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2012.05.22

『プレーンソング』

プレーンソング』(保坂和志/中公文庫)

なるほどこれがデビュー作か、という印象。今現在、『カンバセーション・ピース』を読んでいるんだけど、なるほど最初にこういう作品を書いているのなら、今はああいう作品を書くのも納得だな、という感じ。いや、どんな感じなのかよくわかんねーけど。

この頃の作品と最近の作品を比べてみると、まったく違うようにも、それほど変わっていないようにも思うのだけど、まあ、最初からエンタメ精神はまったくない人なんだな、ということだけははっきりと分かる。途中で本人なりにエンタメ精神に目覚めたのか、ちょっと奇を衒ったことをやってみたけれど、『カンバセーション・ピース』あたりになると、またエンタメから離れている感じ。ただまあ、エンタメ精神に欠けていると言っても『プレーンソング』の方はエンタメに”ならないようにする”という気負いみたいなものがあって、意識的に”波”を排除しようとしている感じがする。まあ、単なる印象だけどね。最近の作品にはそういう感じはしなくて、ナチュラルにエンタメになっていないという印象があって、なるほど、こういうツッパっている時代もあったんだな、と勝手に納得したのだった。

『プレーンソング』という作品について書くと、見事なまでに日常の話で、何人かの男女がグダグダと共同生活をしているシーンが延々に続く。まあ、退屈といえばとても退屈な話なんだけど、日常系の話というのはむしろそういう退屈さこそを楽しむ話であって、主人公たちがどうでもいい話を、しかし、とても楽しそうに語るのを眺めるという意味で、日常系アニメやライトノベルを思わせる面白味があるようにも思える。もっとも、その題材が競馬の話だったり猫の話だったり、あるいは映画の話だったりするのだけど、そうした会話が関連性を持ったりそうでもないようなゆるい影響を与えながら、続いたり続かなかったりする。そういうところにある種の”リアルさ”というのを自分は感じていて、そのリアルさを感じるのは、自分が意識というのは連続していないという感覚のせいだろう。昨日の自分は今日の自分に影響は与えているけれど、昨日の自分が今日の自分とイコールではない、という感覚。たぶん”日常”ってのはそういう非連続的な瞬間の積み重ねであるという意識があって、だからこの作品における会話のゆるいつながりにリアルを感じのだろう。

そういう非連続性というのは、ある意味あいまいというか地に足のつかない感じがあって、ちょっと自分でもどうかという気もしているのだが、そういう浮き立った感じこそが幸福なのだ、という意識もあって、うーん、まあ。いいじゃん、別に。

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