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2012.04.26

『蒼穹のカルマ(8)』

蒼穹のカルマ(8)』(橘公司/富士見ファンタジア文庫)

今回がシリーズ最終巻と言うことだけど、物語的に最も真剣で深刻な部分と言うのは前回で終わっていて、今回は一冊丸ごと番外編と言うか、むしろ一話のハチャメチャでジャンルオーバー的な展開に立ち返っている。カルマが姪のために世界の一つや二つを軽く救っていく活躍を描いていて、本当に一巻のときそのままだ。だけど、それは以前のまったく同じというわけではなくて、カルマたちの変化が反映されている、と言うか、同じだからこそ、違いが浮き立つようになっている。

カルマは相変わらず在紗のために命を懸けて、すべてを彼女を優先しているのだけど、それでも彼女にもいろいろな人間が周囲にいて、そうした人間を(かなりひどい扱いをしたりもするけど)見捨てることは(あんまり)しなくて、関わりが生まれている。それは関係だけの問題ではなく、彼女自身の内面の問題もあって、彼女にも変化が生まれているのだ。それは彼女の内面的にも時間の流れていると言うことで、人は前に進む生き物なのだ。そう言ったことを説教くさくせず、自然体で描いているところが良かった。

それは脱力感と言い換えてもいいけど、決して悪い意味ではなくて、深刻で重要な話を真剣に深刻に語ることによる自己陶酔とは無縁ということだ(と書いて自分でグサっと来た。気をつけねば……)。そういう重要な話をあくまでもコメディとして描いているところが良くて、特にラストシーンのリサが”再会”するシーンは最高だと思った。これはリサ自身が”時間を前に進めた”ことによって、世界が動き出したと言うことを意味していて、それがどのような変化をするのはわからないわけだけど、前に進むということはそういう恐怖に立ち向かうと言うことでもある。そうした恐怖に向き合って、前に踏み出したからこそリサは”再会”出来たのであって、あれはご都合主義にもほどがあるように思えるが、その”ご都合主義を呼び込むのは勇気”と言うことなのだ。

おそらく、『蒼穹のカルマ』と言う作品はずっと”時間”について描いてきた作品なのだ。”時間を進めるか”、あるいは”時間を止めるか”ということについて、ひたすら議論してきたわけで、”時間を止める=過去に捕らわれる”ことと、”時間を動かす=未来へ進む”ことの対立の物語であった。しかし、時間を止めることを一概に否定することなく(未来の在紗たちがカルマを救いに来たように)、その上で未来に向かうことを肯定したラストには、正直なところ、かなり感動した。

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2012.04.22

『羽月莉音の帝国(10)』

羽月莉音の帝国(10)』(至道流星/ガガガ文庫)

最後まで行き着くところまで行き着いている主人公たちの姿は見事だと思った。世界を救おうとする傲慢、救うためには秩序すべてを破壊する暴虐、その姿はまさに独裁者そのものであって、同時に革命家でもある。世界を救おうなどという考えは、この上なく傲慢なものであって、あらゆる人間から罵られ詰られるものであるのだが、それでもなお世界を救おうなどと考えることが出来るのは、とてつもない意思の力が必要なのだ。結果として世界は一度崩壊し、世界のすべてを敵に回して戦ったわけだけど、それが”傲慢”というのであれば間違いなく傲慢なもので、しかし、その傲慢を、その不遜を、人々の怨嗟の声を、革命部の人々は誇りを持って受けとめるのであろう。

世界を踏みにじりつつ、世界を救う。その姿に怒りを覚えることは健全であろう。しかし、”正しい”だけでは誰も救われないし、誰も救えないと知ってしまったとき、あえて”悪”を為すということは、とても尊いことなのだ。ただし、”誤らずに悪を為す”と言うことが必要なのだけれども。

”誤らない”と言うのは、ここでは近道をしないという意味でもあって、近道、つまり”楽”をするために悪を為した瞬間、”悪”は紛れも無い”悪行”となって破滅をもたらす。近道を求めることは、そこには”我欲”というものが付きまとっていて、我欲のために為した”悪”はすべて悪行となり、邪悪をもたらすものになる。

