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2013.03.27

『盟約のリヴァイアサンII』

盟約のリヴァイアサンII』(丈月城/MF文庫J)

カンピオーネシリーズに比べると、主人公がわりと本気で小市民を目指しているようなところがあって妙に新鮮だった。けっこうギリギリのところまで追い込まれていても、あんまり戦いにすべてを身を投じている感じがしない。まあシリーズもだいぶ重ねている護堂さんと単純に比べるのは難しいとしても、ハルは社会人として自活していて、その仕事には自負も後悔も、つまりしがらみがあると言うのも大きいのだろう。その仕事を抜かして、いきなりあなたは僭主ですよと言われてもそう簡単に戦いに身を投じることが出来るものではない。

まあ、もちろんこの作者の主人公であるからして、どんなに重い責務だとしても、それが自分しか背負えないのではれば逃げ出すような臆病者であるはずもない。それが地獄のような苦しみも伴うものであっても、それが逃げ出す理由にはならない。まったく、英雄的な人間ですよね。そういう意味では、カンピオーネシリーズのように、口ではなんだかんだ言いながらも戦いを楽しむ主人公になるのもそう遠い話ではないのかもしれないのだが。まあそれはそれで。

これはネタバレになってしまうけど、パヴェル・ガラドが生き残ったのはちょっと意外だった。これはひょっとしてライバルフラグですか?「お前を倒すのは俺だ!」みたいな。強敵と書いて友と呼ぶ系列?まあベジータ(≒かませ)ポジションに落ち着く可能性も無きにしも非ずですが。敵ながら正々堂々、そして爽やかなキャラなので、今後も出番が多くなると良いですね。なんとなく最後の雰囲気からして、いろいろと(良い意味で)ひどい目にあいそうな気がぷんぷん致しますが、それも面白そうだ。ああいう堅物はいろいろ揉まれた方が味が出るもんだ。

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2013.03.25

『甘城ブリリアントパーク(1)』

甘城ブリリアントパーク(1)』(賀東招二/富士見ファンタジア文庫)

主人公が最初から最後まで成長しない完成された人格を持っているのは人によって評価が分かれるところかもしれない。成長物語ってのはわりと無条件に称揚されるところがあるし、物語に起伏も作りやすいしね。世間の評判はいまいち良く分からないんだけど、たぶん、主人公がピンチに陥ってないとか盛り上がりに欠けるとか言われているんじゃないかな。まあ、それも一面の事実ではある。正直なところ成長物語にもいろいろあると思っていて、あんまり興味の持てない成長をされても困ると言う感じがあるのだった。まあ、そういう作品にも”届く”読者はきっといて、その読者にとっては替えの効かない作品なのだろうし、そうであるべきだとも思う。”唯一正しい成長物語”なんてゾッとしないしね。

ともあれ、最近は成長物語に対してそれほど強い思い入れはなくなってきているのだった。たぶん、自分の中で成長すると言うことに興味がなくなってきているのだろう。別に成長を否定しているつもりはなくて、成長と言うのはあくまで結果であるという想いだ。つまり、成長するために行動するのではなくて、行動した結果成長するものなのだ。知識や経験と言うものは、ただそれだけで価値がある。別に”成長するために”知識や経験があるわけではないと思うんだよね。だから成長することが無条件で称揚される物語にはいろいろと考えてしまうところがある。もちろん成長することは良いことだが、それだけがすべてではないはずだ。

まあ、だからと言うわけではないけど、主人公の成長が描かれていない(少なくともメインではない)この作品には安心感があるのだった。感情に流されず、心の機微にも敏感な主人公がいてもいいじゃない。与えられた無理難題に対して、奇跡を求めるのではなく、他者の助けを借りることもなく、自分の手を汚すことも恐れない主人公の姿には、作者の一定の誠実さが感じられる。主人公のやり方は決して正しいやり方ではないし、もし明らかになれば失われるものも多いものだけど、それでもやらなければいけない時がある。それは自分がきれいなままでいるために周囲を不幸にするような人間よりも余程マシな人間だろう。つまり、そこにはちゃんと本当の事(現実的と言う意味ではない)を描こうとしていると言うことで、そういうのは誠実さと言うものだと思うんだよね。

