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2012.11.15

『李歐』

李歐』(高村薫/講談社文庫)

物語序盤における桜の描写に息を飲んだ。アパートの窓の向こうに満開に花開く桜と、まるで城のような工場。眼下に広がる網の目のように広がる下町。幼い日の一彰はそのすべてを夢に酔うように、桜に酔うように思い出す。それは現実の世界と言うよりも、主人公の思い出の世界であり、思い出とはこの世でもっとも甘美なものだ。その、夢のような甘美さをそのままに切り取ったような描写があって、最初は唖然として、そして感動した。文章で、こんなに鮮やかな夢のような風景を描けるものなんだ、とさえ思った。そして、一彰はこの夢の風景を原風景にして持っていて、彼の希望も、そして挫折もそこにあった。

彼はその風景を痛みと共に思い出していて、それが彼に衝動に駆り立てていく。それが物語を動かしていくんだけど、それは李歐と出会ったことで明確な行動を取っていくのだけど、その冒険からきちんと帰還してくるのに意外だった。一彰は李歐に強く惹かれさえするのだが、しかし、彼はそのまま李歐と共に旅立つことはしないのだ。それは新しい世界を恐れたわけではない。彼は李歐と共に同じ世界で生きることの不安や喜びをきちんと理解した上で、それを拒否する。それは後継者不足に悩む町工場の社長に恩を返すと言う理由もあったけれども、それ以上に自分の生きる場所は”こちら側”なのだと言う自発的なものだ。だから、李歐と共にいけないことを残念に思いつつ、彼は自分の選択を後悔することはない。しかし、それは李歐に対する想いが、彼の現実を凌駕するものではなかったということを意味しない。李歐よりも現実を選んだと言うものでもない。もちろん別離は喪失を伴い、それを彼らは悲しんだが、別離もまた、”共にある”ということの一つのあり方だからだ。

一彰は平凡な旋盤工として暮らしながら、町工場の社長の娘(幼馴染でもある)と結婚する。厳しい資金繰りに頭を悩ませながらも、それでも彼の手は自分の身近なものをつかむためにある。その一方で、彼は世界を縦横無尽に飛び回る李歐の気配を感じ続けている。幼い日々に知り合った中国人、昔なじみの刑事、そして裏社会に生きるやくざの若頭など、表の世界とは関わりの無いはずの人々から、彼は李歐の冒険のにおいを感じとる。あの時に別れた李歐。ある小国で傭兵となってレジスタンスを指揮する李歐。香港で経済を学び、頭角を現していく李歐。若き名声として大陸を駆け抜けていく李歐。一彰はそうした李歐の冒険を、夢に酔いしれるように、聞き惚れる。そこには嫉妬も後悔もなく、ただただ純粋に美しいものを愛でるように、はるか遠くにいる相手を想うのだ。

彼らの別離から、長い年月が流れた。無目的な衝動に暴走していた若者たちは、お互いの世界で生きて、挫折も得て、大人になった。現実を知り、愛を知り、裏切りも知ったが、それでもお互いを想う気持ちは少しも色あせることなく、ただそこにあった。彼らは多くのものを失い、少しだけ得た。そして得られた少しのものさえも捨てて、彼らは再び出会った。それは、かつてお互いの世界を生きるためにに別離をやり直すため、ではない。あのときの別離が当然のことであったように、このときの再開もまた、当然のことなのだ。彼らは共に生きるにはあまりにも違っていた。欲しいものも、幸福のあり方も、違っていたからだ。だから、彼らはあのとき別れなければならなかった。だが、今の彼らは違う。多くのものを失い、少しのものだけを得た彼らは、ようやくお互いを得ることが出来る。

彼らはようやく同じ窓の向こう側にある桜を、見ることが出来るようになったのだ。

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