« 2013年1月 | トップページ | 2013年3月 »

2013.02.25

『がらくたストリート(1)(2)』

がらくたストリート(1)(2)』(山田穣/バーズコミックス)

つい先日まで二巻が出ていることにまったく気が付かずスルーしていたのだった。自分のアンテナも錆びついたものだと思ったものの、それ以上に話題にならないにもほどがある!と出ていることに気が付かなかった自分を棚に上げて憤りを感じたので感想を書く。

この作家の面白いところは日常と非日常の接続の仕方にあると思っていて、作者の体験談とおぼしきリアルな日常の小ネタと宇宙人や神様との緩やかなつながり方にが素晴らしいと思う。それは、道を歩いているときに、遠くに揺らめく陽炎に異世界を見るのにも似ていて、ほんのちょっとした違和感の積み重ねのようでいて、しかし、そこには確かに宇宙人もいるし神様もいる。と言うか、陽炎が現実であるのと同じぐらいに宇宙人も神様も現実であるような手触りがあって、これがすごく好きなのだった。

思うにこの作品には作者の実体験とおぼしき、やたらとマニアックかつ広範囲にわたる無駄知識が描かれていて、それが強烈な現実感を与えているのだが、それが非日常とダイレクトに結びつくことによって、非常に幻惑的なイメージを与えていると思う。宇宙人の女の子と、焼き飯と炒飯の違いが同じレベルで描かれることに頭がくらくらするほどの違和を感じるのだが、同時にそれぐらいしか違いのない物なのかもしれないとも思える。暗闇の中に人間の知覚出来ない存在を意識するのと同じくらい、それはありふれたものなのだ。

つまり、日常と非日常を分かつものは実はなく、どちらもが同じ世界に存在していることで、人間は無意識のうちに行ったり来たりしているという感覚がこの作品にはあると思う。自分はそういう感覚をわりとしょっちゅう感じることがあって(まあ社会不適合の気はあると思うが)、だからこそ、この作品における幻想の扱い方(我々がいつも見ている現実のなかに散りばめられているという見方)は非常に魅力的に思うのだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.02.21

『空ろの箱と零のマリア(6)』

空ろの箱と零のマリア(6)』(御影瑛路/電撃文庫)

前巻から引き続いて醍哉が”願い潰しの銀幕”によって追い詰められていく展開なのだけど、どうもこう、醍哉の追い詰められた感じがなくて、どうもしっくりこない。醍哉の過去の罪を本人に見せ付けることで精神を崩壊させようとしているのだと思うのだが、正直、劇の内容に人間の精神を砕くような不気味さは感じられないわけで(勿論そこで語られているのは悲劇であるのだが、それだけで人間が”壊れる”ものなのだろうか?)、醍哉が苦しんでいればいるほど、読者としては他人事としてしか捕えられなかった。

と言うか、そもそも醍哉の苦しみがまったく理解できないというか、自分の中で理屈が通らないものを感じる。まあ、自分の罪や過ちを客観的に突き付けられるのは、ある意味、死ぬよりもつらい事であるのは理解出来るし、それを続けられるのは拷問のようなものであることもわかる。実際、自分の失敗や他人を傷つけた過ちをちょっと思い返すだけでも頭をかきむしりたくなったり、胸がギリギリ痛み出すということは、ままあるものだ(あるよね?)。ただ、それによって”壊れる”かって言うと、どうなんだろうなこれ。

いや、別に罪悪感の痛みを軽くみるつもりはないんだ。それが人間を殺すのに十分な力があるのは自分もまったく同感だし。ただ、醍哉が本当にそうした痛みに耐えているのかどうかが、イマイチ伝わってこないんだよね。まあ、彼の精神力が常人離れしているから、という説明で納得してもいいんだけど、それにしたって劇の終盤に入ったところで「これ以上は耐えられない」って言っているわりに、まだまだ思考能力を残しているんじゃないの?と思ってしまった。 まあ”願い潰しの銀幕”の力が罪悪感によって相手を壊すものでなくて、劇の最後まで観た人間の心を壊すという力を持っているというのなら、やっぱりそれでもいいんだけど(最後まで見ることが条件なら、途中経過での醍哉の状況は重要じゃない)、それだとなんか美しくないしなあ。

