江ノ島見物
ふと夏の江ノ島を見に行きたくなったので家を出た。珍しいことは重なるもので、なんとなく写真を撮りたい気分になってしまったので、母からデジカメ借りてしまった。自分は写真と言うものが嫌いで、散歩をするときも写真を撮りたいと思ったことはあまりないのだが。外へ出ると、8月ももう終わりだと言うのにまるで秋めいたところのない強烈な日差しが降り注いできて、むしろこうでなくては行く意味もないと思えた。僕は夏の日差しでギラギラした江ノ島が見たいのだ。
長いこと電車に揺られて江ノ島にたどり着いた。駅に降りてから周囲を見回すと丈高い建物はほとんどなくて、どこか塩の匂いがした。あたりには海水浴場に向かうと思われる男女が歩いていて、自分がとても場違いな存在なような気がした。自分はあくまでも散策のつもりなのだが、周囲は完全に遊ぶ雰囲気がある。雰囲気の違いを意識しつつ歩いていくと観光案内所があって、『つり球』と『TARITARI』のノボリが立っていた。そういえば両方とも江ノ島が舞台のアニメだった。と言うか、突然江ノ島に行きたくなったのはこのあたりのアニメを見た影響なのは明らかではあるけれど、自分が影響を受けていたことにそのとき始めて気がついたのだった。なんと言うか、サブリミナル的と言うか、あんなわかりやすいサブリミナルがあるものか、と言う気もするが。
それからしばらく歩くと、江ノ島が見えてきた。海の中から森がぽっかりと盛り上がっているような姿には、どこか不思議な感触がある。どこか周囲に馴染めない感じがあって、違和感と言っても良いかもしれない。どこか周囲から隔絶されているような。後から思えば、中に入ってからよりも、対岸から見たこの景色が一番良かった。中に入ってしまうとその場所が持つ雰囲気に取り込まれてしまって、違和感に気がつけないような感じがする。まあ、そのときはちょっと感心しただけで、すぐに歩き出してしまったのだけど。
対岸から江ノ島につながる橋を歩いていると、真っ赤に日に焼けた半裸のおじさんが自転車に乗っているのにすれ違った。膝までのズボンで上半身は裸のおじさんは、そこらへんに買い物に行こうとしているような無造作な感じで観光客の間をすり抜けていく。どういう人なのかわからないけれど、その人には観光地にいるという気負いがなくて、この辺りで生活しているのが当たり前だという感じの無造作さなのだった。
江ノ島に入ってからはまず「ひたすら歩こう」と思った。もともと目的を持って来たわけではなくて、しいて言うなら風景を見に来たというだけである自分は、むしろ行きたいところが思いつかなくて、ただただ道のあるところを歩くしか選択肢がなかったのだとも言える。商店街の極端に狭い道はなかなか面白かったのだが、神社などはあまり興味がわかなかった(ただ、児玉神社と言うところがあって、100年前の名士、児玉さんを祭った神社があって、由来を読んでいたらびっくりした。児玉さんすげえ。どういうことだ)。なのでほとんどを横目に見ながらひたすら歩いた。途中、切り立った山に挟まれて谷になっている景色があってちょっと心が動いたが、絵になり過ぎる感じが気に入らなかった。自然の風景に言うことじゃないけど、作為的過ぎるというか、絵画的と言うか。むしろ途中にあった切り立った崖にへばりつくように立てられている家の方が良かったが、これもまた自分の廃墟好みが入っている感じがして良くない。人間、自分の主観からは逃れられないものだが、自分の好みなものについては特にノイズが多くなるような気がする。好きだからこそ、自分の判断力が信用出来ない感じがあるのだ。
そこからしばらく行くと急勾配の階段があって、そこに一匹の白猫が鎮座していた。別に座ってはいなかったのだが、観光客が近くを通るのにも完全に無視して微動だにしないふてぶてしさは、なにやら大物めいた雰囲気がある。他の観光客もどこか気圧されて迂回するように歩いていた。自分もどこか恐る恐ると言った心境で横を通り抜けた。階段を降りてから見上げると、森の中に階段が吸い込まれて行くように見えて、一瞬、見当識を失った。階段の向こう側には太陽の日差しで白く白く漂白されていて、別の世界があるようにさえ思えた。いささか対人恐怖症、視線恐怖症の懸念がある自分にしては珍しく、そばを通り過ぎてゆく他の観光客の視線も気にせず、おもわず写真をとってしまった。もっとも、無駄だろうとは思っていたけれど。しばらく歩いてから撮った写真を確認したが、そこにはやっぱりただの階段が写っているだけで、自分が引っかかったものがなんなのかわからなかった。
しばらく歩くと岩だらけの海岸にたどり着いた。どことなく見覚えがある。それ以前に来たことがあるというわけじゃなくて、『TARITARI』に出てきた場所だったということ。ほら、主人公が海岸に佇んでいて、彼女が自殺しようとしているんじゃないかと勘違いした友達が逆に水たまりに落ちてしまうあれ。岩にはフジツボがびっしりしがみついていて、フナムシがあちこちを走り回っていた。フナムシは岩陰に集まっているらしく、近くと通り過ぎたときには、ザザッと音がするぐらいに吹き出してきて、なんだか申し訳ない気持ちになった。お寛ぎのところすいません。岩の表面には引っ掻き傷にも似た跡があった。あちこちにかつて打ち込まれてたと思しき杭の跡もあった。海水に侵食されているのか、あちこちにかなり深い穴が空いていて満潮時に流れ込んだと思しき海水で満たされている。遠くから見るとただの水溜りにしか見えないのだが、近寄ってみると、深いところでは一メートルぐらいの深さがある。水の中に目を凝らしてみると、3センチくらいの小魚が何匹も泳いでいた。水溜りの中に閉じ込められているはずだが、岩に生えている苔を食べているようで、むしろ敵がいないぶん気楽そうにさえ見える。満潮になれば海に帰るのだろうが、水溜りの中だけで完結しているようなところがあって、認識と空間の問題について考えさせられた。
もう大体見るものは見た気がするので帰ろうと思い、さすがに疲労を覚えたので近くの食事処で江ノ島丼を食べた。しばらく休憩した後下山道を通った。下山道は完全に山の中の道になっていて、どこか甘い腐敗臭にも似た匂いがする。かなり狭い上に周囲が木々が密集していてかなり圧迫感がある。夜にはあまり歩きたくない感じだ。下山の途中にアーチ状にかかっている橋の下をくぐった。紅く塗られているのに目を引いたが、別になにかしら変わったものには思えなかった。しかし、通り過ぎたところは入口近くの商店街につながっていて、途端に明るい雰囲気になって、潜り抜けてから振り返ってみると、紅く塗られた橋がまるで鳥居のように見えた。木々に囲まれていることもあって、まるで違う世界への門のようにさえ思えた。自分のいる商店街の人混みと比較すると、人を拒絶するような気配があって、最初に江ノ島を見たときの違和感を思い出した。周囲に馴染まない感覚。まるで自分のいる場所の方が間違っているような。思わず手にしたカメラのシャッターを切った。なかなか思うようにいかず三回撮りなおした。最後に取った写真を確認して、自分にはやはり写真のセンスがないと思った。気配を感じて振り返ると、そこではカップル(夫婦かもしれない)が、同じように橋を撮っていた。自分はそのカップルを背を向けて、そのまま江ノ島の出入り口にあたる橋へ向かった。
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