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2012.12.27

『私立! 三十三間堂学院(12)』

私立! 三十三間堂学院(12)』(佐藤ケイ/電撃文庫)

いつもの通りとてもクレバーな作品でした。ほんと、なんでこんなにたくさんキャラを出して、しかも、個性が被らないように、かといって奇矯過ぎないレベルで描写出来るんだろうか。新刊が出るたびに驚いているような気さえしてくる。実際している。

なにより登場人物全員を”肯定”している感じがあって、それがすごく良いと思う。物語上ではメインキャラにスポットが当たると、どうしても敵役に配置されてしまうことでどうしても割りを食ってしまうキャラがいるのだけど、そういう”敵”でさえ、その考え方がメイン側とは相容れないものであったとしても、否定される存在ではないということが描かれていると思う。

この物語は、やっぱり法行の存在が中核になっているだけに、彼と仲の良いキャラクターにスポットが当たりやすい。そしてそうしたキャラクターはいわゆる主人公側のキャラクターとなって、読者に対しても物語上においても”美味しい”役回りを与えられる。そこからあぶれてしまったキャラクターには、どうしても読者の共感を得やすい立ち位置は与えられないことになる。それは物語において”否定”されてしまうということであり、つまり”主人公側から打倒されるための存在”、それが”敵役”と言うものだ。

しかし、ここで登場キャラが異様な多さが重要な意味を持ってくる。それは、たとえ主人公側から”否定”されたとしても、敵役側にも自分のコミュニティを持つことが出来るということだ。メインから外れているにしても、それでも彼女たちは彼女たちなりに仲の良い友達がいて、さらにその友達同士でまた別のつながりがある。そうして関係のつながりは、あっちこっちでつながったり断ち切られたりしながら、それでも広がりを見せていく。

そこには特定のサイドが”正しい”とか、そういう変更がうやむやになっていくところがあって、それが群像劇と言うものが持つ力なのだと思う。一面的な正しさを、多面的なつながりが塗りつぶしていくことで、そこには正誤の垣根はなくなっていく。誰かが正しいときに、誰かが間違っているように”見える”だけで、それらはすべて人間同士のつながりの押し引きで成り立っているのだ。

それが群像劇の面白さであると思うし、この作品はその意味でとても優れた群像劇となっているように思うのだった。

追記。お茶の先生と花音のエピソードがすごく好きだ。話として優れているかと言うと、まあちょっと強引かなと言う気もしないでもないけど、どんなものを見せられても、そこに意味を見出していく先生の粋人っぷりがとても良かった。個人的な見解ではあるけど、あのエピソードは「花音が機転を利かせて先生を手のひらの上で転がした」という話であるとともに「どんなものにでもわびさびを見出すことが出来る先生の懐を借りた」と言う話でもあると思う。普通の人にはただの粗末で安っぽい押入れであっても、人生の達人ともなればそこにノスタルジーとファンタジーに満ちた非日常空間に現出させることが可能なのだ。こういうことが出来る人を粋人と言うのであろうし、僕はこういう粋人になりたいと常日頃から思っているのだ。

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