個人的嗜好を述べさせてもらうと、”願い潰しの銀幕”によって見せられたものが”醍哉の精神を壊す”だけの説得力を有して欲しかったんだよね。でも、正直なところ、この内容で一人の人間の精神を”壊す”と言われても、ちょっと納得しきれなかった。個人的な感覚だと、人間の精神ってのはそんなに簡単に壊れるものじゃなくて、一見壊れたように見えても、なにかの拍子で元に戻ったりすることもある(もちろん戻らないこともある)。だから、そもそも”願い潰しの銀幕”という能力がいまいちピンとこなかったんだよね。たぶん、作者の感じていることと自分には大分隔たりがあるんだろうなあ、と思った次第です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.02.19

『アクセル・ワールド(13)―水際の号火―』

アクセル・ワールド(13)―水際の号火―』(川原礫/電撃文庫)

ニコがハルユキがバーストリンカー女子にモテる理由みたいなことを言っていて、それがなかなか説得力のある言葉だと感心してしまった。ちょっとだけネタバレになるけど、年期の入ったバーストリンカー女子ほどバーストリンク中の自分とリアルの自分のギャップを感じているという話のようだ。いかに無敵のバーストリンカーであってもリアルではか弱い少女でしかないと言う事実、そして強者の気持ちを知っているからこそ弱者でしかない自分の危うさを理解してしまっていると言うことだろう。それゆえにリアルの男子(あるいはリアルそのもの)は警戒の対象にしかならないというわけだ。

そんなバーストリンカー女子にとって、ハルユキはリアルにおいてもバーストリンクにおいても恐怖の対象にはなりえないらしい。まあ、ある意味において男としてみなされていないという意味もあるんだろうけどそれだけではなくて、彼の見た目や性格には他者を恐怖よりも親しみを抱くものだということだ。確かにイラストで描かれているハルユキのまんまるカワイイ姿はマスコットやぬいぐるみめいたものの方が強く感じられる。ある意味これも「ただしイケメンに限る」と言うやつかもしれないが、イケメンやカッコ良いと言うのは、つまりそれだけ少女を搾取する存在であり、その意味でイケメンはむしろ警戒の対象であるのだろう。このあたりの理屈展開はなかなか納得の行くものだった。これはハルユキがいろいろなバーストリンカー女子にモテまくるのは一見ライトノベル的なご都合主義のハーレムのように見えるけれども、そこには明確な理由付けがされていると共に彼女らが抱えるバーストリンクに対する依存とリアルとの距離を示すものでもあるということ。つまり、”ハルユキがモテる理由が世界設定のレベルで設定されている”と言うことだ。

このように物事の因果関係が非常に拘っているのは川原礫という作家の面白いところだと思う。なんというか、あらゆる物事には必ず理由がある、という信念を感じさせられるんだよね。しかも、作者の想定しているらしき因果関係は二重三重に組み合わさった非常に複雑なものになっていて、しかも、非常に整理されているとも感じるのだ。 まあ、実際に作者がどう考えているのかはともかくとして、少なくとも自分が感じるのは、物語のすべて、それこそキャラクターの心理から世界設定までのすべてを徹底的に制御しようとする作者の強い意志だ。普通ならば”なんとなくお約束だから”ですまされるような描写にさえ作者の考える世界でどのような意味を持つものなのかを考えてしまっているのではないかと思えるのだ。

個人的には、あらゆる物事に因果関係を明確にしようとするのは窮屈だと思うし、それに囚われてしまい過ぎになりそうな危惧も感じるのだけど、それはそれとしてここまでそれをきちんと管理しているというのは、やっぱりけっこうすごいことだとも思うのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.02.15

『棺姫のチャイカⅥ』

棺姫のチャイカⅥ』(榊一郎/富士見ファンタジア文庫)

