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2012.08.16

『冴えない彼女の育てかた』

冴えない彼女の育てかた』(丸戸史明/富士見ファンタジア文庫)

消費型のそこらへんにいる一山いくらのオタクだって自分を表現したいことはあるんだ、というのが健康的だと思うのだが、このあたりを意地悪な見方をしてしまうと、そうしたオタクがどれだけ自己表現に失敗してきたのかということが背景にあって、だからこそ自己表現の出来ないオタクが自己表現をするためにはどうしたらいいのか、みたいな物語になっている。

結局のところ、いやこれは自分自身のことを言っているんですが、クリエイターになれないオタクってのは”描きたいこと”ってのがない。”気持ちいい”ことならいくらでもあって、どういう展開が”気持ちいい”のかはすごく良く分かるんだけど、それをどのように発露していいのか分からない。そういうところに劣等感があって、どこか自己表現が出来るオタクに対する嫉妬のようなものがある(ような気がする)。嫉妬というのが強すぎる言葉であるような気がするので、隔意と言い換えてもいいか。「自分とは違う」とか、そんな感じのもの。他の人は知らないけど、自分にはそういう感覚を抱いていた時期があったのです。

まあ、こういう”自己表現”が出来ないオタクが主人公の物語というのは、わりあい王道という印象はあるのだけど、こういう物語の多くは、実は最初から”作れるタイプだったか”あるいは”途中で才能に覚醒”するケースであって、この物語では”自己表現が出来ないオタクが出来ないまま表現するにはどうしたらいいか”というものになっているのだ。

主人公はギャルゲーのシナリオを書こうとするんだけど、ついついネットをやったり漫画やラノベを読んでしまって、ずるずると放置してしまう姿がユーモアも持って描かれていて、小説を書こうとしてはまったく同じ理由で挫折した経験を持つ自分のような人間にとっては、単に「あるある」では済ませられないキツさがあった。書けない人間ってのは、ここでどうしても這い上がれない人間のことなのだが、這い上がるだけのモチベーション、つまり”自己表現”への強い意思が決定的に足りない。そこがどうにも突破できないのがリアルでもあるし、当たり前の姿でもあるだが。そうした平凡なオタクである主人公が”自己表現”の壁をどうにか突破しようとする姿を描いているのだが、そこには才能とか努力など物語的な都合はほとんど描かれることなくて、どこまでも平凡な人間が、平凡なままに”突破”する物語になっている。自分はなぜ自己表現をしたいのか、その欲求の所在をどのように見つけ出せばいいのかと言う物語がそこにはあって、オタクを過剰に称揚することも、あるいは逆に卑下するものでもない描き方が良いと思うのだった。

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