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2012.11.30

『六花の勇者(3)』

六花の勇者(3)』(山形石雄/スーパーダッシュ文庫)

状況をひたすらに複雑にして行こうという作者の気合が伝わってきた、ような気がする。とにかく登場人物のほとんどが嘘をついているか、あるいは真実を語っていないのか(この二つは似ているようで全然違う)のどちらかなので、読者であるこっちも気が抜けない感じ。語られている物語そのものにもどこか信用が置けないと言う足元がおぼつかない感覚があるのが良いと思う。激しいバトルが繰り広げられ、六花たちが絶体絶命になっても、あるいは強敵に対して勇気と機知によって対抗していたとしても、どこか収まりが悪いところがあるんだよね。

最近、自分の嗜好が変化してきていて、こういう物事がはっきりと定まらない話が良いと思うようになった。いつまで経ってもなにをやればいいのかわからなくて、なにが正しいのかも曖昧なまま、ぜんぜんすっきりとしたカタルシスのない作品ほど好ましく感じる。なぜなら現実が曖昧なまま飲み込んでいかなくてはならないことが多いものだから。これは個人的な価値観なのであまり真に受けないで欲しいんだけど、単純に見える物事は”嘘”か””誇張”のどちらかだと思うからだ。単純になる過程で必要な情報が抜け落ちている可能性が高いような気がするんだよね。

フィクションぐらい物事を単純にしたいと思うのはもっともだけど、自分はフィクションだからこそ嘘はいけないと思う。現実で納得がいかないことは、フィクションであっても納得してはいけない。例えば現実で強者が弱者を虐げるのは悪だと思うのならば、フィクションであっても強者が弱者を虐げるのは悪のはずなのだ。

なんの話だっけ…。ええと、とにかく、このシリーズは正誤が読んでいるうちに混乱してくる感じがとても良いですなあ、と言うことです。そもそも主人公サイドである六花でさえ、主観視点で描かれたことのあるアドレットとモーラ以外は信用ならんという状況(しかも、絶対に大丈夫かと言うとまだ危うい)。凶魔側の言うことも嘘ばかりで、本当らしい嘘から嘘っぽい嘘、思わず信じてもいいような気になる嘘までさまざまな嘘をつく。ナッシェタニアも自分の野心のために他人を利用して嘘をついていて、もう嘘に嘘が重ねられて本当にひどいことになっている。

この”何が正しいのか分からないまま、それでも選択していかなければならない”と言う足場がボロボロ崩れていくような感覚がすごくリアルだと思う。特に今回、アドレットは見事に”敗北”してしまっていて、この辺りも良かった。つまり、アドレットには”主人公属性”があまり強くなくて、彼の力の及ばない範囲では失敗もするし、負けることもあると言うことが示されたと言うこと(まあ、それでも誰も死なずに済んだあたりに”主人公属性”があると言えなくもないけど)。自分は”敗北すること”をちゃんと描くことはとても重要なことだと思っていて、それこそが”勝利”することの意味を描くことにも繋がっていくのだと思う。それは”勝利することが必要か否か”、つまり、そもそも”戦いに意味があるのか?”と言うところまで繋がっていく問題だと思うんだ。

まあ、さすがにこれは勝手な妄想過ぎると言うものかもしれないけど、そうやって楽しんでいる分にはかまわないだろ。今はこの混沌とした展開がもうしばらく続いてくれることを祈るばかりです。

追記。今回はなんかすげーまとまりのない感想になっちまったな……。

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