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2013.01.14

『獣の樹』

獣の樹』(舞城王太郎/講談社文庫)

異形の生まれをした主人公が異能を備えるという、昔話から累々と続く物語の原型を思わせる物語だ。まあ、桃太郎とかアレですよアレ。もっともこの世界には、桃太郎のようにわかりやすい悪役である鬼とかはいないくて、むしろ桃太郎的存在であるはずの主人公が人間社会から浮き上がってしまうことになってしまう。まあ、冷静に考えれば桃から生まれた人間なんて気味が悪いし、お前の親はなんなんだよ!?自分で気にならないのかよ!?ってことになるので、むしろ現代の物語としては当然の話ではあるのだが。

主人公の河原成雄も自分の生まれは気になってしまうようで、物語は彼の”正体”を探る形をとって展開していくことになる。彼の出生についてはいくつもの謎が散りばめられており、成雄は彼にとっては義兄に当たる正彦と共に自身の出生の謎を解明していくことになるのだ(まあ、その謎そのものはいわゆる”舞城節”とも言える未読の人には説明の難しいアレではあるのだが)。だが、奇妙なことに、物語の中盤から成雄の出生は物語において重要性を失っていくのだった。

成雄自身は、まあけっこう思い悩んでいるつもりなのだが、どこか軽い。あんまり真剣に悩んでいる感じがない。なにしろカウンセラーに相談したら「でも、アイデンティティってそんなに重要かなあ?」なんて答えが返ってきて「あ?別に気にしなくてもいいんだ!?」みたいな反応をして、本人も気にしなくなってしまうぐらいだ。そうなった成雄は自身の出生にはあまり注意を払わなくなって、むしろ気になる女の子である楡と会いたくてたまらなくて、でも彼女を取り巻く危険な子供たちに邪魔されて会えなくなっていろいろ悩んだりしている。はっきり言って、自分のルーツなどを探っているよりも恋の方が重要だし、大切なもののようなのだ。

もちろん、平行して成雄の背景についての物語は続いていって(そのあたりは義兄の正彦がいろいろ頑張っている)、最後に彼の正体(らしきもの)が明らかになったりもするのだが、このあたりはもう成雄は(そして物語そのものも)完全にそれを重要視していなくて、すごく投げやりな扱いをしてしまっている。そんなことよりも彼は楡を助けるためにその異能を存分に駆使して、風に乗って爆走したりミサイルでサーフィンしたりテロリストと戦ったりと異能者としての力を使っていくのだが、もしかしたらそれもあんまり重要なところではないのかもしれない。そこには対峙するべき鬼はなく、世界から外れた怪物たちと、世界に喧嘩を売ったテロリストがいて、そしてどちらも成雄にとっては敵じゃないのだ。むしろ彼らに好感を持ってさえいるようである。

それは不謹慎な態度だろうか?ある意味においてはそうだろうが、それは彼の”世界に属すること”に対する興味のなさの表れでもあるのだろう。彼にとって世界から浮き上がることは、さして気にするべきことではない。別に反社会的たろうとするのではないし、自身のエゴを肥大化させているわけでもない。彼はただ彼らしくそこにいるだけで、そこには彼の出生とか義務などは関係のないことなのだ。

彼は名前を与えられ、その名前によって自己を確立してきた。つまり。、”名前を与えられたことで自分が人間だという気になっている”だけに過ぎない。彼が”その気”であることだけが、彼が人間であることを支える唯一のもの。デカルトではないが、彼が”そうである”と思ったことが、彼にとっての真実となるのだ。それはむしろ真剣に人生に向き合ったがゆえの態度だと僕は思うのだ。

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コメント

参考になります。
読んでみたいと思います。

投稿: starfield | 2013.01.16 20:25

どうも。手助けになったのなら幸いです。

投稿: 吉兆 | 2013.01.18 21:10

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