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2012.12.17

『コギトピノキオの遠隔思考 ソウルドロップ孤影録』

コギトピノキオの遠隔思考 ソウルドロップ孤影録

読みながらすごく懐かしい気持ちになったのだが、これは上遠野浩平があまりにも変わらないと思ったからだ。と言ってもまったく変わっていないわけではもちろんなくて、描いていることはけっこう変わっているような気もするのだが、それでもやっぱり変わらないところがある。あるいは変わらないように作者は意識しているのかもしれない。人間、変わることと同じくらい、変わらないことも重要だし、実践することもまた難しいものだから。

世界には確かなことなんて何もない。真実なんてどこにもなく、正義もまた存在しない。あらゆる物事にははっきりとした輪郭もないし、白黒がつくようなはっきりとした区分けもない。あるのはただ幻のように実態のはっきりしない”何か”があるだけで、我々ができるのはそれに”名前”をつけてとりあえずわかったふりをすることしかない。それだって”真実”(というものがあるとしてだが)とはまったくかけ離れたものだ。何かが確かに起こっている。しかし、それがなんなのか理解している人はいない。一番よく知っているように見える人でも、実際にすべてを理解しているとは言えず、全体像をぼんやりと意識しているに過ぎない。上遠野浩平は、多くの作品でそういう話を書いてきたし、それでも、何もわからないまま、歩き出さなくてはならない人たちの姿を描いてもきたのだ。

今回の話はまさにそれだ。それだというか、そのまんまだというか。ある意味、原点回帰と言えるのかもしれない。この物語には、真実なんてものはこれっぽっちもない。あるのは嘘と誤魔化しと当て推量でどうにか枠組みをそれっぽく作り上げた、張りぼての物語だ。誰もそれが正しいとは思っていないにも拘わらず、それでも止めることが出来ない、そういう物語なのだ。

それは虚ろな物語ではある。なんの意味があるのか、誰も理解できてないような事件を、それでもやらなければいけないと思い、実行に移す。それは無意味な物語でもある。そんなことをしても真実などにはたどり着けないのはわかりきっているにも関わらず、それでも物語らなくてはならないのだから。

ならば、この物語は価値がないのか?真実には決してたどり着けないまま、それでも無意味に足掻き続ける者の物語には、価値がないというのだろうか?それに対して、意味があるのかないのか、価値があるのかないのか、そのこと自体を問題にしているのが上遠野浩平という作家なのだと、改めて思う。真実には届かなくても、真実に届こうと手を伸ばすことには価値がある。そのことに対する祈りのようなものが、そこにはあるように思うのだ。

意味がなく徒労に終わるしかないことをそれでも諦めきれずにじたばたともがく人間は、その姿を嘲笑するようなタイプの人間には決して想像も出来ない世界を見ているのだととでもいうような、そういう立場に居続けることを、上遠野浩平はデビュー以来、少しも変えていない。それはとても素晴らしいことのように、自分には思えるのだった。

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