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2012.12.31

2012年の振り返りにも似たランキング

読書メーターの方で2012年おすすめランキングなるものを作ってみたので、その内容についてコメントしつつもついでに今年を振り返ってみようとする二兎追う者は一兎も得ず企画。要するに久しぶりに年末に何かやろうとして何も思いつかなったことが明らかなアレ。

なお例によって順位付けをすることが非常に苦手で嫌いなので順位はあくまでも暫定です。そもそもおすすめランキングと名がついているけれど、別に他人のおすすめするためのランキングではなく、自分にとって印象深い、あるいは重要と思われるランキングです(名前が変えられるけど、ランキング形式じゃなくなっちゃんだ。どうやって修正すればいいのかわからん)。そして、あくまでも2012年に読んだ本からのランキングなので発行がかなり古いものも含まれます。

○じゃあ最初は一位~三位まで。ここは2012年で自分史上わりと重要なんじゃねえかなあ、と思ったものを置きます。まあ、あとで変わるかもしれないけどね。

1.『李歐』(高村薫/講談社文庫)
いきなり古い作品から入ってしまったけど、これは2012年において自分にとって最も重要な作品なのでした。まあ作品としても名作と言って良い部類だと思うけど、なによりも「あれ?この人の書く文章って俺の理想としている文章じゃね?」と言うのが大きい。平易でありながら濃密であり、時に淫猥なまでに生々しくもエンタメ的なハッタリズムにも満ち溢れている。イカスわーたまらんわー。2011年の終わり頃から保坂和志先生の小説本にハマっていて、そこで褒められていたのに興味を持ってのことだったけど、ちょっと予想以上だった。一時期は自分の書く文章にまえ影響を受けていて、高村薫のパクリ文章ばかり書いていた(真似するだけでも大変だったのでいつのまにかやらなくなってたけど)。作者のシリーズは感想をまだあんまり書いてないけど、そのうち書きます。『李歐』感想

2.『BEATLESS』(長谷敏司/角川書店)
長谷敏司先生の作品は今まで一通り読んできていたけど、これはちょうど自分が考えていたことにクリーンヒットしていたのだった。人間と似ていても、まったくそのあり方が異なる異形の知性とのコンタクト…のみならず”恋愛”までも描いてしまったあたりにびっくりした。人間と同じ姿をして同じ言葉を喋っていると、人間はどうしても自分と”同種”であり、自分と同じような思考をしていると勘違いしがちなのだが、それはギャルゲーをやっているときにヒロインに”萌え”ているようなものでしかない、と言う身も蓋もない前提から出発しているあたりが現代的ではあるよな。ギャルゲーのヒロインには彼女固有の、オリジナルなものはなく、すべて人の手によって作り出されたものに過ぎない。だが、それでもそこに”個”を見出すとき、人間はどのように世界の捉えるのか?これってすごくエキサイティングな話だと思わない?『BEATLESS』感想

3.『ニンジャスレイヤー ネオサイタマ炎上(1)』(ブラッドレー・ボンド,フィリップ・N・モーゼズ/エンターブレイン)
まあ多くの人は「……なにこの色物」と思うことであろうが、そんなものは最高に面白いという事実の前にはなんの意味も持たないぜ!ニンジャスレイヤ―最高!と言う気持ちを出来るだけ多くの人と分かち合いたい。まあわかるよ?twitter連載、間違った日本観、狂った日本語、キワモノなキャラクター、そしてニンジャ(忍者じゃねーからな?)。これだけヤバい臭いがする要素を詰め込みながら、しかし、そこに描かれているのはサイバーでダークな世界に繰り広げられる人間ドラマなのだ!力がすべてを支配し、弱きものは踏みにじられる無常の世で、それでもただ踏みにじられることを是としない人々の勇気と再生の物語。それがニンジャスレイヤーなのだ!……いや、本当だって。嘘ついてないってば。『ニンジャスレイヤー ネオサイタマ炎上(1)』感想

○次の四位~十位は読み終えたときに自分の中で価値観を揺すぶられた作品を入れてみたよ。読み終えたあとに作品についていろいろ考えさせられたってレベルね。なお、順位にはあんまり意味はない。

4.『GUNSLINGER GIRL(15)』(相田裕/アスキーメディアワークス)
この作品も連載中は非常にいろいろ言われていたねー。そもそも可哀想な少女たちを記憶を消して暗殺者にして妹として可愛がるというすさまじく倫理的なヤバい領域の話をしているので、非難されやすい作品だった。一番多かった(と思う)のは「オタク男の醜い願望の権化で気持ち悪い」と言うものだったけど、そうした”気持ちの悪さ”から決して作者は目を背けなかったところが素晴らしいと思う。登場人物たちはそういう気持ちの悪さ(つまり自分の癒しを求める願望)を抱えて、それ自体にさらに罪悪感を抱えていく。その結果、自分の欲望に準じるもの、罪悪感から破滅していくもの、それでもなお少女を救おうとするものがいる。それは人間とは薄汚く、おぞましいが、それでも汚濁の中から希望を救い上げようとする人間の営みそのものだ。とても複雑だけど、非常に大切なことが語られていると思うね。

5.『風の十二方位』(アーシェラ・K・ル・グィン/ハヤカワ文庫SF)
これまた古い作品が出てきたなあ。ル・グィンは中学生ぐらいのときに子供向けの『ゲド戦記』を読んだことがあるぐらいなんだけど、いま読んでみるといろいろ考えさせられるところがある。この人の作品は、二元論ではどうしても決着がつけられない灰色の領域の話を書いているんだよね。絶対多数の幸福のためには、少数の犠牲は肯定されえるのか。最近だと『Fate/ZERO』でも同じような話が描かれていたけど、あれを徹底的に煮詰めたような「オメラスから歩み去る人々」という短編は感動したよ。自分は読んだことがないんだけどマイケル・サンデル著の『これから「正義」の話をしよう』にも引用されているらしい。へー。『風の十二方位』感想

6.『悲鳴伝』(西尾維新/講談社ノベルス)
個人的な印象だけど、現在の感覚で書いた『戯言シリーズ』と言う感じ。戯言シリーズはデビュー作だけあって作者のテンションが炸裂していて、暴発しすぎているため非常に混乱したシリーズだったと思うんだけど、それを丁寧に整理して整えたのがこの作品、みたいな。そこでなにを描きたいのかについては、作者が『少女不十分』で懇切丁寧に書いているので興味がある人は読むと良い。なんつーか、ああいう作者が何を書いているのかを説明してしまうのは禁じ手みたいなものなんだけど、さすがに自分の本意とはかけ離れた批評をされることに耐え難い気持ちがあったのかもしれないね。誤解されて貶されることには慣れていても、誤解されて評価されるのは恥ずかしい、みたいな。『悲鳴伝』感想……ってあれ?感想書いてないの?

