« 『ミスマルカ興国物語 エックス』 | トップページ | 『聖断罪ドロシー02 魔神と少年とかわいそうな魔法使い』 »

2012.12.14

『冴えない彼女の育てかた(2)』

冴えない彼女の育てかた(2)』(丸戸史明/富士見ファンタジア文庫)

消費型オタクは創造型オタクよりも劣った存在なのか!?一ファンはクリエイターにとっては虫も同然の存在だとでも言うのか!?否!否である!!

というテンションではぜんぜんないけど、だいたいそういう話。”主人公が同人誌活動を通じて巻き起こす騒動”を描くというアウトラインだけ見ていると、主人公がクリエイターとして成長していく話のように見えるけど、この主人公、徹底的に消費型オタクであり続けているところが偉い。いや本当に偉い。

主人公にはどこまで言っても何かを”創り出す”才能は全然なくて、あるのは勢いとちょっとした小器用さしかない平凡なオタクでしかないのだが、そんなオタクが持つ”武器”ってなによ?というところに焦点が当たっている、と思う。まあ、ぶっちゃけ”武器”なんて大層なものは、少なくともその言葉にふさわしい”才能”だとか”技能”とか、そういうのはまったくない。あるのはある種の無神経さが生み出すふてぶてしさから生じる”人脈”であったり、ただひたすら好きな作品を読み込み裏読みをする半可通批評家気という”うざいオタク”でしかない主人公が、まさにそういった”うざいオタク的側面”こそを武器にして動いていくのである。

つまり、主人公には選ばれた者としての”才能”はなく、それもフィクションでは良くある”努力の才能”みたいなものさえない。出来ないことをそれでも努力するような根気もない、そんな普通のオタクなのだ。しかし、そうした”好きなことには異常に拘る”オタク気質も、極めれば、決してクリエイターに劣る存在なのではない。むしろ、クリエイターが創作していく上で必要不可欠なパートナーとしての役割を担えるのだ。

もちろんそれは主役になれる役割ではない。主役はいつだってクリエイターであり、彼らは替えのきかないユニークである。主人公の立場は、いつだって替えの効く脇役でさえあるのだが、しかし、脇役が、果たして主役に”劣る”存在なのだろうか?そうではなくて、脇役なくして主役が輝くことがないように、主役なくして脇役の意味がないように、どちらも必要な存在のはずであって、どちらが上というものではないのだ。

もちろん、それは消費型オタク万歳!ファンの特権全肯定!みたいなお気楽はものではなくて、むしろ消費型オタクに対しても”覚悟”を強いるものとなっている。例えば、主人公の消費型オタクとしてのポテンシャルは凄まじいことになっているように。個人のブログがある作家の売り上げにはっきりとした形で貢献しているというのは明らかに異常な状況であって、その意味では主人公はやはり”非凡”なのだろう。

それはつまり”クリエイター”と”ファン”の間にある関係を語り直そうという印象がある。つまり、非凡なクリエイターがいるように、非凡なファンだっていうのだ、と言うような。”才能のある消費型オタク”もいると言ってもいいが、クリエイターに向き合うためには、ファンの方もそれ相応の意思が必要だし、そこには卑屈になっている場合じゃないという前向きな意思もあって、まあなんというか作者らしい、業界人のふてぶてしさが良く出ているなあ、と思ったのだった。”才能がないくらいで腐ってんじゃねえ!”みたいな?まあ、良い意味で大人の意見ですね。

|

« 『ミスマルカ興国物語 エックス』 | トップページ | 『聖断罪ドロシー02 魔神と少年とかわいそうな魔法使い』 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/29313/56319605

この記事へのトラックバック一覧です: 『冴えない彼女の育てかた(2)』:

« 『ミスマルカ興国物語 エックス』 | トップページ | 『聖断罪ドロシー02 魔神と少年とかわいそうな魔法使い』 »