作者は本当に手堅く物語を書くなあ、と感心してしまった。ここまで何一つ尖ったところがない作品と言うのはある意味すごい。正直、個人的にこういうのは褒めたくはないんだけど、ここまで徹底されると褒める以外の言葉が出てこないなあ。

なぜ褒めたくないのかと言うと、この作者は物語に対してまったく愛がないように見えるからです。まあ、愛がないと言うと言い過ぎかな。物語を書きながら何を考えているのかが分からない、と言うのが正確かもしれない。まあ、これは自分の趣味の問題になるので賛同されない可能性もあるけど、小説ってのはやっぱり作者本人の思考や嗜好がどうしても反映されるものじゃないですか。抽象的な言い方で申し訳ないですけど、作者が重視しているものは過剰になったりするんだけど、自分はそういうのを求めて小説を読んでいるところがあって、そういうのがあるといろいろ破綻していても許せてしまうんだ。

それに対して、この作品に感じるのはまったく逆なんですよね。キャラクターの行動原理は明確で、伏線もきちんと回収して、シリアスとギャグのバランスも良く、硬質さを残しながらも程よく崩されている。もうライトノベルのお手本と言ってもいいんだけど、どうもこう、破綻がなくて、個人的に物足りない。作者、本当はもっと過剰になんか突っ込めるんじゃないの!?本気を出せばもっとぶち壊せたんじゃないの!?みたいな感じが沸いてしまうんだ。いや、ぶち壊したら駄目だけど。

前から思っているんだけど、どうも榊先生は本気で限界に挑戦していないって感じがあって、そこがもどかしいですね。いつも高いレベルで安定しているんですけど、高いレベルを突き抜けようという気がなさそうと言うか。まあ、挑戦的なことをすると失敗のリスクもあって、それを考えれば挑戦しないというのも悪い選択肢ではないけど。それを責めるのはちょっと読者としても無責任すぎるかな。

でも、自分は安定した秀作より、破綻した駄作の方が好きなんだよなー。だったら他を読めって?そりゃそうだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013.02.11

『幻國戦記 CROW -千の矢を射る娘-』

幻國戦記 CROW -千の矢を射る娘-』(五代ゆう/GA文庫)

忍者でスチームパンクですってよ奥さん!しかも、特撮変身ヒーローで山田風太郎忍法帳ときたら数え役満ですよ旦那!誰だよ。それに麻雀とかわからねえよ。そんなことはどうでも良いですが、少なくとも自分は大喜びな趣味的な一品となっておりますね。五代先生にこういう趣味があったのは知りませんでしたが、それにしても偏ったご趣味でございますなあ。いえ、素晴らしいと思います。

タイトルではCROWとなっているけど、主人公は実質的に鴉ではなく、彼に助けられる千弦になっています。里を滅ぼされた彼女にはある秘密があり、いくつもの組織が彼女の身柄を狙っている。彼女が生き延びるために戦うというのが物語のメインになっていて、なんというか少女小説的な肌触りがあるのが独特です。千弦を助ける二人の青年(片方が穏やかで誠実、片方がお調子者で裏がある)の存在も少女小説的な要素を強めていて、一方、奇奇怪怪な奇人変人怪人が入り乱れるバイオレンスアクションが展開されていく。このミスマッチ感がかえっていい味を出している気がしますね。

登場人物がガンガン容赦なく殺されていくのもなかなかバイオレンスアクションとしては好感が持てるんですが、ちょっと今回はキャラ紹介的な要素も強くて、まだ大人しいところもあるかもしれない。敵も実質、妖怪ジジイ一人だけで、不死身とも思われるジジイが今作の変態成分を担っているところがある。このあたりは今後、どんな変態が出て来るのか五代先生のオタク力の到達点を見るうえでも次回に期待でござる。

