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2012.09.28

『千の魔剣と盾の乙女(8)』

千の魔剣と盾の乙女(8)』(川口士/一迅社文庫)

今回はいちおうロリっ子練成師のフィルがメインの回になるのだろうけれども、それよりもむしろ喋る魔剣のホルプによってハーレムエンドの可能性が示唆されたことが重要だろう。たぶん。もしかしたら。だと思うんだけど。

もう三人のヒロインズは全員が仲が良いし、そのうちの二人は愛人を認めているのだから(フィルは最初からロックを独り占めするつもりはないし、ナギも拘りがないようだ)、あとはロックとアリシアの二人がどう判断するかでハーレムエンドか否かが決まるかもしれない。まあ、アリシアもその辺がだいぶ軟化してきていて、もうちょっとでハーレムを受け入れそうな気配があるような気もする(ナギとかなり気が合うのが大きいのだろうか)ので、あとはロック次第ということだろう。さあ、早く決断をしてしまうのだ。

と言うのは、さすがにちょっとかわいそうな気もするけれど。さすがに三人を背負うだけの甲斐性がロックにあるのか疑問の残るところで、たぶん本人も余裕がないことを自覚しているので、答えを出していないのだろう。なのでさっさと魔王を倒してハーレムを作ってしまって欲しいと思います。……何の話だっけ。

追記。ここに来てまた女性キャラがパーティに入るのかよ!また嫁か!嫁なのか!?厳密には新キャラではないけど、それにしても今からメインキャラになって、どういう動きをするのか良く分からないぞ。

追記。ファーディアの存在意義がまったくわからない……。あとがきを読むに、かなりの重要人物のはずなのに、まったく活躍する様子がないのはどういうことか。あとがきを深読みすると、男をメインにするのを編集が嫌がったため、出番が削られたという事なのだろうが。あんまり女ばっかりメインにすると話が動かなくなるから、ちゃんと男も描写したほうがいいと思うんだがな。そのほうが作品の寿命は確実に伸びるはずだ。まあ、これもラノベの要請ということかもしれないけど。うーん。

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2012.09.27

『RPF レッドドラゴン(2) 第二夜 竜の爪痕』

RPF レッドドラゴン(2) 第二夜 竜の爪痕』(三田誠/星海社FICTIONS)

相変わらず読みものとして普通に面白い。プレイヤーたちがすっかり自分のキャラクターを主人公にした話を作り始めているが面白いのだが、これはやっぱりプレイヤースキルに極端に依存する形式なので、どう足掻いてもTRPG文化の再興というわけにはいきそうもないのだが、ここに至ってもゲームルールを開示しないあたり、まずは読みものとしてのTRPGを見せていくつもりなのかもしれない。あるいは最初からそっちをイメージしていなくて、あくまでも物語の手法の一つとしてTRPGを使っているということなのかもしれない。正直な話、この形式で発展性があるとはまったく思えないのだけど、きちんと完結してくれることを願います。

成田良悟が担当する禍グラバというキャラクターは超絶金持ちの権力者と言う立ち位置なので、半ば物語世界における黒幕的な立場のプレイヤーという非常に面白いキャラクターだと思う。はっきり言って彼が作品世界で行使できる権力には相当なものがあって、具体的に言うと国家間の経済を動かすレベルの力がある。そんなキャラクターをプレイヤーとして動かしていくとなると、あっさりゲームマスター(いや、フィクションマスターか)を離れて暴走してしまうのが普通のTRPGだけど、このRPFではそういうものではなくて、あくまでも”物語を作る”という事が第一義になっているため、成田良悟もそこまでむちゃくちゃなことはしない。と言うより、FMと半ば共謀して物語を動かしていくことになる。このあたり、本当に即興劇という印象があって、それぞれのプレイヤーがお互いに見せ場や伏線を仕込んでいくところがやたらと高度なことをしているな、と思った。

いろいろ好き放題に動いている虚淵玄のキャラクターも、あれはあくまでもキャラクター性に忠実に動いているだけであって(むろん趣味という事もあるんだろうけど)、本当に場をむちゃくちゃにすることはない。今回登場の成田良悟とは、お互いの行動を抑止しながらにらみ合いを続けている感じになっていて、すげーな、と。一方、奈須きのこの竜騎士は、能天気なキャラに設定してしまったせいで、二人の行動にぜんぜんついていけてなくて、プレイヤーはなんとか回避したいんだけど、キャラの性格を捻じ曲げて行動するようなことはしないため、どうしても翻弄されてしまうところも、きちんとキャラとプレイヤーを切り離してプレイしているのはさすがですね。紅玉いづきとしまどりるは……もうなんか二人だけの世界でいちゃいちゃしているんだけど、これは一体…。ひょっとしてTRPGでガチの人間ドラマをプレイヤーパーティ内でやろうとしているのだろうか?ここまで来ると完全に劇と言うか、先ほど書いた即興劇というのは比喩ではないレベルになっていて、そういうところが”物語を作るためのTRPG”という事なのだろう。

ところで少し気になったんだけど、ひょっとしてプレイヤーたちもルールを完全には理解していないのかな?FMが状況に応じて適宜ルールを小出しにしているみたいだけど、これは完全にFMの公平性が確保されていないと成立しないよなー。とは言え、ルールでガチガチに縛ってしまうと、今度は”物語を作る”という前提が崩れる可能性があるので、このあたりは臨機応変にやるしかないんだろうな。

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2012.09.26

『おまえは私の聖剣です。(2)』

おまえは私の聖剣です。(2)』(大樹連司/GA文庫)

相変わらずメインヒロインである咲耶花が本当に駄目駄目と言うか面倒くさくって良いと思う。人並み以上に責任感があって決断力もあるのに、一兎のことになると判断力がめちゃくちゃになってしまうというところが可愛いよね、って言う。普通のライトノベルなら可愛げがあるで済まされるんだろうけど、この作品の場合、生きるか死ぬかの状況でそれが起るので、まったく洒落になっていないのだった。

個人的な感覚で言うと、この作品で一番面白いのは、そういう咲耶花というヒロインの描き方だと思っていて、彼女はいわゆるライトノベルテンプレ(お嬢様で戦闘美少女でツンデレ)をいろいろ詰め込まれていながら、一兎との間にテンプレ的なラブコメが発生していない、あるいはラブコメ的誤解とすれ違いがバトル面にも反映されているという事かもしれない。つまり、ラブコメの誤解やすれ違いと言うのは本当に理不尽でありえないところから誤解を引っ張ってくることがあるのだけど、ああいう理不尽さが生死をかけたバトル面にも反映されてしまっていることでラブコメの持つ面倒臭さがより強調されている感じがするのだった。

別にラブコメをディスっているわけではなくて、人間の感情は基本的に制御できるものではないという事で、生きるか死ぬかの状況に陥っていたとしても、ふとした拍子に気になる少年が他の少女とキスするのに抵抗を覚えてしまうという、どうしようもなさが描かれているように思う。もしかしたらその逡巡で仲間が死んでいた可能性もあるとしたら、こんなことで死んでしまう仲間こそが悲惨と言うものだけど、それでもやっぱりそういう悲惨さには、ある種のリアルを感じるのだった。