7.『JORGE JOESTAR』(舞城王太郎/集英社)
ガハハ素晴らしいぞこれ。作者のジョジョに対する愛情が炸裂し、愛しすぎているがゆえの暴走が縦横無尽じゃわい。どうせ作者のことだからむちゃくちゃするんだろうなあ、とは予想していたが、驚いたことにちゃんとジョジョらしい駆け引きバトルもされているのがスバラですわ。しかも、その駆け引き理論についても第五部から顕著になっていた「理屈はわかるが納得できない」理論が完全に再現されていて、もう自分は大爆笑ですよ。そこまでジョジョを再現するのかよ!?みたいな。そのくせカーズ先輩を初めとして、ジョジョ作品のオールスターを実現しながらも、ちゃんと救済まで行っているあたり愛があふれているなあと思いました。感想はそのうち書く。

8.『ソードアート・オンライン (9) アリシゼーション・ビギニング』(川原礫/電撃文庫)
白状しますとね、自分はSAOシリーズはあんまり好きになれないんです。世界観の設定もすごいと思うし、人間ドラマも精緻と言って良いほどに練りこまれていて、一見ご都合主義的に見える展開も、そうしたご都合が許されるだけの過程をきちんと踏んでいるので納得感がある。ただですね……どうもこう、健全すぎるというか、”正しい側が勝つ”と言う法則が作品全体を支配していて、なんかあんまり共感出来ないんですよね。自分はどっちかと言うと判官びいきなところがあって、弱い人間、間違った人間が好きなもので……。でも、このアリシゼーションシリーズだけは別だ。このシリーズは素晴らしい。いや最高と言ってもいい。これ、twitterでも書いたけど、基本がハイファンタジーなんだよね。現実世界を神々の世界として、バーチャル世界が人間世界とみなすと、神々の世界から失墜した主人公がその超人的な力の名残を武器にして人間世界で活躍するという昔ながらのヒロイックファンタジーに様変わりしている。この設定だと「正しい側が勝つ」という基本原則も、むしろヒロイックファンタジーならばアリだとさえ思える。だって神様なんだもん。あとついでに、主人公側がアウトサイダーであるという点も自分好みで、世界からはじき出されていく悲しみも描かれているところもSAOシリーズとしては異色。まあ現実世界があるから逃げ場はあるわけだけど、これまで”バーチャル世界も現実と同じだ”ということがきちんと描かれていたから、それは瑕疵になってないんだよね。いやーマジすげえわ。

9.『サクラダリセット7 BOY, GIRL and the STORY of SAGRADA』(河野裕/角川スニーカー文庫)
完結記念と言う意味もあるけど、いわゆる一般小説で描かれてもおかしくないリリカルで抒情的な筆致に、ジョジョ的な精神戦闘が描かれていることが素晴らしさかったということでこの位置に。この路線だと乙一という先駆者がいるわけですが、苦い青春の恋と切なさを描きながら能力バトルを描き切ったという点は絶対に評価されるべきだと思う。あれ、これも感想を書いていない…。

10.『ガーデンI』(緑のルーペ/TENMAコミックス)
これは自分の中で”弱さ”と言うものについて考えさせられた作品だった。エロ漫画で、ジャンルとしては寝取られ系に属する。寝取られ系と言うのは主人公の近しい人が他人に奪われていくというジャンルで、まあかなり悲惨な展開が多いわけだけど、なんというか寝取られていく少女たちの”弱さ”の持つ暴力性が描かれているのだ。暴力性、つまり、”弱さ”は他人を傷つける力がある。少女たちは彼女たちなりの理由があって他の男に身を許し、主人公から離れていってしまうのだが、その弱さはまた別の人間を傷つけていってしまうのだ。少女たちを責めることは簡単だ。尻軽であり意思が弱い女たちなのだと言うことは一定の理はあるかもしれない。だが、弱いということであれば、主人公だって少女たちを引き留めるだけの強さがなかったともいえ、そして凌辱者たちでさえ、どこか弱い。少女は凌辱者たちの”弱さ”に共感し、そして許してしまう。”弱さ”を許すとは決して非難されるべきではないはずなのに、それでもどうしようもなく他者を傷つけていくことになる……。”弱い”ことと”優しい”ことは表裏一体であり、そして”優しさ”とは人を傷つけるナイフにもなりうることが描かれるのだ。あーしんどいぜーこれ。

○さてこれで半分…まだ半分だと!?なんかもうすごく疲れたんだけど…と言うわけなので、ここからは簡潔にまとめます。なお、十一位~二十位までは、今後の展開が気になる系の作品を集めました。例によって順位にはあまり意味がありません。

11.『龍盤七朝 DRAGONBUSTER(2)』
何年振りの続刊だよ!?と思わずにはいられないが、やっぱりこの人の文章はかっけーなー。奇を衒っているわけではないのにひたすらスタイリッシュ、映像的で情報量も多く躍動感もある。問題は続きがいつ出るかと言う話だが…まあいつか出てくれればいいよ。

12.『一年十組の奮闘~クラスメイトの清浄院さんが九組に奪われたので僕たちはクラス闘争を決意しました~』(十文字青/MF文庫J)
俺の好きな十文字青先生が帰ってきたぜイヤッホウ!と言う感じ。このジリジリジメジメとしながらポップでありつつもダイナミックな物語。やっぱ十文字青はこうでなくっちゃな!今後の作者の方向性をうかがう意味でも要チェックだ。『一年十組の奮闘~クラスメイトの清浄院さんが九組に奪われたので僕たちはクラス闘争を決意しました~』感想

13.『マルドゥック・スクランブル(7)』(大今良時/講談社コミックス)
これは完結記念。でも、あのファンの期待の高い原作をここまで自分の作品として描き切った作者には本当に脱帽した。なんつーか、原作を十分にリスペクトしつつ、それでにて漫画的に改変すること恐れない。そしてそれをチェックしていたはずの原作者がここまでの改変を許したという事実。もうこれはコミカライズという形式のひとつの傑作ではないかとさえ思える。作者の次の作品に期待しています。