バトルアクションものとしては、それぞれ超常の能力を持った忍びが殺しあうわけですが、現時点において鴉の能力がチート過ぎて、限界が見えないのがネックですか。ここまでやっては敵に勝ち目なんかないんじゃないの?まあ、作者がどのようなバトルを志向しているのかにもよるけど、そのうち鴉の弱点が明らかになったりして、お互いに最善手を打ちあう高度な駆け引き戦が描かれると嬉しいところだ。個人的には五代先生はそっちの方にはあまり興味のない人だと思っているんですが、この題材となったら期待せざるをえません。

まあ、正直な意見を言わせてもらうと、こういう少年漫画的伝奇アクションは五代先生の作風じゃないと思っていたので、期待半分不安半分と言うところです。まあ、期待するのはタダだし、方向性が違っていたら読み方を修正すればいいだけだ。今はただ続きを楽しみにしていきたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.02.08

『魔法少女地獄』

魔法少女地獄』(安藤白悧/講談社ラノベ文庫)

物語冒頭で主人公が「怪人に襲われ、魔法少女に助けられ続ける生活をするうちに精神年齢が30代になった」みたいなことを言っていて、これにすごく違和感があった。こう言っちゃなんだけど、たかだか命の危険にさらされ続けたくらいで大人になれるわけがないじゃないか。他にも「大人と子供を分かつものは”計算”だ」みたいなことを言っていて、まさにそれこそが子供の発言でしかないと思う。なんつーか、中二病のヴァリエーションですよね。自分は他の人間とは違う人生を送る特別な人間なのだから子供ではいられなかった、って言っているわけで、これは見事な中二病だと感心せざるを得ませんでした。

個人的な意見だけど、大人になる、つまり、成熟するというのは、経験とはまったく関係のないものだと思う。経験を積むことで得られるのは成長であって、成熟ではないんだ。成長って言うのは、慣れや習熟によって今まで出来なかった事が出来るようになることだ。人間的な成長するとかも本質的には自分の能力を向上させることと言う意味であって、それはやっぱり成熟ではない(と思う)。

自分は、成熟とは自分と世界に関するある種の見方のことだと思うのだ。世界の中で自分がどのような存在なのか、そして、自分が何が出来て何が出来ないのかを認識すると言うことだ。つまり、”自分とはなんなのか”という問いに、自分で答えが出せるようになることが”成熟”なのだ、と言ってもいい。それは優劣のある関係でもなくて、成熟した方が偉い、未成熟なのは駄目だとは思わない。あくまでも立ち位置の話であって、成熟することで人間は世界をより明確に見通すことが出来るようになる。ちょっと抽象的過ぎるかもしれないけど、要するに成熟と言うのは良いものとも悪いもの言えないことだと思うのだ。

なので、主人公がそういうことを言い出した時にはいろいろと危惧するところがありました。そういう似非ペシミスティックな主人公が魔法少女たちを相手に傍観していくだけの話になるんじゃないか、あるいは自称大人な主人公がヒロインたちを”導く”ような話になっちゃうんじゃないか、とか(そうなったらとても耐えられる気がしない)。まあ、最後まで読めば大体杞憂だった。ちょっとそうなってしまいそうな雰囲気はあったけど、結局のところ主人公が全然大人でも何でもないことはすぐに明らかになるので、もうちょっと前向きな話だとさえ思った。自分がなんなのかわからない主人公が、一応の自分の立ち位置を見出す物語、つまり、ちゃんと”成熟”に至ろうとしている物語のようなのだ。

主人公は魔法少女に助けられるだけの自分にうんざりしていて、それはむしろ魔法少女を”助けたい”と言う願望の裏返しであって、だからこそうんざりしている。物語の途中で、彼は魔女の先輩に手を貸して、最後のところでついに行動を起こすんだけど、それさえも結局、彼自身が凡人であることを示すものでしかないと言うオチが付く。でも、最後のところで彼の行動そのものは誰かの救いになっていることが示され、それによって彼は自分の本当にやりたいことを認識し、行動に移すエピローグにつながっている。つまり、主人公は”己を知った”上で彼自身が魔法少女たちに何をしてやれるのかを考えるようになったのだ。これはさっき書いた成熟の話と非常に良く似ていて、少なくとも物語冒頭でうそぶいていた主人公とはまったく別のものになっている感じがする。そこには自分の限界を思い知った上で、それでも夢も見るためにはどうすればよいのかを考えているところが非常に実際的なのだ。それが大人のやることだと思う。自分はこの主人公がどうも好きになれなかったんだけど、エピローグの彼は肯定してあげたいと思うんだよね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.02.07