さらに言うと、物語の中でさんざん悩んだ挙句、自分の中で感情を整理した後に即座に”告白”という行動をしたところもなかなか良くて、作中でも咲耶花が自己言及していたけど、普通のライトノベルならばここからさらにツンデレる(動詞)ことがお約束みたいになっているところを、果断に決断していくところは、パターンにはめ込みたくない作者のこだわりが感じられるのだった。

(もっとも最近は”パターン破りと言うパターン”もあって、この告白もその範疇にあるといえなくもないのだが…まあ、難しいところだと思う)

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2012.09.23

『スワロウテイル序章/人工処女受胎』

スワロウテイル序章/人工処女受胎』(藤真千歳/ハヤカワ文庫JA)

正直なところ、このシリーズについては自分の中で持て余していたところがあって、と言うのは、このシリーズでは一体なにも目的として物語を紡いでいるのか今ひとつわかっていなかったのだった。SF的に詳細に設定された世界や、その中でさまざまなルールに縛られている登場人物たちが繰り広げる物語、そういうものだと理解していても、どこか中心部分というか根っ子のあたりが良く分からない感じがあって、おかげで過去作品の感想を読み返してみると、そのあたりの途方に暮れた感じがありありと出ているのだった。

しかし、今回の話を読んで、作者の考えていることが少しだけ見えてきたような気がする。考えていることと言うよりも、”何を描きたいのか”というところかもしれないけど、とにかくようやく藤真千歳と言う”作家を読む”入り口に立てた感じ。まあ、大袈裟な言い方をしているけど、ようするに作品のどこを楽しめばいいのかが自分なりに理解できたという事だ。今まで楽しめなかったか?と言われそうだけど、面白いことは面白いのだけど、何を面白がっているのか自分でも良く分からなかったのだ(ただの言い訳だけれども)。

おそらく、作者が描いているのは”人工的に作り出された少女”についてのことなのだろう。人工妖精(フィギュア)と作中で呼ばれるそれは、今まではただのSF的なガジェットなのかと思っていたのだが、むしろこれは”人工妖精を描くためだけにSF設定がある”という事なのだ。あらゆる設定や事件、登場人物は、それを描くために存在している。そう考えると、自分の中ですっきりするものがあった。これは”人間”の物語ではなく、”人間に作り出された少女”の物語なのだ。

ここで”人工妖精”についてもう少し考えてみよう。彼女たちは人間の手で作り出された生命であって、そこには常に意図が存在している。そして、彼女らにとってその”意図”は決して覆すことの出来ない絶対原則として存在しており、そこに作り物としての彼女らの葛藤が存在するのだ。彼女らはどこまでの”人間のための道具”であり、それと同時に”少女”でもあって、どこまでも男にとって忠実な伴侶であり、男に陵辱されるために生まれる娼婦でもあるのだ。そこには道具的存在としての少女という構図があり、それはどこか醜悪であり、耽美であるように思える。

彼女たちはそうした自分たちの運命を従容として受け入れていくが、時にそこから外れる者たちもいるのだ。それは彼女たちの精一杯の悲鳴であり、自分たちを生み出し、消費しようとする男たちに対する憎悪であると同時に、切ないまでの恋歌でもある。「なぜ自分はこのように生まれたのか」と言う問いは人間にも馴染み深い問いではあるが、彼女たちにとって問題はさらに深刻だ。己の創造主が目の前に存在しているのだから。自分に運命を与えた存在が、手の届くところにいるのだから。だからこそ己に強いられた運命に反逆を試みていく少女たちが生まれてくる。世界に対して押し付けられた自己そのものに対する憎悪を持った少女たち、それが揚羽が対峙することになる”敵”である。

しかし、揚羽自身は、己が殺害することになる少女たちについて、深く考えることはない。揚羽によって排除される彼女たちこそが、人間によって押し付けられた運命の”被害者”であるはずなのだが、揚羽は冷酷にも少女たちと刈り取ってゆくのだ。彼女にとっては、異分子となった少女たちを殺害することそのものが、あらゆる運命を与えられなかった自身の存在意義の代わりでもあるからだ(揚羽は人工少女としてのあらゆる運命を持たない存在であり、それこそが彼女の特異性なのだとも言える)。

この物語は、そのようにして生まれてしまった人工妖精たちが、己に与えられた運命にもがく姿が描かれている。揚羽も、彼女に排除される少女たちも、人間によって運命を与えられたことに対して疑義を抱いていると言う点では同一の存在なのだ。彼女たちは、自分に与えられた運命に対して、自分なりの意思を突きつけようしているのだが、それによって彼女たちは苦しみ続ける。苦しむことが彼女たちの存在意義であるかのようだ。いつか自分の声が届くのか、あるいは運命に押しつぶされるときまで、造られしものとしての少女たちは、傷だらけのまま歩いていくしかないのだろう。

それこそが”人間によって作られた少女”たちの美しさであり、儚さであり、強さであるようにも思えるのだった。

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2012.09.22

『俺の妹がこんなに可愛いわけがない(11)』

俺の妹がこんなに可愛いわけがない(11)』(伏見つかさ/電撃文庫)

今回の物語を大雑把に書くと、京介がいかにして平凡を愛するようになったかという話なのだが、同時に京介の変遷を巡って、麻奈美と桐乃がどれほどの感情のぶつかり合いがあったかという物語にもなっているようだ。いや、二人が関係するのは、京介がヒーローであることを諦めたときに行われた最初の対決からではあるのだが、同時にそれは京介の在り方を規定するための綱引きによって争われてきたのだとも言える。

簡単に言うと、桐乃は京介に対してヒーローであることを望んだ。しかし、麻奈美は京介は平凡な男の子であることを望んだ。それは同時に彼を慕う二人の少女が持つ”願望”の反映であって、彼女たちはおそらく無自覚のうちに京介を巡って対立し続けていたのだと言える。どちらもが己の理想の男性を、京介に体現させようとしていたと言うのが、二人の対立関係の本質なのだと思う。

つまり、京介がヒーローを選ぶのか、あるいは平凡を選ぶのかと言う選択は、同時に桐乃を選ぶのか、麻奈美を選ぶのかという選択と等価なのだ。京介がヒーローを選んだとき、京介はかつて桐乃が憧憬した理想の兄になるであろうし、平凡であることを選んだとき、麻奈美の最愛の伴侶となるのだろう。その意味で、”三年前”の時点では桐乃は、麻奈美に完敗した。と言うか、相手にさえなっていなかった。彼女の精一杯の言葉は麻奈美によって一蹴され、桐乃は敗北感を抱えたまま、平凡であることを選んだ兄を侮蔑することしか出来なかった。