これは真実でも真理でもなくて、ただの物語に過ぎない。これは僕が考える物語であって、ほとんど妄想にも等しいものである。だけど、僕が思う”正しさ”と言うのは、たぶんそういうところにしかないのだと思っている。近道と我欲に溺れたもの、すべてを掴んで離さない者、自らすべてを捨て去ることが出来ない者には、決して”正しさ”は宿らないのだと、僕はそう信じているのだ。

これが正しいかどうかは、たぶん、一生をかけて考えていかないといけないのだと思っているけれど、こういう小説を読むと、案外似たようなことを考えている人がいるもんなんだな、と思えるのだった。

すべてを得られる人よりも、すべてを捨て去れる人にこそ、本当の”正しさ”は宿る。もちろん、その”正しさ”が幸せに繋がるかはわからないけれども、そういうのは、たぶん、そんなに重要なことじゃない。本当は”正しい”かどうかさえ、たいして重要な問題じゃない。真実ってのは、過程と結果の挟間にあるんだと思うんだ。たぶん。きっと。そうだといいなあ。

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2012.04.21

『ストライクウィッチーズ劇場版』

久しぶりに映画を観ようということになって、友達と『ストライクウィッチーズ 劇場版』を観にいくことになった。久しぶりの新宿で見事に迷ったり、自分が西口と南口を間違って覚えていたことが初めて発覚したりしながら、新宿をぶらぶらしていた。ああいう大都市というのも久しぶりではあって、人混みを歩くというのは思ったより疲れると言うことを意識して、自分も本当に歳をとったと思った。

映画については、娯楽作品として徹底していて、ここまで突き詰めればたいしたものだと思った。登場人物が非常に多いのが特徴な作品だけに、すべてにスポットを当てるのは難しいのだけど、服部さんを初めとする新登場のキャラクターたちが501部隊の面々と出会っていくことで、それぞれの側面が現れていくあたりは上手いことやったと思う。まあ、映画を観にいくような人々はキャラがわからないなんてことはありえないので、こういう群像劇的な描き方が通用するという側面もあるのだろうけど。これは作品の持っているポテンシャルを評価するべきだろう。

ただ、群像劇的な要素(と言うかキャラクター描写映画の要素)の上で、やはりこれは主人公である宮藤さんの物語であって、これはTVシリーズで魔法力を失っていた彼女が力を取り戻すまでの物語となっている。ただ、個人的な感覚では、これは彼女の再生の物語と言うよりも、いかなる状況下においても変わらない彼女の本質を描いているようにも思える。どこまで製作サイドが考えているのかは不明だが、とにかく宮藤さんの”人助け”に対する意識は尋常ではなく、強迫観念的と言うか、半ば狂気的と言ってもいい。完璧な”人助けマシーン”としての宮藤さんが描かれているように思う。

彼女は人助けをするためならば、命令無視も独断専行も厭わないというのはTVシリーズでも何度も描かれていたのだけど、そちらでは皆が彼女を暖かく見守り、支えて来たこともあって、それほど表面化はしてこなかったように思う。ただ今回から新たに登場した服部さんは杓子定規で軍規にうるさいタイプであって、宮藤さんと対立的な立場をとっている。それゆえに現れる宮藤さんのゆがみというものが現れていて、びっくりしたと言うか、そういう感じがあるのだ。本編のネタバレになってしまうので詳細は省くけれども、人を助けるためならば火の中に飛び込み、あるいは親友の贈り物さえも破り捨てる、完全に覚悟のメーターが振り切れている人物像になっている。これが魔法力があるのなら、これは持てるものの義務を言うことも出来るけど、すでに戦う力がない宮藤さんがやっていると、異様というか、本当に狂っているとしか思えない凄みがあるのだった。ほんとヤベえ。坂本さんは「あれがお前が目指しているものだ」とか言ってたけど、あんなの常人には不可能ですから!あんなの真似したら死にますって!まあ坂本さんらしいけどね(彼女も覚悟のメーターが振り切れている人だからなあ)。