14.『RPF レッドドラゴン(1) 第一夜 還り人の島』(三田誠/星海社FICTIONS)
ソードワールド時代からのTRPGリプレイ好きとしては「RPF?なんだTRPGの焼き直しかよ?そういうのは感心しねえなあ…」ぐらいの態度だったんだけど、これは面白すぎた。プレイヤーとして参加するのが虚淵玄先生や奈須きのこ先生を初めとする”物語の語り手”をそろえただけあって、自分の担当するキャラクターこそが”小説の主人公”になるぐらいのつもりで物語を作ってきているのだ。虚淵玄の演じるキャラは完全に血と闘争の暗黒を突っ走るウロブチキャラだし、奈須きのこが演じるキャラはのほほんとしたお人好しに見えて内面は致命的に壊れた異常者だし、そしてこの二人が宿命のライバルめいた因縁を経て対立したりするんだぜ!?なんかもう、すさまじく面白い。紅玉いづき先生もまるで自分の小説のキャラみたいにロマンティックな恋愛ストーリーを作ってきているし、しまどりる氏は紅玉いづきキャラとの恋愛物語を展開しつつ大河ドラマの主人公になっているし、成田良悟先生はPCの癖に物語の黒幕みたいに周囲を動かしていくし、お前ら全員好き放題やりすぎだ!最高や!『RPF レッドドラゴン(1) 第一夜 還り人の島』感想

15.『魔法少女育成計画』(遠藤浅蜊/このライトノベルがすごい! 文庫)
これはちょっと期待したいところですよ。魔法少女によるバトルロイヤルというキワモノっぽいところだけど、ちゃんとキャラクターごとの書き分けもできているし、駆け引きゲームとしても意外性がある。なによりただのバトル以外のところで決着がつくところとか、ご都合を出来る限り排そうとする態度もグッド。たぶんこの人、『HUNTER×HUNTER』とか好きそうだよね。どこまでこの方向を貫けるのか期待の意味も込めて。『魔法少女育成計画』感想

16.『マグダラで眠れ』(支倉凍砂/電撃文庫)
『狼と香辛料』を完結させた作者の新シリーズ。ホロは素晴らしく魅力的なヒロインだったけど、今回のヒロインもすげーぞ。ホロは主人公よりもあらゆる意味で上手でありながら、主人公に甘えるのが大好きと言うなんというか形容に困る魅力的なキャラクターだった。今回のヒロインであるフェネシスは、一言でいうと”無力”で”純白”なのだ。主人公は酸いも甘いも噛み分けた大人なのだが、彼の目から見ると、もういくらでも可愛がることも無茶苦茶にすることも自由自在というとんでもなく無力で無防備なヒロインなのだ。そして無防備であるがゆえに、大人である主人公は彼女たいして慎重にならざるを得なくて、かくして「無力で無防備なヒロインに右往左往する大人の図」が出来上がる。まあ、本来の意味かわからないが、いわゆるロリータ的な魅力に満ち溢れたヒロインであるよな。これも感想を書いてない。書こうとは思っているのだが。

17.『七王国の玉座〔改訂新版〕』(ジョージ・R・R・マーティン/ハヤカワ文庫FT)
これは旧版は読んでいたんだけど、翻訳者の変更に伴って用語や人名が一新されたことに嫌気がさして読むのをやめていたんだよね。それでも続きが読みたいなあ、という気持ちはあって、今回、用語をすべて統一した改訂新版が出たので読み直しているんだ。いやーマジで面白いねーこれ。ものすごい長い話なんだけど、その長さに見合うだけのドラマが描かれていてたまりませんわ。人間同士の泥臭い戦争に冬の異形たちが跋扈するファンタジーの流入してくる感じとか最高だぜ。ひさしぶりに俺、ファンタジーを読んでるぜー!ていう満足感があるんだよね。個人的には亡国の王女デナーリスが最高に萌えキャラだと思います。

18.『星を撃ち落とす』(友桐夏/ミステリ・フロンティア)
友桐夏復活記念。いやーまだ小説を書いてくれているとは嬉しいこともあったものだ。この人、少女小説らしい繊細さとあざといまでに露悪的なところがあって、とってもユニークな作風なんですよね(コバルト文庫で出ていたシリーズは大変底意地の悪い作品だった)。なんつーか、この人の見ている世界は非常に厳しくて、人間は失敗する生き物で、誰かは誰かに傷つけられているものと言う突き放した感じがある。でも、この作品ではちょっと変化があって、挫折したとしてもそこで終わりじゃないという逞しさもある。弱いことや逃げることにも、前向きな感じがあるんだよね。そこが非常に共感できるし、嬉しいところなんだ。『星を撃ち落とす』感想

19.『ひとりぼっちの地球侵略(1)』(小川麻衣子/ゲッサン少年サンデーコミックス)
これは昔ながらのSFの匂いがありますね。秘密基地!謎めいた女の子!地球侵略!もう眉村卓かっつーのいや最高です。今のところ厳しいところに行くのかのんびり日常系に行くのかわからないところがあって、いろいろな意味で目が離せない。今度の期待ということでランクイン。

20.『龍ヶ嬢七々々の埋蔵金(1)』(鳳乃一真/ファミ通文庫)
今年デビューの新人の中では、なんか妙に気になる作家なのだった。キャラクターも魅力があるし、意外な展開にも無理矢理感が少ないし、非常に高品質な作品をコンスタントに出している。けど、もうちょっと底が深そうな感じもあるし、この作家は今後どうなっていくのかなあ、みたいな期待込みでのランクインです。『龍ヶ嬢七々々の埋蔵金(1)』感想

○とまあ、こんな感じで適当なコメント付きのランキングでした。完全に個人的なランキングなんだけど、こういう自己満足的なものを作るのはとても楽しいですな。疲れるけどたまにはやりたくなる。と言うわけで2012年度最後の更新でした。更新頻度が減りつつあること甚だしいですが、たぶん来年もこんな調子でしょう。それではみなさん、良いお年を。

ではまた。

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2012.12.30

『人生 第4章』

人生 第4章』(川岸殴魚/ガガガ文庫)

今回の話のどこかで「格好つけた時点で格好良くはない」みたいなことを言っていたような気がするけど、これはけっこう重要なセリフなんじゃないかと思う。このシリーズにおいてだけではなく作者の作品において、このセリフの意味するところが重要な位置を占めているように思う。

