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2012.05.09

『生きる歓び』

生きる歓び』(保坂和志/中公文庫)

自分でも不思議なほどに保坂和志を継続して読んでいて、エンタメではない小説をこんなにきちんと読んでいるのは久しぶりだと思う。

保坂和志作品の面白い(と僕が思っている)ところは、一言でいうと”一言ではいえないようなことについて書いている”というところだ。現代と言うのは効率化の時代であって、これは情報量が多すぎるために、効率的に物事を受け入れていかないと生きていけないところがあるわけだけど、しかし、効率化というのは単純化という意味もあって、単純化とは曖昧ではっきりしない枝葉部分をばっさり切り落として情報を圧縮することを言う。情報量を落とせば、覚えなくてはならないものも減るし、受け入れられやすくなる。ただ、これはあくまでもテクニックであって、別にこれが”正しい”というものではないはずだと、僕などは思ってしまうのだ。

まあ、これは、僕がとてつもなく不器用な人間であって、”効率的に物事をこなす”というのがものすごく下手クソであるのだ。なので、そこに僻みのような感情がない、とは言い切れないのだが、自分が上手く情報を圧縮できなくて四苦八苦しているところを”ほんと馬鹿だなあ”みたいなことを言ってきた高校のクラスメイトたちに対しては、当時は心の中で何十回となく打ち殺してやろうと思っていたものだが、まあそれも過去の話なのでいいや。ともかく、”不要”だと思って切り捨てた物の中に、もしかしたら大切なものがあるかもしれないのに、”今は役に立たないから”という理由だけで捨ててしまうのは、ちょっとどうかと思ったのだった。そんな自分の考えが正しかったかどうかは、実はまだ良くわかってなくて、どっちかと言うと社会では損をする考え方だったのは確かで、おかげでストレスが際限なく溜まってしまったのだった。

そんな話はどうでも良かった。とにかく、保坂和志の小説には、そういう”普通なら切り捨てられる曖昧な細部”が充溢していて、もはや細部が多すぎて本筋が見当たらなくなっている。そういう意味ではいわゆる”物語”と呼べるものは一切なくて、逆に物語に従属することによって失われてしまう”何か”を描くことに注力しているとも言える。そういう、言葉にはしにくくて、上手く体系化も出来なくて、そんなことを考えても対して人生には関係のなさそうな、けれども絶対に大切なものについて、描き続けているところに、僕は昔の自分が悔しくて悔しくてしょうがなかったときのことを思い出す。なんというか、”救われる”っていうか、そういう感じがあるのだ。

一応、この本の内容についても触れておくと、物語を描かないことには人後におちない保坂先生の中でも、トップクラスに物語のない話で、そもそも小説でさえないような話もある。けれども、語り口がとてもニュートラルで、何かを語る上で説教くさいと感じられるところがないのが、良い感じ。なにかについて語ってしまうと、どうしても自意識がついてまわるものなのだが(この文章とか自意識が多すぎて目を覆わんばかりだ)、いかにもふと思いついたのだと言わんばかりの言葉が並ぶ。思考のぷかぷか浮いている、と言うような。そういうのってほほえましくて楽しいんだよね。

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コメント

・情報の効率化
検索して回答を得るのと、腰を据えて取り組んで意味を掴むのとでは全く違いますしね。
変な喩えですが、たとえば「あの国が嫌い」と言った場合、「どうしてそう思うのか」という理由には無数のベクトルがあり、その総和として「嫌い」が生まれているとき、「ただ嫌い」という風にまとめてしまうと、細部が見えなくなって漠然とした理由が優先されてしまうように感じます。
試験勉強では歴史の流れなんかは俯瞰する形で覚えていても、その細部に目を凝らすとある宗教の起こりには無数の意味や運動があったりして、それを理解するとまた見えてくるものが違ったりするのですが、そうして見ようとする動機は「まず興味を持つ」ことでしか生まれないので、こうしたことは検索効率と相性が悪いなぁと。
伝統芸能なんかでも効率化というか極度の様式化で損なっていくものはあるようですし、こればかりは時代への適応というしかないでしょうけど。