あとは、ああパン…じゃなくてズボンを舐めまわすように捉えるカメラアングルの執拗さには感心した。宮藤さんとは別方向に狂気を感じさせられたのだが、あまりにも執拗すぎてもはや自分が見ているものがパン…じゃなくズボンだとかなんだとかがどうでも良くなってくるゲシュタルト現象に見舞われたのだった。最初は驚くんだけど、そのうち別に恥ずかしいものを見ている気がぜんぜんしなくなるんだ。むしろ「すげえ!この角度でも見せてくるのか!」って感心してしまった。感心してどうする。

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2012.04.18

『魔法使いの夜』雑感

しばらく更新をサボっていたのは、当然のことながら『魔法使いの夜』(TYPE-MOON)をやっていたためである。木曜日に初めて土曜日にはクリアしたんだけど、クリアしたらしたでいろいろぐるぐると考えたり、気になっていた部分をリピートしたりしていたのだった。そろそろこのままだと『魔法使いの夜』について書くタイミングさえも逃してしまいそうなので、とりあえずまとまりのないままに書いてみようと思う。

今回の話を一言で説明すると”日常系”と言う感じで、月姫やFateとは一線を隔している感じがある。これはどういうことかと言うと、以前の作品が突然に非日常に叩き込まれた主人公が戦いに挑む物語であるのに対して、今回の物語において主人公たちが生きる”日常”の物語なのだ、ということだ。もっともその日常は”魔術師の日常”ではあって、その中には生死をかけた闘争もあるわけだけど、その闘争そのものは目的ではなく、ただそれが彼女らの生きる”普通”であるに過ぎない。だから主人公たちにとって最も重要なことは”勝つこと”ではなくて、あくまでも”その人生を生きること”であり、生きることの喜びというものが描かれている。つまり、”人生とは劇的ではない刺激的ではある”と言うことで、小さな出来事の中に、大きな喜びがあるということなのだ。

これは僕の中ではすごく納得感のあるところなのだが、これは奈須きのこは元々何を描いている作家なのかというところについての話で、いまでこそ伝奇物を描く作家という認識があるわけだけど、実のところアクションよりも”日常”について非常に多くの描写を裂いている印象があったので、その当たりの感覚に合致した、と言ってもいいかもしれない。と言うか、よくよく考えてみるとアクションシーンと言うのはあまり大きな側面ではなく、基本的に会話劇であり、なにより日常ドラマとしての、さらに言えばドラマ性さえもない作家なのかもしれない(と言うのは、さすがに先走りすぎか)。思い返してみれば、Fateという作品も、殺し合いに巻き込まれていきながら、執拗に日常に拘り続ける描写があった。これは非日常に対して、簡単に非日常に飲み込まれるほど日常と言うのは柔じゃないと言わんばかりで、それがすごく不思議と言うか、ある意味納得があるのだった。殺し合いをしていても、それでも腹は減るしトイレにだって行きたくなるものなのだ。

話が盛大に脱線してしまった。ただ、『魔法使いの夜』と言う作品の持つ、徹底した”日常の空気”に対するこだわりは本当に素晴らしく、窓の外で降りしきる雨音や橋の上から夕日を見るときの空虚さとか、そういうものに対する視線が心地良いのだった。これは最近の自分の趣味が、物語よりも描写に寄り始めているということもあって、万人が納得することではないとは思うけど。その意味ではエンタメから多少はずれ始めているところもあるのかもしれないが、正直、最近はエンタメとか非エンタメとかどうでも良いと思うし。読んで、心にわだかまるものがあれば良いと思うのだ。

すべてのエピソードを見終えた後、僕の中には「冬の朝のような静けさ」の感触が残って、それはいまだに消えていないのだった。

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2012.04.11

『アトリウムの恋人(3)』

アトリウムの恋人(3)』(土橋真二郎/電撃文庫)

美しさにもいろいろあって、ある種の美しさは儚さと同義のものがある。記憶とか思い出の持つ美しさというのは、紛れもなくそうものであって、記憶についての物語は必然的に儚さについての物語になる。どんな大切でかけがえのない記憶であっても、いつかは必ず忘れられてしまうし、忘れられなかったとしても変質して、別のものになってしまう。それが記憶の持つ儚さであるし、それゆえに美しいものとなりうる。