『邪神大沼』の頃から顕著だったけど、作者はあえて「格好良さ」と言うものから意図的に離れようとしていた。大沼は主人公ではあったけれども、事態を解決するためになにか能動的な役割を果たしたことはないし、それによって周囲から称揚されたこともない。どこまでもその活躍は地味であり、報われることは少ない。けれども、彼はそれに挫けることはなく(めげることは多かったけれど)自分に出来る範囲で一生懸命に行動していたし、それをずっと見ていた少女だけはそれを理解していた。誰にも褒められなくても、それでも彼は自分のやるべきことをやっていた。おそらくそれが作者の考える「格好よさ」であるのだろう。

『人生』シリーズにおいても、それは踏まえられている。主人公はどこまで言っても平凡な男子生徒であり、何か彼が特筆すべき思考や行動を秘めているわけではない。本当の意味で、なんの取り柄もない少年でしかない。彼は高校生の水準からみてさえ特別なものを持っているわけではなくて、新聞部に降りかかる事件に対して有効な行動をとれるわけでもない(そもそも事件だって生徒会からの嫌がらせとか、その程度のものだ)。

しかし、自分などは思うのだが、能力のある人間がその能力を振るうことは、そんなのは当たり前、出来て当然のことではないのか?勇敢な男が率先して勇気を出すのは、それは確かに価値あることではあろうけど、それでも”すごい”ことでもなんでもないのではないか?だから自分はこう思う。臆病な人間が、ほんのわずかの勇気を振り絞ることは、本当に素晴らしいことなのだと。それは本人が決して出来なかったことを、勇敢にも(そうこれが本当の勇敢さなのだ)一歩踏み出したということなのだ。

この物語の主人公は、自他ともに認める平凡な男子高校生で、彼自身、ことさらに非凡になろうという意思も意欲もないようだ。それは克己心がないと見られがちではあるけど、それは自分を良く見せようという欲が少ないということでもある。他人に褒められたり他人よりも優位に立ったりすることにあんまり興味がない、そういうタイプなのだろう。

そして、そういうタイプである主人が新聞部に対する生徒会の嫌がらせに対して彼なりに行動を起こすことになる。これは彼の従妹や相談者たちにとっての問題であって、そうしたことに対して彼は行動をとらせることになる。と言っても生徒会長の前に強い態度で正対するぐらいのもので、その後の行動は別に大したことをするわけでもないのだが、しかし、たぶんそうした行動こそが”勇気”と言うものなのだ。普段控え目で自己主張をしない主人公は、あの瞬間だけ自分のスタンスを崩した。それが本編で言っている”ギャップ”であって、なぜギャップが生まれているのかと言えば、それが本来の彼自身ではありえない行動であるからに他ならない。

だからこそ、彼の行動は意味があるし、とても素晴らしいことなのだ。

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2012.12.27

『私立! 三十三間堂学院(12)』

私立! 三十三間堂学院(12)』(佐藤ケイ/電撃文庫)

いつもの通りとてもクレバーな作品でした。ほんと、なんでこんなにたくさんキャラを出して、しかも、個性が被らないように、かといって奇矯過ぎないレベルで描写出来るんだろうか。新刊が出るたびに驚いているような気さえしてくる。実際している。

なにより登場人物全員を”肯定”している感じがあって、それがすごく良いと思う。物語上ではメインキャラにスポットが当たると、どうしても敵役に配置されてしまうことでどうしても割りを食ってしまうキャラがいるのだけど、そういう”敵”でさえ、その考え方がメイン側とは相容れないものであったとしても、否定される存在ではないということが描かれていると思う。

この物語は、やっぱり法行の存在が中核になっているだけに、彼と仲の良いキャラクターにスポットが当たりやすい。そしてそうしたキャラクターはいわゆる主人公側のキャラクターとなって、読者に対しても物語上においても”美味しい”役回りを与えられる。そこからあぶれてしまったキャラクターには、どうしても読者の共感を得やすい立ち位置は与えられないことになる。それは物語において”否定”されてしまうということであり、つまり”主人公側から打倒されるための存在”、それが”敵役”と言うものだ。

しかし、ここで登場キャラが異様な多さが重要な意味を持ってくる。それは、たとえ主人公側から”否定”されたとしても、敵役側にも自分のコミュニティを持つことが出来るということだ。メインから外れているにしても、それでも彼女たちは彼女たちなりに仲の良い友達がいて、さらにその友達同士でまた別のつながりがある。そうして関係のつながりは、あっちこっちでつながったり断ち切られたりしながら、それでも広がりを見せていく。

そこには特定のサイドが”正しい”とか、そういう変更がうやむやになっていくところがあって、それが群像劇と言うものが持つ力なのだと思う。一面的な正しさを、多面的なつながりが塗りつぶしていくことで、そこには正誤の垣根はなくなっていく。誰かが正しいときに、誰かが間違っているように”見える”だけで、それらはすべて人間同士のつながりの押し引きで成り立っているのだ。

それが群像劇の面白さであると思うし、この作品はその意味でとても優れた群像劇となっているように思うのだった。

追記。お茶の先生と花音のエピソードがすごく好きだ。話として優れているかと言うと、まあちょっと強引かなと言う気もしないでもないけど、どんなものを見せられても、そこに意味を見出していく先生の粋人っぷりがとても良かった。個人的な見解ではあるけど、あのエピソードは「花音が機転を利かせて先生を手のひらの上で転がした」という話であるとともに「どんなものにでもわびさびを見出すことが出来る先生の懐を借りた」と言う話でもあると思う。普通の人にはただの粗末で安っぽい押入れであっても、人生の達人ともなればそこにノスタルジーとファンタジーに満ちた非日常空間に現出させることが可能なのだ。こういうことが出来る人を粋人と言うのであろうし、僕はこういう粋人になりたいと常日頃から思っているのだ。

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2012.12.24

『盟約のリヴァイアサン』

盟約のリヴァイアサン』(丈城月/MF文庫J)

物語の内容とか以前に、主人公のライトノベルの主人公らしからぬ世慣れた人生の巧者めいた枯れ方に非常に癒されるものがあった。やるべきことの前にどうでもいい自分自身の悩みで右往左往するような主人公が多い中、すっごく爽やかな存在だ。彼は高校生でありながら自分の一生の仕事をすでに決めている人間で、しかもそれで実績も出している。それゆえの自信があって、社会の中で自分がどのような役割を果たしているのかということも理解している。義務と責任に対して自覚的なので、そういうのが重要だと思っている社会人にとってはとても癒される主人公なのだった。

