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2012.08.23

『シュヴァルツェスマーケン Requiem -祈り-(1)』

シュヴァルツェスマーケン Requiem -祈り-(1)』(内田弘樹/ファミ通文庫)

戦争ってのは平和の時に是とされたものがことごとく否定されていくものなんだろう、と言うのは戦争を知らない人間のあくまでも想像、妄想みたいなものだが、そう思う。そこでは思いやりは否定され、客観的な冷静さは排斥され、個性は押しつぶされ、何より命についての価値が否定される場所だ。日常の非日常が切り替わることで、日常の”正しさ”は否定される。

その非日常に適応してしまえばそれはそれで話は簡単なんだろうけど、人は戦争が終わった後のことも考えて生きていかなくてはならないのが難しいところだ。非日常を生き抜くためにはそれに適応することがもっとも簡単なのだが、それでは日常に適応出来なくなってしまう。非日常に適応してしまえばそこが日常になるからだ。そうなれば生き抜くための目的そのものだった日常への帰還が無意味なものになってしまうのだ。

だから、戦争で生きるために絶対に忘れてはいけないことは、(たぶん)”決して戦争に適応してはいけない”という事なのだ。戦争のために自身を最適化してはならないという事が、あるいは生き残ることを同じくらい重要なことなのかもしれない。それは”戦争に適応することなく戦争を生き延びること”であり、つまり”戦争と戦う”という事なのだ。

ただ、それは戦争をただ拒絶するのものではなくて、生き延びるための闘争は肯定されるべきだとも思う。そのために犯す罪は、人間の業として受け入れていかなくてはいけないはずだ。そこにはたぶん絶対的な意味での正解はなくて、これからも常に考えていかなくてはならない問題だろう。

この辺は妄想でしかないんだけど、わりと本気でそう思っているタイプの妄想なのだった。

以下、各話感想。

「死の都にて」
この戦争に適応しないために必死にすがり付いていた不合理が、無残に押しつぶされていく姿が描かれている。人の命を守る、街を守る。そんな当たり前の”正しさ”が戦場での”合理”によって踏みにじられていく。人々はそんな”正しさ”が無意味だと言う。生き残るためには不必要だとも言う。けれど、そうした”正しさ”を守り続けることが、人々が”帰還”するために必要なことのはずだった。それを見失ったとき、人は戦場の合理となって最適化される。

「焦土の花、幸せの理由」
死の都が戦争合理の話だとすれば、こちらは非合理の極みみたいな話だ。明日死ぬような状況でも、ラブコメをやってもいい。たとえ明日死ぬとしても、今日は恋をしていてもいい。それは生き残ることとはまったく関係ない無意味な行為だけど、それこそが”戦争と戦う”という事なのだろう。

「鋼鉄の墓標 シュルトヴェンブルク一九八一」
傍目からは自己犠牲的に見える行為でも、別にそれは悲壮な決意とか理想があるわけではなくて、それは戦争に対して決して敗北を認めようとしない行為であって、けれどもそれを”勝利”だとかでは語りきれないものがある。話は変わるけど、”選別”と言うのは圧倒的な戦争の合理化であって、それは”戦場に適合しないために生きる”と言う意味では最悪の場所だと思う。どういう精神がそれを可能にするんだろうか。

「アネットの憂鬱」
えーと、その。なんか言いたいこともあった気がするけど、アネットさんのツンデレ疑惑の発生のため、そういうことはどうでも良くなりました。なんか報われないラブコメヒロインの匂いがぷんぷんしますね。今後の活躍に期待が高まります(ラブコメ的な意味で)。

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