しかし、この『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』と言う物語が始まってからの京介は、かつて桐乃が憧れた理想そのものであったと言えるだろう。どんな困難においても乗り越えていくヒーロー。京介は己を平凡であると規定しながらも、結局のところ挫けそうになっている他者を見捨てることが出来ない己を桐乃との人生相談の過程において発見していくことになる。こうして桐乃は、麻奈美に対して一矢報いることが出来たのだ。ただ穏やかに日々を過ごすことが出来ない京介は、麻奈美が望むただの男ではいられない。多くの人々を巻き込んでいく非凡な人間なのだ。

これだけならば、物語は桐乃と麻奈美の対立に収束していくように思えるのだが、しかし、今回の話で、桐乃と麻奈美は一つの合意にたどり着いているところが面白いところだ。それは”京介はヒーローでも平凡でもない”という事で、京介はただ二人の少女の思うがままに願望をかなえてくれる王子様ではなかったのだ、と言えるのかもしれない。彼はヒーローのようになにもかも解決する超人ではなく、かといって自分と家族の幸せのことだけを考える凡人でもない。ただのおせっかいなお人好しで、困っている人が見捨てられない人間なのだというそれだけのことなのだが、それは二人の対立構造を崩壊させる発見でもあったのだ。

京介を軸に対立していた関係はその軸を失ってしまうことになり、二人の”和解”とは、結局のところ、桐乃と麻奈美のどちらもが、京介を己の思ったとおりの人間にすることは出来なかったという事なのだ。そのことをお互いに認め合ったという事が二人の和解の本質であろう。だが、これは同時に対立の解消を意味するものではないという事もまた、今回の物語であるように思える。桐乃と麻奈美は、かつての対立は解消したものの、しかし、また再び別の勝負を行おうとしているようだ。それがどのような勝負であるのか、それはおそらく京介を巡るものであることは間違いないにしても、おそらくかつてのような対立構造ではないのかもしれないと思わせるものもあって、どのような形に遷移していくのか、非常に楽しみなのだった。対立とはいつか止揚されるべきものであって、彼らの関係もまた同じように新たな形に移り変わっていくはずだからだ。

追記。今回では影の薄かった他のヒロインたちがどのように関わってくるのかにも非常に興味がある。特にエピローグにて存在感を示した加奈子など、もしかすると別の形で関わってくるようにさえ思えるのだが、黒猫や他のヒロインたちがここにおいてまったく介入できないで終わるなど考えられないし、しかし、どのように介入してくるのかまるで分からない。どうなるのだろう(思考放棄)。

追記の追記。こんなことを書くと京介が少女たちに良いように動かされている主体性のない人間のように思えなくもないが、それはまったく違うものだ。京介は、彼が思うように自分を選んできたのであって、それは本人の意思なのだ。だが、選択というのは本当に意味で完全に自分だけの独立したものというのはありえない。状況や環境によって、選択をしていく意識は形作られていくのものなのだ。育ってきた倫理観、誰かの期待、目標など、選択を促す構成要素はいくらでもあり、それらが自分の中から出てきたものとは限らない。むしろ、自分の内部から生み出された材料は少ないはずだ。人間とは個人だけで成り立っているものではなく、自分を取り巻くさまざまな外部によって形作られているものである。その意味で、京介の価値観が少女たちによって決定されていることもおかしなことではないし、それによって京介の選択が貶められるものではないのだ。

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2012.09.21

『筋肉の神マッスル(2)』

筋肉の神マッスル(2)』(佐藤ケイ/電撃文庫)

前巻ではうひょー良く出来ているなあ面白いなあで済んでいたところが、二巻目になるとさすがにある程度冷静に読むことが出来るようになって、そこでようやく気がついたところなのだけど、主人公はある意味においてびっくりするほど紳士的な男なのだという事に気がついたのだった。このあたりは作中でも随分スポットが当たっていたので詳しくは述べないけれども、主人公はおっぱいにしか興味がないようなふりをしつつ(否、おっぱいにしか興味がないのは間違っていないんだけど)、ヒロインのロリっ子に対して非常に優しく、と言うか甘いと言う描写が赤裸々にされているのだった。これは主人公の一人称視点ではなかなか見えてこないところで、まったくツンデレが主人公だと”信用できない語り手”になってしまうんだよな、なんてことを思った。逆に言えば、こういうギャップこそが”萌え”を導くのだろうと思うのだが、正直、むさくるしい主人公のギャップ萌え目指してどうしようと言うのか。作者に対する疑念はつきない。

正直なところ、自分はこの作品を大変楽しんでいるので、次巻が出るのは売り上げ次第というあとがきを読んでショックを受けた。つまり自分のセンスが一般性を獲得していないと言う事ではないか、というのはともかくとして、続編が出ないのは困る。困るのだが、確かにあまり一般に訴求する萌えはないかもしれない。正直なところ、ヒロインのロリ神様をもっとあざとく、例えば主人公が実のところこのロリ神様に対してだだ甘で、膝の上に乗っけて本を読んであげているシーンなどをもっと詳細に描けばそれだけで訴求力を高められると思うのだが、問題は、主人公はヒロインに対して、本当に子供に対するような感情しか持っていないので、これまた主人公に感情移入をするタイプの読者には受け入れがたいのだろう。

個人的に、物語に対する姿勢において、登場人物の感情移入というものをほとんどしない自分にはあまり理解出来ないのだが、世の中には案外主人公と自分を同一視することで喜びを得るタイプの読み手が多いようで、主人公が自分と違う価値観を持っているだけで拒絶することさえあるようだ。その意味では、この作品はそうした読者に対して優しさがない作品であるのかもしれない。

まあ、おっぱいが嫌いな男子なんていないのだからそちらに対する訴求力はどうか、という意見もあるかもしれないが、正直なところ、それだけではいかにも弱い。なにしろ、物語というのは主人公が”充実”してしまうと動かないもので、たやすく報酬=おっぱいが得られないのは物語的必然と言える。今回では文字通りのおっぱい星人の来訪があるのだが、そのオチがあれである以上、おっぱいを求めている読者でさえも意気消沈は免れないであろう。つまり、この作品は、おっぱいを求めている読者も、ロリあるいは萌えを求めている読者に対しても、そして主人公に感情移入することによる同一化を求めている読者に対してさえも訴求力を発揮できていないのではないか、と思えるのだった。

追記。ぶっちゃけた話をしますが、個人的には感情移入することで得られる喜びというのは、読書においては極めて原始的だと思います。読書の楽しみはそれだけではなくて、語り口のユーモラスさを楽しんだり、平行して語られる登場人物たちの関係や、その変化を楽しんだりと色々なものがある。いや、だからと言って感情移入することの楽しさを否定するつもりはないんだけど、”感情移入できないから駄作”などという言い方(まあそのまんまじゃないけど)はして欲しくないなあ、と思うわけです。いや、そういうことを書いている人をけっこう観測範囲にいるんで。つうか、世の中には面白がろうと思えば面白がれないことなんてない。つまり、読み手側のユーモアの問題であって、つまらないと思えたときは、自身のユーモアのセンスの問題かもしれない、というようなことを常に意識することがフェアなんじゃないかと思うのです。