自覚的という意味では他のヒロインたちもそうで、みんな独立心が旺盛で、自分で自分のことをなんとかするだけの意思と行動力があるのも作者らしいと思う。なんと言っても、主人公にそうたやすくデレないのがいい。まあ、すでに主人公に惚れている幼馴染はいるが、彼女は彼女できちんと自分の義務の遂行が第一にあって、彼女の義務の後に主人公への感情があるというところがなんとも癒されるのだった。優先順位が公>私としてきちんとわきまえているので、そういう意味での勘違いスパイラルなどは成立するはずもなく、ちゃんと対話によって意思疎通を図っているあたりもとても理性的なのだった。

まあ、ようするに何がどうなってもラブコメめいた理不尽な展開はなくて、そこには理性によって律する関係があるのだ(まあ自分がラブコメがどうにも苦手なので多少割り引いて受けとってほしい)。つまり、それぞれの登場人物は自分が相対する相手に対して先入観はなるべく排して判断しようと心がけているし、その上で好感を抱いたのなら無意味にツンデレったりもしないで、きちんと好意を口に出したりもすると言うこと。

これを「そんなの面白いの?」と思う人がいるかもしれないけれど、人間同士がお互いに分かり合うための礼儀と気持ちを歪みなく伝えるというのは、それ相応の喜びがあると思う。誤解なくして物語に起伏がない、と言う意見には一理あるとは思うけど、一理でしかないとも思う。だって、人間なんてリアルでいくらでも”分かり合えない”なんてことは当然のこととしてあるじゃないか。フィクションの中ぐらい、ちゃんと伝わりあうことが描かれてもいいと思わないか?

でも、なんの障害がないのが良い、ってわけじゃないのは誤解しないでほしいところ。どんなに誤解なく分かり合おうとしても、それでも情報の不足、理解の不足、時間の不足から、どうあっても先入観や誤りが存在することはある。しかし、お互いに誤りがあることを前提に、その上で正しい認識が得られるように、礼儀と言う道具を用いて探り合っていくことが何よりも大切なことなのだと思うのだ。

この物語には、そうやってお互いに誤解なく分かり合おうという意思がある。主人公が異類である存在から力を授けられるのだが、その力がなんのために存在し、異類がなんのために与えたのかを、探り合っていく描写などにも読み取れる。そこには相手を軽んじることも、あるいは盲目的に信じることでもなくて、”理性によって正しく疑うこと”、つまり”後に信頼関係を築くための疑い”の過程が描かれていて、そういう描写があるだけで、とてもキャラクターの関係が健全なものになっているように思う。

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2012.12.17

『コギトピノキオの遠隔思考 ソウルドロップ孤影録』

コギトピノキオの遠隔思考 ソウルドロップ孤影録

読みながらすごく懐かしい気持ちになったのだが、これは上遠野浩平があまりにも変わらないと思ったからだ。と言ってもまったく変わっていないわけではもちろんなくて、描いていることはけっこう変わっているような気もするのだが、それでもやっぱり変わらないところがある。あるいは変わらないように作者は意識しているのかもしれない。人間、変わることと同じくらい、変わらないことも重要だし、実践することもまた難しいものだから。

世界には確かなことなんて何もない。真実なんてどこにもなく、正義もまた存在しない。あらゆる物事にははっきりとした輪郭もないし、白黒がつくようなはっきりとした区分けもない。あるのはただ幻のように実態のはっきりしない”何か”があるだけで、我々ができるのはそれに”名前”をつけてとりあえずわかったふりをすることしかない。それだって”真実”(というものがあるとしてだが)とはまったくかけ離れたものだ。何かが確かに起こっている。しかし、それがなんなのか理解している人はいない。一番よく知っているように見える人でも、実際にすべてを理解しているとは言えず、全体像をぼんやりと意識しているに過ぎない。上遠野浩平は、多くの作品でそういう話を書いてきたし、それでも、何もわからないまま、歩き出さなくてはならない人たちの姿を描いてもきたのだ。

今回の話はまさにそれだ。それだというか、そのまんまだというか。ある意味、原点回帰と言えるのかもしれない。この物語には、真実なんてものはこれっぽっちもない。あるのは嘘と誤魔化しと当て推量でどうにか枠組みをそれっぽく作り上げた、張りぼての物語だ。誰もそれが正しいとは思っていないにも拘わらず、それでも止めることが出来ない、そういう物語なのだ。

それは虚ろな物語ではある。なんの意味があるのか、誰も理解できてないような事件を、それでもやらなければいけないと思い、実行に移す。それは無意味な物語でもある。そんなことをしても真実などにはたどり着けないのはわかりきっているにも関わらず、それでも物語らなくてはならないのだから。

ならば、この物語は価値がないのか?真実には決してたどり着けないまま、それでも無意味に足掻き続ける者の物語には、価値がないというのだろうか?それに対して、意味があるのかないのか、価値があるのかないのか、そのこと自体を問題にしているのが上遠野浩平という作家なのだと、改めて思う。真実には届かなくても、真実に届こうと手を伸ばすことには価値がある。そのことに対する祈りのようなものが、そこにはあるように思うのだ。

意味がなく徒労に終わるしかないことをそれでも諦めきれずにじたばたともがく人間は、その姿を嘲笑するようなタイプの人間には決して想像も出来ない世界を見ているのだととでもいうような、そういう立場に居続けることを、上遠野浩平はデビュー以来、少しも変えていない。それはとても素晴らしいことのように、自分には思えるのだった。

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2012.12.15

『聖断罪ドロシー02 魔神と少年とかわいそうな魔法使い』

聖断罪ドロシー02 魔神と少年とかわいそうな魔法使い』(十文字青/角川スニーカー文庫)

感想の前に、一巻を読んだときに書き忘れていたことを書く。

十文字青の描く物語には世界に対する無力感とでも言うべきものが強く意識されている。たとえ異能の力を得た主人公たちでも、どうあがいてもどうにもならないものが必ずあって、それによって個人は容易く押し流されてしまう。自分は昔から作者のそういう感覚に強く共感するところがあって、その残酷にどうやって対峙していくのか、あるいは対峙出来ないのかということに真剣に考えてきた。個人的にすごく好きなのは、この”世界の残酷に対峙出来ない”こともあるということを、ただ悲劇的には描かないというところがすごく好きで、そこには悲劇のための悲劇ではない肌触りが好ましいのだった(つまり、悲劇とはときに喜劇的であるということを描いているとも言える)。