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2013.03.20

『瓶詰魔法少女地獄』

瓶詰魔法少女地獄』(安藤白悧/講談社ラノベ文庫)

前回に比べると主人公が驚くほど好感の持てる人物になっていた。少なくとも無意味な上から目線はなくなっているので、それだけでもずいぶん印象が違う。主人公に引っかかるところが少なくなったせいか、今回は全体的の不条理さと言うか、メタフィクショナルなネタをツッコミなしで入れたりと、全体的に作者独自のワールドに目を向けることが出来るようになった。どこまでがネタでやっているのか、どこからがギャグなのか良く分からなくて、独特の不安定感がある。

不安定と言うのは良い意味で使われることは少ないけれど、それは既存の枠に収まらないということでもあるわけで、むしろ積極的に受け入れるべきなんじゃないかという気がする。面白いのか面白くないのか、まだそういうところまで自分の中で咀嚼出来ていなくて、だからこそこれからいくらでも考えていくことが出来る。そういう可能性はすでに評価方法が固まっているものにはない、と言う言い方が出来るのではないか。

まあ、この作品をそうだと言い切るのは難しいけれど(新しいのか、足りていないのか、まだわからない)、作者の中ではきちんと世界が作られていて、それが自分にはまだ良く分からないと言うのは、なかなか面白い感覚だ。 こういうのは巻を重ねていくにつれて”お約束化”していくもので、不安定感を楽しめるのもそう長いことではないのだろうが、少なくともこの時点で、読み手である自分が持っているお約束から外れた物語が描かれているということだと思う。

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2013.03.18

『一つの大陸の物語(上) ~アリソンとヴィルとリリアとトレイズとメグとセロンとその他~』

一つの大陸の物語(上) ~アリソンとヴィルとリリアとトレイズとメグとセロンとその他~』(時雨沢恵一/電撃文庫)

トレイズとセロンがいきなり意気投合しているのが面白かった。おそらくどちらも頭の回転が同じくらい早いので、相手の些細な言葉で相手の考えを察知しているため非常に会話がスムーズ。荒事を潜り抜けたトレイズの機転とセロンの思慮深さのどちらが優れているというものではないが、こういうのはクロスオーバーの醍醐味だと思いました。本編ではどうしても難しかったリリアとメグの親友描写も解禁になったところもあって、こんなことをやっていて本当に上下巻で終わるのだろうか?まあ、これはお祭りと言うかオマケみたいなもので、それぞれの主人公がそれぞれ自分らしく暴れまわってくれれば問題ないのだろう。

ただ、上巻だけを読んでいると、他のキャラと比較してリリアが苦労しそうなポジションであるなあ、と思った。アリソンに非常に苦労させられてきたという歴史があるだけに、どうもリリアには苦労が染みついている感じ。いや、姉御肌で友達が困っているとつい首を突っ込んでしまうタイプだけに仕方がないとも言えるのだが、トレイズの常識のなさ、メグの予想のつかなさにフォローしている感じだ。まあ、そのうち彼女も暴走するようになるだろうし(自覚はないのかもしれないが、やっぱりアリソンの娘だ)、そうしたらトレイズがフォローする展開になるのだろうし、もしかしたらメグやセロン、そして新聞部のメンバーも動き出すだろう。そんな展開になってくれると嬉しいなあ。

そうそう、冒頭のトラヴィス少佐の場面で、執拗に伏線が張られていて笑ってしまった。飛行機に乗る前に、初心者向け飛行操縦読本を読みふけるとかどんなフラグだ。もっとも最近はフラグ外しというものもあって、いかにも助かりそうなフラグで死んでしまったりするので油断は出来ない。出来ないが、まあ、最後の場面を見る限りそういうことなんだろうな。身元確認出来ないのは生存フラグ。いくらなんでも不自然すぎるだろと言う気持ちと、これがやっぱりこのシリーズの空気なのだという気持ちもあって、なんだか笑ってしまった。深刻で残酷だけど、どこか緩いような空気があるのだ。

