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2012.04.21

『ストライクウィッチーズ劇場版』

久しぶりに映画を観ようということになって、友達と『ストライクウィッチーズ 劇場版』を観にいくことになった。久しぶりの新宿で見事に迷ったり、自分が西口と南口を間違って覚えていたことが初めて発覚したりしながら、新宿をぶらぶらしていた。ああいう大都市というのも久しぶりではあって、人混みを歩くというのは思ったより疲れると言うことを意識して、自分も本当に歳をとったと思った。

映画については、娯楽作品として徹底していて、ここまで突き詰めればたいしたものだと思った。登場人物が非常に多いのが特徴な作品だけに、すべてにスポットを当てるのは難しいのだけど、服部さんを初めとする新登場のキャラクターたちが501部隊の面々と出会っていくことで、それぞれの側面が現れていくあたりは上手いことやったと思う。まあ、映画を観にいくような人々はキャラがわからないなんてことはありえないので、こういう群像劇的な描き方が通用するという側面もあるのだろうけど。これは作品の持っているポテンシャルを評価するべきだろう。

ただ、群像劇的な要素(と言うかキャラクター描写映画の要素)の上で、やはりこれは主人公である宮藤さんの物語であって、これはTVシリーズで魔法力を失っていた彼女が力を取り戻すまでの物語となっている。ただ、個人的な感覚では、これは彼女の再生の物語と言うよりも、いかなる状況下においても変わらない彼女の本質を描いているようにも思える。どこまで製作サイドが考えているのかは不明だが、とにかく宮藤さんの”人助け”に対する意識は尋常ではなく、強迫観念的と言うか、半ば狂気的と言ってもいい。完璧な”人助けマシーン”としての宮藤さんが描かれているように思う。

彼女は人助けをするためならば、命令無視も独断専行も厭わないというのはTVシリーズでも何度も描かれていたのだけど、そちらでは皆が彼女を暖かく見守り、支えて来たこともあって、それほど表面化はしてこなかったように思う。ただ今回から新たに登場した服部さんは杓子定規で軍規にうるさいタイプであって、宮藤さんと対立的な立場をとっている。それゆえに現れる宮藤さんのゆがみというものが現れていて、びっくりしたと言うか、そういう感じがあるのだ。本編のネタバレになってしまうので詳細は省くけれども、人を助けるためならば火の中に飛び込み、あるいは親友の贈り物さえも破り捨てる、完全に覚悟のメーターが振り切れている人物像になっている。これが魔法力があるのなら、これは持てるものの義務を言うことも出来るけど、すでに戦う力がない宮藤さんがやっていると、異様というか、本当に狂っているとしか思えない凄みがあるのだった。ほんとヤベえ。坂本さんは「あれがお前が目指しているものだ」とか言ってたけど、あんなの常人には不可能ですから!あんなの真似したら死にますって!まあ坂本さんらしいけどね(彼女も覚悟のメーターが振り切れている人だからなあ)。

あとは、ああパン…じゃなくてズボンを舐めまわすように捉えるカメラアングルの執拗さには感心した。宮藤さんとは別方向に狂気を感じさせられたのだが、あまりにも執拗すぎてもはや自分が見ているものがパン…じゃなくズボンだとかなんだとかがどうでも良くなってくるゲシュタルト現象に見舞われたのだった。最初は驚くんだけど、そのうち別に恥ずかしいものを見ている気がぜんぜんしなくなるんだ。むしろ「すげえ!この角度でも見せてくるのか!」って感心してしまった。感心してどうする。

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