『アトリウムの恋人』という物語は、基本的にそういう儚さのようなものがあって、たぶんそれは世にあるバーチャルリアリティものと違って、主人公たちがダイブする仮想空間の存在について、主人公たち、というか”人間”の側がアプローチすることが出来ないためであるのだろう。彼らが生きる仮想空間は、彼らにとって何よりも大切なものでありながら、その統治について彼らはいかなる決定権を持たない。突然、明日にでも奪われるかもしれない、そういう不安定で確かなもののない世界なのだ。

だからこそ、彼らはその維持に必死になって取り組み、少しでも謎を解明しようと行動するのだけど、そんな彼らを翻弄するかのように、世界は残酷な試練を与え続ける。そうした中で、試練と戦い続け、人々はお互いを信頼することもあれば憎みあうこともあって、それでもいろいろなものを築き上げていく。しかし、世界を構成するなにものかは、それらすべてを無視して、すべては崩壊していく。

崩壊への力と、それに対して抵抗しようする人々は拮抗しているのだけど、これは敗北が決定されているとも言える話で、つまり、拮抗することは出来ても、絶対に勝つことは出来ない勝負なのだ。勝利条件がない代わりに敗北条件があり、敗北条件を満たさないことだけが、彼らの出来る戦いなのであって、その戦いの中にもいろいろなものが失われてしまう。

それは不毛な戦いであって、無意味な勝負でさえあるのだけど、それゆえにそこには儚さが宿り、美しいものとなりうる。その美しさには意味がないと言うことも理があると思うけど、そうした美しさを認めないでいることは、人間の価値とか意味とかを認めないということにも繋がっているのではないかと思う。自分の為したこと、そして築き上げたものについての記憶を失った主人公のところに、それでもかれが為したことが残っていたように、そこに意味を見出すことが出来るのが、人間と言うものなのだ。

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2012.04.09

『人生』

人生』(川岸殴魚/ガガガ文庫)

タイトル自体は大仰極まりないのだが、中身はわりとゆるゆると続いていて、作者にしてはずいぶんと手加減しているなと言う印象だったのだが、読んでいるうちにそうでもないかも、と思うようになった。

相談者となった三人の女子sと主人公の会話は、いわゆる残念系と呼ばれるものを踏まえているように思えるのだが、それが必ずしもギャグに振れているかと言うとそうとも言えず、実際にはどう反応したら良いのか苦慮するようなところがある。つまり、彼女らの回答というのは明らかにナンセンスなのだが、しかし、ギャグになるほどに極端と言うわけでもなく、ただただ理不尽なのだ。ただ、僕はこれをギャグがつまらないだけという解釈はしたくなくて、むしろこういう会話は好きなタイプだ。これは僕が、冗談と言うのは意味がないほど良いという森博嗣的なジョークのあり方に影響されているということで、冗談にオチとかを最初から求めるのは不純と言うか、下品だという考え方があるからなのだ。

僕なりに解釈した言い方をすると、冗談というのは生き物みたいなもので、最初から結末が決まっている冗談というのはつまらない、と言うことだ。まったく無意味な言葉を、何人かで転がして言ってなにか別のものに成り果てている、みたいな不条理なものが僕にとって”面白い”と言える冗談であって、要するに僕はコントが嫌いなのだ。漫才もそんなに好きではないが、落語まで行くと話者によってブレがあるので、あれはあれで良いのかもしれないが……。まあ、それはともかく。

川岸先生の書く作品は、その辺りが僕の趣味に近いところがあって、放った言葉がどこに落ち着くのかが良くわからない感じがある。誰かの言葉のボールがあっちにふらふらこっちにふらふらして、みんながボールをお手玉をしているうちに、ボールが隣りの家の窓を破ってしまって、みんなで顔を見合わせる、と言うか。最後に「おい、これどーするんだよ……」と言う感じの”置いて行かれる”ところがあって、そこに作品の”奥行き”と言うか、あるいは”広さ”と言うか、自分でもどっちか良くわからないのだけど、とにかく”笑いを強要”しようとする抑圧がないところに幸福を感じるのだった。

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2012.04.06

『“若紫” ヒカルが地球にいたころ……(3) 』

“若紫” ヒカルが地球にいたころ……(3)』(野村美月/ファミ通文庫)

