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2012.10.31

『ベン・トー(9.5) 箸休め~濃厚味わいベン・トー~』

ベン・トー(9.5) 箸休め~濃厚味わいベン・トー~』(アサウラ/スーパーダッシュ文庫)

ベン・トーシリーズの登場人物たちはみんな真剣に真面目、そして一生懸命にやっているのが良いですね。それも一般的にはくだらない、なんの価値もないことに対して真剣に取り組んでいると言うのがなお良い。世の中には世間から評価されることしか取り組まない人がいて、そういう人にとっては彼らのやっていることは無駄の一言に尽きるのだろうけど、そういう世間の目と言うものに対して、彼らがそれでも自分のやっていることに恥じないでいるのはけっこう難しいことだ。多数派というのは別にそれ自体はすごいことでも偉いことでもないのに、なぜか少数派を見下す傾向に支配されてしまいがちだからね。そういう、一般的には評価されない物事に全力で取り組む姿をこれだけ魅力的に描けるというのはそれだけでも好ましいことだと思うのでした。

そういう少数派に対する作者の視線は、今回の短編集でも存分に発揮されていますね。と言うか、これを書くためにざっと読み直してみると、明らかに少数派のための物語になっているような気がしてきました。佐藤とその悪友たちの凄まじくマニアックなフェティシズムのオンパレードをはじめとして、ハードゲイマッチョ小説を好む白粉の妄想とイベント参加の話、そして白粉に対する感情を秘める白梅の独白。どれも一般的に言えば少数派であり、理解の無い層からは確実に偏見と嫌悪を持って扱われる分野の物語になっているように思います。単純なコメディとしては、明らかにこのあたりの部分は浮いていると言うか、もう少しマイルドなものであっても物語にはそれほど支障はないとも思えます。まあ、ここまでベン・トーを読み続けている人で”引く”ような人はいないでしょうけど、それでも”ついていけない”と感じる人はいないとも限らない。だから、たぶんこれは作者のこだわりなんでしょうね。決して彼らのやっていることは万人が受け入れられることではないけど、だからこそ、と言うか。

彼らは自分のやっていることが世間から白眼視されることは分かっていて、それでもなお楽しそうにやっている。佐藤なんかは寮の友達同士でお互いに理解出来ない部分も含めて受け入れてくれるから救われているけど、白粉や白梅は大変でしょうね。白梅は昔からヘビィに苛められていた過去があるし、白梅については白梅本人にさえ相談できない。それでもなんとか彼女たちは傷つきながらも生きてきたし、これからも誇りを持って生きていくのだろう(彼女たちは、彼女たちの本当の姿を知っても態度が変わらない佐藤にかなり救われている部分もあると思う)。

ベン・トーの登場人物たちがみんな真剣で真面目で一生懸命と言うのは、やっぱりそういう少数派であると言う自覚と、それでも自分に誇りを持って生きていこうとする、ある種絶望的な覚悟が根底にあるからなんでしょうね。我々の生きている世界は、ただ自分らしく生きようとするだけで傷つけられる世界なのであり、そこでサバイバルをしていくためには全力にならざるを得ない。半額弁当如きに人生をかけている姿は明らかに滑稽ではあるのだけど、それは真剣であることとの裏返しなんですね。真剣であることは、その対象に理解のない層からは得てして滑稽に見えるものです。それを滑稽だと思うような人は、自分には真剣になる対象がないか、あるいは想像力が足りていないかのどちらかです。梗(沢桔姉妹の姉の方)が元野球少年に説教をしていたみたいにね。自分に譲れないものがあるのなら、他人にも譲れないものがあると想像するぐらい、誰にも出来ることなんだから。

結論、”他人を馬鹿にしても良いのは、自分が馬鹿にされる覚悟のあるやつだけだ”。要するにそういうことです。問題は、他人を馬鹿にする意図はなくても、無意識に相手を見下しているケースも多いってことなんだけども(梗に説教された元野球少年なんかはまさにそれだ)。

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2012.10.28

『オルシニア国物語』

オルシニア国物語』(アーシェラ・K・ル=グィン/ハヤカワ文庫SF)

あらすじから勝手に架空の国オルシニアの世代を超えた物語が描かれるのだろうか、と思っていたのだけど、だいぶ違う話だった。確かに20世紀のオルシニアを舞台にして、時間も場所も異なる人々の人間模様が描かれているのだけど、その架空の舞台そのものには過剰な意味付けはないようだ。少なくとも、自分にとってオルシニアはヨーロッパのどこかにある国、と言う以上の印象はない。ただ、そこに生きる人々の生活や、日々を過ごすことへの惑いが美しい筆致で描かれている。人間の心は移ろいやすく、また理屈に合わないものであるけれども、それはむしろ、それこそが人間の素晴らしく、美しいものなのだと言うこと。この物語はそういうことを語っているのだと思う。

語られている物語には劇的なものは一切なく、超常的な要素もまったくない、おおむね平凡な人々が平凡に生きる日常で感じた揺らぎや惑いについて描かれている。劇的なことが起こらない分、そこでには当たり前の日常が織り成す、生きることそのものの切なさが描かれている。どんなに懸命に暮らしても、そこには満たされない切なさがあって、それでも人は祈り、願うことをやめられない。懸命に生きてもどうしようもないことですべてが失われてしまう悲しさ。そういう感覚が根底にあって、それが物語をとても美しいものにしているのかもしれない。

収録されている話はどれも面白かったけど、一番強い印象を受けたのは「モーゲの姫君」だろうか。ある姫に求婚に来た主人公が”女である自分も何事かを成したい”という夢を語る姫のために結婚を諦めることから物語は始まり、続いて姫の城を攻撃する指揮官としての主人公を描く。二人の男女の立場の変遷とその中で紡がれるある愛の形が描かれるのだが、主人公の選択によって掛け替えの無いものを失ってしまうラストが物悲しい。なんと言うか、”形を残す”ことはあんまり意味がなくて、むしろ失うべきものは適切な時に失うべきなのだ、と言うか。

あとファンタジー者としては「想像の国」も外せない。もちろん物語には幻想要素はまったくないんだけど、”ファンタジーを想うこと”の豊かさが存分に描かれている。ある幼子が森の中で大樹を見上げながらその息吹を想像(創造)し、ユニコーンを捕まえるために森の中の獣の足跡を探し回る。それらは子供の無知による錯覚ではなくて、そこには確かに幻想が立ち上がる気配があって、人は幻想の中でこの世とあの世の狭間を見出すのだ。

他に好きなのは「兄弟姉妹」や「屋敷」などの人間の心の移り変わりを描いた作品か。どちらもやっていることはメロドラマみたいなものなんだけど、異性に惹かれる気持ち、それで揺れ動く心が、揺れ動くままに描かれているのがすごい。なんと言ったら良いのかわからないが、こういう恋愛ドラマを描こうとすると、どうしても二者択一と言うか、誰かを選んだら誰かを切り捨てると言う展開になってしまうのだけど、人間はそんな風に割り切れる生き物じゃない、と言う感じ。誰かを愛おしく想いつつ、一方で別の誰かの意外な一面を見て心が動くこともある。そこには理屈ではない飛躍があって、こうした飛躍のあり方は、リアルだと思う。

正直なところ退屈な作品は一つもなく、どれも読んでいるうちに気がついたら読み終えていることが多くて、上手く言葉に出来ない作品ばかりだけど、そういう”言葉に出来ない”と言うところがたぶん一番素晴らしいところなんじゃないか、なんてことをつらつらと思ったりもしたのだった。

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2012.10.26

『BEATLESS』

BEATLESS』(長谷敏司/角川書店)

人間と”モノ”の恋愛というテーマになっている今作だが、これはアニメで例えるとその困難さが分かりやすくなる。つまり、アニメに登場しているキャラクターに本気で恋をする、ということに良く似ていると言うことだ。「アニメのキャラなんて架空の存在だろ?そんなのに恋するなんて気持ち悪い…」などと思う人もいるかもしれない。その気持ちは理解出来ないこともないが、これはそんなに単純な話でもないのだと思う。