『魔弾の王と戦姫(6)』

魔弾の王と戦姫(6)』(川口士/MF文庫J)

前回の話でティグルのカッコよさが頂点に達してしまったため、今回はどうなるのかなあと思っていたので、ちょっと感心してしまった。いやね、今回から登場した戦姫オルガのキャラが、今までのと違って”未熟”であるところが面白いな、と思ったわけです。今までティグルが出会ってきた戦姫は全員が彼よりも上手であり、それに翻弄されれるティグルの図式が定型化されていたわけですが、今回はそこから離れているところが良かったですね。しかもオルガは年齢においてもティグルの下で、戦姫らしく戦闘力は無双であるものの、重い責任を背負うことに対して臆病な少女という面も持っている。そこへやってきたのが、数多くの戦いを経て、己の責任を受け入れて知勇兼備の英雄に成長したティグルさんと言うわけ。

いやーオルガの視点と言うものが持ち込まれたことで、ティグルの英雄っぷりが際立つこと際立つこと。周囲に彼に匹敵する存在がいないこともあって、まるで欠点のない物語の中の英雄みたいな活躍をしてしまっている(いや、物語なんですけどね。そういうことじゃなくてね)。こんなものを見せられたオルガは当然の如くティグルのシンパになっちゃうわけですが、申し訳ないですが、あなたが憧れている男は地元が女の尻に敷かれているんですよ、大丈夫ですか?と言いたくならないでもないですが、その辺は彼の甲斐性でなんとかしてもらいましょう。

えーと、そんな話はどうでもよくて。とにかく、他の戦姫と別れたこともあって、今回は”ティグルの冒険譚”の方向が強くなっている感じです。ティグル自身が考え、決断していくことで物語が動いていく。彼もずいぶん戦慣れをしたこともあって、数々の試練を機転と弓術で切り抜けていく物語には昔ながらのファンタジー戦記を思わせるところもあって、ライトノベルの要請に基づきラブとコメとエロをいれつつも、作者はちゃんと自分のやりたいことをやっているんだなあ、と感心させられます。こういう風にやりたいこととやるべきことをきちんと両立できるあたり、いち社会人として尊敬せざるを得ませんね。

あと、読者の余計な心配としては、前回の最終局面周辺の合戦描写にはちょっと性急さや描写の不足が散見されたので、今回はそういうことがないといいなあ、と。今回の城攻めみたく、こうした細かい作戦の描写があると、戦記物としてとても手触りが良くなる感じがしますね。そして、真面目な描写が続きそうなところでロリ全裸とか入れて来る作者の配慮には頭が下がります。バランスを取るのも大変ですなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.02.05

『千の魔剣と盾の乙女(9)』

千の魔剣と盾の乙女(9)』(川口士/一迅社文庫)

ロックとファーディアの関係がまるで男二人のバディものに通じる凸凹コンビ感が出ているのが新鮮ですな。といきなり結論から入ってしまったけど、 自分にとって9巻の内容はロックとファーディアの話です。この二人がキャラ的にここまで噛み合うとは思わなかったって言うか、やっぱり男の友情ってのはお互いに譲れないものを持ちつつ、そこを尊重しあう関係がいいですね。これがヒロインとの関係ではお互いのすべてを肯定する”受容”の過程が入ってしまうので、こういう関係にはなりにくいものだ。なお、これは個人的な見解です。あとBLとかあっちの方向の話は知らんけど。

とにかく、これはもっと早くクローズアップしても良かったんじゃねーの?男キャラなんていらん、という層がいることは否定しないし、このシリーズはまさにそういう層をターゲットにしていることも間違いないけど、それにしたって二人のコンビはかなり面白いし、上手くすれば女性層も取り込めたりもするんじゃないか?と思ったけど、バランスを取るのが難しそうだし、机上の空論かもな。まあいいや。