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2012.09.19

『風の十二方位』

風の十二方位 (ハヤカワ文庫 SF 399)』(アーシェラ・K・ル・グィン/ハヤカワ文庫SF)

おそらく中学生ぐらいの頃に『ゲド戦記』を読んで以来のアーシェラ・K・ル・グィンになる。今になって読んでみようとしたことにさしたる理由はなく、図書館にあったのでなんとなく読んでみようと思っただけなのだが、改めて作者の考え方と言うか見え方が非常に面白かった。

昔読んだときには思いもしなかったのだが、ル・グィンという作家にはある種の矛盾したところがあって、常に作中においてアンチテーマを置いているようなところがある。幸福に対しては幸福がもたらす不幸を。平和に対しては平和を求めるための争いを。神に対しては神を求めることの盲目を。そう言った、ある一つのテーマ、あるいは概念について描くとき、かならずそれの負の側面を描こうとしているように思える。それは物事における多面性に対する執拗なまでのこだわりであって、一面的に物事を考えることへの抵抗のようなものさえ感じられる。

この短編集に収められる作品は多彩で、なんてことのない話やハードなSFもあるのだが、その中で一番面白いと言うか好きな作品が「オメラスから歩み去る人々」だ。これは「オメラス」という絶対の幸福が約束された都市の物話である。そこでは、ほとんどすべての人々は、貧困も争いもない完璧な幸福の中にいる。物理的にも精神的にも満たされ、不公平も不誠実もない、絶対の幸福。人々はそこで幸せに生きている。たった一人の”例外”を除いては。そう、彼、あるいは彼女は、この世のありとあらゆる苦痛と不誠実と不公平と不条理の中にある。そして”ほとんどすべての人々の完璧な幸福はそのたった一人の絶望の上に成り立っている”のだ。

たった一人が絶望の内にあり、我々の幸福はその絶望によって作り出されているとき、果たしてその幸福を是とするべきなのだろうか?合理的に考えれば是とするべきだろう。この世に完璧なものなどない。たった一人を不幸に突き落とすだけで、その数万倍の人々の幸福が保障できるとするならば、むしろそれは正義ではないのか?そして、その一人を不幸から救うことで多くの人々に不幸をもたらすことは悪ではないのか?たった一人を救うために多くの人々を犠牲にすることは許されるのだろうか?

自分が思うところでは、ル・グィンの素晴らしいところは「オメラスから歩み去る人々」(原題:The ones who walk away from Omelas)というタイトルに集約されている。幸福をただ享受するのではなく、破壊をもたらすのでもない。ただ、幸福と不幸の関係を見据えて、街から歩み去る人々。それは正義ではない。悪でさえない。そして、逃避でもない。正義と悪という関係から離れ、幸福も絶望も、すべて自分のうちから生み出すことを決意することだと思う。

このように、ル・グィンの物語には、いくつもの矛盾したものが内抱されている。悲劇の中には幸福があり、幸福の内には絶望がある。愛とは裏切りの代名詞であり、裏切りからは信頼が生み出される。そして、どちらかが正しいわけではないということ。選択するものではない、決断することでもない。どちらもが存在することを受け入れて、荒野に向かって”歩み去る”ことが、正義の無邪気と悪の傲慢から己を引き離す唯一の方法。

自分は、そのように思うのだ。

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2012.09.15

『レイセン File5:キリングマシーンVS.』

レイセン File5:キリングマシーンVS.』(林トモアキ/角川スニーカー文庫)

物語は大きく動き出しているようだけど、個人的にそちらの方はそれほど重要じゃなくて、どちらかと言えば、物語が奔放に語られていくところが良かったと思う。本編では緊迫した展開を描きながら突然番外編を組み込むような、良く言えば奔放な、悪く言えば出鱈目な構成など、実に作者らしい。とにかく物語を書いてキャラクターを動かすことが楽しくて楽しくてしょうがないと言うような明るいものが文章の隙間から滲み出ていて、そういうところがとても良いと思う。

作者の持つこうした”楽しさ”と言うのは、おそらく物語の破綻を恐れていないように思える作者の態度にも関係していると思う。作者本人の意思はともかく、林トモアキ作品においてはしばしば作者の正気を悪い意味で疑ってしまうような展開をすることがしばしばあったのだけど、それでもなお、物語を最後まで描ききることが出来る腕力と言うのに感心させられてしまうところがあった。

以前は、そのあたりのことを、ただ単にすごい力技だとしか思っていなかったのだが、最近になって少し考えが変わっていて、これはむしろ力技と言うよりも柔軟なのだと思うようになった。良い意味で”ゆるい”というような、つまり、無理矢理に物語をねじ伏せるのではなくて、暴れまわる物語の上で起用にバランスを取っている感じなのだ。そう感じ始めたのは『レイセン』からだったので、これは『レイセン』だけのことかと思っていたのだけど、そうした視線で改めて『ミスマルカ』を見ると同じような”ゆるさ”があって、これはむしろ作者が本来持っているものなのではないか、と思ったのだった。

”ゆるさ”とは”手抜き”であることを意味するわけではなくて、むしろどのように物語が暴走し脱線しようとも対応できるという柔軟さのことだ。作者はむしろ物語をどんどん脱線させようとする傾向にあるのだが、しかし、本当に物語が破綻することはまずない。なぜなら、キャラクターがきちんと物語の上で行動しているからだ。林トモアキの描くキャラクターは、実はわりとブレていたりするし、それどころか突然キャラクターが激変したりもするのだが、それさえも一つのキャラクター描写としていくところが作者の良いところだと思う。変化もブレもそれが矛盾なく一つのキャラクターとして描くところに、作者がキャラクターに向ける優しい視点が見えるように思うのだ。

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2012.09.12

『2』

2』(野崎まど/メディアワークス文庫)

自分は野崎まどの作品を読んでいて感心するのは、まずもってキャラクターの扱い方なんだけど、それは別に”キャラが立っている”といかそういう意味だけじゃなくて(そういう意味もあるんだけど)、キャラクターがそれぞれ自分に合った役回りをして、自分らしい行動を取っている感じが好きなのだった。このあたりは上手く言えないところなのだが、どんな状況に直面しても、彼らは彼らである、と言うか。彼ららしくない行動をとることはない、と言うか。作品の例えに倣って言うと、キャラクターたちが役者だとして、彼らは役者としての”地”がまったく出ていないで、キャラクターと言う架空の存在をこの世に生み出している、なんて書くと大仰過ぎるのか。この場合、”地”を出していないのは作者ということであって、つまり、キャラクターが作者の代弁をしていない感じがとても良いと思うのだ。

