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2012.12.24

『盟約のリヴァイアサン』

盟約のリヴァイアサン』(丈城月/MF文庫J)

物語の内容とか以前に、主人公のライトノベルの主人公らしからぬ世慣れた人生の巧者めいた枯れ方に非常に癒されるものがあった。やるべきことの前にどうでもいい自分自身の悩みで右往左往するような主人公が多い中、すっごく爽やかな存在だ。彼は高校生でありながら自分の一生の仕事をすでに決めている人間で、しかもそれで実績も出している。それゆえの自信があって、社会の中で自分がどのような役割を果たしているのかということも理解している。義務と責任に対して自覚的なので、そういうのが重要だと思っている社会人にとってはとても癒される主人公なのだった。

自覚的という意味では他のヒロインたちもそうで、みんな独立心が旺盛で、自分で自分のことをなんとかするだけの意思と行動力があるのも作者らしいと思う。なんと言っても、主人公にそうたやすくデレないのがいい。まあ、すでに主人公に惚れている幼馴染はいるが、彼女は彼女できちんと自分の義務の遂行が第一にあって、彼女の義務の後に主人公への感情があるというところがなんとも癒されるのだった。優先順位が公>私としてきちんとわきまえているので、そういう意味での勘違いスパイラルなどは成立するはずもなく、ちゃんと対話によって意思疎通を図っているあたりもとても理性的なのだった。

まあ、ようするに何がどうなってもラブコメめいた理不尽な展開はなくて、そこには理性によって律する関係があるのだ(まあ自分がラブコメがどうにも苦手なので多少割り引いて受けとってほしい)。つまり、それぞれの登場人物は自分が相対する相手に対して先入観はなるべく排して判断しようと心がけているし、その上で好感を抱いたのなら無意味にツンデレったりもしないで、きちんと好意を口に出したりもすると言うこと。

これを「そんなの面白いの?」と思う人がいるかもしれないけれど、人間同士がお互いに分かり合うための礼儀と気持ちを歪みなく伝えるというのは、それ相応の喜びがあると思う。誤解なくして物語に起伏がない、と言う意見には一理あるとは思うけど、一理でしかないとも思う。だって、人間なんてリアルでいくらでも”分かり合えない”なんてことは当然のこととしてあるじゃないか。フィクションの中ぐらい、ちゃんと伝わりあうことが描かれてもいいと思わないか?

でも、なんの障害がないのが良い、ってわけじゃないのは誤解しないでほしいところ。どんなに誤解なく分かり合おうとしても、それでも情報の不足、理解の不足、時間の不足から、どうあっても先入観や誤りが存在することはある。しかし、お互いに誤りがあることを前提に、その上で正しい認識が得られるように、礼儀と言う道具を用いて探り合っていくことが何よりも大切なことなのだと思うのだ。

この物語には、そうやってお互いに誤解なく分かり合おうという意思がある。主人公が異類である存在から力を授けられるのだが、その力がなんのために存在し、異類がなんのために与えたのかを、探り合っていく描写などにも読み取れる。そこには相手を軽んじることも、あるいは盲目的に信じることでもなくて、”理性によって正しく疑うこと”、つまり”後に信頼関係を築くための疑い”の過程が描かれていて、そういう描写があるだけで、とてもキャラクターの関係が健全なものになっているように思う。

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