あとはそうだなあ、新たなの嫁が参戦したり(むしろ愛人か?)、ホルプの復活の目途がついたりしていたわけだけど、『星図詠みのリーナ』とのリンクもおぼろげながら出てきたかなあ、というところか?あれは複線をいろいろ残して終わったから、再利用できる線はけっこうありそうだし、そんな感じでも蘇ってくれると個人的にも嬉しい。自分はあのシリーズがすごく好きで、いろいろな意味で”正しい意思”と言うものを考えさせてくれた良い作品だった。果たして今のシリーズに、あそこで描かれていた”正しさ”を感じさせる描写があるとはあまり思えないんだけど、まあそれがライトノベルとしては売れないという現状では仕方がないのかなあ……と非常に悲しい気持ちになります。あーあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.02.03

『僕は友達が少ない CONNECT』

僕は友達が少ない CONNECT』(平坂読/MF文庫J)

今回の話は、小鷹の視点で描かれていた『はがない』シリーズの物語を、他の登場人物の視点から語りなおすという話になっているみたいだ。小鷹が遭遇したヘンテコで楽しい出来事の裏で、彼女たちは何を考えて、何のために行動していたのか。そうした小鷹の視点からではわかりえない物事が描かれているわけね。夜空が何を考えて隣人部を作ったのか、星奈はどうして小鷹に惹かれたのか、理科の本心は、幸村の望みは、そうしたものが赤裸々に描かれていて、言ってみれば『はがない解明編』とでも言うべき内容だった。多くの読者としては、今まで想像することしか出来なかった物事にはっきりとした答えが与えられたことで、嬉しいところなのだろう。

ただまあ、個人的な意見を言わせてもらうと、こういうのは蛇足以外の何ものでもないと思うんだよね。そりゃ確かに小鷹の知らないところで彼女たちが何を考えているのか知りたいという欲望はわかるし、自分の中にもないわけじゃないけど、彼女たちの内面を推察するヒントは本編の至るところにあったわけで、それ以上にはっきりとした答えを出してもしょうがないと思うんだ。もちろん、あの時、あの人がこんなことを考えてこんなことをしていたんだよ、と明かされることで綺麗につながる物語もあるけど、はがないはそういう話じゃないと思うしね。そもそも、他人のことがわからないからこそ、相手をわかろうとする努力が必要になるものであって、それを忘れて答えだけを求めるようになっては、それこそ友達なんて出来るはずもない(上っ面の友達だけなら別だが)。

とは言え、作者の意図としては、これから本格的に物語が動いていく前に、登場人物同士の人間関係を明確にして、読者の混乱を排除しようとする配慮があるんだと思う。これは必要と言えば必要かもしれないけど、どうも読者の知性を相当に低く見積もっている感じがあって(ここまで懇切丁寧に説明しないと理解されないと作者が思っている)、読者としては無邪気に喜んでもいられないと言うか……。まあでもライトノベルとして普遍性を獲得する上では仕方ないかなあとも思うし、否定するつ気はないです。主要な客層である10代に伝わらないと意味ないし、そもそも自分のようなはがないを読んでいるおっさんこそ少数派な気もするし……。あらやだ、予想外の方向から痛撃が。

えっと、答え合わせの感覚で読んだ感じだと、だいたい自分の予想通りでした。まあ、幸村の生い立ちとか星奈の異母姉妹とかああいう新情報(だと思う)を除けばの話だけどね。夜空はわかりやすかったし、理科も8巻で見せた”素”の彼女のキャラクターからすれば納得のいく話だ。そうそう、理科の話は、平坂先生がきちんと”天才の一人称”を描こうと努力しているのが偉いなあ、と思った。テンプレの天才描写に逃げないというか、飛躍と直観に満ちた異質な思考を描こうとしているっていうか。まあ、成功したとは言わないけど。だってそもそも天才の思考形態を凡人が書けるわけないし。これはそもそも成功なんてない取り組みで、だからこそ意味があると思うんだよね。あれ何の話だっけ?

