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2012.09.04

『楽園島からの脱出Ⅱ』

楽園島からの脱出Ⅱ』(土橋真二郎/電撃文庫)

この主人公は人間は不確実であるという当たり前の感覚が分からないという描写がされているんだけど、このあたりあまり他人事とは思えない。感情と言うものを嫌悪し、理屈通りに動かない他人に戸惑い、いつしかそれが憎しみに変わる。そうした感覚は自分にも良く分かるものがあって、これはたぶんもともとに人間に興味がないのか、あるいは人間とのコミュニケーションが足りていない人間に特有の感覚であろう、と思っている。

主人公もたぶんそういうタイプなのだろうが、おそらく彼は人間と関わることよりもゲームに取り組むことの方が大事だと思っているようで、ゲームのために他人に犠牲を強いることさえもある。それは別に彼が血も涙もない冷血漢という事を意味するのではなく、ただゲームにおける勝敗と他人の痛みを天秤にかけたときに、ゲームの勝敗を優先するという”価値観”を持っているに過ぎない。人間とは価値観の奴隷であり、己の価値観に従って、好き嫌い、重要性を定めているに過ぎないからだ(極論)。善も悪も価値観の創造物であり、価値観の違うところには違う善も悪もあるのだと思う。

けれど、人間は得てして自分の価値観こそが唯一普遍のものだと思い込んでしまうことが多い。自分の善と悪が自分一人だけのものだと考えてしまうとことは孤独そのものであり、人の多くは孤独には耐えられないのだろう。だからこそ自分の価値観は他人と共有しているという幻想を抱くのだろうし、そう考えても別に問題はない。人間の脳には多少の違いくらいなら適当に処理するぐらいの柔軟性があるし、許容できないくらいに違っていたら近づかなければ良いのだからね。

だからこそ閉鎖空間と言うのは恐ろしいものだ。人間関係が深くなればなるほど価値観の相違ははっきりと際立ち、相違が明らかになったあとも距離をとることが出来ない。お互いを無視出来るうちはまだいいが、相違による亀裂は深まれば深まるほど、憎悪も高まり続ける。そこには価値観の摩擦によって生じる人間の根源的な相違さが晒されるのだ。

主人公がそうした中で比較的冷静さを保つことが出来たのは、もともと自分の価値観が周囲とかけ離れているという環境に慣れていたためだろう。学校で、彼はいつだって周囲から孤立していたし、それによって誰かに憎まれることも慣れていた。彼は無関心という鎧で周囲を拒絶し、自分を守っていた。だけど、憎しみが彼自身に与える脅威について、彼はあまりにも理解が足りなかった。憎しみと嫉妬がどれほどの暴発を招くのか、あまりにも無知だったのだ。

そうした”わかっていなさ”は、ある意味、土橋作品における主人公の宿業だけど、今回の主人公は、自分の”わかっていなさ”にずいぶんと素直に反省していたのは、すこし意外だった。これは本人の資質と言うよりも、男の子を動かすのは女の子だという事なのだろう。今回のヒロインは、人間として正しいこと目指しながらもあまりにも弱い。彼女がなぜか気にかかる主人公は、彼女を苦しめるモノについて考えざるを得なくなり、最終的に”自分が理解出来ていないという事を認める”ことになるのだった。

ここはちょっと面白いところで、人間とは価値観の奴隷ではあるが、価値観とは容易に揺らぐものだと言うことだ。主人公が彼女を選ばなければ、例えば他の女の子を選んでいれば、おそらく違った価値観を構築していたのではないだろうか。つまり、価値観と言うのは異なる価値観に触れて、その上で絶えず選択していくものなのだろう。それが成長なのか退行なのかは分からないけれども、それこそ自分で決めていくべきものだと思うのだ。

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