まあ、恋などと書くからアレなのであって、なんらかの対象に”萌え”る経験と言うのは、オタクならば決して珍しい体験ではないはずだ。それは美少女キャラだけじゃなくて、あるキャラクターの胸のすくような活躍に”カッコいい!”と思うようなものだって”萌え”だ。鉄腕アトムなんかは日本人にもっとも愛されているキャラクターであるといわれて、反論できる人は少ないだろう。他にはキティちゃんとかスヌーピーとか、ああいうキャラクター商品を好むようなのも、まあ広義の意味では”萌え”に含んでもいいんじゃないかと思うけど、この辺はあまり厳密な定義じゃない。あくまでもここではそういうことにしておきたい。

で、そういう、我々が”萌える”キャラクターと言うのは、実のところ確固たる”なにか”であるわけではない。アニメの話をすれば、外見はキャラデザイナーが作ったものだし、仕草はアニメーター(まあコンテもあるか)が作っているもので、性格や言動は脚本家さ書いたもで、声は声優が当てている。目の前の、TVの中で動いているキャラクターは、人格や魂を持たない仮構の存在なのだ。我々は、そうした存在の行動や決意に対して”萌え”たり”感動”したりする。つまり”こころが動く”のだ。これはとても不思議なことだ。ただ、絵と声の集合体があるだけなのに、我々はそれでもキャラクターを”愛して”しまうのだ。

この作品における人造ロボット「hIE」は、こうしたアニメのキャラクターの延長線上にある。彼女たちは人間によって造りだされ、クラウド化されたデータベースから最適な行動を選択する。彼女たちの美しい外見、愛らしい仕草、優しい言葉、そのすべては人間が造りだしたものだ。彼女たちの内面には魂や人格はない。ただその場に応じて必要な行動や仕草、表情を選択しているに過ぎないのだ。そんな彼女たちを”愛する”と言うことは、どのような意味を持つのか?人間とまったく変わらない外見と、まったく区別のつかない受け答えをして、人間と同じように微笑む彼らに、人間はどのように向き合っていかなくてはならないのか?これは、そういう物語なのだと思う。

主人公のアラト少年は、”モノ”であるhIEに対して人間であるかのように接する。それは、彼が幼い頃に重症を負って苦しんでいたとき、自分に懐いてくる犬の姿に励まされたことから端を発する。彼には犬の言葉は分からない。犬が何を考えているのかも分からない。だが、楽しそうにしている犬を見て、彼の”こころ”は動いた。「魂がないからって、響かないわけじゃない」と、彼は言う。その振る舞いを見ているだけで(そこにこころなど伴わなくても)、人は感動することが出来るのだと(まあ、それは現代で例えれば、アニメのフィギュアにさえいちいち挨拶をするような奇行なのかもしれないが)。

そんな彼は、謎めいたhIE、レイシアと出会う。彼はレイシアを一目見たときから強く惹かれる。彼は”モノ”に対してさえ人間と同じように手を伸ばせる人間であるため、レイシアに対して、少年が少女に対するように何かをしたいと強く思うようになるのだった。レイシアがただのアニメのキャラクターであったならば、一方通行であってもアラトに対して慰撫を与えただろう。しかし、レイシアはアラトに対して「自分には魂はない」のだと言う事実を突きつける。それどころか人格さえ持たない人形なのだと。彼女の美しい外見は造りモノであり、彼女の発する言葉は状況に合わせて適宜選択されるテンプレートでしかなく、その振る舞いはクラウド化されたデータベースから引用されているものに過ぎないのだと。

これは、hIEに対して感情移入して、人間のように扱うことに対するhIE側からの糾弾とも言えるものだ。魂を持たず人格もないレイシアにとって、アラトがレイシアに対して抱く”望み”あるいは”欲望”は、そのまま鏡写しに人間側に跳ね返ってくることを期待する自己完結的なものだ。そこには所有者の欲望だけがあって、hIE側に対して誠実なものではない、と言うことなのだろう。その言葉に対して、アラトは真剣に向き合い、そして答えを返していく。

物語は、レイシアが言葉を投げかけ、それにアラトが答えていくという形を取る。アクションがあったり陰謀があったりするけれども、基本的にはそういう話だ。レイシアが投げかける問いとは、「人間は、人間ではない”モノ”とどのように関係していくのか?」というものだ。アラトはレイシアを愛おしく思うが、同時に”レイシアとはなんなのか?”と言う問題に迷う。レイシアの容姿も、言葉も、仕草も、すべてが計算の上に積み上げられた既製品でしかないのであれば、ならばアラトが抱く”愛しさ”はどこへ向けられたものなのか?レイシアの外見も言葉も仕草でさえ、彼女にとって固有のものではないのなら、アラトの愛情はどこへ向けられているのだろうか?

しかし、アラトはそれでも”レイシア”に手を伸ばした。少女の姿をしたhIE、人形、モノに手を伸ばしたのだ。それは自己の欲望を反映させる器としてではなく、”レイシアというインターフェイスを介在して自身にコミュニケートしてきている異形の知性体”に対して手を伸ばしているのだ。たとえレイシアの微笑みがテンプレめいた反応でしかないとしても、”微笑むことを選択している知性”が存在していることを間違いない。少なくともアラトはそう信じている。”人間のために微笑みを選択した知性”を、彼は信じたのだ。

それは、レイシアを人間とはまったくかけ離れた知性であることをそのまま認めると言うことだ。”人間と形しか似ていない生命”であること受け入れるということだ。だが、たったそれだけを受け入れるためだけに、これほどの膨大な物語が必要だった。一人の少年が背負うにはあまりにも重い責任と、莫大な犠牲を払わなくては、人間はそれを受け入れるだけの精神の土台を作ることは出来なかったと言うことなのだ。アラトがレイシアを受け入れ、二人の関係が世界を改変していく。

少年はレイシアを受け入れた上で”レイシア”を愛することを選んだ。それはレイシアを理解したわけではない。人間には所詮”形”しか見えず、魂を見ることは出来ない。だが、人形を、形をそのままに愛することは出来る。”それ”は人間の感情移入の道具ではなく、それでいて人間のように想うことはなく、しかし、それでも知性であり、生命であるのだと、信じることは出来るのだ。形のあとに、こころがついてくる。そうして世界は変わっていく。人間の世界から、人間とモノの世界へ。人間の造り出したモノが、本当の意味で人間と共にある存在を受け入れた世界へ、社会が変化していくのだ。

その世界では、アラトは微笑むレイシアを見て喜に溢れ、その奥にあるものについては想像することしか出来ないまま、手を取り合って生きていくことだろう。

 

追記。人間は魂が見えない。それはつまり、自分以外の人間に本当に中身があるのか確認する方法はないと言うことだ。本当に人格があるのかを確かめられないまま、けれども、それでも他人を信じることで人間は他者と繋がっている。その意味ではhIEとの関係も変わらないもので、理解出来ないままに信じるということなのだ。

追記の追記。最後の”帰って来たレイシア”については、いろいろ考えさせられる。データを保持できないと言うのは嘘だったのか?アラトに対するアナログハックでしかなかったのか?あるいは本当のことで、このレイシアの中身はまったく別物なのか?”レイシアだったモノ”が他のデータを参照して構築しなおしたものなのか?それを確認することは、おそらく無理だろう。だが、確認することに意味もないだろう。人間は形に縛られる。その上で信じることだけが人間の出来ることであり、希望でさえもあるからだ。

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2012.10.21

『這いよれ!ニャル子さん(10)』

這いよれ!ニャル子さん(10)』(逢空万太/GA文庫)

とても安心感の漂う作品だった。この危機感のなさ、カタルシスのなさはすごい言うかなんと言うか、やっぱりすげえ。事件がろくに起こらないくせに、キャラクターが動いているだけで一定を面白さを引き出しているわけだから、下手に事件を起こすことよりもずっとすごいことをしているのではないだろうか。