自分は、このシリーズだけじゃなくて、時雨沢恵一作品の、そういう恬淡としたところが好きなのだった。それは退屈とか起伏がないというのとは違っていて、例えば電車の外の景色はなぜか際限なく眺め続けていられるのにも似て、何の変哲もないものなのになぜか特別なものを見ているような気持ちにさせられるからだ。

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2013.03.15

『レイセン File6:三人きりのフォース』

レイセン File6:三人きりのフォース』(林トモアキ/角川スニーカー文庫)

フォースの少年少女たちの関係に亀裂が入り、ついに仲間同士での殺し合いが始まってしまうのか!?未熟なエゴと暴走する情動がぶつかり合うライトノベル異能鬱バトルが始まってしまうのか!?と思われたところで、敵も味方も含めた周囲と大人たちがなんとか穏便におさめようと動き回るのがとても面白かった。フォースを利用している AUTOLINEグループの甲山にしても、彼がやっているのは経済活動なので(少なくとも彼の主観では)、勝手に殺し合いをされては困ると言うもので、彼なりに人死にが出ないように動いているあたり、なんというか、善と悪と言うものの曖昧さが感じられますね。物語的にはどう見たって悪の組織のボスである甲山こそ死人が出ないように心を配っているわけだから。

あるいはこれは大人と子供の違いと言うものかもしれない。子供の論理において、相手が本心を隠していた、実は自分を侮蔑していたなどと言う事実は己の信じていた世界が破壊されるにも等しいことで、それに全力で抗わなければいけない話なのだけど、大人側にとってみては、たかだか感情のもつれぐらいで殺しあわないで欲しいものだと呆れている感じ。この温度差が面白かった。

我らが主人公のヒデオは、甲山ほどにドライに対処することはなく、少年たちの感情にそれなりには理解を示してはいるのだが、それでもやはり彼もまた大人側なんだけど(まあ、まがりなりにも社会人だしね)、ちゃんと自分の経験を踏まえた上で子供たちが直面している問題に感じがすごく良く出ていた。かつて自分も同じように愚かだったからこそ、子供たちの愚かさに共感できるし、その罪を許すことも出来る。そういう”人生の先輩”とでもいう立ち位置にごく自然に立っているところが良くて、人間が正しく成長することの幸福があると思った。

そこには”異能”とか”頭の良さ”とはまったく違った人間として当たり前の”強さ”があって、もともとヒデオが主人公の物語は”強さ”と言うものに対して非常に多様な見方をしてきたのだけれど、ついに”成熟”についての物語にも向かい始めたのかもしれない、などと言うのはさすがに妄想かもしれない。けれど、自分がこのシリーズが好きな理由は、やっぱりそういうところにあるのだ。

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2013.03.08

『マグダラで眠れⅡ』

マグダラで眠れⅡ』(支倉凍砂/電撃文庫)

読み終えてから思ったのは「これプリンセスメーカーじゃねえか!?」と言うものでした。無垢な少女を思いのままに自分色の染めていく喜びと言いますか。こういう言い方をするとまた良識を疑われそうですが、こういうことを言いつくろってもしょうがない。相手を自分好みに育成していくことの業の深さは、それゆえにこそ甘美であるよな。

クースラとフェネシスの関係は非常にあいまいなもので、恋人のような親密さはもちろんないし、兄妹のような親しみはなく、師匠と弟子というほどの規律もない。まあ、せいぜいが保護者と被保護者の関係というところなのだが、そうやってお互いの距離感を探っていくところが楽しかった。前回は敵と味方(まあそれもちょっと怪しくはあったが)に分かれていたのだが、そこから新しい関係を作るために、歩み寄ってみたり、その結果意外な一面が見えてきて戸惑ったりと、なんとも初々しいのだった(だから、クースラを惑わす魔性としての無垢、とでもいうものは大分薄れてしまっている。もちろんそれが悪いというわけではなくて、別のものを描こうと言うもののようだ)。

そうした二人をつなぐのは、やはり錬金術、と言うか未知なるものへの好奇心とでも言うもので、それを軸にして関係が新しく結びなおされていく過程が描かれているように思う。人間の関係と言うのは、やはりお互いの意思が寄り添うところから始まるもので、それが何かに対する感動でつながるのは、個人的にはすごく好きな関係なのだ。人間、どうせ他者とつながるのならば、自分のもっとも大切なものでつながりたい。そういう感覚が自分にはあって、だからこういうのはすごく読んでて楽しいのだった。