とはいえ最近はそうした”対峙できない”物語からは離れつつあるようにも思える。『黒のストライカ』あたりから顕著になっていたんだけど、要するに”主人公が戦闘で強い”のだ。どんな困難に対峙しても、それを乗り越える力を、主人公が持っているようになった。さらに”戦闘で解決できない困難が描かれない”ようになっていた。これははっきり言ってテーマとしては後退もいいところで、せめて解決できない困難も無理矢理解決できた方がはるかにましだ(というか、これはこれで素晴らしい問いかけだ)。”世の中には力では解決できない困難があるから悲劇が生まれる”ということを描いてきた十文字青が、そうした困難の存在から目を離してどうしようというのか。

まあ、このあたりはあとがきなどから類推するに、非常に大人の事情が絡んでいるようなので、作者本人にすべての責をかぶせるのもどうかと思うのだが、まあそれはおいておこう。とにかく、『黒のストライカ』を読んでいる間、自分はずっと不満だったのである。そんなことやってる場合じゃねーだろ!みたいな不満があったのだ。しかし、だか、しかし。この『聖断罪ドロシー』シリーズと『一年十組の奮闘』シリーズは、ようやく”戦っても決して勝てないもの”との戦いが描かれているのだ。欲しかったものがようやく来た、という感じで自分はとても良い気分なのだった。

『一年十組の奮闘』と比較すると『聖断罪ドロシー』は主人公が戦闘に強いし頭も良いのでストレスが非常に少ない作品になっているんだけど、それでもやっぱり”戦っても勝てない相手と戦う”話なんだと思う。まあ、まだその辺は気配だけがあってきちんと描かれているわけではないのだが、少なくともその気配はあると思う。虚神の存在とかもそうだけど、なんというかドロシーが主人公を”置いて行ってしまう”気配があるのだ。実際にどうなるのかはわからないけど、そういう気配があるだけで安心感があるのだった。

ある意味、『黒のストライカ』で得たラノベノウハウを上手く自分のものにしているという意味で、エンタメと作家性を両立させた良い仕事であるなあ、と思うのだった。やり方次第では、そろそろブレイクする可能性もあるんじゃないか?と思うんだけど、どんな結果になっても書きたいものを見失わずに書き続けてくれれば自分はなんの問題もないです。終わり。

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2012.12.14

『冴えない彼女の育てかた(2)』

冴えない彼女の育てかた(2)』(丸戸史明/富士見ファンタジア文庫)

消費型オタクは創造型オタクよりも劣った存在なのか!?一ファンはクリエイターにとっては虫も同然の存在だとでも言うのか!?否!否である!!

というテンションではぜんぜんないけど、だいたいそういう話。”主人公が同人誌活動を通じて巻き起こす騒動”を描くというアウトラインだけ見ていると、主人公がクリエイターとして成長していく話のように見えるけど、この主人公、徹底的に消費型オタクであり続けているところが偉い。いや本当に偉い。

主人公にはどこまで言っても何かを”創り出す”才能は全然なくて、あるのは勢いとちょっとした小器用さしかない平凡なオタクでしかないのだが、そんなオタクが持つ”武器”ってなによ?というところに焦点が当たっている、と思う。まあ、ぶっちゃけ”武器”なんて大層なものは、少なくともその言葉にふさわしい”才能”だとか”技能”とか、そういうのはまったくない。あるのはある種の無神経さが生み出すふてぶてしさから生じる”人脈”であったり、ただひたすら好きな作品を読み込み裏読みをする半可通批評家気という”うざいオタク”でしかない主人公が、まさにそういった”うざいオタク的側面”こそを武器にして動いていくのである。

つまり、主人公には選ばれた者としての”才能”はなく、それもフィクションでは良くある”努力の才能”みたいなものさえない。出来ないことをそれでも努力するような根気もない、そんな普通のオタクなのだ。しかし、そうした”好きなことには異常に拘る”オタク気質も、極めれば、決してクリエイターに劣る存在なのではない。むしろ、クリエイターが創作していく上で必要不可欠なパートナーとしての役割を担えるのだ。

もちろんそれは主役になれる役割ではない。主役はいつだってクリエイターであり、彼らは替えのきかないユニークである。主人公の立場は、いつだって替えの効く脇役でさえあるのだが、しかし、脇役が、果たして主役に”劣る”存在なのだろうか?そうではなくて、脇役なくして主役が輝くことがないように、主役なくして脇役の意味がないように、どちらも必要な存在のはずであって、どちらが上というものではないのだ。

もちろん、それは消費型オタク万歳!ファンの特権全肯定!みたいなお気楽はものではなくて、むしろ消費型オタクに対しても”覚悟”を強いるものとなっている。例えば、主人公の消費型オタクとしてのポテンシャルは凄まじいことになっているように。個人のブログがある作家の売り上げにはっきりとした形で貢献しているというのは明らかに異常な状況であって、その意味では主人公はやはり”非凡”なのだろう。

それはつまり”クリエイター”と”ファン”の間にある関係を語り直そうという印象がある。つまり、非凡なクリエイターがいるように、非凡なファンだっていうのだ、と言うような。”才能のある消費型オタク”もいると言ってもいいが、クリエイターに向き合うためには、ファンの方もそれ相応の意思が必要だし、そこには卑屈になっている場合じゃないという前向きな意思もあって、まあなんというか作者らしい、業界人のふてぶてしさが良く出ているなあ、と思ったのだった。”才能がないくらいで腐ってんじゃねえ!”みたいな?まあ、良い意味で大人の意見ですね。

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2012.12.12

『ミスマルカ興国物語 エックス』

ミスマルカ興国物語 エックス』(林トモアキ/角川スニーカー文庫)

巻数表記がないということは番外編ということみたいだけど、正直、これを番外編と言い張るのは難しいんじゃないかなあ。いや、ゼンラーの意思に再び目覚めたマヒロのキャラクターにどのような影響があるのかわからないけど(そして、作者もあまり考えてはいなさそうだけど)、無関係ではすまないだろうし……。まあ、しれっと「あれはなかったことになりました」ぐらいのことはしてもおかしくないか。自分の作者に対する信頼感は城壁のように揺るぎないぜ(最初から穴が空いているからな)。

一冊まるごと冗談みたいな話なので真面目に語るようなものじゃないけど、最近出番のなかった帝国の人たちが総出で登場するのが賑やかな感じで良い。TGMとかキャスティアとか長谷部さんなどコメディ要因が出てこれるとほんわかしますね。長谷部さんは最初の方だとライバルキャラめいて目立っていたのに、今となってはギャグ要員でしかないのがかわいそう。ルナスさんの言質も取ったので愛人でもいいので登場させてあげて下さい。