まあ、別にすごく面白いというわけでもないんだけど、そういうはらはらドキドキ系の面白さは読者である自分も求めていないって言うか。そもそもそういう方向性は作者も最初から考えていないことをあとがきで書いているしね。それにシリアスに物事を描けば良いかと言うと、そうでもないとも思う。シリアスに描かなくても真面目な物語は描けるし、シリアスだから真面目な物語とも限らないものだ。前回の話はいかにもシリアスに描かなくても真面目な物語だったと思うし(前巻の物語は、真宥が自分の平凡な日常よりもニャル子たちの方がずっと大切なんだと言うことを示したエピソードだった)。どうも自分はシリアスと言うか、深刻に物事を描くことに対して懐疑的なところがあって、深刻な問題を深刻に描いても面白くもなんともないと思うのだ。深刻に描いたところで問題が解きやすくなるわけでもないし、むしろ視野狭窄に陥っているんじゃないかと思ってしまう。まあ、これはぜんぜん関係のない話だったな。閑話休題。

えーと。そういや今回登場したアト子さんは、だいぶ固まってきてしまった真宥たちの関係を動かすために投入されたのだろうか。ニャル子はともかくクー子が真宥に完全にデレてしまって、またハス太とルーヒーがいい雰囲気になりつつある状況だと、どうもやり取りがワンパターンになりやすくなっている。いわゆる倦怠期と言うやつか(違う)。その意味では前巻でニャル子たちとの日常を受け入れた次の回にアト子を放り込んだのは、絶妙のタイミングだったと言ってもいいのかもしれない。アト子が入ることで、安定しているニャル子たちに対する危機感を演出することが出来る、と。キャラ的に、この上なく冗談ではすまない凄みもあって、本当に何かをしでかしそうな雰囲気がある(まあ何も起こらないんだろうけど)。倦怠期に陥った関係を新鮮なものにするのは、やはり外部からの刺激なのだろう。何の話だ。

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2012.10.19

『内海の漁師』

内海の漁師』(アーシェラ・K・ル=グィン/ハヤカワ文庫SF)

(あれ、これイメージがないのか……まあ、古い作品だしな)

ル=グィンの描く作品は、SFともファンタジーともつかない境界線をたやすく踏み抜くところがある。本人もそのことに意識的であったようで、前書きでも自身にレッテル(SF作家orファンタジー作家、ハードSForソフトSF等)を貼ろうとする人たちに対する、穏やかなれど頑固に反論を繰り返している。作品を読めばそういうところにも納得できるところがあって、とにかく一面的に物事を分かりやすく了解しようとする力に対する反発と言うものがそこここにあるのだった。そこがル=グィンの面白いところで、とにかく決まりきった物事をひっくり返してやろうと言う意思がある。これも勝手なレッテル貼りではあるんだけど、とにかくひねくれた人なんだろうな、と思うのだった。そして自分はひねくれた人が好きなのだった。

収録されている物語もSFとかファンタジーとかをカテゴライズすることに困難を覚えるタイプの作品が多い。もちろん、舞台や設定、シチュエーションだけに焦点を当てればカテゴライズが可能なのだが、その設定で描かれているのはそういうカテゴリとはあまり関係がない。だからと言ってそれら背景がないがしろにされているわけでもなく、ガジェットとしては存分に活躍しているのにも関わらず、それだけに留まるものでもないのだった。

ル=グィンは、なによりも人間を描いているのだと思う。前書きにもそれらしいことを書いていたのだけど、「SFと言うのはアイディアだけがすべてだ」と言う言葉に対して、それはもう激烈なまでの反論をしている。このような発言の意味は、SFではSFガジェットがすべてであって、文芸作品のように人間について描いたり文学的な表現の美しさなどはないと言っているのだと思うのだが、それに対してル=グィンは「SFで人間を描いて何が悪い!」と言うようなことを言っているのだと思う。”SFと言うジャンルではこれしか書いてはいけない”と言う、一方的な決め付けに対して、SFとはもっと自由に描いても良いジャンルなのだと言うような。

まあ、自分は当時のSF事情なんて分からないのでまったく見当違いなことを言っているかもしれないのでほどほどにしておく。ただ、作者の視点はいつだって人間に当たっていて、人間の生きることそのものに対する切なさ、やるせなさ、そしてまばゆいばかりの輝き、そういったものを描いているように感じるのだった。

以下、作品ごとに簡単に感想。

「ゴルゴン人との第一接近遭遇」
とある夫婦が異形の宇宙人(?)と出会う。言葉にするとただそれだけの話なのだが、夫に従うことしか出来なかった女性の自立の物語と言うきわめてフェミニズム作品のようでもある。もっとも作者はフェミニズムに対しては非常に複雑な態度がありそうだけど。

「ニュートンの眠り」
これは単純に”自然回帰”物語と読んでいいのかな?ル=グィンはものすごく思弁的な作品を書いたかと思うと突然俗っぽい作品も書くから注意が必要だ。まあ、地球を捨てて宇宙に出た人間たちが、根っ子を失ったことでゆっくりと正気を失っていくホラーとも読めるな。
まあ、それよりもなによりも、主人公であるお父さんの性格が、あまりにも自分にそっくりで参った。胸が痛い……。何事も合理的に物事を理解する一方、驚くほどに人間の心の機微が理解出来ない。そのくせ、合理的であるゆえに自分が正しいと信じて疑わない。つまり、”幼稚”なのだ。

「北壁登攀」
雪山登山の作業日誌と言う形で書かれる話。言葉が簡潔に過ぎるために、そこかしこにはさまれる異文化に対する違和感が面白い、のか?良く分からん。ただ、最後の部分にはびっくりした。そして脱力感あふれる良いオチである。

「物事を変えた石」
寓話だと作者が書いているから寓話なんだろう。それが何を意味しているのかは……なんだろう?抑圧的ながら主人とそれに使える奴隷。主人たちは奴隷が自分たちの見えないところで芸術を作り上げていることを知らない。世界観が違う、って言うのかな。騙し絵みたいなもので、ひとつの視点からでは老婆にしか見えないけれど、視点を変えると貴婦人に見えるような。なんとなくフェミニズム作品(男に虐げられ家庭に押し込められる女のイメージ)のようにも思えるけど、やっぱりこれも一方的な価値観に対する反逆の物語なんだろう。
ところで登場人物たちの外観がいまひとつイメージがまとまらない。少なくとも触手とか複眼みたいなのは持っているのかな?

「ケラスチョン」
これは美しいファンタジーだと思う。”芸術とは形としては残らないものだ”というイメージが強烈な鮮やかさを持って描かれている。前半の寓話性の強い作品よりもこういうただ美しい作品の方が好きだ。前半の作品はちょっと啓蒙しようと言う意識があからさま過ぎるんだ。

「ショービーズ・ストーリイ」
これはすげえ。チャーテン理論と言う、いわゆる超光速航行エンジンについての物語なんだけど、強烈な幻想性が漂っている。SFなのに読んでいる感触はファンタジー以外のなにものでもない。なんだこれは。
いわゆる観測者の認識が世界を作り変えてしまうというタイプの物語なのだが、それ自体は、今となってはそれほど珍しくない(あくまでもそういう作品をいくつも読んでいるというだけだ)。しかし、多視点の認識がごちゃごちゃに絡まった結果、彼らの世界を認識する力が崩壊してしていくことによる混乱を纏め上げるために、クルーたちが自分の物語を語り始めるところに痺れた。
それはまるで、焚き火に車座になって語り部たちの昔話に聞き入る家族の姿じゃないか。

「踊ってガナムへ」
これも良かった。ル=グィンらしからぬスペオペ的なマッチョヒーローが出てきたことに仰天したが、そこにチャーテン理論が入り込むことによって、実にグロテスクなものになっている。なんども繰り返しているけど、世界と言うのは本人の認識によって作り上げられる。それを徹底的に戯画化するのがチャーテン理論であり、己の中にある”物語”に囚われて、あらゆる事象を自分を主人公とするドラマに”解釈”していくことの滑稽さ、恐ろしさが描かれる。しかし、それだけならばヒロイズムに対するニヒリズムの物語に過ぎなくなるのだが、そこで終わらないのがル=グィン。ヒロイズムに囚われたヒーローは滑稽なピエロだったのか、あるいは本当に神に選ばれた英雄だったのか、曖昧なまま物語は終わる。それはきっと紙一重のもので、凡人には届かない世界なのかもしれない。

