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2012.04.09

『人生』

人生』(川岸殴魚/ガガガ文庫)

タイトル自体は大仰極まりないのだが、中身はわりとゆるゆると続いていて、作者にしてはずいぶんと手加減しているなと言う印象だったのだが、読んでいるうちにそうでもないかも、と思うようになった。

相談者となった三人の女子sと主人公の会話は、いわゆる残念系と呼ばれるものを踏まえているように思えるのだが、それが必ずしもギャグに振れているかと言うとそうとも言えず、実際にはどう反応したら良いのか苦慮するようなところがある。つまり、彼女らの回答というのは明らかにナンセンスなのだが、しかし、ギャグになるほどに極端と言うわけでもなく、ただただ理不尽なのだ。ただ、僕はこれをギャグがつまらないだけという解釈はしたくなくて、むしろこういう会話は好きなタイプだ。これは僕が、冗談と言うのは意味がないほど良いという森博嗣的なジョークのあり方に影響されているということで、冗談にオチとかを最初から求めるのは不純と言うか、下品だという考え方があるからなのだ。

僕なりに解釈した言い方をすると、冗談というのは生き物みたいなもので、最初から結末が決まっている冗談というのはつまらない、と言うことだ。まったく無意味な言葉を、何人かで転がして言ってなにか別のものに成り果てている、みたいな不条理なものが僕にとって”面白い”と言える冗談であって、要するに僕はコントが嫌いなのだ。漫才もそんなに好きではないが、落語まで行くと話者によってブレがあるので、あれはあれで良いのかもしれないが……。まあ、それはともかく。

川岸先生の書く作品は、その辺りが僕の趣味に近いところがあって、放った言葉がどこに落ち着くのかが良くわからない感じがある。誰かの言葉のボールがあっちにふらふらこっちにふらふらして、みんながボールをお手玉をしているうちに、ボールが隣りの家の窓を破ってしまって、みんなで顔を見合わせる、と言うか。最後に「おい、これどーするんだよ……」と言う感じの”置いて行かれる”ところがあって、そこに作品の”奥行き”と言うか、あるいは”広さ”と言うか、自分でもどっちか良くわからないのだけど、とにかく”笑いを強要”しようとする抑圧がないところに幸福を感じるのだった。

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