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2012.09.06

『一年十組の奮闘~クラスメイトの清浄院さんが九組に奪われたので僕たちはクラス闘争を決意しました~』

一年十組の奮闘~クラスメイトの清浄院さんが九組に奪われたので僕たちはクラス闘争を決意しました~ 』(十文字青/MF文庫J)

いままでで一番ライトノベルと合致した感じのある十文字青だった気がする、と言うのは我ながらいやらしい言い方だと思うのだけど、作者なりにライトノベルの格闘した結果の一つの成果であると思えるので、自分はこの作品をかなり評価したい気持ちがあるのだった。と言うのも、作者なりにライトノベルに取り組んだと思われる『黒のストライカ』が自分の中では今ひとつで、別に十文字青が書かなくても良い作品に思えてしまったのが大きいのだが、そこでは作者が本当に重要なことだと思っているものが描かれている感じがしなくて(と言うのは読者の勝手な誤読である可能性は受け止めた上で言っています)、どこか散漫な印象があったのだった。

その上でこの作品を振り返ってみると、主人公の造形からしてまず違う。この主人公は、いわゆる第九シリーズの主人公の造形を非常に前向きにしたようなキャラクターなんだけど、主人公がが抱えている欠落と言うか、人間として足りないという十文字作品のある種の系統の主人公を継承しているのは間違いないようである。それは”自分が不幸であることを気がつかない”というタイプの不幸で、あるいはそれは自分自身が幸福という概念を理解していないためかもしれないのだが、ともあれ、そうしたタイプの主人公なのだが、それが必ずしもマイナスの方向には向かっていないと言うのが大きなところだろう(今後の物語次第では分からないが)。

つまり、今までの十文字作品においては、欠落を持つことがイコール世界から拒絶されることを意味しており、それによって主人公は凄まじい痛みと苦悩を背負うことになるのだが、今回の主人公は、欠落を持ちながらも、決して拒絶されているわけではない(少なくとも、表面的にはそう見える)。彼は自分が皆から愛され親しまれているものの、自分自身が愛されているのではなく自分の能力によって愛されるだけだという事を理解しているのだが、それによる葛藤が描かれるわけでないのだ。ただ、この点については、あるいは”絶望”が描かれる可能性がある。と言うか、間違いなくここには絶望があって、それは主人公を強く縛るものであるに違いない。その意味では、彼は間違いなく十文字作品の主人公であると言える。

ただ、彼は絶望を背負うにしても、その絶望は内部には向かわず、同じように絶望を背負った少女を救いたいと言う衝動へ転化されるところが大きく違う。絶望とそれを生み出す欠落が前向きな形で描かれているのだ。それが絶望であることには違いはなく、主人公自身はどこまでも救われないにしても、それによって救われる人がいる。こういう描き方は、ある意味においてとても前向きだと思うし、それが結局のところ主人公を救うものではないにしても、”救い”はある描き方だと思う。そこには、作者が今まで描いてきたことを捨てるのではなく、今まで描いてきたものの別の側面を描こうとしているようにさえ思えるのだ。

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