「もうひとつの物語―もしくは、内海の漁師」
浦島太郎をモチーフにしたSFだったとは驚いた。タイムトラベルものとしても読めるけど、それはまああんまり重要じゃない。これは時間と空間に隔てられた世界での人間の孤独を描いた物語であり、小さな恋の物語でもある。
家族たちの時間がずれていくことに、少しずつ孤独感を募らせていく主人公の姿とか、結婚してしまった幼馴染(しかも、一足先に中年になっている)の姿に対する喪失感など、異世界なのに共感性はかなり高いんじゃないか。個人的には恋愛小説的な側面が強く感じるのだけど、主人公が住んでいる星の特殊な風俗などの異世界描写が非常に具体的なのが面白いとも思った。明らかに恋愛小説としては異質と言うか浮いているんだけど、ここではない違う世界で起こる出来事に対する執拗さのようなものがあるような気がするのだ。

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2012.10.18

『烙印の紋章XII あかつきの空を竜は翔ける(下) 』

烙印の紋章XII あかつきの空を竜は翔ける(下) 』(杉原友則/電撃文庫)

物語はすべてに決着はつけることはなく、オルバたちの奮戦によってアリオンをなんとか退けつつ、内紛の気配を漂わせていたメフィウスをビリーナがなんとか治めるという夫婦それぞれの戦いと、それによってお互いの絆を確かめ合うと言う物語として幕を閉じることになった。アリオンとの戦いはおそらくこれから何十年に渡る物語であり、竜神教との戦いは歴史には語られなくとも長きに渡るものとなっていく。それがオルバの代で終わらずに、子、孫の代に至るまで続いていく。それを歴史と呼び、歴史は一人の英傑ではなく数多くの人々がつむいでいくのだ。

と言うわけで、この物語はオルバとビリーナが本当の意味で心を通じ合わせることで幕と閉じた。しかし、この二人、実のところ共にあった時間はすごく少ない。ひとつの巻を通じても顔を会わせないことなどしょっちゅうで、出会ったとしてもすぐに通り過ぎる。だがそれはすれ違いと同じ意味ではない。顔を合わせることは少なくとも、むしろ彼らはいつだってお互いのことを考えていた。常に、自分の傍に相手の気配を感じていた。彼ならばこんなときに何を言うのだろう。彼女ならばこんなときにどんな態度をとるのだろうか。二人はいつもそれを考えていた。そうしてお互いのことを思うことが、それぞれが戦い続けるための力としていく。

そう、それぞれの戦いは、それぞれだけの戦いであり、手を貸すことが出来ないものだ。自分の戦を他人に代わってもらうことは出来ない。なぜならば、それが”高貴なるものの義務”だからだ。その義務は、ただ一人で背負わなければならない。しかし、それでも彼らは孤独ではなかった。一人ではあったが、孤独ではないのだ。彼らはお互いの義務を理解しており、そしてそれから逃げずに立ち向かう意思を共有していた。二人は時にぶつかり合いながら、いつしかお互いをそのように見なしていた。自分がここで戦っているとき、相手もまたどこかで戦っている。そのように信じられることも、ひとつのつながりであろう。

人と人のつながりは、時間や距離だけで決まるものではない。そのようにしてつながることが出来るのも、人の心が持つ力であると思うのだ。

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2012.10.16

『ボンクラーズ、ドントクライ』

ボンクラーズ、ドントクライ』(大樹連司/ガガガ文庫)

自分は物語というものが大好きなのだけど、ときどきどうしようもなくやりきれなくなることがある。物語の魅力のひとつは現実を捨象することで物事を純粋に描くことが出来るということだと思っているのだけど、それは同時に純粋ゆえに語られない部分を持つ、ということでもある。それは別に悪いことではなくて、そもそも現実をそのまま語る必要はないものだ。現実のことはそのまま現実で体験すれば良いのであって、物語と言うのは複雑な現実からなんらかの意味を見出そうという取り組みのことを指すのだから、いくつかの出来事を筋道がつくように並べて行くことで、そこから意味を汲み取ろうとするのは当然のことだとさえ思う。

しかし、物事に筋道をつけるということは、同時にそこから零れ落ちるものも存在するということでもある。例えばそれは、決して主人公にはなれない親友Aのような。彼は主人公とヒロインが運命的に出会い、交流を深め、時に対立し、それでもお互いを意識していくドラマを、ただ見ていることしか出来なかった。彼は二人の関係に何がしかの影響を与えられたというわけでもなかった。三角関係のような、物語をつむぐことさえも出来ない。彼の存在は、物語としてみれば、まったくの無価値である。彼のような脇役は、せいぜい主人公が悩み苦しむ姿を遠くから見ているか、もっとも良いケースでさえ、主人公を勇気付けたりするきっかけを生むことが出来るくらいだろう。もちろん、脇役にだって苦しみがあり、葛藤がある。好きな女の子がいて、優れた友人に嫉妬するような当たり前の苦しみが。ただ、彼の苦しみには誰も興味を抱かないだけだ。みんなが気にするのは学園一の奇人である男の恋の物語であって、彼の物語は望まれていないのだった。それが、この作品の主人公の物語なのだ。

別にこれはメタの話をしているわけじゃなくて、普通に現実にあることだ。われわれが現実だと思っていることは、実際には現実そのままというわけじゃない。自分自身の主観、思い込み、勘違いが現実を捻じ曲げていく。そして自分以外の人間にもそれぞれの主観があるとすれば、現実というのは嘘と幻で出来ているようなものだ。極論だが、人間はその中から自分にとってもっとも都合の良い”物語”を選択しているに過ぎない、とも言える。人間が現実を解釈する技術、それが”物語”というものであって、それは”嘘”によって紡ぎあげられていくのだ。

だから主人公は”嘘”をつく。親友と好きな少女のために、二人の”美しい恋物語”を完成させるために嘘をついた。自身の中にあるドロドロとした、物語を破壊するようなどす黒いものを隠し、”主人公を後押しする親友A”として、彼は精一杯に振舞った。それは彼の怯懦であろうか?卑怯な臆病者のすることであっただろうか?だが、彼が”自分の親友と好きな女の子の恋物語”を誰よりも守りたいと思ったことは確かだ。彼はすべてを捨ててでもその物語を守りたかった。それが自分自身の想いを踏みにじることであったとしても、それでも本当に大切なものだったのだ。

畢竟、物語と言うのは”嘘”なのだ。正しい物語であるほど”嘘”が含まれている。なぜなら世界は正しく整理されてはいないからだ。正しく整理されていないものが正しく整理されているように見えるのならば、それは当然”嘘”である。そして、世の中には物語が満ち溢れている。フィクションの話ではなく、現実の話だ。TVではひっきりなしに事件を語り続けている。クラスメイトは誰それの恋バナに花を咲かせている。担任や上司に対する陰口。彼らの語る言葉の中では、まるで”正義”と”悪”が実在しているように見える。どこかに悪い人間がいて、どこかで正義が行われているように言う。しかし、それは物語だ。人間が理解しやすいように、分かりやすく物事を整理された、あるいは主観によって歪められたものに過ぎない。そこには真実などはなく、それに心地よいと思う人間にとっての物語でしかない。そして、その物語の一つ一つに、この『ボンクラーズ、ドントクライ』の主人公のような”嘘”で物語を支えている人がいて、同じように傷ついているのかもしれない。

と言うこれもまた僕の主観によって歪められた物語に過ぎないのだろうがね。

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2012.10.13

『銀のプロゲーマー2G』

銀のプロゲーマー2G』(岡崎裕彦/スーパーダッシュ文庫)

自分の観測範囲での話なので間違っているかもしれないけれど、『ラノベ部』(平坂読)あたりから大きな物語を持たず、登場人物たちが小さな出来事について取り組んでいく話がいくつか出てくるようになってきたような気がする。その意味では平坂読がライトノベルというジャンルに果たした役割は大きなものがあるのだろうが、それはまあ関係ない話だ。

