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2012.09.19

『風の十二方位』

風の十二方位 (ハヤカワ文庫 SF 399)』(アーシェラ・K・ル・グィン/ハヤカワ文庫SF)

おそらく中学生ぐらいの頃に『ゲド戦記』を読んで以来のアーシェラ・K・ル・グィンになる。今になって読んでみようとしたことにさしたる理由はなく、図書館にあったのでなんとなく読んでみようと思っただけなのだが、改めて作者の考え方と言うか見え方が非常に面白かった。

昔読んだときには思いもしなかったのだが、ル・グィンという作家にはある種の矛盾したところがあって、常に作中においてアンチテーマを置いているようなところがある。幸福に対しては幸福がもたらす不幸を。平和に対しては平和を求めるための争いを。神に対しては神を求めることの盲目を。そう言った、ある一つのテーマ、あるいは概念について描くとき、かならずそれの負の側面を描こうとしているように思える。それは物事における多面性に対する執拗なまでのこだわりであって、一面的に物事を考えることへの抵抗のようなものさえ感じられる。

この短編集に収められる作品は多彩で、なんてことのない話やハードなSFもあるのだが、その中で一番面白いと言うか好きな作品が「オメラスから歩み去る人々」だ。これは「オメラス」という絶対の幸福が約束された都市の物話である。そこでは、ほとんどすべての人々は、貧困も争いもない完璧な幸福の中にいる。物理的にも精神的にも満たされ、不公平も不誠実もない、絶対の幸福。人々はそこで幸せに生きている。たった一人の”例外”を除いては。そう、彼、あるいは彼女は、この世のありとあらゆる苦痛と不誠実と不公平と不条理の中にある。そして”ほとんどすべての人々の完璧な幸福はそのたった一人の絶望の上に成り立っている”のだ。

たった一人が絶望の内にあり、我々の幸福はその絶望によって作り出されているとき、果たしてその幸福を是とするべきなのだろうか?合理的に考えれば是とするべきだろう。この世に完璧なものなどない。たった一人を不幸に突き落とすだけで、その数万倍の人々の幸福が保障できるとするならば、むしろそれは正義ではないのか?そして、その一人を不幸から救うことで多くの人々に不幸をもたらすことは悪ではないのか?たった一人を救うために多くの人々を犠牲にすることは許されるのだろうか?

自分が思うところでは、ル・グィンの素晴らしいところは「オメラスから歩み去る人々」(原題:The ones who walk away from Omelas)というタイトルに集約されている。幸福をただ享受するのではなく、破壊をもたらすのでもない。ただ、幸福と不幸の関係を見据えて、街から歩み去る人々。それは正義ではない。悪でさえない。そして、逃避でもない。正義と悪という関係から離れ、幸福も絶望も、すべて自分のうちから生み出すことを決意することだと思う。

このように、ル・グィンの物語には、いくつもの矛盾したものが内抱されている。悲劇の中には幸福があり、幸福の内には絶望がある。愛とは裏切りの代名詞であり、裏切りからは信頼が生み出される。そして、どちらかが正しいわけではないということ。選択するものではない、決断することでもない。どちらもが存在することを受け入れて、荒野に向かって”歩み去る”ことが、正義の無邪気と悪の傲慢から己を引き離す唯一の方法。

自分は、そのように思うのだ。

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コメント

こんにちは、いきなり失礼いたします、
風の十二方位、もしまだお手元にありましたならば、お譲りいただけないでしょうか?
もちろん唯でとは言いません!!
もし、あってお譲りしてくれるのならば、ご検討願いたいと思います。

投稿: たらみ | 2014.06.11 06:41

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