まあ、今回はアークセラさんの万能ぶりがこれでもかと発揮された回でもあったのだが。万能というのは剣も魔法も体術も知識もあるというわけではなく(もちろんアークセラさんはそちらでも万能だが)、シリアスだけではなくギャグ要員としてもハイスペックであるということなのだが。マヒロの捨て身の(文字通り全裸での)体当たりさえもなんなく上手を取るあたり、アークセラさんの評価はうなぎのぼりだ。スゴイ!この人がいなくては今回の話はここまでダイナミックにならなかったであろうことを考えると、今回のバイプレイヤー賞はあなたのものだ。

もちろん帝国三皇女はいつもと変わらぬ大活躍だし、皇帝陛下も活躍しているし(物語的な意味で)、まあ本当に贅沢な話だな、と。そういや今回はわりとルナス姫がヒロインヒロインしていたので個人的にはうれしいです。この調子でもっとイチャイチャすればいいと思うよ。おしまい。

追記。そういや今回先代の地将が引退して新しく地将が就任したわけだけど、先代の地将って結局出てないよな……。一言もセリフがないまま引退か……。まあこの作品らしいと言えばらしいし、それにこれで登場しないと決まった話でもないしな。予断は禁物ですね。

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2012.12.11

『龍ヶ嬢七々々の埋蔵金(4)』

龍ヶ嬢七々々の埋蔵金4 (ファミ通文庫)』(鳳乃一真/ファミ通文庫)

龍ヶ嬢七々々の過去エピソードにはいろいろ新鮮な感じだった。別にキャラがぶれているとかそういうのではなくて、なんか生きて動いているだけでこんなにも印象が変わるものなんだな、と。

なんというか、キャラクターと言うのは(そしてたぶん人間も)わりと曖昧な存在であって、重護や天災と会話している七々々と、参差と話している七々々は同じではあるが、やはり違うんだと思った。これは別に相手によって態度を使い分けているというのではなく自然に変化してしまうもので、少なくとも自覚的なものではありえない。人間にはいろいろな側面がある、という言い方もしてもいいけれど、なんとなく感覚が違うようにも思う。なんというか光の当たり方で屈折率が変化するプリズムのようなまので、同じものでありながら見方によってありようが変わってくるもの、というか。

まあ、こんな小難しい言葉を使わなくても、こういうのは誰しもが感じていることだろうね。良く知っていると思っていた友人があるきっかけでぜんぜん別人に見える、などというのはわりとありふれたことだろうし。ただ今回の話を読んでそういう感覚を覚えたのは、きっと意味があることだし、もしかしたら重要なことかもしれない。”人”というのはおそらくプリズムのようなもので、おそらく”それそのもの”には意味はない。光を通した時のきらめきや、さらに言えば”光の屈折率”こそが人間というものなのだと感じる。これはいささか先走りすぎのような気もするので後できちんと考えたいが、少なくとも人間を見るときに”人格≒キャラクター”そのものを見ることには意味がないと思えるのだ。人間とは”キャラクターを通して生み出される反応”なのではないか…と。まあ、人間とキャラクターをごっちゃにしてしまっているので混乱していますね。とりあえず保留。

内容について何一つ言及しないまま終わり。

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2012.12.10

『あるゾンビ少女の入学Ⅰ』『あるゾンビ少女の入学Ⅱ』

あるゾンビ少女の入学Ⅰ』『あるゾンビ少女の入学Ⅱ』(池端亮/角川スニーカー文庫)

いきなり告白すると、僕は”怪物”が好きだ。「十三日の金曜日」のジェイソンや「エルム街の悪夢」のフレディを初めとして、人間に対して恐怖と殺戮をまき散らす存在としての”怪物”がとても好きだ。過去に悲しい出来事の結果としての”怪物”も好きだし、過去はなく意味もないただ悪意に満ちた”怪物”も好きだ。だからこのシリーズには、わりあい、結構期待しているところがある。これは”怪物”の話だからだ。

前作がスプラッタホラーのパロディ的な側面の強い変化球であったのに対して、今回はわりと気を衒ったところのない素直なものにしているようだ。もともとユーフロジーヌのキャラクターは、ジェイソンやフレディがおっとりとした美少女だったら、というところから来ていたと思っているのだが、そうした萌え美少女が登場人物たちを情け容赦なく虐殺していくところにねじれた可笑しみがあったように思う。しかし、今回からはゾンビであるユーフロジーヌをそのままに受け入れられる設定がまずあって、そのため”怪物”としての彼女の存在意義は後退して、その代わりに彼女本来のおっとりとした美少女であるという側面が強く表れるようになっているのだ。

これはある意味では先鋭さを失っているとも取れるわけだが、そもそも前回がパロディであったので、同じことをしても二番煎じになりかねないことを考えれば当然の選択であったとも言える。個人的には怪物として排斥されるユーフロジーヌの姿を延々と描写されてもどうかという気もするので、これはこれで悪くないと思う。自分は存外、ユーフロジーヌというキャラクターを気に入っているのだ。”怪物”であり人間の倫理観からはかけ離れた精神を持ちながらも、穏やかで気立ての良い少女でもあるというユーフロジーヌが。だから、彼女が恋をして、ゾンビだから頬を赤らめたりは出来ないにしても、けっこう楽しそうにやっているのは、それだけでも良いものだと思う。

もっとも今回は”入学”であり、あるいはこれは序章に過ぎないのかもしれない。続きが順調に出ていくのならば、もっと別の物語が生まれるのかもしれない。”怪物”であり”少女”でもあるユーフロジーヌが”活躍”する物語が生まれていくのかもしれない。それはとても楽しみなことのように思えるし、いろいろと可能性のある話だと思う。なにしろ僕は”怪物”が好きなのだ。”怪物”であり”少女”でもあるユーフロジーヌが、怪物のまま生きるのか、少女として恋をするのか、あるいはどちらでもないのか。それはとてもわくわくする話だと思う。

例えば、今回から登場して、明らかにユーフロジーヌよりも主人公として描かれている指宿孝晴は、あくまでも人間としてユーフロジーヌに接している。ちょっと鈍感だがおせっかいで前向きな孝晴はユーフロジーヌに対しても”少女”として接していき、二人は”少年”と”少女”として交流を深めていくことになる。これによってユーフロジーヌの”少女”としての側面が強調される結果になるのだが、これは彼女の”怪物性”が否定されることにはならない。やはり彼女は”怪物”のままであって、それは決して消えることはない(後悔している描写はあるが、否定する描写ではない)。