で、何が言いたいのかと言うと、今回の『銀のプロゲーマー』のほとんどはそういう話だったと言うことだ。前回にもそういう傾向があったけど、今回は、特に前半においては主人公のゲーマーとしての日常話がメインになっているようだ。まあ、プロゲーマーを育成する学校などと言うネタを死に筋にするのはもったいないと言うものなので、こういう選択は当然であるにしても、こういうことが出来る作家になったんだなあ、と感慨深くなったのだった。すごく失礼なことを言っている気がする。

そして後半の狂った…いや、頭のおかしい…まあ、吹雪ディアと言うわけのわからん人が現れて思想的に対立していくことになるんだけど、このあたりの物語展開があまりにもダイナミックで笑ってしまった。そうそう、作者の作品にはこういうのがないとね、みたいな。正直、吹雪ディアがあまりにも異常すぎて言っていることにまったく納得がいかないというか、そもそも心情的に対立しているのか良く分からない。別に気にしなければいいだけなんじゃねえか……と思わないでもないのだが(別に直接的に危害を加えてくるわけでもないし…)、そこはゲーマーとしてのプライドの問題なのだろうか?どうだろう。

これは決して欠点とは言い切れないんだけど、基本的に作者のテーマにしていることがあまりにもニッチ過ぎていて、読者の共感を呼びにくいと言うのがあるんだと思う。”思想的に相容れない相手と出会い戦いを通じて分かり合っていく”と言う王道とも言える物語が、どうも自分には理解出来ないところがあるのは、主人公とライバルの双方が持っている思想に特異すぎて、読者である自分としては、変人がおかしなことをしているなあ、という感想しか出てこないのだった。

でも、以前の作品に比べれば、作者と自分の間にある倫理感の壁も薄くなってきている感じもあって、作者も読者受けを意識して書いているように思える。あんまり無理して読者に媚びているのでなければいいなあ、などと余計なお世話なことを考えてしまうのでした。

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2012.10.11

『ニンジャスレイヤー ネオサイタマ炎上(1)』

ニンジャスレイヤー ネオサイタマ炎上(1)』(ブラッドレー・ボンド、フィリップ・N・モーゼズ/エンターブレイン)

サイバーパンクニンジャ活劇小説というジャンル名の通り、そこにあるのはテクノロジーの発達と人心の荒廃とニンジャがはびこる狂った未来。人々は嘆き苦しみ怒り、そのすべてをニンジャたちが蹂躙する。ニンジャにあらずんば奴隷なるべし、あるいは死すべし。人々の怨嗟と慟哭は天に君臨するニンジャたちには届かない。

しかし見よ!ニンジャたちが撒き散らした骸を!血河を!その中から生まれ出た者を!ニンジャによって妻と子を殺され、自身をも死の淵に追いやられたフジキド=ケンジの元に、名も知れぬニンジャソウルが舞い降りたのだ!かの者の名はニンジャスレイヤー!ニンジャに対する無窮の憎悪と殺意から生まれた絶対なる殺戮者!ニンジャよ、彼を恐れよ!彼こそは塵芥の如き民の絶望から生まれた復讐者なり!

ゴウランガ!彼は憎悪のままに暴走し、ニンジャを狩る悪鬼である。その憎悪は、しかしてあまりにも巨大すぎ、彼自身をも滅ぼすかに思われた。心せよ!暗闇を覗き込むものは、暗闇からも覗かれているのだ!みさかいのない憎悪はニンジャを殺し、ニンジャに虐げられた民を巻き込み、己自身をも破滅させる!サツバツ!

しかし、彼は一人の老人と運命の邂逅を得た。その老人の名はドラゴン=ゲンドーソー!最後のリアルニンジャであった!彼のインストラクションを受けることで、ニンジャスレイヤーは己の憎悪と対峙する。邪悪なるニンジャソウルに身を任せるのではなく、彼こそが憎悪の主となるのだ!waashoi!

だが、彼の戦いは常に悲劇と隣り合わせ。憎むべきはソウカイヤのボス、ラオモト=カン!そして彼の臣であるダークニンジャ!彼らこそがニンジャスレイヤーの仇である!彼らの卑劣なる魔の手は、ニンジャスレイヤーの新たなる光さえも打ち砕く!これまでと同じように、そしてこれからも!彼らの手によって、新たなる師ドラゴン=ゲンドーソーは無残にも殺害される!なんという悲劇か!コワイ!

だがニンジャスレイヤーよ!悲嘆に暮れることは許されぬ!お前の身体、五臓六腑のすべては理不尽に対する怒りによって動くのだ!立ち止まることは許されぬ!立ち止まることは死を意味する!憎悪を己の力とし、殺意によって前に進む!それがニンジャスレイヤーに許される唯一のものなのだ!

戦え、ニンジャスレイヤー!己の憎悪の導きのままに!妻子の仇を討つそのときまで!

ニンジャ、殺すべし!!

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2012.10.06

『バカとテストと召喚獣(10.5)』

バカとテストと召喚獣(10.5)』(井上堅二/ファミ通文庫)

作者の短編の上手さに感心してしまった。いや、上手いのかどうかちょっと判断できないのだが、アイディアを投入してそれを転がしていくのがとても自然なのだった。最初に掲げたテーマやアイディアが明確で、それを変転させていく感じがすごく良かった。ライトノベルで短編の上手い人というのは決して多くはない印象なのだけど、作者はただキャラクターの魅力に頼りきることなく、どのようにすればキャラクターを魅力的に出来るのかという点に常に心を砕いているように思えるのだった。

とくにすごい、と言うか唖然とさせられてしまったのが「僕と雄二の危ない黒魔術」だ。人格入れ替わりと言えば使い古されきったネタなのだけど、入れ替わりが二重に三重に、それどころかさらに繰り返されることによって、凄まじい勢いで入れ替わり状態が変転していくあたりがすごく面白かった。ブレーキが壊れていると言うか、もうどこまでエスカレートするのかわからん、と言うあたりが。ギリシア喜劇かお前らは。秀吉がデウスエクスマキナとして事態を収拾するあたりもそれっぽい。

順番が前後してしまったけれども、「僕と兄さんと謎の抱き枕」は、久保くんの弟が登場してD組を中心にしてキャラクターたちの外から見た姿を描いていると言う話で、やっぱり客観的に見てあの時空はおかしい(つまり、ギャグ漫画時空であるという)ことが強調されたり、明久のやっていることはやっぱりヒーローなんだということが見えたりしている。

「僕と未来の召喚獣」や「私とウサギと仄かな初恋」も同じようにキャラクターを魅力的に見せるためのお題があって上手く動かしているように思う。ただ、さすがにそろそろネタが苦しくなっているのか、やっていることが以前の話のテーマの繰り返しであったりするところもあるのだけど、それを安定感と取るか新鮮さが足りないと考えるのかは人それぞれかもしれない。個人的には、繰り返し語ることでしか語れないものもあると思うし、退屈であるとは決して言えないと思っていて、繰り返しになりつつも、少しずつ対応が違うところの揺らぎを見たり、逆に変わっていないものを確かめたりするのも、悪くないと思う。もっとも、こういうのは人気シリーズだから許されるというところもあるんだろうけど。

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2012.10.05

『RPG W(・∀・)RLD(12) ‐ろーぷれ・わーるど‐』

RPG W(・∀・)RLD(12) ‐ろーぷれ・わーるど‐』(吉村夜/富士見ファンタジア文庫)

相変わらずこの手のRPG好きの欲望をあざとく突いてくるいやらしさが良かった(褒めています)。ゲーマーの妄想や欲望をあざとく突いてくるという意味ではソードアートオンラインと(その意匠だけではなく)良く似ているのだが、こちらの方がより古臭いゲーマー、例えば初期とドラクエやFFをやっていて、今ではスカイリムとかあの辺のオープンワールドを喜んでいるようなタイプを狙い撃ちしている感じ(例えがやたらと具体的なのは自分がそうだからです)。こういう”あざとさ”っての正直下品だと思うのだが、別に上品なのが正しいと言うわけではないのでこれはこれで良いと思う。まあ、気にならないと言うと嘘になるのだが、これは個人的な信条みたいなものだしな。

