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2012.09.15

『レイセン File5:キリングマシーンVS.』

レイセン File5:キリングマシーンVS.』(林トモアキ/角川スニーカー文庫)

物語は大きく動き出しているようだけど、個人的にそちらの方はそれほど重要じゃなくて、どちらかと言えば、物語が奔放に語られていくところが良かったと思う。本編では緊迫した展開を描きながら突然番外編を組み込むような、良く言えば奔放な、悪く言えば出鱈目な構成など、実に作者らしい。とにかく物語を書いてキャラクターを動かすことが楽しくて楽しくてしょうがないと言うような明るいものが文章の隙間から滲み出ていて、そういうところがとても良いと思う。

作者の持つこうした”楽しさ”と言うのは、おそらく物語の破綻を恐れていないように思える作者の態度にも関係していると思う。作者本人の意思はともかく、林トモアキ作品においてはしばしば作者の正気を悪い意味で疑ってしまうような展開をすることがしばしばあったのだけど、それでもなお、物語を最後まで描ききることが出来る腕力と言うのに感心させられてしまうところがあった。

以前は、そのあたりのことを、ただ単にすごい力技だとしか思っていなかったのだが、最近になって少し考えが変わっていて、これはむしろ力技と言うよりも柔軟なのだと思うようになった。良い意味で”ゆるい”というような、つまり、無理矢理に物語をねじ伏せるのではなくて、暴れまわる物語の上で起用にバランスを取っている感じなのだ。そう感じ始めたのは『レイセン』からだったので、これは『レイセン』だけのことかと思っていたのだけど、そうした視線で改めて『ミスマルカ』を見ると同じような”ゆるさ”があって、これはむしろ作者が本来持っているものなのではないか、と思ったのだった。

”ゆるさ”とは”手抜き”であることを意味するわけではなくて、むしろどのように物語が暴走し脱線しようとも対応できるという柔軟さのことだ。作者はむしろ物語をどんどん脱線させようとする傾向にあるのだが、しかし、本当に物語が破綻することはまずない。なぜなら、キャラクターがきちんと物語の上で行動しているからだ。林トモアキの描くキャラクターは、実はわりとブレていたりするし、それどころか突然キャラクターが激変したりもするのだが、それさえも一つのキャラクター描写としていくところが作者の良いところだと思う。変化もブレもそれが矛盾なく一つのキャラクターとして描くところに、作者がキャラクターに向ける優しい視点が見えるように思うのだ。

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コメント

なるほど。
林先生のキャラはなーんかブレが強いなぁ、
とか思ってましたが、それでも読んじゃうのは、そういった理由(?)があったんですね。なんとなく僕も合点いきました。

でも鈴蘭の豹変っぷりは・・・

投稿: もじのくまさん | 2012.09.20 10:58

私見ですが、鈴蘭の変化はむしろ正しい変化だと思っています。かつてはただ流されるままに生きていた鈴蘭が、そうである自分を否定して新しく構築した自分という事でしょう?ならば不羈で傲岸で自分勝手で我侭というのは理解できるし、そうありたい自分を”演技”するというのは、人間だれしもやっていることですしね。もちろん、本人の中にまったくない人格を演じることは出来ないでしょうから、まあ、もともとああいう性格だったのが、生い立ちによって抑圧されていただけかもしれなませんけど。

投稿: 吉兆 | 2012.09.20 12:10

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