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2012.08.17

『OUT OF CONTROL』

OUT OF CONTROL (ハヤカワ文庫JA)』(冲方丁/ハヤカワ文庫JA)

自分は冲方丁の作品はデビュー作の『黒い季節』からずっとリアルタイム読み続けている最古参のファンであることを自負しているのだが、よく考えたらあまり感想を書いていなかったような気がする。なんか、その、気負いが強すぎてプレッシャーがあって、なかなか書く自信が湧かないんだよね。しかし、昔からのファンを自称するのであれば避けては通れない道だと思うので、そのうち冲方丁の全作品の感想を書くとかやってみたいところだ。今年中にやりたいなあ。

それはともかく。

冲方丁の作品は、常に暴力とそれと裏腹に存在する理性があって、暴力と理性の狭間で葛藤することこそが、人間の本質なのだという事が描かれているように、自分は思っている。もちろんそれは描かれているところのほんの一部に過ぎないのであって、それ以外にもさまざまなテーマが走っているのは言うまでもないけれど、それでもやっぱり自分が一番に惹かれる冲方丁の部分はそこなのだった。

人間は、やむにやまれずにどうしても暴力を使う、つまり闘争を行わなければならないのだが、しかし、暴力をただ振るうだけでは獣と変わらず、人間が獣と峻別されるところは、すなわち”自らの意思で闘争を放棄出来る”ところなのだと思う。闘争の放棄と言っても、これは無抵抗主義とはぜんぜん違うものであって、つまり、”戦わないことが生存戦略になる世界”を目指すということなのだ。戦わないことが”当然”としてある世界を作ることが可能とするものが、人間の理性の力だとも言える。

ただ一人の個人が闘争の放棄を行ったところで、それは”ただ一人で死ぬだけ”であって、これはまったくの無意味だ。無抵抗主義は尊いかもしれないが、それで死ぬだけであるならば、それは正しいことではないのだと、自分は思う。冲方作品においては、無抵抗に殺されることの理不尽さには、常に闘争を持って抵抗しなくてはならないとされている。『シュピーゲル』シリーズでは悲惨な人生を送ってきた少女たちが、それでもなお世界に対して復讐ではなく、自立してあるために力を振るうのであるし、『蒼穹のファフナー』においては、一方的な侵略者たちに存亡をかけて生き残るための戦いが行われていることからも、それは明らかだ。

だが、それはまた闘争を肯定するものではまったくないのだ。闘争とは、決して闘争そのものを目的としてはならないという事は、冲方丁の作品の中で幾度も語られている。『マルドゥックスクランブル』においては、自分の命を脅かす敵でさえ、”憎しみをもって相対してはならない”ということが語られてさえいる。闘争とは、常に闘争を終わらせるために闘争されねばならない。それこそが”戦わないことが生存戦略となる世界”を目指すということであり、闘争の持つ真の意義なのだと思うのである。

そしてそれが理性というものが持つ意味だ。多くの人々が”自らの意思で闘争を放棄する”ことで、生物の本能が追い立てる生存闘争への衝動を克服することが、人間の理性の意味なのだ。暴力の連鎖を断ち切ることは、人間の理性においてのみにしか為しえないこと。『カオスレギオン』において、主人公のジークは紛れもなく作中最強の存在であるにも関わらず、彼は自分の力を”いつか捨て去るための力”だとみなし、捨て去るために戦うと語るのだが、これはつまり、冲方丁の物語においては”あらゆる暴力は最後に手放されるためにこそ存在する”のだとも言えるだろう。

以下、各話感想。

「スタンド・アウト」
自分が自分以外のものになっていく不安、つまり”青春期”における焦燥感が描かれている。どことなく自伝的な雰囲気を漂わせるこの物語は、それゆえに切迫感が極めてリアルに描かれているように思える。”最前線にいた”者が持つ感覚と言えばいいだろうか。その中で、少年は暴力と血に強く惹かれるが、ある瞬間、彼は自身の闘争へと態度をはっきりと自覚することになる。暴力に翻弄されるのではなく、暴力を支配すること。暴力とは常に理性の中で振るわれなければならないということ。自分は決して暴力に酔わないという事を自覚したことで、彼は初めて”立ち上がった”のだ。これは先ほども書いた”暴力と理性”の物語のプリミティブなあり方が描かれていて、とにかく凄まじい熱気に溢れている作品だと思う。

「まあこ」
これはおそらく”悪”についての物語なのだと思う。悪は悪として生まれてくるのではなく、”悪にされる”のだと。悪を生み出すものは、怒りかもしれないし憎しみかもしれないし、あるいは本当に純粋な正義感であるのかもしれない。誰も自分が悪を生み出しているとは気がつかないかもしれないが、しかし、悪とは偏在する。それは誰の心にも悪がある、という話ではない。誰もが”悪を生み出しうる”ということなのだ。

「箱」
これは”虚無”についての話だと思う。虚無とは”何もない”ということだ。あるいは”何もないということがある”ということかもしれない。虚無と言うのは、際限なく人間の心や意味と言ったものをブラックホールのように吸い込んでいって、そしてそのあとには何も残さない。何も生み出さず、何も破壊しさえしない。虚無を抱えた人間は、ただひたすら際限なく、自分を含めたあらゆるすべてを破滅させることしか出来ない。

「日本改暦事情」
『天地明察』のプロトタイプと言うか、中篇版というか。これを読むと『天地明察』のどのあたりがボリュームアップされているのかが良く分かる。プロットはほとんど変わらないんだけどね。もともとのプロットが明らかに中篇で収まっていないのが良く分かります。

「デストピア」
世界はいつだって人間を押しつぶそうとする理不尽に満ちている。それに抵抗できなければ、ただ押しつぶされるだけだ。だから、そうした理不尽に対しては、闘争を持って抵抗しなくてはならない。生き延びるために。生きていくために。しかし、それは”正しい手段”を持って為されなければならないものであって、手段を誤った闘争はいつしか”虚無”を生み出してしまう。闘争のための闘争がなされ、世界は煮詰まっていって、すべてを無に帰そうとしてしまうのだ。武器とは凶器である。凶器を制御する術を、この物語の主人公は知らなかった。それはただの暴力となり、虚無がすべてを支配するまで終わることがない。

「メトセラとプラスティックと太陽の臓器」
生きるということを考えるとき、同時に死ぬことを考えないわけにはいられない。死を意識することは、自分の生の意味を考える最初の一歩なのだ、と。そうなると”死なない”ということは、はたして自分の生にどのような意味を付与することが出来るのだろう。まあ、こんなのは余計なお世話かもしれない。生きる意味を決めるのは本人の責務だし、本人にしか決められないことなのだし。

「OUT OF CONTROL」
言語感覚とかはさておいて、あらゆる冲方丁作品からの引用から成り立っているコラージュみたいな作品で、どこからの引用なのかを知っていればニヤリと出来るだろう。どれがどの引用なのかが分かっていると、この物語でどういう意味があるのかも分かるようになるので、ある意味、重度なファン向けの作品かもしれない。全作品を読み込んでいないと意味が分からないんじゃないか?ともあれ、おそらくこれもまた”闘争と理性”そして”悪”と”虚無”の物語であることが読み取れる。悪はいつだって人間を陥れようとするし、虚無は常に世界を破滅させようとする。それに抵抗するために、人はいつだって戦わなくてはならない。ただ、その戦いは戦いのための戦いではなく理性によるものでなければならないのだ。

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