« 『雛鳥トートロジィ』 | トップページ | 『レイセン File5:キリングマシーンVS.』 »

2012.09.12

『2』

2』(野崎まど/メディアワークス文庫)

自分は野崎まどの作品を読んでいて感心するのは、まずもってキャラクターの扱い方なんだけど、それは別に”キャラが立っている”といかそういう意味だけじゃなくて(そういう意味もあるんだけど)、キャラクターがそれぞれ自分に合った役回りをして、自分らしい行動を取っている感じが好きなのだった。このあたりは上手く言えないところなのだが、どんな状況に直面しても、彼らは彼らである、と言うか。彼ららしくない行動をとることはない、と言うか。作品の例えに倣って言うと、キャラクターたちが役者だとして、彼らは役者としての”地”がまったく出ていないで、キャラクターと言う架空の存在をこの世に生み出している、なんて書くと大仰過ぎるのか。この場合、”地”を出していないのは作者ということであって、つまり、キャラクターが作者の代弁をしていない感じがとても良いと思うのだ。

ラノベとかを読んでいてあるキャラクターが滔々と物語の解説を始めたりする場面に出くわすことがあって、そういうのはときどき気になってしまうだ(気にならないときもある)。いわば種明かし的な場面を置いているのだろうけど、どうも作者が自分の言いたいことをキャラクターに代弁させているようにしか見えないときがあって、そういう作者のスピーカーみたいな扱いされてしまうと自分の中で興醒めになってしまうところがあるのだった。キャラクターの積み上げが台無しになれた感じになるのか、あるいは作者が自説を開陳しているように見えて痛々しく思ってしまうのか、そのあたりは自分でも良く分かっていないのだが(ぜんぜん気にならないときもあるし)。

今回の作品は野崎まど作品のキャラクターがオールスターで登場するお祭り感覚の作品になっていて、それぞれ主役級のキャラクターが次から次に登場してくるというとても贅沢な作品になっているのだが、脇役として登場した元主人公たちも、脇役としての立場に収められることなく、彼らの特異なキャラクターを発揮しているように思える。キャラクターが喋ったり愚痴ったり説明したりしている場面でも、そこには作者によって代弁させられていると言う感覚があまりなくて。そこにはキャラクターに与えられた配役に忠実と言うか、ちゃんとキャラクターの身に自然に時間が流れている感覚とでも言うものが感じられるあたりに、非常な幸福感があるのだった。

追記。ある意味、野崎まど作品の主人公による頂上決戦と意味合いもある今作であるけど、まあ大方の予想通り、最強は最原最早以外になかったね。舞面真面はみさきとセットにすればかなり良い線を行っていたけど(名前が似ているし、ライバルキャラ的な設定だったのかもしれない)、やはり格が違った。その他は最早に支配されるか従属するかのどちらかで、逆に言えば最早に逆らおうと言う意思を持てただけ、真面がすごかったと言うべきかもしれない。

|

« 『雛鳥トートロジィ』 | トップページ | 『レイセン File5:キリングマシーンVS.』 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/29313/55603035

この記事へのトラックバック一覧です: 『2』:

« 『雛鳥トートロジィ』 | トップページ | 『レイセン File5:キリングマシーンVS.』 »