今回のヒロインである紫織子の祖父ついて、是光の祖父が感慨深げに思い返していた言葉に次のようなものがあって、印象に残った。「年を経るに従って、去るものが多くなりますが、来るものもあります。それを大事にしてゆければと思うのですよ」と言うものなのだけど、これはすごく大切なことを言っていると思う。”去るもの””来るもの”と言うのはいろいろなものがあって、そこには良きものものあれば悪いものもあって、そうしたすべてのものを含めて、大事にして行こうという謙虚さがある。それは、幸福も不幸もどちらも大切な自分の人生であるという、とても誇り高い生き方なのだと僕は思う。

しかし、世の中にはそうした誇り高さというものにまったく理解をしない人間もいる。そういう人間は、自分に対する不幸だけは他者に押し付けて、幸福だけを残すと言うやり方が、賢明だと思っているみたいなところがあって(まあ勝手な想像だけど)、そういう人間からすると詩織子の祖父のような生き方は負け組の生き方に見えるだろう。それは他者に食い物にされているだけだであって、まあ実際、詩織子の祖父は客観的に見て幸福とは言えない人生を送っている。

けれどここで客観なんて言葉を持ち出すのはくだらないことで、幸福というのは、と言うか人生の価値というものを決めるのは、結局のところ”自分”しかいないはずなのだ。何か幸福で、何が不幸なのかを定めるのは、結局のところ自分でしかない。紫織子の祖父は、自分に対して訪れ、そして去っていった幸福も不幸も、どちらも同じように愛していた。悲しみもある、苦しみもある、怒りもある、だけれどもそうした過程を経て、”今”と言うものがあるのだ。だから、「それを大事にしてゆければ」という言葉が出てくる。”それ”とは、幸福や不幸をひっくるめた色々なものすべてのことを指しているのだ。

物語の最後で、紫織子の祖父は亡くなってしまう。その晩年は恵まれたものではなく、手元に何一つ残されなかったのだが、しかし、彼は最後まで孫のことを気にかけて、昔に見た花について語りながら、そして死んだ。その姿には言い知れない美しさ、鮮やかさというのがあって、それは先ほどの”自分が賢明だと思っている”人の代表みたいな描かれ方をしている久世老人が、最後にはすべてを失ってしまうのと対照的に描かれている。なにも求めなかった紫織子の祖父は、数十年前に会話をしただけの是光の祖父に感謝の念を抱かせ続けているし、さらに結果的に孫に未来を与えることが出来た。彼のことは是光の祖父や孫娘にとって、これからも記憶され続けていくのだろう。一方、貪欲にすべてを求め狡猾に立ち回ってきた久世は、愛した相手の忘れ形見にさえ拒絶されてすべてを失っていって、顧みられることもない。この二人は”何もかもを失って消えてゆく”と言うところは同じなのに、その”意味”というか”受け取られ方”がまったく異なっていて、そこには”勝利”とか”敗北”とかそういう次元では語れない根本的な差異があるのだ。

僕が思うに、幸福か不幸かと言うのは、とりわけ他人から見たそれと言うのは、本当の意味で重要なものではない。本当に重要なことと言うのは、そうした幸福や不幸というものとどのように付き合っていくのかということで、決して幸福や不幸に振り回されてはいけないのだ。例えるなら、幸福や不幸と言うのは人生を彩るものではあっても、目的にしてはいけないのだ、ということだ。これは理想ではあって、不幸の中にいては耐え難い苦痛も悲しみもあるだろうし、それを避けて幸福を求めることを否定は出来ないし、したくもない。ただ、遮二無二幸福になろうとすることは、たぶん最も”幸福”から遠い行為と思うのだ。

 

上のものとは関係のない追記。ヒカルの言葉を聞いた是光が、それを引き継いで語るシーンがとても好きだ。ヒカルの言葉に比べて是光の言葉は舌足らずで乱暴で、必要な情報が抜け落ちているところもあるのだけれども、言葉を”伝える”と言うのは、つまりはそういうものなのだ。是光は、自分をヒカルのスピーカーでしかないのだが、同時に是光が”媒介”しているということの意味は決して無視できない。そこには正しくは伝わらないかもしれないが、それでも是光はヒカルの思いを汲み取ろうとして、その上で出てきた言葉なのであって、そこにはただ機械的に言葉を伝えるのではない、生きた言葉が生まれている。それは正確ではないかもしれないが、とても”正しい”言葉なのだと思う。