これによって、彼女の背負う”怪物性”と”少女性”は相反しながらも両立する形になるが、それはひどく不安定なものだ。おそらくなんらかのきっかけで容易くバランスを崩す程度の、それぐらいに脆いものなのだ。それゆえに、物語が進むにつれて、ユーフロジーヌと孝晴は、彼女が”怪物”と”少女”のどちらを選ぶのかを迫られることになるだろう。そのとき、どのような物語が描かれるのか、これはとても面白そうなことに、僕には思える。”怪物”は”怪物”であることを乗り越えられるのか、あるいは”怪物”のまま生きるのか、それによって関係はどう変わるのか?こういう話には、実はたいそう弱い自分なのであった。

追記。外見年齢が同い年くらいのお祖母ちゃんとか最高だよな!い、いや別に人外ロリとかそんなんじゃなくて、見た目美少女だけど、孫には優しいお祖母ちゃんとか、なんかこう、ほら、一つの理想がそこにあるっていうか・・・。

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2012.12.09

『魔法少女育成計画 restart (前)』

魔法少女育成計画 restart (前)』(遠藤浅蜊/このライトノベルがすごい! 文庫)

魔法少女たちが出てくるバトルロワイヤル(映画にもなっている小説のやつね)だった前回の続編となると、焼き直しにならないようにするのは大変だろうと思うのだが、今回読んだ限りでは割合上手くやっていると思う。今回はどちらかというとネットワークゲームとしての要素が強くなっていて、ゲームに興じている魔法少女たちの背後に陰謀が走っているという、まあそれだけ見れば目新しさはまったくないところではあるんだけど、なんと言っても大量に出てくる魔法少女たちの物量によってなんか上手く行っている感じがする。

大量に出てくるにしてはそれぞれのキャラクターはきちんと動いているしその動機や行動までをかなり明確に描いているので、決して十把一絡げな扱いにはなっていないのが良いですね。と言うか序盤であっさりと命を落とすような魔法少女であっても、その意思や想いというのはちゃんと描かれているのはけっこうすごい。死んでいった魔法少女にもそれぞれに抱えていた人生があって、そこで屈託やそれでもあきらめきれない夢があって、そういうものを抱え込んで生きている感じが、決して通り一遍ではない描き方がされている。こういうのはわりと好きだ。

そして彼女たちの人生を、彼女たちの想いを体現する”魔法少女”という象徴があることで決して”重すぎない”ところも技巧的だと思う。魔法少女とは、彼女たちにとって良くも悪くも人生そのものであるので、魔法少女の外見的、能力的な描写をするだけで、けっこう彼女たちにを描くことにも繋がっているわけですね。大量のキャラクターを処理するための方法として、前作でも上手いなーと思っていたけど、今回も良かった。やっぱりぶち殺される女の子はちゃんと魅力的に描かないといけないよね(下種な笑顔)。

そして今回の話で登場人物たちは目の前の悲劇に対してそれぞれのスタンスを決めていくことになって、覚悟のあるものは立ち向かい、無いものは逃げ惑い、強いものは戦い、弱いものは踏み潰されていく後編につながるのでしょう。舞台は出揃った感は、やっぱりにいいね。下手をすると始まる前よりも楽しいが、こういうのは始まるから楽しいんだ。後編の開幕が楽しみです。

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2012.12.07

『一年十組の奮闘(2)~その少女、神聖にして触れるべからず~』

一年十組の奮闘(2)~その少女、神聖にして触れるべからず~』(十文字青/MF文庫J)

主人公がヒロインの問題を解決して惚れられていくというハーレムラノベの王道的な設定でありながら、この立ち上るような十文字青らしさはどういうことだろう。素晴らしいですね。ライトノベルと自身の傾向の差異に苦しめられてきた『黒のストライカ』の経験が生きたということなのだろうか。どこかで自虐的に、自分はライトノベルに向いていない、みたいなことを書いていたと記憶しているけど、あれが一体なんだったのだろうと思わざるを得ない。いや、ライトノベルっぽい設定をきちんとしておきながら、中身は昔ながらの尖っていた頃の十文字青が残っている。これはつまり、作者も大人になったということなのかなあ。それが良いことなのか悪いことなのかはわからないし、興味もないが、このシリーズは長年のファンとしても期待していきたい。売れるといいなあ。

今回のヒロインはまんまATフィールド持ちの能力者なんだけど、いやあ、ATフィールドはやっぱチートだわ。使徒がエヴァでなけりゃ倒せないわけだ。無敵すぎるぜ。自身の心の壁、他者に対して絶対的な拒絶が具現化した能力を持つ来見坂つみきは、はた迷惑なことに他者との接触と求めて一年十組にやってくるわけだけど、それは彼女の能力と完全に矛盾している。他者に絶対に触れられることが出来ない能力を持つ彼女は、そもそも他者との接触ができないからだ。他者との接触は”交流”とも呼ばれるように、お互いのぶつかり合いと摩擦によって形作られていく。痛みによって適切な距離を保ちあうということでもある。それをつみきは理解しない。というより、彼女の能力によって理解できない。絶対不可侵の能力を持った彼女は、決して傷つかないし、誰にも止めることはできない。つまり、彼女の望みは誰にも妨げられることはできないのだ。これでは”交流”など生まれようはずもない。ただ彼女の言ったことが実現するだけだ。

これはおそらく彼女の能力の根本に”傷つけられたくない”というものがあって、それが彼女のあり方をゆがめてしまっている。彼女の本当の”傷”はまだ今回の話では明らかになっていないが、おそらく相当に他者に対して恐怖を抱く出来事があったのだろう。それでいながら、つみきは他者との接触に飢えている。単に触れられないという意味ではなく、他者との交流に飢餓している。それはあたかも周囲すべてを黄金に変える力を得ながら餓死したミダス王にも似て、他者から傷つけられない能力を持ったつみきはその能力によって狂いつつある。どんなわがままを言っても、どんなに暴虐にふるまったとしても、すべて彼女の思いのままになる能力。それは彼女を極限の孤独に落とし込んだのだった。

だから皆人が彼女に”勝つ”ことが出来たというのは、つまるところつみき自身の内面の問題であったということ。彼女自身の中に、他者と拒否する意思と他者を欲する意思があって、まあ皆人の能力の支えもあったにしろ、最終的に他者を欲している自分を認めたのは彼女自身の意思なのだ。結局、こうした問題は自身の考え方に還元されるもので、自分を救うことは自分にしかできない。それを突き付けたという意味では、皆人もなかなかに厳しいやつだなあ、と思ったのでした。

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