クースラはフェネシスをとても可愛がっているようで、と言ってもそれは小児性愛的なものではなく、あくまでも年少者に対するそれなのだが(いや、小動物に対するものかもしれないが)、彼女に対する責任を自覚している。無力な彼女に生きるための力を与えてやりたいと言う意思がそこにはあって、そしてそれは自分の思いのままに育てることへの欲求もある。この二つを意識して天秤を取っているあたり、主人公の冷静さがわかります。そして、今後、その天秤がどのように揺らいでいくのかにも、非常に興味があるのだった。

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2013.03.01

『フェノメノ 美鶴木夜石は怖がらない』

フェノメノ 美鶴木夜石は怖がらない』(一肇/星海社FICTIONS)

怖いって感情は未知のものに対してこそ感じるとはよく言ったもので、この作品は実に未知について描いていると思う。作中でも誰かが、「”本物の怪談”と言うのはどこかに必ず辻褄が合わないところがあって、そこには異界の論理が隠されているのだ」、みたいなことを言っていたけど、まさにそれこそが恐怖の源なのだ。そこには確かに論理があるはずなのに、いくら目を凝らしても、どんなに考えても、その論理が目に入らないし思いつかない。それが本当に恐ろしい。

主人公が出会う美鶴木夜石はそうした異界の論理を”理解してしまう”人間なのだが、誰でも理解できない未知を理解出来てしまうということは、それは”あちら側”、つまり”理解できない恐怖”であることを示している。つまり、彼女こそが恐怖なのだ。なぜ恐怖を感じるのかと言えば、理解出来ない物事には、いかなる予測も立てられないということであって、状況をコントロールすることが出来ないということも一つの理由だ。だから、彼女を誰も制御出来ない。誰も彼女を予測することが出来ない。誰も彼女を理解出来ないのだ。

そんな彼女と、何故か隣にいてしまうのが主人公なのだが、それはひどく不自然なことだ。理解出来ない存在の傍にいることは本能に反している。それでも彼はそこにいて、理解出来ない彼女を”理解出来ないまま”に受け入れてしまう。おそらくそうした態度こそ”神隠しに逢いやすい体質”と言うものであって、彼にはどこか本能の壊れたところがあるのだろう。

だが、個人的には、彼の態度はひどく好ましいものだとも思う。なぜなら世界には理解出来ないものに溢れているからだ。他人が考えていることを理解出来る人間がいるか?外国人が感じることを我が事のように感じることが出来るだろうか?犬や猫が何を考えているのかを理解することが出来るだろうか?理解出来ると言う人はいるだろう。だが、本当にそれを理解出来ているのなら、世の中には争いなど存在しないはずだ。争いがある以上、やはりそこには理解出来ないものが残っているのだ。それでも人が生きていくのならば、どこかで理解出来ないままに相手を受け入れるという態度が必要になる。この主人公のように。

それが主人公にとって良かったことばかりではない。彼は何度も危うく死にかけたのだし、それは最初から避けられたことでもあったはずであろう。だが、その態度が、美鶴木夜石とわずかなつながりを生み出したことも確かだ。この世のどこにもつながることが出来なかった彼女。なぜなら彼女を理解出来るものはこの世にはないからだ。彼女はたった一本の蛸の足だ。この世のなにとも共有する土台を持たないからだ。それでも彼女をつなぎとめるのは、彼女をまるで理解出来ないでいながらも、彼女の隣に座ることが出来る主人公だけなのだ。

それは相手を理解しようという態度ではない。別に理解しようとは思わないまま、それでもまあ一緒にいるぐらいは別に構わない、そういった突き放した態度だ。けれど、理解出来ないものに対して理解出来ると思うことは、それは傲慢と言うもの。理解出来たふりほど苛立たしいものはなく、それは相手を尊重することからは離れた行為だ。理解出来ないものを、理解出来ないままに付き合うこと。それは難しいことだが、それだけが救いになることも、きっとあるはずなのだ。

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