ラノベとかを読んでいてあるキャラクターが滔々と物語の解説を始めたりする場面に出くわすことがあって、そういうのはときどき気になってしまうだ(気にならないときもある)。いわば種明かし的な場面を置いているのだろうけど、どうも作者が自分の言いたいことをキャラクターに代弁させているようにしか見えないときがあって、そういう作者のスピーカーみたいな扱いされてしまうと自分の中で興醒めになってしまうところがあるのだった。キャラクターの積み上げが台無しになれた感じになるのか、あるいは作者が自説を開陳しているように見えて痛々しく思ってしまうのか、そのあたりは自分でも良く分かっていないのだが(ぜんぜん気にならないときもあるし)。

今回の作品は野崎まど作品のキャラクターがオールスターで登場するお祭り感覚の作品になっていて、それぞれ主役級のキャラクターが次から次に登場してくるというとても贅沢な作品になっているのだが、脇役として登場した元主人公たちも、脇役としての立場に収められることなく、彼らの特異なキャラクターを発揮しているように思える。キャラクターが喋ったり愚痴ったり説明したりしている場面でも、そこには作者によって代弁させられていると言う感覚があまりなくて。そこにはキャラクターに与えられた配役に忠実と言うか、ちゃんとキャラクターの身に自然に時間が流れている感覚とでも言うものが感じられるあたりに、非常な幸福感があるのだった。

追記。ある意味、野崎まど作品の主人公による頂上決戦と意味合いもある今作であるけど、まあ大方の予想通り、最強は最原最早以外になかったね。舞面真面はみさきとセットにすればかなり良い線を行っていたけど(名前が似ているし、ライバルキャラ的な設定だったのかもしれない)、やはり格が違った。その他は最早に支配されるか従属するかのどちらかで、逆に言えば最早に逆らおうと言う意思を持てただけ、真面がすごかったと言うべきかもしれない。

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2012.09.11

『雛鳥トートロジィ』

雛鳥トートロジィ』(柴村仁/メディアワークス文庫)

この本に納められている二つの短編を簡単に説明すると、前編では自分以外の人間に対してどこか無神経に生きている青年の下に腹違いの妹が訪れて、彼の無神経さを糾弾する物語であるのに対し、後編では家族と言うものに憧れと失望を抱えた少女が新しい家族を得るまでの流浪を描いた物語になっている。それぞれ基本的には独立した物語になっているのだが、併せて読むことによって、それぞれの視点によるコミュニケーションの断絶が描かれることになる。この作品の良いところは、そうした断絶が絶望によって描かれないと言うところがあって、人間とは分かり合えない生き物であるという現実を”肯定”しているところだと思う。

これは前編を兄である青年の視点で描かれているため、とうぜん物語は彼の知っている情報量の中でしか描かれることはない。しかし、もちろん物語には彼の知りえぬ出来事があり、彼が悩んでいるときに妹は何を考えているのかというのは分からない。しかし、後編において妹の視点から物語が語られると、彼女が考えていることは、必ずしも兄が考えているような”薄幸”の少女ではないことが分かってくる。彼女の内面はもっとドロドロとしていて、もっと生々しいものだ。その意味では、兄は妹の”真実”にはまったく届いていないことが明らかになっていて、そこには所詮自分以外の人間の考えていることなどわからない、というある意味醒めた結論が放り出されているように見える。

しかし、それは前編で兄が出した決意の価値を貶めるものではまったくないのだ。彼は、他人に対してどこか無神経さを抱えていて、他人に対して興味を持てない人間だったのだが、それによって妹を傷つけてしまったのではないか思ったことで酷く堪えてしまう。それまではさして気にもとめなかった自身の性質に対して、本当の意味で改める必要性を自覚する。それはつまり、腹違いの妹に対して”無神経でいたくない”という彼自身の欲求によるものであって、それが彼の決意を促している。つまり、妹の存在はあくまでもきっかけに過ぎなくて、相手のことが分からないにしても、それでも相手のことを考えて行こうという考え方を、兄が得る過程が描かれているのだ。

妹の方は、家族というものに対する憧れと現実に対する失望を抱えたまま、家族を求める心の流浪を描いているのだが、正直なところ彼女が本当の意味で求めている家族などというのは現実には存在するものではない。彼女の憧れは夢想、悪く言えば妄想みたいなもので、どう足掻いても手に入るものではないのだ。奇矯な友人を一時の避難所にしても、それはすぐに破綻してしまうし、成り行きで腹違いの兄のところに来ても、彼は少女にさして関心を抱いてくれるものではない。彼女は結局、自分から手を伸ばすということをしていないのであって(それは誰かを不幸にしてしまうのではないかという恐れにもよるものであったが)、ある意味では当然のことなのだ。しかし、誤解に近いとは言え兄が差し伸べた手に対して、彼女は手を伸ばす(あるいは欲求を得る)ことが出来たとも言える。それを成長と呼ぶにはあまりにもささやかではあるが、変化を受け入れるという意味で、やはり成長なのだと思える。

結局、妹は兄が思っているような少女ではないし、兄は少女が夢見る理想ではないにしても、そうやってすれ違い、誤解しあいながらでも家族というのは成立しえるものなのだということだ。そのすれ違いは決して褒められたものではないにしても、別に非難するようなものでもななくて、それを受け入れていこうという恬淡さがある。結局、母親が最後まで勘違いしたままなのに、なんとなく受け入れられてしまっているところなど、非常に象徴的だろう。結局、この家族はそれぞれの家族同士の間でものすごい秘密を抱えて、本当の自分なんてものは少しも見せていない状態なのだが、それでもまあ、なんとかやっていけるだろうという希望のようなものが見えていて、不理解も嘘も、カラっとした明るさで受け入れているようなところがあるのだ。

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2012.09.09

『人生 第3章』

人生 第3章』(川岸殴魚/ガガガ文庫)

ちゃんと物語が動いていることに衝撃を受けた、と言うのは大袈裟な言い方ではあるんだけど、そういう感覚がまったくないとも言えない感じ。いや、二巻でもわりと動いていたような気もするんだけど、そうして生まれた関係がリセットされずに継続していくと言うところがはっきり見えたのに安心したと言うか。

一応、今回は表紙にもなっている鈴木いくみの回になるようで、相談の傍ら彼女の突拍子もない言動によって物語は動くことになる。相談BOX焼失事件の犯人を捜すという物語の前提は提示されるものの、そこは素直に行動を起こす人間など一人もいない相談対応者たちの答えの見えない(主にいくみが原因の)迷走が、いつのまにか商店街を舞台にした捕り物に発展していく。いちおう、三人の中ではいくみがもっとも行動的ではあるので、彼女の行動にそれぞれ引っ張られるところはあるのだけど、いくみは行き先を考えないで行動に移すため、結局、グダグダの展開になる展開には、ある意味お約束といった安心感のあるコメディとなっている。