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2012.04.04

2012年3月に読んだ本

相変わらず読んでないけど、これぐらいが良いバランスのような気もする。

3月の読書メーター
読んだ本の数:38冊
読んだページ数:7512ページ
ナイス数:55ナイス

カブのイサキ(5) (アフタヌーンKC)カブのイサキ(5) (アフタヌーンKC)
距離が十倍に拡大した世界において、宇宙とはどうなってしまっているのか…。
読了日:03月27日 著者:芦奈野 ひとし
棺姫のチャイカIV (富士見ファンタジア文庫)棺姫のチャイカIV (富士見ファンタジア文庫)
これ全員が偽者で、偽者が本物と対比される話なんだろ?つまり偽物語だな。
読了日:03月27日 著者:榊 一郎
ダンス イン ザ ヴァンパイアバンド 13 (フラッパー)ダンス イン ザ ヴァンパイアバンド 13 (フラッパー)
ローゼンマン、しょっぺえなあ……。
読了日:03月27日 著者:環望
シドニアの騎士(7) (アフタヌーンKC)シドニアの騎士(7) (アフタヌーンKC)
新ヒロインのガウナっ子、つむぎたんを一瞬で落とす谷風さんマジぱねえっす。
読了日:03月27日 著者:弐瓶 勉
Fate/kaleid liner プリズマ)しろほし)イリヤ ツヴァイ! (5) (カドカワコミックスAエース)Fate/kaleid liner プリズマ)しろほし)イリヤ ツヴァイ! (5) (カドカワコミックスAエース)
熱血魔法少女バトル漫画だなあ/子供ギルはレギュラー…?
読了日:03月27日 著者:ひろやま ひろし
3月のライオン 7 (ジェッツコミックス)3月のライオン 7 (ジェッツコミックス)
ここに来て苛めた側と苛めを放置した先生の視点が入ったのは嬉しいところ。
読了日:03月27日 著者:羽海野 チカ
プレーンソング (中公文庫)プレーンソング (中公文庫)
アニメで例えるならば『らきすた』。何も起こらない、と言う事を描いていると言う意味で。
読了日:03月25日 著者:保坂 和志
拘束乙女の聖歌隊 2 (フラッパー)拘束乙女の聖歌隊 2 (フラッパー)
今川監督ならば、ここに誤解と勘違いとすれ違いが山ほど仕込まれてるはずだ…。
読了日:03月25日 著者:猫井ヤスユキ,今川泰宏
魔術士オーフェンはぐれ旅 解放者の戦場【初回限定版】魔術士オーフェンはぐれ旅 解放者の戦場【初回限定版】
最良の敵とは最良の味方に等しい。オーフェンは最良の敵を探しているところだと思うのだが。
読了日:03月25日 著者:秋田禎信
もやしもん(11)限定版 (プレミアムKC)もやしもん(11)限定版 (プレミアムKC)
お互いの気持ちはわかった上で、その”手前”の感覚を楽しんでいる美里と長谷川さんが良いです。
読了日:03月25日 著者:石川 雅之
リューシカ・リューシカ(4) (ガンガンコミックスONLINE)リューシカ・リューシカ(4) (ガンガンコミックスONLINE)
子供の世界観は大人とは違うだけで、間違っているわけではない。
読了日:03月25日 著者:安倍 吉俊
東京喰種トーキョーグール 2 (ヤングジャンプコミックス)東京喰種トーキョーグール 2 (ヤングジャンプコミックス)
寄生獣の「我らはかよわい…だからあまり苛めるな」という台詞を思い出す。
読了日:03月24日 著者:石田 スイ
東京喰種トーキョーグール 1 (ヤングジャンプコミックス)東京喰種トーキョーグール 1 (ヤングジャンプコミックス)
人から外れたアウトサイダーの物語は心惹かれる。
読了日:03月24日 著者:石田 スイ
ハチワンダイバー 24 (ヤングジャンプコミックス)ハチワンダイバー 24 (ヤングジャンプコミックス)
強さのパロメーターはひとつじゃない、ってのは心強い。
読了日:03月24日 著者:柴田 ヨクサル
エクゾスカル零 2 (チャンピオンREDコミックス)エクゾスカル零 2 (チャンピオンREDコミックス)
六花は可愛いと思うけど胡散臭いな。真実を語っていない感がある。
読了日:03月24日 著者:山口 貴由
NEEDLESS 14 (ヤングジャンプコミックス)NEEDLESS 14 (ヤングジャンプコミックス)
そのうち出てくるんだろうと思ったが、カフカはあっさり復活したな。
読了日:03月24日 著者:今井 神
蘭陵王 (文春文庫)蘭陵王 (文春文庫)
悲劇的な人生を悲劇的に書かないってのは、けっこうたいしたことだ。
読了日:03月24日 著者:田中 芳樹
背約のキャバリアー (一迅社文庫)背約のキャバリアー (一迅社文庫)
設定とバトルと動機の組み合わせ方は良い
読了日:03月24日 著者:六塚 光:作,zinno:絵
ツンマゾ!!! M姫様の戴冠 (美少女文庫えすかれ)ツンマゾ!!! M姫様の戴冠 (美少女文庫えすかれ)
