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2012.07.16

『修羅場な俺と乙女禁猟区(2)』

修羅場な俺と乙女禁猟区(2)』(田代裕彦/ファミ通文庫)

前巻で匂わされていた”心の移ろいやすさ”が前面に押し出されてきた感じがある二巻目。というか、もうある意味において駆け引きは崩壊していると言ってもいいと思う。なぜかと言えば、前回で”不正解”であると明らかになったヒロインが退場しないという時点で、そもそも”正解”を探すゲームではないという事だからだ。主人公を憎んでいると決まったはずのヒロインが、主人公に本当に恋してしまった場合、果たしてゲームの決着はどうすれば言いと言うのか。”主人公を好きになってしまった”という言葉の真偽さえも、主人公には確認することが出来ないのであれば、じゃあ、何が正解なのか。もう、わけがわからない。

そのわけの分からない状態から、それでも確かな証拠を掴もうとする主人公の(無駄な)挑戦が描かれるのが今回の内容だと思う。主人公は、当初、自分が思っていたようなゲームではないという事は理解しつつも、それでも”正解”を求めようとする。これは、本人の立場になってみれば致し方ないところではあるけれど、やっぱりそれは危ういものだと思う。やっぱりこういうことには正解なんてないんだから……などという事を言うまでもなく、そうしたことが存分に語られている。

今回のヒロインは、主人公とは過去の絆があり、かつ本人にも主人公を憎む土台がない。つまり、限りなく正解に近いもののように思えるのだが、しかし、人間なんてものは”憎しみがなくても人を陥れることが出来る”ものなのだ。一切の憎しみがなかろうとも、それでも主人公の”敵”なりうる。これは、”正解”を求めるために、”憎しみの有無”を論理的に証明しようとしてきた主人公の盲点を完全についていたのだろう。主人公は、”愛”を証明することが出来なくても、”憎しみ”を証明することが正解だと考えていたわけだけど、「憎んでいないこと=愛している」ということにはならない。つまり、”愛の反対は憎しみではない”のである。

人の恋愛感情をゲームをコマにしておきながら、恋愛感情の在り方によってゲームが崩壊、あるいは変質していく過程が描かれているあたり、とても面白い。人間を単純化しようとする主人公の限界が描かれるとともに、そうした移ろいやすさを主人公が理解していくという流れがあるのだ。

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