ところで、今まで吉村夜と言うのは非常に啓蒙的な作家だ、ということを書いてきたけれど、この人の啓蒙は必ずしも道徳的という事ではないのだ、とも思った。まあ、『スクールデモクラシー』を読んでいるのに何を今更と言う気もするが、それはともかく。道徳、つまり正義とか悪とかというのはただのレッテルに過ぎないという事で、実際には世の中に正義も悪もないのだということが描かれているように思える。と言っても、それぐらいなら自分にとっては目新しい考え方ではないんだけど、作者の場合それをもっとえげつなくも身も蓋もない認識をしているような気がするのだった。

どういうことか簡単に説明すると、吉村夜の描く物語の傾向として、”正しい選択”が”正しい結果”を生み出さないということがある。むしろ主人公が積極的に”間違った選択”をしたことで”正しい結果”を生み出していることさえある。主人公のやっていることは道徳的に考えればありえない選択だったりすることが多くて、しかし、物語はそれを肯定してしまう。『スクールデモクラシー』なんて、まさにそういう話だった。(他には『真・女神転生if…―魔界のジン』の結末には非常に驚かされもした)。

自分は、吉村夜と言う作家のそういうところにずっと煮え切らない感覚があった。”正しい”ことが人を救わないのならば、それではなんのために人は生きているのか。昔の自分んはそこまで物事を考えていたわけえではないが、たぶんそういう怒りと、同じくらい無視できないものがあったのだろう(でないとこんなに長く読者をやっていない)。このあたりの納得できなさはつい最近まで続いていて(つまり、吉村作品を読むたびに怒っていて)、しかし、最近になって少し考えが変わってきたかもしれない。少なくとも、”作者は確信を持ってこの物語を描いている”ということがわかった、と言うか認められるようになったのだ。意図的に”間違った選択”を主人公にさせているのかもしれない、と。

その意図がどんなものかはまだ良く分からないが、少なくとも”正しさ”に対する反発のようなものがあるようには思えるのだ。つまり”「正しい人間が勝つ」などというのはファンタジー”でしかないということだ。現実とは強いものあるいは運の良いものが勝つのであって、そこには”正しさ”が介在しない理不尽な世界であるということであり、”正義は勝つ”などと言うのは最悪の嘘でしかないのだと。しかし、それが作者の意図ではないうように思える。その認識だけではただのペシミズムに過ぎないからだ。作者の考えていることはそこから少し踏み出している。おそらくもっとも重要なテーマとは、そうした”正しさが勝利できない世界で正しさが勝利するためにはどうすれば良いのか”、というアプローチなのではないかと思うのだ。

ここに吉村夜の描く”啓蒙”の形が見えてくるように思える。世界には「正義が勝つ」などと言う保障がまるでないのならば、”勝てる正義”を作らなくてはならないということ。そして”正義が勝つ”ためには、ときに人を騙し、傷つけ、悪を為すことさせも選択しなくてはならないということ。つまり、必ず勝つ正義など存在しないのだから、正義が必ず勝つためには、勝つための戦略と、そして覚悟が必要なのだ。それは自分から”間違った選択”を行う覚悟である。作者の描いているのこととは、たぶん、そういうことなんじゃないかと思う。

そこでは、”正義”の意味と言うものがさらに重要な問題になる。果たしてそこまでして貫く正義が果たして客観的な意味でも正義となりえるのか?まあ、”客観的”などと言うのは思考停止と非常に良く似た言葉であるけれど、自分を信じることの難しさからはどうしても避けられない話ではある。全面的に受け入れられるものでもないかもしれない。しかし、”勝つための正義”というアプローチは、正義のあり方としては決して間違ってはいないのだとも、自分には思える。

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2012年9月に読んだ本

意外と読んでいたけど、だからなんだと言う気もする。

 