ある意味において超弩級の傑作。ギャグがあり愛があり狂気がある。
読了日:03月19日 著者:葉原 鉄
白貌の伝道師 (星海社FICTIONS)白貌の伝道師 (星海社FICTIONS)
龍骸装とか、ほんともうボンクラの極みであり最高だぜ。
読了日:03月18日 著者:虚淵 玄
千の魔剣と盾の乙女6 (一迅社文庫)千の魔剣と盾の乙女6 (一迅社文庫)
何かがおかしいと思ったら、表紙がナギじゃねーか!!
読了日:03月18日 著者:川口 士
デート・ア・ライブ4 五河シスター (富士見ファンタジア文庫)デート・ア・ライブ4 五河シスター (富士見ファンタジア文庫)
ラタトスクの存在意義が、状況を混乱させる以外なくなっているような…。
読了日:03月18日 著者:橘 公司
魔法少女かずみ☆マギカ ~The innocent malice~ (3) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)魔法少女かずみ☆マギカ ~The innocent malice~ (3) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)
女の子にどんだけ絶望を突きつけられるのかというチキンレースみたいな。
読了日:03月18日 著者:原案:Magica Quartet,原作:平松正樹,画:天杉貴志
史上最強の弟子ケンイチ 46 (少年サンデーコミックス)史上最強の弟子ケンイチ 46 (少年サンデーコミックス)
キャラクターが持つ背景が重層的で、なんかこう、圧倒される。
読了日:03月18日 著者:松江名 俊
神のみぞ知るセカイ 16 (少年サンデーコミックス)神のみぞ知るセカイ 16 (少年サンデーコミックス)
栞の書いた小説に感動。小説と思って読むと最後でラブレターだとわかる。素晴らしい。
読了日:03月18日 著者:若木 民喜
紫色のクオリア 1 (電撃コミックス)紫色のクオリア 1 (電撃コミックス)
もともと綱島志郎ために書かれた原作を本人が描いたもんだから違和感ゼロ。
読了日:03月13日 著者:うえお 久光
神の火〈下〉 (新潮文庫)神の火〈下〉 (新潮文庫)
社会を支えているものは、意外と脆弱だし、何の保証もないってことだよ。
読了日:03月10日 著者:高村 薫
神の火〈上〉 (新潮文庫)神の火〈上〉 (新潮文庫)
内容を知らずに読んだら、あまりにタイムリーな話だった…。
読了日:03月10日 著者:高村 薫
トリアージX 4 (ドラゴンコミックスエイジ)トリアージX 4 (ドラゴンコミックスエイジ)
この主人公は主人公としての役割をまったく果たしてない気がするぞ。あ、主人公じゃないのか。
読了日:03月09日 著者:佐藤 ショウジ
ツマヌダ格闘街 11 (ヤングキングコミックス)ツマヌダ格闘街 11 (ヤングキングコミックス)
テコ入れで新ヒロイン登場のはずなのに、この垢抜けない雰囲気は悪くない。
読了日:03月09日 著者:上山 道郎
ウィッチクラフトワークス(3) (アフタヌーンKC)ウィッチクラフトワークス(3) (アフタヌーンKC)
この作者の絵はわりとカッコいいと思う。
読了日:03月09日 著者:水薙 竜
めだかボックス 14 (ジャンプコミックス)めだかボックス 14 (ジャンプコミックス)
たぶん安心院さんはめだかのラスボス化も狙っているよね。
読了日:03月06日 著者:暁月 あきら
紅 kure-nai 9 (ジャンプコミックス)紅 kure-nai 9 (ジャンプコミックス)
斬彦と仲直りのためにこの話を置いたのかな/原作者はどこまで関わっているんだろ。
読了日:03月06日 著者:山本 ヤマト
To LOVEる―とらぶる― ダークネス 4 (ジャンプコミックス)To LOVEる―とらぶる― ダークネス 4 (ジャンプコミックス)
直球エロとギリギリエロの駆け引き。まあ直球に近いね。
読了日:03月06日 著者:矢吹 健太朗
機巧童子ULTIMO 8 (ジャンプコミックス)機巧童子ULTIMO 8 (ジャンプコミックス)
時空間が捻れている話は作り難いだろうに、よく制御しているな。
読了日:03月06日 著者:武井 宏之
KEYMAN(2) (リュウコミックス)KEYMAN(2) (リュウコミックス)
ロリババア最高や!/しかし、随分のんびりやってんな…。
読了日:03月06日 著者:わらいなく
龍ヶ嬢七々々の埋蔵金1 (ファミ通文庫)龍ヶ嬢七々々の埋蔵金1 (ファミ通文庫)
とても高品質だと思います。
読了日:03月06日 著者:鳳乃一真
イグナクロス零号駅 5 (電撃コミックス EX 64-6)イグナクロス零号駅 5 (電撃コミックス EX 64-6)
ストーリーが見えたかと思ったらまた分からなくなった。
読了日:03月03日 著者:CHOCO

