弄され、時に導かれてきた。クースラのフェネシスに対する態度は極めて紳士的かつ誠実なもので、彼女を愛でるのではなく成長を促すことが第一にあった。社会に決して受け入れられることない烙印を背負った少女を、受け入れられないままに立ち向かう武器を与えるようとしてきた。それは他人を疑い、騙し、害するという、元来が清らかな性質を持つフェネシスにとってはもっとも縁遠い行為。だが、自分の身を守るためにはどうしても必要なことだ。それは、あるいはフェネシスの最大の美点、他人を信じること、それを汚す可能性もあったのだが、それは必要なことでもあった。

クースラはフェネシスの手を取って、汚泥の中から引っ張り上げたが、彼は少女を汚泥から遠ざけるだけでは駄目だということを理解していた。なぜなら彼が少女を引き上げた手はいつまでも上げ続けていることは出来ないからだ。人間には限界があり、クースラは”まだ”お姫様を守護する騎士ではない。いつかは少女を汚泥に降ろし、自分の足で歩かせなくてはならないからだ。クースラの少年のような夢想は、合理と言うシステムを駆動させるエンジンであったが、それゆえに夢想に溺れることを許さないのだ。

クースラはフェネシスを教育する。己の価値観と哲学を少女に教えることで少女は彼の思考を体得していく。純粋な聖女から、汚れた俗界の錬金術師へと変化していく。それまでの彼女を、彼にとって”正しい”と思われる方向へ誘導していく。それは教え手の恣意によって人間を作り替えることであり、ひどく重い責任を伴うものだ。なぜなら教育とは何かを与えるだけのものではないから。例えばクースラはフェネシスの”清純”を奪った。無垢で無力であったがゆえの美しさを、クースラは永遠に奪ったのだ。だからこそ、教え手には責任がある。それは生徒の結果に責任を持つということだ。生徒が正しいとしても間違っているとしても、あるいは勝利しようとも敗北しようとも、そのすべての結果を受け入れること。たとえ、それが自身に都合が悪いことだとしても、それを受け入れることが、生徒を教えたものの義務だと思うのだ。

クースラの薫陶を受けたフェネシスは、さまざまな事件を経て、ついに師に対して”いっぱい食わせる”ことに成功する。クースラの目的に反して、彼にギリギリの選択を迫ることに成功した。それはクースラが望んでいた選択とはそぐわないものだった。しかし、少女は自分で考え、自分の望みを実現させるために詐術を用いたこと。それこそがクースラの教育の成果であり、賜物だ。だから、クースラは苦い思いを噛みしめながら、その結果を受け入れる。生徒によって煮え湯を飲まされることもまた、教え手の責任の一つなのだから。

最近、誰かに何かを教えることの難しさを感じるにつけ、クースラの態度はなかなか見事な責任を引き受け方だと思うのだった。教え手は常に生徒に試されている。彼らが正しい道に進むのか、間違った道に進むのか、そのすべてを教え手が責任を背負わなければならない。極端な話、彼らが正しければ教え手は正しく、彼らが間違っていれば教え手は間違っていると言うことになり、それを受け入れる覚悟がなければ、人に教えることは諦めた方が良いのだろう。

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