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2013.01.17

『マークスの山(上)(下)』

マークスの山(上)(下)』(高村薫/新潮文庫)

読んだのがずいぶん前のなのでうろ覚えだけど、確か高村薫作品としては二作目に読んだ作品。合田雄一郎サーガなんて呼ばれているのは読み終えてから知りました。なので最初はマークスが主人公だと思っていたので、合田の視点がメインになり始めて「あれあれ?」などと思ったものだがそんなことは別にどうでもいい話だった。

物語としてはある悲劇的な生い立ちによって精神を病んだ”マークス”と名乗る殺人鬼を追う合田雄一郎のサスペンスとして展開していくのだが、物語のほとんどは合田刑事に付きまとう絶望的な”重さ”の描写に費やされる。この”重さ”と言うのは、有能だが強引な彼に対する同僚刑事たちの嫉妬や妨害であったり、あるいは警察組織の持つ非人道的な側面であったり、あるいはマークスを追い詰めていく社会そのものに対する慨嘆であったりと様々だ。いかに合田が強引に立ち回っても突破することの出来ない”重さ”に、彼は疲労していく。この疲労は彼が登場したその瞬間から始まり、物語が終わっても解消されない。

それはつまり、この物語がもろもろの問題を解決することを目的としていないということなのだろう。合田の屈託も、マークスの悲劇も、この物語は冷酷に突き放している。彼らを救済しようという意図はほとんど感じられない。事件にまつわる様々な謎は解明されたとしても、合田の屈託は最後までしこりとなって残るし、マークスは救われないままで、それでも物語は閉じていく。その冷酷さには読者としては身震いするほかはないのだが、同時にこれ以外にありえないような感じもある。だって、合田の屈託が解消されるためにはたぶん警察を辞める以外にないだろうし、マークスに至ってはとっくの昔にどうしようもなくなってしまっていることなのだから。マークスはもう”終わってしまった”いて、今はただ辻褄を合わせているだけでしかない。彼を”救う”ためには、それこそすべてが始まった”あの日”に助けなければならなかった。それが出来なかった時点で、もう”終わっていた”のだ。

合田は事件を追う過程でマークスに感情移入していくことになるのだが、それはマークスを自身の屈託と重ね合わせているところがあるのだろう。彼は、たぶん、マークスのような人間こそが”救われなければならない”みたいな感覚があって、けれどもそれは決して実現できないことだ。社会も法律も人間の作りだしたものである以上、それは完全でも無謬でもなくて、だからこそマークスのような”被害者”が”加害者”とされてしまう世界が生まれてしまう。それはもちろん正しいことでないのだが、それでも生きていくのが”現実”で、しかし、合田はそれをどうしても飲み込むことが出来ないのだ。

物語は何一つ決着をつけられないまま終わる。だが、それが欠点と言うよりも、決着をつけてはいけないものでもあるからだとも思う。合田は世の理不尽に納得できないがゆえに屈託し、疲労していく。それを吹っ切ってしまえば、おそらく彼は楽になるのだろう。それが出来るのなら、この物語はむしろ爽やかさを獲得することが出来たのかもしれない。けれど、高村薫はそれをしなかった。合田は最後まで屈託に押しつぶされそうになりながら、それでも重荷を捨てようとはしなかった。”納得”しようとはしなかった。つまり、彼は”カタルシスを求めなかった”のだ。

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