ネットでも無数の検索結果を繋ぎ合わせて望む結果を得るのはスキルだと思うのですけど、そうすることで取りこぼす物も当然あるので、これはもう本当に使いこなし方、外部記憶状態のネットとどう向き合うかなのだなと、最近よく感じます。
視点も処理能力も限界があるなら、どこかで折り合いを付けてアクセスするべき情報とそうでないものを選り分ける必要があるのですが、ニュースなんかはついつい「役に立つかも」と思ってしまったり、動画サイトでも関連動画についつい惹かれてしまったりとか(苦笑)。
ブログを見るだけにしても、人気のあるブログはとりあえず全部読むなどは不可能ですし、アンテナで話題性のあるものだけ、とするにしても、さてどう読んでいくかと意識させられます。

とはいえそうしたあれこれは自分にとって意味のある情報だから価値があるんだよなぁと、今回の記事を読んでいて、ふとそんなことを考えていたのを思い出しました。

なにか微妙に関係ない話になってしまって恐縮なのですが、最近、丁度意識して調べている話題でしたので、シンクロニシティを感じましたw
というか、意識していたから偶然に意味があると感じてしまうのでしょうけれど。

保坂先生の作品は作風を確立していない時期の頃と短編を読んでいたのですけど、最近、先生の思考を追った著作を数点読んだら「こんな事考えてたんだなあ」と。
村上春樹っぽい頃と違って、今の「らしさ」は凄く独特だと思います。

投稿: | 2012.05.11 01:05

もうこういうのは良い悪いの問題ではないんですよね。効率的に情報を選択していなくては、全部を見渡すことなんて出来ない話ですから。

ただ、正直自分はアンテナを立てて効率的に情報を捕捉していくとか、そういう生き方はどうも馴染めないんですよね。例に倣って言うなら、動画サイトを見ているよりも、本屋で本を眺めているほうが落ち着く、みたいな。

保坂先生の作品には、そういう時代の流れと逆行しているところがあって、なんだか共感してしまいますねw。

投稿: 吉兆 | 2012.05.12 09:43

時事的な情報が本当に必要かどうか見極め辛いのも原因の一つでしょうしね。
あとから見返して、それが効率化に寄与してくれるかどうかは読んでいる時点では判断が付きませんから(苦笑)。
よくありそうな例ですが、勉強にしても体系立ててやるのと解答をさっと得るのとでは飲み込み方に差が出るので、本当に「効率的」なのが何かすらも判りませんしw

自分の周りでも、全くネットに触れずに生活している人がいて、それでまるで苦も感じていないのを見ると、そういうのも全然いいんじゃないかと思うことがよくあります。
調べられる環境があると気になってしまうし、そういう環境がネットには用意されてもいるので、「本屋で本を眺めているほうが~」というのは何か凄く同感ですw 同じ物事を調べるとき、ネットで情報を切り剥いで集めているときより、読書で理解していった方が落ち着くというかw

知りたいこと、興味のあることに関する情報は最初から膨大に用意されていて、それとどう向き合うかはあくまで自分自身の問題だというのが、今は余計に強調されているように思えます。これは読書でも言えることかなと。
なんだか、「これは自分のための情報だ!」って思えるようなのが、今はもうそこら中にあるのでw
お返事、ありがとうございました。

投稿: | 2012.05.13 23:19

使い古された言葉ですが、知識を得ることと、知識を身につけることは別ですからね。などとえらそうなことを書いていますが、こういう言葉を実感できたのも最近のことです。

情報は必要なものですが、情報に振り回されるようには、あまりなりたくないものです。難しい事ですけどね。

投稿: 吉兆 | 2012.05.14 22:16

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