そんな中でも物語はそれなりに動いていて、いくみにとっては非常に重要な存在を”再生”することが必要になり、そのために主人公が奔走することになる。その結果として主人公といくみの関係には多少の変化が生まれていくのだが、おそらくこのあたりが前作の『大沼』シリーズと大きく違うところかもしれない。と言うのも、前作の場合、人間関係が基本的に変わらないところがあって、そしてそれはギャグとしての純粋さと言う意味ではそちらの方が王道だと思うのだが、キャラクターの関係性を見たいという不満も、まったくないとは言い切れない。いや、自分でも軟弱なラノベ脳だとは思うのだけど、勇者を初めとしていろいろと面白いキャラクターは多かっただけに、主人公との関係がいつまでたってもクラスメイトAでしかないと言うのは、ちょっと勿体無いと思わざるを得ないのだった。今回のシリーズにおいては、あるシチュエーションにおける登場人物たちの非常にローテンションでグダグダな会話が描かれると言う点では前シリーズと同様なのだけど、キャラクターの関係性にも時間が流れているあたりに痒いところに手が届いたと思えるところがあって、非常に満足度が高いのだった。

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2012.09.07

『カンピオーネ!(13) 南洋の姫神』

カンピオーネ!(13) 南洋の姫神』(丈月城/スーパーダッシュ文庫)

どうやら完全にヒロイン当番回を消化し始めているらしく、前回がリリアナ回だとすれば、今回は祐理の回にあたるようだ。恵那もけっこう活躍シーンが多いけれども、これは単独では動きが鈍い祐理を強引に引っ張っていくために恵那の存在があるのだろう。そう考えると祐理が美味しいとこ取りをしたずるい女になっているような気もするが、まあ、否定は出来ないように思う。この子、口では品行方正なことを言っているけど、実際には他のヒロインと方向性が変わらないと言うか、結局、護堂にいかがわしいことをされたいんじゃねえか!みたいな。まあ、正論を吐く人間が一人はいないと、集団としての健全さが維持できないから、彼女はそういう役割を担っているってだけの話だ。別に彼女が悪いわけではないね。ただ、恵那は今回、かなり割りを食ったよな……。

内容は、まあ、最初にも書いたとおりのヒロイン当番回で、護堂さんと祐理のいちゃいちゃが続くというあまりにも潔い内容。もちろん新たなまつろわぬ神が出てきてバトルがあったりもするけれど、そんなにメインにはならないって言うか、二人が力を合わせ、絆を深めるための試練になっちゃっていると言うか、そんな感じ。権能を奪われたりとけっこうピンチになっているんだけど、ちゃんと反撃してくれる安心感みたいなのもあるしね。神との戦いそのものよりも、戦いのシチュエーションの方が大事だというのは前巻にも通じるものがあって、ますますヒロイン当番回という予想に信憑性が備わってきたようにも思えるが、まあ別にそれはどうでもいいか。

しかし、こうなると次の当番に当たるヒロインは誰になるのだろう?とにかく今回は恵那がかなりの不憫な扱いになってしまったので、どこかでフォローされると良いのだが。あと、半ば空気ヒロインと化しつつあるエリカさんにもスポットを当てていかないと。エリカはヒロインの中で恵那と並んでもっとも精神的に自立しているので、護堂がいないところでも色々やってしまうところがあるので、あんまりラブコメ要因としては不憫な扱いになってしまうのだろうね。ハーレムの女主人を自負するエリカは他のヒロインたちのフォローに奔走してしまうところがあるので、ハーレムの主たる護堂はきちんとケアしてあげないと駄目だぞ。彼女は他に依存できる相手がいないんだしね。

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2012.09.06

『一年十組の奮闘~クラスメイトの清浄院さんが九組に奪われたので僕たちはクラス闘争を決意しました~』

一年十組の奮闘~クラスメイトの清浄院さんが九組に奪われたので僕たちはクラス闘争を決意しました~ 』(十文字青/MF文庫J)

いままでで一番ライトノベルと合致した感じのある十文字青だった気がする、と言うのは我ながらいやらしい言い方だと思うのだけど、作者なりにライトノベルの格闘した結果の一つの成果であると思えるので、自分はこの作品をかなり評価したい気持ちがあるのだった。と言うのも、作者なりにライトノベルに取り組んだと思われる『黒のストライカ』が自分の中では今ひとつで、別に十文字青が書かなくても良い作品に思えてしまったのが大きいのだが、そこでは作者が本当に重要なことだと思っているものが描かれている感じがしなくて(と言うのは読者の勝手な誤読である可能性は受け止めた上で言っています)、どこか散漫な印象があったのだった。

その上でこの作品を振り返ってみると、主人公の造形からしてまず違う。この主人公は、いわゆる第九シリーズの主人公の造形を非常に前向きにしたようなキャラクターなんだけど、主人公がが抱えている欠落と言うか、人間として足りないという十文字作品のある種の系統の主人公を継承しているのは間違いないようである。それは”自分が不幸であることを気がつかない”というタイプの不幸で、あるいはそれは自分自身が幸福という概念を理解していないためかもしれないのだが、ともあれ、そうしたタイプの主人公なのだが、それが必ずしもマイナスの方向には向かっていないと言うのが大きなところだろう(今後の物語次第では分からないが)。

つまり、今までの十文字作品においては、欠落を持つことがイコール世界から拒絶されることを意味しており、それによって主人公は凄まじい痛みと苦悩を背負うことになるのだが、今回の主人公は、欠落を持ちながらも、決して拒絶されているわけではない(少なくとも、表面的にはそう見える)。彼は自分が皆から愛され親しまれているものの、自分自身が愛されているのではなく自分の能力によって愛されるだけだという事を理解しているのだが、それによる葛藤が描かれるわけでないのだ。ただ、この点については、あるいは”絶望”が描かれる可能性がある。と言うか、間違いなくここには絶望があって、それは主人公を強く縛るものであるに違いない。その意味では、彼は間違いなく十文字作品の主人公であると言える。

ただ、彼は絶望を背負うにしても、その絶望は内部には向かわず、同じように絶望を背負った少女を救いたいと言う衝動へ転化されるところが大きく違う。絶望とそれを生み出す欠落が前向きな形で描かれているのだ。それが絶望であることには違いはなく、主人公自身はどこまでも救われないにしても、それによって救われる人がいる。こういう描き方は、ある意味においてとても前向きだと思うし、それが結局のところ主人公を救うものではないにしても、”救い”はある描き方だと思う。そこには、作者が今まで描いてきたことを捨てるのではなく、今まで描いてきたものの別の側面を描こうとしているようにさえ思えるのだ。

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2012.09.04

『楽園島からの脱出Ⅱ』

楽園島からの脱出Ⅱ』(土橋真二郎/電撃文庫)

この主人公は人間は不確実であるという当たり前の感覚が分からないという描写がされているんだけど、このあたりあまり他人事とは思えない。感情と言うものを嫌悪し、理屈通りに動かない他人に戸惑い、いつしかそれが憎しみに変わる。そうした感覚は自分にも良く分かるものがあって、これはたぶんもともとに人間に興味がないのか、あるいは人間とのコミュニケーションが足りていない人間に特有の感覚であろう、と思っている。

