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2012.08.25

『聖断罪ドロシー01 絶対魔王少女は従わない』

聖断罪ドロシー01 絶対魔王少女は従わない (角川スニーカー文庫)』(十文字青/角川スニーカー文庫)

少年と少女の逃避行物語という事で、なんとなく同作者による『いつも心に剣を』シリーズを思い出した。『いつも心に剣を』は価値観や生まれの問題から世界から排斥された主人公たちが、それでも生きていこう願い、それが果たせないためにひたすら傷ついていく物語だった。『聖断罪ドロシー』シリーズとはどこかイメージ的に響きあうところがあって、曖昧な印象ではあるが『いつも心に剣を』と姉妹作のようにも思えるのだった。ただ、その現れ方は正反対と言っても良いくらいに違うのだが。

まず『聖断罪ドロシー』の物語では、主人公のカルアたちは世界からのそれほど強い断絶は感じていないように思える。すべてを失って、追っ手に脅かされながら、それでも世界に絶望していない。これは主人公が世界と対峙できるだけの、まあ無敵とは言えないまでもそれなりの力を持っているという事が大きいのだろうし、そこには余裕があるからこそ人は優しくなれるという作者の身も蓋もない結論が垣間見えるのだが、それだけではない。個人的にはヒロインであるドロシーの在り方こそ重要なものなのだと思う。

ドロシーは困っている人を見捨てられない正義感の強い性格なのだが、それは物語において無条件には肯定されない。むしろ、逃亡者である彼女たちにとって、正義感を振りかざすのは過ぎたる行為だと言える。彼女の正義感は大抵は空回っており、多くは事態を混乱させ、しばしば彼女を守ろうとするカルアの身を危険に晒す。他人のために行動することは尊い行為ではあるのだが、自分の分をわきまえない行動は、自分だけではなく他人に害を為すものという事が描かれている。世界は善意が無条件で報われるほど優しくないのだ。

しかし、それでもドロシーの行為は大切なことなのだと思う。善意が報われなくても、むしろそれが自身の身を危険にさらすことでも、なにより自分以外の人間にさえ害を為すことであったとしても。それでもなお、誰かのために行動することは大切なことなのだ。それは別に他人に親切にするは正しいことだ、みたいな道徳の問題ではなくて、現在における身の安全と言ったもので収まらない、もっと広い意味での利益につながることなのだ。

それが”世界からの断絶”に関わってくることなのだが、つまり、世界から拒絶される人間とは世界を拒絶している人間のことなのである。他人を信用せず、他者の善意を拒否し、自分の利益だけも求める人間、それが”世界を拒絶”するという事だ。まるで卵が先か、鶏が先かの問題のようだが、個人的には、世界から拒絶される人間とはそういうものだと、自分は思う。だからドロシーの態度は世界からの拒絶と戦うと言う意味でとても正しいことなのだ。世界から拒絶されようと、善意を悪意で返されようとも、自分の大切な人の負担になったとしても、それでも、やはり、他人に手を差し伸べる行為はいつしか自分の利益になる。情けは人のためならず。他人に手を差し伸べ続けた人間だけが、他人から手を差し伸べられる権利を持つのだ。

けれど、この物語において肝要なのは、そうしたドロシーの正義感は、あくまでも”無思慮”の元に行われているという事だ。自分の正義感がカルアの負担になり、いつかはカルアの命を危険にさらすことになるという事に、彼女はあまりにも無自覚である。そのことに自覚したとき、彼女はそれまでと同様に他人に向けて無条件に手を差し伸べ続けることが出来るのか。それはとても大切なことで、正解なんてないことだけれども、考えないではすまされないことでもあるのだろう。

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