そういや今頃になって気が付いたけど、結局、星奈の内面や動機がはっきりと、”本人の一人称”によって語られてない気がするな?ステラさんの視点や、理科の独白などで星奈という人物の外面は描かれているが、その内面まで切り込まれていないような?これはどういうことだ……?もしかして彼女は真のヒロインか、あるいはラスボスなので今はまだ語れないってことなのか……?予想はいろいろ出来るが、今はまだ判断できませんな。

ところで、次には夜空のフルボッコタイム+覚醒があると予想しているんだけど、平坂先生の事だから多分外してくるかもしれないなあ。自分が「お、アクセル入れるか!?」と思ったとこでブレーキをかけて、「ここは待ちだろう……」と言うところで勝負を賭けてきたりするので難しいです。完全に平坂先生の手のひらの上で踊らされています。まあそれが楽しいんだからオールオッケーです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.02.02

『大日本サムライガール(4)』

大日本サムライガール(4)』(至道流星/星海社FICTIONS)

自分はどうも主人公の態度、なんつーか業界ノリ?みたいなのが気に入らないんだよね。相手をいじって遊んだり、ボケとツッコミの関係を人間関係に持ち込もうとするやり方は、どうも鬱陶しいっつーか(主人公と千歳のやり取りなんか顕著だね)。そういう態度を持っている人って実際にいて、そういう相手にはほとほとうんざりさせられてきた経験があるだけに、主人公のそうした態度が物語中でスルーされていたのはどうも座りが悪い感じがあったんだ。でも、今回は、凪紗に対する主人公の態度のせいで、凪紗がどんどんメンタルを落としてしまう場面があって、別に深刻な描写というわけではないけど、あれがすごく良かったと思う。ああ、作者は主人公の態度に意識が及んでいない(あの態度に対する問題意識がない)というわけじゃなくて、ちゃんと目を配っている人なんだな、別に肯定も否定もしていないんだな、ってのがわかってすごくすっきりしたんだよね。あれのおかげで主人公の態度も個性の一つ(一つというのが重要)なんだと言う感じがする。人間、どんな良い人にも腹の立つところや気に入らないところはあるんだけど、そういうのも受け入れていこうっていう感じにさせられるんだ。

で、ここまで書いて思いついたけど、わりとこれって重要なことなんじゃないだろうか。日毬の思想はあまりにも過激でおいそれと受け入れることは難しいけれども、それがいくつものある考え方の一つとしてみなされているのであれば、自分は日毬の考え方を容認できると思うんだ。それが唯一の真実とされるようになったら、これはもう断固として闘争しないといけなくなっちゃうけど。必要なのは相対化ってことだね。それも自分と相手の二極化じゃなくて、多種多様の考え方の中で、相互に干渉しあうという意味での相対化。それぞれの立ち位置は揺るがない硬直化したものではなくて、むしろお互いがお互いに影響しあいながら、そして影響された側も別のなにかに影響を与えていく。そういう視点をもつことで、お互いの相違を許容しあうことが出来る。お互いの立場が絶対普遍のものだと思ってしまうと、相違そのものが絶対に許せなくなってしまって、結局、どちらかが全面的に譲歩するしかなくなってしまう。そういうのは、自分はどうも好かん。

やっぱりね、どんな物事でもそうだけど、共有できない相違を、相違そのままに受け入れることってのは重要なことだと思うんだ。自分は政治のことは何一つわからない素人だけど、考え方や思想の好き嫌いで判断するのだけは間違っていると思う。バランスはやっぱり大事だ。まあ、バランスだけでも駄目だけど……。自分はそこがいかんのだよな、バランスばかり気にして一つの考え方を突き詰められない。やっぱ脇目もふらないで進む集中力も大事だ。でも、そればかりやっていると視野狭窄になるのでやっぱりバランスが(以下無限ループ)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年1月 | トップページ | 2013年3月 »