2012年9月の読書メーター
読んだ本の数:58冊
読んだページ数:15343ページ
ナイス数:87ナイス

ニンジャスレイヤー ネオサイタマ炎上1ニンジャスレイヤー ネオサイタマ炎上1感想
独特な言語感覚が生み出すアトモスフィアと魅力的なキャラ立てのワザマエが合わさり実際スゴイ。
読了日:9月30日 著者:ブラッドレー・ボンド,フィリップ・N・モーゼズ
自殺島 8 (ジェッツコミックス)自殺島 8 (ジェッツコミックス)感想
社会が出来れば戦争が生まれるのは、まあ当然なんだけどさあ。
読了日:9月30日 著者:森恒二
いちばんうしろの大魔王 ACT12 (HJ文庫 み 1-2-12)いちばんうしろの大魔王 ACT12 (HJ文庫 み 1-2-12)感想
やや思想面に傾き過ぎではあるけれど、むしろ思想的ラノベという感じもある。
読了日:9月30日 著者:水城正太郎
憑物語憑物語感想
阿良々木くんの解体が始まった、ように見えてぜんぜん成長してねーぞこいつ!
読了日:9月30日 著者:西尾 維新
バカとテストと召喚獣10.5 (ファミ通文庫)バカとテストと召喚獣10.5 (ファミ通文庫)感想
入れ替わり話の凄まじい収集のつかなさぶりが良かった。
読了日:9月30日 著者:井上堅二
僕が異世界の女帝だなんて絶対無理! (あとみっく文庫 49)僕が異世界の女帝だなんて絶対無理! (あとみっく文庫 49)感想
なにかこう、女装男子ものとして、なにか足りない気がするんだけど、なんだろう。
読了日:9月30日 著者:上田ながの
偽物語アニメコンプリートガイドブック (講談社BOX)偽物語アニメコンプリートガイドブック (講談社BOX)感想
まあ、内容は充実しているんだけど、値段がどうしてもオタク搾取商品と言う感じ。
読了日:9月30日 著者:
ドロヘドロ 17 (IKKI COMIX)ドロヘドロ 17 (IKKI COMIX)感想
ついに登場人物たちの整理に大鉈が入った。デストロイの季節ってやつだ。
読了日:9月30日 著者:林田 球
ALL AROUND TYPE‐MOON~アーネンエルベ狂詩曲~ (カドカワコミックス・エース)ALL AROUND TYPE‐MOON~アーネンエルベ狂詩曲~ (カドカワコミックス・エース)感想
公式同人と言う感じで楽しいような気がする。終わりなきお祭り感が貴重。
読了日:9月30日 著者:Bすけ,TYPE-MOON
BEATLESS‐dystopia (1) (カドカワコミックス・エース)BEATLESS‐dystopia (1) (カドカワコミックス・エース)感想
長谷先生にしてはロリが妹しか出てこないんだけど(偏見)。
読了日:9月30日 著者:鶯 神楽
RPG W(・∀・)RLD12  ‐ろーぷれ・わーるど‐ (富士見ファンタジア文庫)RPG W(・∀・)RLD12 ‐ろーぷれ・わーるど‐ (富士見ファンタジア文庫)感想
上げて落としてまた上げて落とす。王道だな。
読了日:9月30日 著者:吉村 夜
されど罪人は竜と踊る 0.5 (ガガガ文庫)されど罪人は竜と踊る 0.5 (ガガガ文庫)感想
この人のギャグは躁鬱が激しくて置いていかれる。
読了日:9月27日 著者:浅井 ラボ
テルマエ・ロマエV (ビームコミックス)テルマエ・ロマエV (ビームコミックス)感想
なんか劇場版って感じのドラマティックさだな。
読了日:9月26日 著者:ヤマザキマリ
ユーベルブラット(12) (ヤングガンガンコミックス)ユーベルブラット(12) (ヤングガンガンコミックス)感想
あの悪徳坊主は完全にコメディリリーフ化している。しぶとく生き残りそうだ。
読了日:9月26日 著者:塩野 干支郎次
ブロッケンブラッド 9 (ヤングキングコミックス)ブロッケンブラッド 9 (ヤングキングコミックス)感想
なんかまったく終わった気がしねえ。
読了日:9月26日 著者:塩野 干支郎次
セレスティアルクローズ(5) (シリウスKC)セレスティアルクローズ(5) (シリウスKC)感想
ラーズグリースがあまりにも本能で行動しすぎて人間関係が動かないなあ。
読了日:9月26日 著者:塩野 干支郎次
戦車のような彼女たち Like Toy Soldiers戦車のような彼女たち Like Toy Soldiers感想
ポンコツのような最強っていうのは中二心をくすぐるものがあって、同時に”去りゆくもの”のイメージがある。
読了日:9月23日 著者:上遠野 浩平
冠絶の姫王と召喚騎士 (富士見ファンタジア文庫)冠絶の姫王と召喚騎士 (富士見ファンタジア文庫)感想
うーむ…わからん…。エロの提供は大事にしても、それに囚われ過ぎではないか?
読了日:9月22日 著者:宮沢 周
絶園のテンペスト(7) (ガンガンコミックス)絶園のテンペスト(7) (ガンガンコミックス)感想
なにが正しくてなにが間違っているのか?これってどんなに歳を食っても迷うよなあ。
読了日:9月22日 著者:城平 京,彩崎 廉
東京喰種トーキョーグール 4 (ヤングジャンプコミックス)東京喰種トーキョーグール 4 (ヤングジャンプコミックス)感想
美食家がなかなかイイキャラで、使い捨て悪役にはならない気がしてきた。
読了日:9月22日 著者:石田 スイ
JORGE JOESTARJORGE JOESTAR感想
並行世界のカーズ先輩の叫びは感動的と言うか、ぶっちゃけ泣いた。
読了日:9月21日 著者:舞城 王太郎,荒木 飛呂彦
ジョジョリオン 3 (ジャンプコミックス)ジョジョリオン 3 (ジャンプコミックス)感想
舞台のせいか第四部的な感じがわくわくしてきました。
読了日:9月21日 著者:荒木 飛呂彦
デビルマンG 1 (チャンピオンREDコミックス)デビルマンG 1 (チャンピオンREDコミックス)感想
初めて叩かれた(殴られたではない)女に惚れるとか、存外分かりやすい奴だな、アモンよ。
読了日:9月21日 著者:永井 豪
真マジンガーZERO 8 (チャンピオンREDコミックス)真マジンガーZERO 8 (チャンピオンREDコミックス)感想
正しさを為すためには、まず捨てなくてはならない。とても倫理的だと思う。
読了日:9月21日 著者:永井 豪,田畑 由秋
ハチワンダイバー 26 (ヤングジャンプコミックス)ハチワンダイバー 26 (ヤングジャンプコミックス)感想
さすが地上最強のかませ犬のジョンス・リーさんや!
読了日:9月21日 著者:柴田 ヨクサル
マギ 14 (少年サンデーコミックス)マギ 14 (少年サンデーコミックス)感想
スフィントス君はアリババと兄弟だと言われても違和感ないな…性格が。
読了日:9月21日 著者:大高 忍
史上最強の弟子ケンイチ 48 (少年サンデーコミックス)史上最強の弟子ケンイチ 48 (少年サンデーコミックス)感想
作者のテンションがぜんぜん落ちないのが、ちょっと怖いなあ…。
読了日:9月21日 著者:松江名 俊
史上最強の弟子ケンイチ プラス (少年サンデーコミックス)史上最強の弟子ケンイチ プラス (少年サンデーコミックス)感想
ある意味、面白い試みだなあ。リミックスと言うか、マッシュアップと言うか…。
読了日:9月21日 著者:松江名 俊
千の魔剣と盾の乙女8 (一迅社文庫)千の魔剣と盾の乙女8 (一迅社文庫)感想
正直、ファーディアって誰?って一瞬思ってしまうレベルなんですが…。
読了日:9月21日 著者:川口 士
魔王が家賃を払ってくれない 4 (ガガガ文庫)魔王が家賃を払ってくれない 4 (ガガガ文庫)感想
本格的なラブコメ展開になるのだろうか。案外売れているのかね。
読了日:9月21日 著者:伊藤 ヒロ
疑心恋心 (ガガガ文庫)疑心恋心 (ガガガ文庫)感想
主人公の動機がイマイチ弱いので、最後の行動に納得しにくい。
読了日:9月21日 著者:丸山 英人
RPF レッドドラゴン 2 第二夜 竜の爪痕 (星海社FICTIONS)RPF レッドドラゴン 2 第二夜 竜の爪痕 (星海社FICTIONS)感想
ウロブチ無双。奈須きのこが必死の反撃を試みるが…逆転の目はあるか?まて続巻!
読了日:9月17日 著者:三田 誠,虚淵 玄,奈須 きのこ,紅玉 いづき,しまどりる,成田 良悟
おやすみブラックバード (幻狼ファンタジアノベルス)おやすみブラックバード (幻狼ファンタジアノベルス)感想
無理にラブコメをしなくても…。もっと鼻に抜けるぐらいスカした洒脱さが欲しい。
読了日:9月17日 著者:小竹 清彦
二輪乃花 (まんがタイムKRコミックス つぼみシリーズ)二輪乃花 (まんがタイムKRコミックス つぼみシリーズ)感想
美しく耽美で時に刹那的。つまり、百合最高!ってことだ。
読了日:9月16日 著者:宇河 弘樹
魔術士オーフェンはぐれ旅 魔術学校攻防【初回限定版】魔術士オーフェンはぐれ旅 魔術学校攻防【初回限定版】感想
これは確かに大人になったかつての読者向けのオーフェンだなあ。
読了日:9月16日 著者:秋田禎信
おまえは私の聖剣です。2 (GA文庫)おまえは私の聖剣です。2 (GA文庫)感想
咲耶花は本当に駄目なんだが、自分は器が足らずとも、それでも頑張る子はけっこう好きなのだ。
読了日:9月16日 著者:大樹 連司
光圀伝光圀伝感想
苦難の中で一つ一つ事をなしていくことは、本当に素晴らしいことだよね。
読了日:9月15日 著者:冲方 丁
ヴァルトラウテさんの婚活事情 (電撃文庫)ヴァルトラウテさんの婚活事情 (電撃文庫)感想
作者にしては純粋にキャラ小説を描いてみた感じで悪くない。
読了日:9月15日 著者:鎌池和馬
狼の口 ヴォルフスムント 4巻 (ビームコミックス)狼の口 ヴォルフスムント 4巻 (ビームコミックス)感想
これだけ壮絶な戦いも、全体で見れば局地戦の一つでしかないんだよな…。
読了日:9月15日 著者:久慈光久
Pumpkin Scissors(16) (KCデラックス)Pumpkin Scissors(16) (KCデラックス)感想
半ば、否、ほぼSFの領域に足を突っ込んでいるな…。
読了日:9月15日 著者:岩永 亮太郎
魔法少女かずみ☆マギカ ~The innocent malice~ (4) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)魔法少女かずみ☆マギカ ~The innocent malice~ (4) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)感想
展開がハイスピード過ぎて把握し切れん…歳だろうか。
読了日:9月15日 著者:原案:Magica Quartet,原作:平松正樹,画:天杉貴志
KEYMAN 3 (リュウコミックス)KEYMAN 3 (リュウコミックス)感想
ノーマの姿を見るに、獣人とKEYMANにはなんらかの関係があると見てよいのだろうか。
読了日:9月15日 著者:わらいなく
つぐもも(9) (アクションコミックス(コミックハイ! ))つぐもも(9) (アクションコミックス(コミックハイ! ))感想
かずみと桐雄の再登場を切に願うものである。
読了日:9月12日 著者:浜田 よしかづ
王狼たちの戦旗〔改訂新版〕 (上) (氷と炎の歌2)王狼たちの戦旗〔改訂新版〕 (上) (氷と炎の歌2)感想
本筋がいっぱいあり過ぎて把握しきれないという嬉しい悲鳴が出てきますね。
読了日:9月11日 著者:ジョージ・R・R・マーティン
スワロウテイル序章/人工処女受胎 (ハヤカワ文庫JA)スワロウテイル序章/人工処女受胎 (ハヤカワ文庫JA)感想
普通にイラストが入っていることに衝撃を受けていたり。
読了日:9月11日 著者:籘真 千歳
ゴールデンタイム5 ONRYOの夏 日本の夏 (電撃文庫)ゴールデンタイム5 ONRYOの夏 日本の夏 (電撃文庫)感想
人間ってのは、捨てた過去にこそ復讐される生き物なんだよな…。
読了日:9月11日 著者:竹宮ゆゆこ
楽聖少女2 (電撃文庫)楽聖少女2 (電撃文庫)感想
なんかもう完全に『神様のメモ帳』異世界版みたいになってるぞ。
読了日:9月11日 著者:杉井光
俺の妹がこんなに可愛いわけがない(11) (電撃文庫)俺の妹がこんなに可愛いわけがない(11) (電撃文庫)感想
麻奈美さん、ヤンデレレベルの情念を理性で制御している超人だったんだな…。
読了日:9月11日 著者:伏見つかさ
筋肉の神マッスル2 (電撃文庫)筋肉の神マッスル2 (電撃文庫)感想
案外、マッチョイズムでは切り捨てられるものを拾い上げる話なのかもなあ。
読了日:9月11日 著者:佐藤ケイ
スカイ・ワールド2 (富士見ファンタジア文庫)スカイ・ワールド2 (富士見ファンタジア文庫)感想
瀬尾つかさはこういう方向で固定したのかな?あの情念と概念の暴走は、もう読めないのだろうか…。
読了日:9月11日 著者:瀬尾 つかさ
風の十二方位 (ハヤカワ文庫 SF 399)風の十二方位 (ハヤカワ文庫 SF 399)感想
ファンタジーを描きながら神を否定し、SFを描きながら非論理を愛するところに作者の視野が見える。
読了日:9月5日 著者:アーシュラ・K・ル・グィン
放浪息子 (3) (BEAM COMIX)放浪息子 (3) (BEAM COMIX)感想
アニメを見た後だと瀬谷君がすげえ笑える。お前、たいした奴だな。
読了日:9月5日 著者:志村 貴子
ふたがしら 2 (IKKI COMIX)ふたがしら 2 (IKKI COMIX)感想
エロい。主に男が。おっさんもエロい。
読了日:9月5日 著者:オノ ナツメ
めだかボックス 17 (ジャンプコミックス)めだかボックス 17 (ジャンプコミックス)感想
こいつら何をどう戦っているのか全然わかんねえ。超おもろい。
読了日:9月5日 著者:暁月 あきら
開花のススメ 1 (チャンピオンREDコミックス)開花のススメ 1 (チャンピオンREDコミックス)感想
有りか無しかで言えば断固とした決意を込めて「YESだね!」と言うつもりだ。
読了日:9月2日 著者:
レイセン  File5:キリングマシーンVS. (角川スニーカー文庫)レイセン File5:キリングマシーンVS. (角川スニーカー文庫)感想
こんなに自由に物語を描けることが羨ましい。
読了日:9月2日 著者:林 トモアキ
“末摘花" ヒカルが地球にいたころ……(5) (ファミ通文庫)“末摘花" ヒカルが地球にいたころ……(5) (ファミ通文庫)感想
是光のハーレム過ぎるけど、初恋の相手だけいないとか、哀しいハーレムだなー。
読了日:9月1日 著者:野村美月
七王国の玉座〔改訂新版〕 (下) (氷と炎の歌1)七王国の玉座〔改訂新版〕 (下) (氷と炎の歌1)感想
ロブがまるで主人公のようだが、この世界、どんなに英雄的でも死ぬときは死ぬからね。
読了日:9月1日 著者:ジョージ・R・R・マーティン

