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2012.04.11

『アトリウムの恋人(3)』

アトリウムの恋人(3)』(土橋真二郎/電撃文庫)

美しさにもいろいろあって、ある種の美しさは儚さと同義のものがある。記憶とか思い出の持つ美しさというのは、紛れもなくそうものであって、記憶についての物語は必然的に儚さについての物語になる。どんな大切でかけがえのない記憶であっても、いつかは必ず忘れられてしまうし、忘れられなかったとしても変質して、別のものになってしまう。それが記憶の持つ儚さであるし、それゆえに美しいものとなりうる。

『アトリウムの恋人』という物語は、基本的にそういう儚さのようなものがあって、たぶんそれは世にあるバーチャルリアリティものと違って、主人公たちがダイブする仮想空間の存在について、主人公たち、というか”人間”の側がアプローチすることが出来ないためであるのだろう。彼らが生きる仮想空間は、彼らにとって何よりも大切なものでありながら、その統治について彼らはいかなる決定権を持たない。突然、明日にでも奪われるかもしれない、そういう不安定で確かなもののない世界なのだ。

だからこそ、彼らはその維持に必死になって取り組み、少しでも謎を解明しようと行動するのだけど、そんな彼らを翻弄するかのように、世界は残酷な試練を与え続ける。そうした中で、試練と戦い続け、人々はお互いを信頼することもあれば憎みあうこともあって、それでもいろいろなものを築き上げていく。しかし、世界を構成するなにものかは、それらすべてを無視して、すべては崩壊していく。

崩壊への力と、それに対して抵抗しようする人々は拮抗しているのだけど、これは敗北が決定されているとも言える話で、つまり、拮抗することは出来ても、絶対に勝つことは出来ない勝負なのだ。勝利条件がない代わりに敗北条件があり、敗北条件を満たさないことだけが、彼らの出来る戦いなのであって、その戦いの中にもいろいろなものが失われてしまう。

それは不毛な戦いであって、無意味な勝負でさえあるのだけど、それゆえにそこには儚さが宿り、美しいものとなりうる。その美しさには意味がないと言うことも理があると思うけど、そうした美しさを認めないでいることは、人間の価値とか意味とかを認めないということにも繋がっているのではないかと思う。自分の為したこと、そして築き上げたものについての記憶を失った主人公のところに、それでもかれが為したことが残っていたように、そこに意味を見出すことが出来るのが、人間と言うものなのだ。

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