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2012.09.21

『筋肉の神マッスル(2)』

筋肉の神マッスル(2)』(佐藤ケイ/電撃文庫)

前巻ではうひょー良く出来ているなあ面白いなあで済んでいたところが、二巻目になるとさすがにある程度冷静に読むことが出来るようになって、そこでようやく気がついたところなのだけど、主人公はある意味においてびっくりするほど紳士的な男なのだという事に気がついたのだった。このあたりは作中でも随分スポットが当たっていたので詳しくは述べないけれども、主人公はおっぱいにしか興味がないようなふりをしつつ(否、おっぱいにしか興味がないのは間違っていないんだけど)、ヒロインのロリっ子に対して非常に優しく、と言うか甘いと言う描写が赤裸々にされているのだった。これは主人公の一人称視点ではなかなか見えてこないところで、まったくツンデレが主人公だと”信用できない語り手”になってしまうんだよな、なんてことを思った。逆に言えば、こういうギャップこそが”萌え”を導くのだろうと思うのだが、正直、むさくるしい主人公のギャップ萌え目指してどうしようと言うのか。作者に対する疑念はつきない。

正直なところ、自分はこの作品を大変楽しんでいるので、次巻が出るのは売り上げ次第というあとがきを読んでショックを受けた。つまり自分のセンスが一般性を獲得していないと言う事ではないか、というのはともかくとして、続編が出ないのは困る。困るのだが、確かにあまり一般に訴求する萌えはないかもしれない。正直なところ、ヒロインのロリ神様をもっとあざとく、例えば主人公が実のところこのロリ神様に対してだだ甘で、膝の上に乗っけて本を読んであげているシーンなどをもっと詳細に描けばそれだけで訴求力を高められると思うのだが、問題は、主人公はヒロインに対して、本当に子供に対するような感情しか持っていないので、これまた主人公に感情移入をするタイプの読者には受け入れがたいのだろう。

個人的に、物語に対する姿勢において、登場人物の感情移入というものをほとんどしない自分にはあまり理解出来ないのだが、世の中には案外主人公と自分を同一視することで喜びを得るタイプの読み手が多いようで、主人公が自分と違う価値観を持っているだけで拒絶することさえあるようだ。その意味では、この作品はそうした読者に対して優しさがない作品であるのかもしれない。

まあ、おっぱいが嫌いな男子なんていないのだからそちらに対する訴求力はどうか、という意見もあるかもしれないが、正直なところ、それだけではいかにも弱い。なにしろ、物語というのは主人公が”充実”してしまうと動かないもので、たやすく報酬=おっぱいが得られないのは物語的必然と言える。今回では文字通りのおっぱい星人の来訪があるのだが、そのオチがあれである以上、おっぱいを求めている読者でさえも意気消沈は免れないであろう。つまり、この作品は、おっぱいを求めている読者も、ロリあるいは萌えを求めている読者に対しても、そして主人公に感情移入することによる同一化を求めている読者に対してさえも訴求力を発揮できていないのではないか、と思えるのだった。

追記。ぶっちゃけた話をしますが、個人的には感情移入することで得られる喜びというのは、読書においては極めて原始的だと思います。読書の楽しみはそれだけではなくて、語り口のユーモラスさを楽しんだり、平行して語られる登場人物たちの関係や、その変化を楽しんだりと色々なものがある。いや、だからと言って感情移入することの楽しさを否定するつもりはないんだけど、”感情移入できないから駄作”などという言い方(まあそのまんまじゃないけど)はして欲しくないなあ、と思うわけです。いや、そういうことを書いている人をけっこう観測範囲にいるんで。つうか、世の中には面白がろうと思えば面白がれないことなんてない。つまり、読み手側のユーモアの問題であって、つまらないと思えたときは、自身のユーモアのセンスの問題かもしれない、というようなことを常に意識することがフェアなんじゃないかと思うのです。

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