2012年3月の読書メーターまとめ詳細
読書メーター

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2012.04.02

『烙印の紋章(10) 竜の雌伏を風は嘆いて』

烙印の紋章(10)竜の雌伏を風は嘆いて』(杉原智則/電撃文庫)

主人公サイドからすると、何を考えているのか良くわからないが、それゆえに不気味な存在感をかもし出していたグール皇帝の内面が描かれていると言うところは、結構重要なところなのかも。つまり、グール皇帝は怪物でもなんでもなく、怒り悲しみ理想を求め、そしてそれらすべてを失った存在なのかもしれないという予感を見せることで、ようやくオルバが何を戦うべきなのかと言うのが、読者側にわかりやすく提示されている感じ。まあ、オルバ自身は自分が戦う相手は明確と言うか、そもそもグールが何を考えているかなんて知ったことではないと思うけどね。ただ、不気味な存在であったグールが、怪物ではなく”人間”に降りてきたというところがあって、果たしてこれまで以上に”敵”としての格を維持できるのかと言うところに興味はあります。彼は彼なりの思惑と言うか、あるいは正義と言うものがあるみたいで、それが独裁者の傲慢とか、そういうところに落ち込んで欲しくないなあ、と言う危惧があって、でもたぶんこの調子ならば大丈夫なんじゃないかなという感じもあるのだった。

個人的にはビリーナが良く動くという感じがあって、彼女が動き出すと良くも悪くもオルバも突き動かされてしまうと言うか、つられて決断をしてしまうところがあって、なにやら物語が加速していく印象がある。そもそも正体をばらすのもビリーナがいなければもっと遅かったわけだし、オルバが重要な決断をするときにはいつだってビリーナの姿がある…と言うのは今までにも何度も書いていたけれども、このペースの速さはちょっと予想外というか、正体発覚の危機がもう来るのか?って感じでした。これもシークがいればきっと未然に防げたように思えるので、やっぱり彼が死んだのが逆風になっているわけで、ここからが正念場になるんでしょうね。彼の死が崩壊の始まりになる、かどうかはわからんし、そもそもギル・メフィウスが皇帝になることは決定されているので、まあどうするんだろうね。個人的には、良い方向か悪い方向かはわからないけどイネーリが動くんだろうと思うんだけど。自分はけっこう彼女が好きなので、活躍してくれると嬉しいなー(自分のど根性だけで立ち回っているあたりが良いね)。

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