読書メーター

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2012.10.01

『戦車のような彼女たち Like Toy Soldiers』

戦車のような彼女たち Like Toy Soldiers』(上遠野浩平/講談社)

統和機構によって生み出された戦闘型合成人間である少女たちは、兵士であり武器であり兵器でもある。彼女たちの存在意義はただ戦うためのものだけであって、戦うこと以外にはなにもないはずだった。しかし、ただ戦うことのみを己の存在意義とする戦車のような彼女たちは、いつしか自分の生まれた意味を外れて歩き出していくことになる。それは生まれついて与えられた運命とか、役割とか、そういう”正しさ”と言う意味からは間違っている行為だ。誰も戦車にスピード競技に参加して欲しいとは思わない。そんなことをしても誰も喜ばない。そんなことを誰も求めていない。しかし、間違っていると言われても、自分でも間違っていると思っていても、それで幸せになれないとしても、それでも戦車のような彼女たちは、前に進む。戦うために生まれたから戦うのではなく、自分のために戦うために。

古猟琥依は戦闘用合成人間の<特別製>であり、最強の攻撃力と鉄壁の防御力を目指して開発された、欠陥品であった。強くはあっても安定性がなく、頑丈ではあったが強靭ではなかった。彼女は兵器として生まれたが、生まれながらに欠陥品と呼ばれ、兵器としての価値を否定されている。つまり、失敗していた。生まれることに失敗していたのだった。それは彼女になんの意味も与えられていないという事で、しかし、そんな彼女に意味を与えたのは古猟邦夫という男だった。彼と出会ったことで、彼女は妻になり、それが彼女に与えられた”意味”となった。彼女は、自分に与えられた”邦夫の妻”という意味を守るために戦う。己が生まれついた意味、戦車としての自分を、そのとき初めて肯定した。戦うために生まれた自分を肯定し、戦うために与えられた力を振るう。それが彼女が自分に与えた、新しい意味なのだった。

九嵐舞惟は戦闘用合成人間であり、いわゆる砲撃型に分類される。攻撃力、射程距離の代わりに防御力を犠牲にしており、おそらくは単独での戦闘よりも複数での戦闘支援に特化している。彼女は、琥依と違って、自分が平凡な兵器であると自覚をしていたし、自覚している分、有能だった。彼女は十全に兵器としての性能を発揮していたし、それを認められてもいた。しかし、それ自体は彼女には無意味だった。なぜなら彼女は”戦いそのものを嫌悪していた”からだ。彼女は有能ではあったが、しかし、その有能さは彼女を何一つ肯定しなかった。始末の悪いことに、彼女は己を肯定しないでも生きていくことが出来た。ただ目の前の課題をやり遂げていく使命感だけで、彼女は生きていくことが出来た。それこそが、たぶん、彼女がもっとも嫌悪することだったのだが。彼女がいろいろなものを清算できるようになるのは、マウスと呼ばれた少年と再会するときだろう。

カチューシャは戦闘用合成人間であり、圧倒的な破壊力を持っていた。その攻撃力はまさしく破壊と言うに相応しく、あらゆる敵を吹き飛ばすことが出来た。彼女は冷静で、冷酷でさえあったが、それは”この世に確かなものなどなにもない”という認識から生まれたものだった。あらゆる正しさはいつだって間違っていて、間違いはいつでも正しくなる。この世には確実なものなどなく、ただ都合によってひっくり返されるカードのようなものでしかない。だから、彼女はひっくり返されるカードそのものであろうとした。感情にも道徳にも動かない、どちらにもいない完全なる空白に自分を置こうとしていた。しかし、彼女は生まれて初めて自分を縛る存在に出会ってしまう。一目惚れと言う、鎖の存在に出会ってしまったのだ。そうして彼女は空白ではなくなる。それが幸福か否かは彼女が決めることだ。

彼女たちは戦闘の兵器として生まれながら、兵器としての自分を拒否して歩き出した。戦車のような彼女たちにとって戦車として生きることが皆に望まれた正しい運命であるはずなのだが、彼女たちにとってその正しさにはなんの意味もないのだった。カチューシャが言うように、この世に”正しい”ことなどない。そして間違っていることもない。いつでも正しさと間違いはひっくり変わるこの世界では、なにも信じることが出来るものがない。何も頼ることなど出来ない。だからこそ、だからこそ彼女たちは自分のために戦うことを選ぶのであり、誰かの指示ではなく自分のために戦うことを肯定したとき、彼女たちは兵器ではなく、人間となりえるのだ。

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