主人公もたぶんそういうタイプなのだろうが、おそらく彼は人間と関わることよりもゲームに取り組むことの方が大事だと思っているようで、ゲームのために他人に犠牲を強いることさえもある。それは別に彼が血も涙もない冷血漢という事を意味するのではなく、ただゲームにおける勝敗と他人の痛みを天秤にかけたときに、ゲームの勝敗を優先するという”価値観”を持っているに過ぎない。人間とは価値観の奴隷であり、己の価値観に従って、好き嫌い、重要性を定めているに過ぎないからだ(極論)。善も悪も価値観の創造物であり、価値観の違うところには違う善も悪もあるのだと思う。

けれど、人間は得てして自分の価値観こそが唯一普遍のものだと思い込んでしまうことが多い。自分の善と悪が自分一人だけのものだと考えてしまうとことは孤独そのものであり、人の多くは孤独には耐えられないのだろう。だからこそ自分の価値観は他人と共有しているという幻想を抱くのだろうし、そう考えても別に問題はない。人間の脳には多少の違いくらいなら適当に処理するぐらいの柔軟性があるし、許容できないくらいに違っていたら近づかなければ良いのだからね。

だからこそ閉鎖空間と言うのは恐ろしいものだ。人間関係が深くなればなるほど価値観の相違ははっきりと際立ち、相違が明らかになったあとも距離をとることが出来ない。お互いを無視出来るうちはまだいいが、相違による亀裂は深まれば深まるほど、憎悪も高まり続ける。そこには価値観の摩擦によって生じる人間の根源的な相違さが晒されるのだ。

主人公がそうした中で比較的冷静さを保つことが出来たのは、もともと自分の価値観が周囲とかけ離れているという環境に慣れていたためだろう。学校で、彼はいつだって周囲から孤立していたし、それによって誰かに憎まれることも慣れていた。彼は無関心という鎧で周囲を拒絶し、自分を守っていた。だけど、憎しみが彼自身に与える脅威について、彼はあまりにも理解が足りなかった。憎しみと嫉妬がどれほどの暴発を招くのか、あまりにも無知だったのだ。

そうした”わかっていなさ”は、ある意味、土橋作品における主人公の宿業だけど、今回の主人公は、自分の”わかっていなさ”にずいぶんと素直に反省していたのは、すこし意外だった。これは本人の資質と言うよりも、男の子を動かすのは女の子だという事なのだろう。今回のヒロインは、人間として正しいこと目指しながらもあまりにも弱い。彼女がなぜか気にかかる主人公は、彼女を苦しめるモノについて考えざるを得なくなり、最終的に”自分が理解出来ていないという事を認める”ことになるのだった。

ここはちょっと面白いところで、人間とは価値観の奴隷ではあるが、価値観とは容易に揺らぐものだと言うことだ。主人公が彼女を選ばなければ、例えば他の女の子を選んでいれば、おそらく違った価値観を構築していたのではないだろうか。つまり、価値観と言うのは異なる価値観に触れて、その上で絶えず選択していくものなのだろう。それが成長なのか退行なのかは分からないけれども、それこそ自分で決めていくべきものだと思うのだ。

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2012.09.03

2012年8月に読んだ本

んー…読めてない。それもこれも『氷と炎の歌』を読み始めたせいだな。あれホント長いんだもん。

8月の読書メーター
読んだ本の数:26冊
読んだページ数:6596ページ
ナイス数:67ナイス

2 (メディアワークス文庫)2 (メディアワークス文庫)
オールスター展開にwktk。こんなの書いたら、この方向性は一区切りかな。
読了日:08月26日 著者:野崎 まど
雛鳥トートロジィ (メディアワークス文庫)雛鳥トートロジィ (メディアワークス文庫)
普通の話。普通に違っていて、普通に当たり前の話。
読了日:08月26日 著者:柴村 仁
人生 第3章 (ガガガ文庫)人生 第3章 (ガガガ文庫)
読了日:08月26日 著者:川岸 殴魚
カンピオーネ! 13 南洋の姫神 (カンピオーネ! シリーズ) (集英社スーパーダッシュ文庫)カンピオーネ! 13 南洋の姫神 (カンピオーネ! シリーズ) (集英社スーパーダッシュ文庫)
ガスコインさんはカンピオーネなのに小物っぽいのがカッコイイよな。
読了日:08月26日 著者:丈月 城
機動戦士クロスボーン・ガンダム ゴースト (2) (カドカワコミックス・エース)機動戦士クロスボーン・ガンダム ゴースト (2) (カドカワコミックス・エース)
ばーかばーか!(褒め言葉)
読了日:08月26日 著者:
魔弾の王と戦姫〈ヴァナディース〉5 (MF文庫J)魔弾の王と戦姫〈ヴァナディース〉5 (MF文庫J)
ちょっとね、プロットをそのまま読ませられている印象がね。
読了日:08月26日 著者:川口士
一年十組の奮闘 ~クラスメイトの清浄院さんが九組に奪われたので僕たちはクラス闘争を決意しました~ (MF文庫J)一年十組の奮闘 ~クラスメイトの清浄院さんが九組に奪われたので僕たちはクラス闘争を決意しました~ (MF文庫J)
この主人公のタイプは久しぶりじゃないかな?『ぷりるん』とか『マリア』とかあっちの方向でしょう?
読了日:08月26日 著者:十文字青
ツマヌダ格闘街 12 (ヤングキングコミックス)ツマヌダ格闘街 12 (ヤングキングコミックス)
魔法とは隠されるからこそ神秘となる、と言うのが良く分かるなあ。
読了日:08月26日 著者:上山 道郎
エクゾスカル零 3 (チャンピオンREDコミックス)エクゾスカル零 3 (チャンピオンREDコミックス)
六夏さんは女性的なるものの体現っぽいですね。
読了日:08月26日 著者:山口 貴由
フルメタル・パニック!  アナザー4 (富士見ファンタジア文庫)フルメタル・パニック! アナザー4 (富士見ファンタジア文庫)
ガウルンと方向性は似たようなもんなのに、ちゃんとヒロインをしている菊乃さん。
読了日:08月19日 著者:大黒 尚人
棺姫のチャイカV (富士見ファンタジア文庫)棺姫のチャイカV (富士見ファンタジア文庫)
絵の雰囲気が少し変わりましたかね?
読了日:08月19日 著者:榊 一郎
To LOVEる―とらぶる― ダークネス 5 (ジャンプコミックス)To LOVEる―とらぶる― ダークネス 5 (ジャンプコミックス)
鬼畜モードのリトを見て、以下に普段のリトが人格者なのか実感した。
読了日:08月19日 著者:矢吹 健太朗
絶対可憐チルドレン 31 (少年サンデーコミックス)絶対可憐チルドレン 31 (少年サンデーコミックス)
京介も大概が人たらしだなあ。
読了日:08月19日 著者:椎名 高志
ブラパ THE BLACK PARADE(1) (ヤングガンガンコミックス)ブラパ THE BLACK PARADE(1) (ヤングガンガンコミックス)
作者の”人間の弱さ”に対する態度はどこまでも誠実だ。
読了日:08月16日 著者:緑のルーペ,フジワラ キリヲ
イマコシステム (TENMAコミックス)イマコシステム (TENMAコミックス)
人間は弱い。だから疑って、嘘をついて、それでも生きていく。
読了日:08月16日 著者:緑のルーペ
あるいは現在進行形の黒歴史8 -キモウトのシナリオで俺が嫁?- (GA文庫)あるいは現在進行形の黒歴史8 -キモウトのシナリオで俺が嫁?- (GA文庫)
穿った見方をすると、安定期に入った主人公モテハーレムの描写をする気があるのかな?
読了日:08月16日 著者:あわむら 赤光
七王国の玉座〔改訂新版〕 (上) (氷と炎の歌1)七王国の玉座〔改訂新版〕 (上) (氷と炎の歌1)
デナーリスたんは作中最強の萌えキャラだと思うのだがどうか。
読了日:08月16日 著者:ジョージ・R・R・マーティン
楽園島からの脱出II (電撃文庫)楽園島からの脱出II (電撃文庫)
神楽坂さんはヒロインじゃなかったのかー。
読了日:08月11日 著者:土橋真二郎
アクセル・ワールド12 ―赤の紋章― (電撃文庫)アクセル・ワールド12 ―赤の紋章― (電撃文庫)
なんか絶対に打ち切られないシリーズ特有の気配がする。
読了日:08月11日 著者:川原礫
進撃の巨人(8) (講談社コミックス)進撃の巨人(8) (講談社コミックス)
物語は三つ巴の様相を呈してきました。結局、敵は人間なのか。
読了日:08月11日 著者:諫山 創
トリアージX 5 (ドラゴンコミックスエイジ)トリアージX 5 (ドラゴンコミックスエイジ)
この世界には貧乳がいねえ。豊乳は富であり絶対なのじゃ。
読了日:08月11日 著者:佐藤ショウジ
東京喰種トーキョーグール 3 (ヤングジャンプコミックス)東京喰種トーキョーグール 3 (ヤングジャンプコミックス)
主人公の選んだ道は偉いけど、どこにも属せないという孤独な、茨の道なんだよね。
読了日:08月11日 著者:石田 スイ
泣き虫弱虫諸葛孔明 第参部泣き虫弱虫諸葛孔明 第参部
三国志演義を鵜呑みにすると、孔明は本当に悪辣極まる邪悪存在ですね。
読了日:08月06日 著者:酒見 賢一
紅 kure-nai 10 (ジャンプコミックス)紅 kure-nai 10 (ジャンプコミックス)
原作では色々あったけど、それを綺麗にまとめてくれたことが大きな救いであったと思う。
読了日:08月06日 著者:山本 ヤマト
青い花(7) (エフコミック) (Fx COMICS)青い花(7) (エフコミック) (Fx COMICS)
それぞれが持つ熱量の差が出てて残酷と言うか健全と言うか。
読了日:08月06日 著者:志村貴子
聖断罪ドロシー01  絶対魔王少女は従わない (角川スニーカー文庫)聖断罪ドロシー01 絶対魔王少女は従わない (角川スニーカー文庫)
前向きで明るくなった『いつも心に剣を』ってイメージかしら。
読了日:08月01日 著者:十文字 青

2012年8月の読書メーターまとめ詳細
読書メーター

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2012.09.02

『魔弾の王と戦姫(5)』

魔弾の王と戦姫(5)』(川口士/MF文庫J)

ついにテナルディエ公爵との決戦が描かれることになるわけだけど、ここに来てガヌロン公爵がたんなる一国の大貴族ではなく、存在としての在り方がまったく異なる存在であることが明らかになってきて、今後の物語への予感を感じさせる。今回の話で内乱には決着がついたこともあり、おそらくティグルの戦いはより一層の陰惨な魔術的なものになるような、そうした予感だ。

ただ、このあたりの予兆が強すぎてしまって、あまりテナルディエ公爵との戦いにあまり身を入れて読めなかったと言うのがあって、ちょっと残念だった。なんかもう人外のものたちに良い様にたぶらかされているテナルディエ公爵が哀れで……。本人は真面目にすべてを支配しようとする健全な権力欲で行動していのだけど、貴方が敵視していたガヌロン公爵はそういうレベルで生きていないんですよ、みたいな。結局、ガヌロン公爵が何を考えているのかを悟れないまま、思い通りに操られてしまって、ティグルたちとの決戦を誘導されてしまう。まあ、これが能力に限界のある人間の哀しさではあるのだけど、少なくともラスボスという感じには読めなくなってしまった。

敵対するティグルたちも、黒い弓や、戦姫という人外の力を持ったチート武将の存在もあって、どうにもテナルディエ公爵側に勝ち目があるような気がしない。いくら数で勝っていると言っても、なんと言うか”物語として勝てる感じがしない”。そうした物語的劣勢を覆せる(ように自分に思わせる)存在感や格と言うものは、もうテナルディエ公爵には感じられないのだった。彼の過去が語られることで、その並外れた支配欲に対するエクスキューズを与えられるに至っては、もう本当に気の毒になった。彼もまた人間、という描写なんだと思うけど、ここでその人間描写はまずい。動考えても負けること前提の描写だ。

そのようにしてテナルディエ公爵が敵キャラとしての格がどんどん落ちてしまい、相対的にティグルたちの戦いもまた矮小化されてしまっている感じがあって、正直なところもう少しテナルディエ公爵がガヌロンに比肩しているか、あるいは彼の手腕がもうちょっと見える描写が欲しいところだった。テナルディエの副官の青年がものすごく有能で絶対の忠誠を誓っているあたりの描写はとても良かっただけに、彼がもう少し物語の最初から関わってくれていれば、テナルディエの格も上がったような気がするんだ。今回の話だけだと最後の戦いに出てきて死ぬためだけに登場させられたみたいだしね。

結局、テナルディエ公爵が”活躍”しているシーン、つまり、彼の為政者としてあるいは指揮官としての手腕が描かれているシーンが少ないのが非常に残念なのだった。彼はなかなか魅力的な人物なので、もうちょっと描写を割いてくれればより一層魅力的な悪役になってくれそうだったのだが。さっきはちょっと否定的な文脈で書いてしまったけど、弱肉強食的な厳格な実力主義者のくせに息子にだけはそれが適用できない、と言ったエピソードそのものはとても良かったと思う。まあ、基本的にこれはティグルの物語だから、彼に焦点の当たらないエピソードはやりにくいのであろう事情も理解できるのだが。ちょっと勿体無い気がする。

テナルディエ公爵のことしか書いていない感想になってしまったが、まあいいか。

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